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2章
02 1993年の新後アイリス
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「本当にやるんですね」
「ええ、私は本気よ」
翌日の午前10時。坂戸はトキネを赤山駅近くの喫茶店に呼んでいた。
「生きて、この世にいるためにはやるしかありませんからね」
トキネの淡々とした口調である。パンケーキを10段の横2列並べた向こうにトキネがおり、表情が窺い知れない。しかし、この言い方によりも内容に坂戸はカチンときた。
「まるで、人の命をもてあそんでいるかのような口ぶりね。アンタは神か何かなの?」
オレンジジュースのすする音が止まる。
「中には過去に絶望していた人がいて、死を選んだ人もいるでしょうに、なんでそんなことが言えるの?」
パンケーキの壁の向こうから音が聞こえない。
「私みたいに過去――違う世界から希望を見出せる人はいいのよ。でも、みんながみんなそうだと思わないでほしいわ」
パンケーキの横からトキネは顔を出す。さすがに申し訳なさそうな顔をしていた。
「すみませんでした。私の言い方が軽率でした」
「……まあ、私も少し言い過ぎた。正直言って、操られてる感というか導かれてる感があるのよ。それが心のどこかに引っかかってね」
「いえいえ。私は基本的に現状を伝え、理解してもらう立場ですから。見守るだけで指示も命令もしません。あとの行動はその人にお任せです。呼ばれれば、何かない限りこうやって出てきて話をしますしね」
坂戸はスマホを操作し、仲の画像を開いてトキネに見せた。
「こいつを誰だか知ってる?」
トキネはパンケーキを食べながら画面を覗き見る。その様子を坂戸は油断なく観察していた。
「カッコイイ人ですね。坂戸さんの彼氏だった人ですか?」
「違うわよ。トキネはこいつのことを知らないの?」
「わかりません。会ったことのない人ですから」
「こいつも未来から来た人間なのよ」
「……説明したほうがよさそうですね。わからないと言っても、坂戸さんはずっと聞いてくるでしょうし」
オレンジジュースからストローを外して一気飲みし、お代わりを頼んでからトキネは語り出した。
「時の『見守り人』は私以外にもいます。しかし、お互いがお互いを干渉しあえる存在ではないのです」
「なぜ?」
坂戸の疑心が膨らんでいく。
「さあ、そこは私にもわかりません。私自身、上司や先輩からそのような話を聞いただけであって、会ったことも話したこともないからです」
「じゃあ、この時代の人間に化けてる可能性も考えられるのね?」
「考えられますし、私たちでは確認できない高次(こうじ)の存在であるのかもしれません」
「高次の存在、ね……」
坂戸には昔、チャネリングに凝っていた友達がいた。そのとき散々話を聞かされたこともあってか、スピリチュアルな話題は苦手だった。
「わかった。この話はやめにしましょ。それよりもほら、ハニーシロップがこんな所についてるわよ」
話の最中に、正面の2列あったパンケーキの壁は跡形もなく始末されていた。紙ナプキンでトキネの頬をぬぐう。
「気づきませんでした、ありがとうございます」
――時の「見守り人」なんていう職というか役割が務まるのかしら? こんな間の抜けた娘に。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでも」
トキネは小首をかしげながらも、ピッチャーに入ったオレンジジュースを自分のグラスに注いだ。
「それで……まずはどうするんですか?」
「新後アイリスの話? 課題が多すぎるのよね」
坂戸は頬杖をついて窓の外を眺める。
「これから大変ですよ。新後アイリスというチームの名前は想像以上に売れてますから」
「あなたに言われなくてもわかってるわよ」
このころ新後アイリスや、新後県の各地に散らばるチームには入部希望者があとを絶たなかった。それには理由があった。
この年のテレビ新後は新しく就任した局長が、根っからの野球好きということもあり、7月下旬に行われる「都市対抗野球大会」の代表枠を争った試合模様を、地元の一次予選から北信越地区大会の二次予選をテレビで放映していたのだ。特に二次予選のひとつしかない代表枠を争った決勝は、石川県の企業チームと激闘を繰り広げ、あと一歩の所で涙を飲んでいる。このことから、少なくとも北信越地区の社会人野球のファンに顔を売るのには十分だった。
ふたつ目に夏に行われる「全日本クラブ野球選手権大会」では初優勝飾り、10月の中旬の社会人野球日本選手権大会では前年王者の拝藤組を下し、ベスト4に輝いたこと。
さらにはこの年、日本は記録的な冷夏に見舞われていた。そのせいで米が実らず、東北は壊滅的被害を受け、九州も東北ほどではないが、やはり被害は大きかった。ここ新後はやや不良で、家で食べる分は去年の米があるからいいものの、売るほうの新米は、収穫量が前年より半分ほどに落ち込んだ。
米どころに来れば古米(こまい)でも古々米(ここまい)でも国産にありつけるだろう、と、考える者もいた。それゆえ若く、持つものもない食うに困った独身者を中心となって、新後の地に足を踏み入れた。しかもその連中は耳ざとく、新後アイリスが寮を所有しており、3食食うに困らないことを知っていた。ちょうど2大会で名を売って、社会人の最たる強豪・拝藤組を下したこともあり、入部希望者が続出したのだった。
入部希望が多いのは悪いことではない。だが、野球の実力が素人以下の連中が多数を占め、入部テストでは惨憺(さんたん)たる有様だった。また、実力が優れていても、面接において考え方や性格がちゃらんぽらんな輩(やから)にはその場で帰ってもらっていた。社会人野球で野球のことだけを考えているのは間違いなのである。あくまでも仕事が主体であり、対等以上に向き合わなければならないのだ。仕事と野球の比率がおかしいということは、倉本の教えもあって、新後アイリスにおいて許されざることであった。加えて米不足も重なったから、そこに食うことも追加される。すると、ますます比率がおかしくなる。倉本に言わせれば、
「勘違いしたバカな連中が、雁首(がんくび)揃えてやってくるわい」
と、常々嘆いていたのだ。
結果として採ったのは元の世界ではふたりしかおらず、ただただ時間を割かれた結果となった。
「まあ、厄介者を追い出すことにまずは取りかかることにするわ」
パンケーキとパンケーキの間にあるクリームの中からレーズンだけを取り出し、皿の端に置いた。
「どうしても許せない、と、見えますね」
「この時代の私――由加里には、疑う力と非情さが圧倒的に足りない。素直で性善説を信じてる甘ちゃんよ。由加里が非情になれないのなら、私がなるしかない。悪貨(あっか)が良貨(りょうか)を駆逐(くちく)するなんて、絶対に許さない」
「ええ、私は本気よ」
翌日の午前10時。坂戸はトキネを赤山駅近くの喫茶店に呼んでいた。
「生きて、この世にいるためにはやるしかありませんからね」
トキネの淡々とした口調である。パンケーキを10段の横2列並べた向こうにトキネがおり、表情が窺い知れない。しかし、この言い方によりも内容に坂戸はカチンときた。
「まるで、人の命をもてあそんでいるかのような口ぶりね。アンタは神か何かなの?」
オレンジジュースのすする音が止まる。
「中には過去に絶望していた人がいて、死を選んだ人もいるでしょうに、なんでそんなことが言えるの?」
パンケーキの壁の向こうから音が聞こえない。
「私みたいに過去――違う世界から希望を見出せる人はいいのよ。でも、みんながみんなそうだと思わないでほしいわ」
パンケーキの横からトキネは顔を出す。さすがに申し訳なさそうな顔をしていた。
「すみませんでした。私の言い方が軽率でした」
「……まあ、私も少し言い過ぎた。正直言って、操られてる感というか導かれてる感があるのよ。それが心のどこかに引っかかってね」
「いえいえ。私は基本的に現状を伝え、理解してもらう立場ですから。見守るだけで指示も命令もしません。あとの行動はその人にお任せです。呼ばれれば、何かない限りこうやって出てきて話をしますしね」
坂戸はスマホを操作し、仲の画像を開いてトキネに見せた。
「こいつを誰だか知ってる?」
トキネはパンケーキを食べながら画面を覗き見る。その様子を坂戸は油断なく観察していた。
「カッコイイ人ですね。坂戸さんの彼氏だった人ですか?」
「違うわよ。トキネはこいつのことを知らないの?」
「わかりません。会ったことのない人ですから」
「こいつも未来から来た人間なのよ」
「……説明したほうがよさそうですね。わからないと言っても、坂戸さんはずっと聞いてくるでしょうし」
オレンジジュースからストローを外して一気飲みし、お代わりを頼んでからトキネは語り出した。
「時の『見守り人』は私以外にもいます。しかし、お互いがお互いを干渉しあえる存在ではないのです」
「なぜ?」
坂戸の疑心が膨らんでいく。
「さあ、そこは私にもわかりません。私自身、上司や先輩からそのような話を聞いただけであって、会ったことも話したこともないからです」
「じゃあ、この時代の人間に化けてる可能性も考えられるのね?」
「考えられますし、私たちでは確認できない高次(こうじ)の存在であるのかもしれません」
「高次の存在、ね……」
坂戸には昔、チャネリングに凝っていた友達がいた。そのとき散々話を聞かされたこともあってか、スピリチュアルな話題は苦手だった。
「わかった。この話はやめにしましょ。それよりもほら、ハニーシロップがこんな所についてるわよ」
話の最中に、正面の2列あったパンケーキの壁は跡形もなく始末されていた。紙ナプキンでトキネの頬をぬぐう。
「気づきませんでした、ありがとうございます」
――時の「見守り人」なんていう職というか役割が務まるのかしら? こんな間の抜けた娘に。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでも」
トキネは小首をかしげながらも、ピッチャーに入ったオレンジジュースを自分のグラスに注いだ。
「それで……まずはどうするんですか?」
「新後アイリスの話? 課題が多すぎるのよね」
坂戸は頬杖をついて窓の外を眺める。
「これから大変ですよ。新後アイリスというチームの名前は想像以上に売れてますから」
「あなたに言われなくてもわかってるわよ」
このころ新後アイリスや、新後県の各地に散らばるチームには入部希望者があとを絶たなかった。それには理由があった。
この年のテレビ新後は新しく就任した局長が、根っからの野球好きということもあり、7月下旬に行われる「都市対抗野球大会」の代表枠を争った試合模様を、地元の一次予選から北信越地区大会の二次予選をテレビで放映していたのだ。特に二次予選のひとつしかない代表枠を争った決勝は、石川県の企業チームと激闘を繰り広げ、あと一歩の所で涙を飲んでいる。このことから、少なくとも北信越地区の社会人野球のファンに顔を売るのには十分だった。
ふたつ目に夏に行われる「全日本クラブ野球選手権大会」では初優勝飾り、10月の中旬の社会人野球日本選手権大会では前年王者の拝藤組を下し、ベスト4に輝いたこと。
さらにはこの年、日本は記録的な冷夏に見舞われていた。そのせいで米が実らず、東北は壊滅的被害を受け、九州も東北ほどではないが、やはり被害は大きかった。ここ新後はやや不良で、家で食べる分は去年の米があるからいいものの、売るほうの新米は、収穫量が前年より半分ほどに落ち込んだ。
米どころに来れば古米(こまい)でも古々米(ここまい)でも国産にありつけるだろう、と、考える者もいた。それゆえ若く、持つものもない食うに困った独身者を中心となって、新後の地に足を踏み入れた。しかもその連中は耳ざとく、新後アイリスが寮を所有しており、3食食うに困らないことを知っていた。ちょうど2大会で名を売って、社会人の最たる強豪・拝藤組を下したこともあり、入部希望者が続出したのだった。
入部希望が多いのは悪いことではない。だが、野球の実力が素人以下の連中が多数を占め、入部テストでは惨憺(さんたん)たる有様だった。また、実力が優れていても、面接において考え方や性格がちゃらんぽらんな輩(やから)にはその場で帰ってもらっていた。社会人野球で野球のことだけを考えているのは間違いなのである。あくまでも仕事が主体であり、対等以上に向き合わなければならないのだ。仕事と野球の比率がおかしいということは、倉本の教えもあって、新後アイリスにおいて許されざることであった。加えて米不足も重なったから、そこに食うことも追加される。すると、ますます比率がおかしくなる。倉本に言わせれば、
「勘違いしたバカな連中が、雁首(がんくび)揃えてやってくるわい」
と、常々嘆いていたのだ。
結果として採ったのは元の世界ではふたりしかおらず、ただただ時間を割かれた結果となった。
「まあ、厄介者を追い出すことにまずは取りかかることにするわ」
パンケーキとパンケーキの間にあるクリームの中からレーズンだけを取り出し、皿の端に置いた。
「どうしても許せない、と、見えますね」
「この時代の私――由加里には、疑う力と非情さが圧倒的に足りない。素直で性善説を信じてる甘ちゃんよ。由加里が非情になれないのなら、私がなるしかない。悪貨(あっか)が良貨(りょうか)を駆逐(くちく)するなんて、絶対に許さない」
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