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2章
13 惜しい逸材
しおりを挟む約束した時刻になり、クラブハウス内にある監督室のドアをノックする。すぐに入室を促す声が飛んできた。
部屋へ入ると、疲れ切った表情の中にも懸命に笑顔を浮かべたブレーブスの監督――トニー・ランドルフが、肥えた体を揺らし、わざわざ真ん中まで進み出てきてくれた。
握手を交わしながらお互い自己紹介をし、ランドルフに勧められるがままに応接セットに腰を下ろした。
「わざわざ日本からご苦労だったね。長旅は大変だっただろう?」
「確かに大変でした。が、ベースボールの本場に降り立った瞬間、疲れなど吹き飛びましたよ」
「ハハハ、君はおもしろいことを言うな」
それからしばし、ランドルフは友好的な態度で仲との会話を楽しんだ。
仲とランドルフがここまで友好的なのは理由があった。
元の仲は子どものころからジャガーズのファンだったらしい。27歳になった1978年秋に思い切って1週間休暇を取り、汽車を乗り継いでわざわざ福岡県にある平和台(へいわだい)球場に行った。最大の目的は、せめて生で福岡最後のジャガーズの勇姿を見届けたかったのである。それに次いで、この年に行われた日米野球を観るためだった。
それまではメジャーリーガーには少ししか興味がなかったが、シンシナティ・レッズの「ビッグレッドマシン」の破壊力に圧倒され、メジャーのレベルの高さに驚嘆(きょうたん)した。試合が終わって興奮冷めやらぬ仲は、球場の周りを歩いて滾(たぎ)る熱を秋風で冷ましていた。そんなとき、はぐれたらしい金髪で緑色の目をした長身の外国人が、困った様子で周囲に目を走らせていた。
その外国人こそが若き日のランドルフだった。先発の一角だった30歳の彼は、好奇心が先行してチームメイトとはぐれてしまったのである。
「いやあ、あのときほどミスター仲が、英語を話せてよかったと思えることはなかったよ」
「私もあのときほど英語を学んでいてよかったと思えましたよ。こうしてまた再会できましたし」
「また丸天うどんを食べよう。あの味が忘れられくてな」
「ええ、また近いうちに行きましょう」
会話が途切れ、お互い安堵の息をついた。
「ところで――」
場が温まってきたタイミングで仲は本題を切り出した。
「このチームで伸び悩んでいる若手はいませんか?」
「それは……」
ランドルフの表情が曇る。手元にあるタバコに火を点け、まずそうに紫煙(しえん)を吐き出した。
「伸び悩んでいる選手もいるが、上からのお呼びがあまりかからず、実力を持て余してるのも事実だ」
上とは所属しているメジャーリーグのアトランタ・ヴァラーズのことである。そのヴァラーズはとピッツバーグ・バッカニアーズは、ナショナルリーグ東地区に属するチームであり、ここ数年は熾烈(しれつ)な優勝争いを繰り広げている真っ最中だった。お互いレギュラー陣の大半は全盛期を迎え、怪我などの離脱もなく投打ともに控えの層も厚く、とても下の選手が割って入れるような状況ではない。シーズン中にたまに呼ばれてもすぐに落とされ、まともにAAA(トリプルエー)からメジャーに昇格して通年を過ごした選手は皆無であった。
ヴァラーズの傘下組織であるここクリアウォーター・ブレーブスも調子がよく、前年は地区優勝、今年はリーグ優勝とノリに乗っている。こちらは上とは違って下部組織との連携は盛んであり、他球団とのトレードも頻繁に行われていた。
「一番伸び悩んでいる選手は誰ですか?」
「スターター(先発)のガウラ・ジェファーソンだな。あいつはここで終わるような選手じゃない。ポテンシャルは誰にも負けてないはずなんだ」
ランドルフは即答する。言葉からは悔しさが滲み出ていた。
「私も同感です」
「ハハ、何を言ってるんだ。AAA(トリプルエー)の試合なんて日本じゃ放送していないだろう。それに、成績をまとめた本なんて売ってないはずだ。まさか試合を観ていたのか?」
「はい。予定よりも早く着きましてね。ほぼ最初から観ていました」
「……恥ずかしいところを見せたな」
ランドルフはタバコを消しながら大きなため息をつく。立ち上がって部屋の隅の冷蔵庫から瓶ビールを持ってきた。栓抜きで開けて1本は仲にやると、自分はビールを勢いよく煽った。
「あの通りの選手だ。どうしたってコントロールが悪いのは直らない。生まれつきの持病みたいなものだな」
苦笑して肩をすくめる。一度虚空をにらんでから仲に向き直り、とつとつと語り出した。
「下では荒れ球で通じたかもしれんが、それもそこまでというわけだ。知っての通りAAA(トリプルエー)は、メジャーに一番近い位置のリーグだ。メジャー経験者がゴロゴロしている。甘いわけがないんだ。万が一メジャーに昇格したとしても、今日以上にひどい有様になることだろう。本人なりに悩んでコーチに訊いたり、私もアドバイスを送った。しかし、一向に改善されなかった。くしくもルール・ファイブ・ドラフトが今年から解禁になってはいるが、トレードに応じてもらえない現状なら、どこも取ってくれる球団はないだろうな」
ルール・ファイブ・ドラフト――マイナーに埋もれた有望株の選手を、他球団での活躍の場を提供する目的の制度である。引き抜き防止のため、ある程度チームに所属した年数が経った選手が対象となる。主に20代半ばに差しかかるころ辺りがメイン層である。
「どこの球団も貴重なロースター(選手枠)をひとつ潰してまで取りたくないし、50000ドルも払いたくない。私がメジャーの監督であっても、そんな博打(ばくち)のようなことをしたくはないな」
日本の野球で言うなら基本的に1年間は一軍にいることになる。どんなに調子が悪かろうが下に落とすことはできない。勝手に落とそうものなら、選手は元のチームに返還されることになる。なおその際、支払った50000ドルの半分の25000ドルが返ってくる。結果的に、獲得した球団が二重の意味で損になることもありえる。ちなみに例外があって、故障者リストに登録すればこのような事態にはならない。
「本当に、本当に惜しい逸材だ……」
ランドルフは唇を噛んだ。残ったビールを飲み干し、頭を振ってやりきれない思いを振り払おうとしている。
「監督が思い描く将来のガウラは、どんな姿ですか?」
「20勝を挙げる絶対的なエースしかないだろう。どうしてそんなことを訊くんだ」
「方法ならあります」
「何ッ」
ランドルフが顔色が変わった。
「仲には、あのどうにもできないコントロールを改善できるというのかッ?」
仲は力強くうなずく。
「こちらで――日本で預からせていただけませんか?」
「なんだと……」
ランドルフは強く目を閉じて逡巡(しゅんじゅん)する。さすがに日本行きは考えていなかったことだ。
「確かに、思い切って環境を国外に変えることで一皮むけるかもしれん……」
額に手をあてて天を仰ぐ。しばしボソボソと聞こえない独り言をつぶやいたが、頭を振って仲を見つめた。
「わかった。私からも説得してみる」
「いや、それには及びません」
「大丈夫なのか」
「私の説得が不備に終わってしまう場合、同伴をお願いします」
「そうか。まずは自分の力量だけでやってみるということだな」
「はい。もちろん、ルール・ファイブ・ドラフトのようにそちらの球団に移籍金を支払います」
「おお、いくらだ?」
「75000ドルでどうでしょうか?」
ランドルフの目がカッと見開かれる。このころの1ドルはだいたい109円であったから、75000ドルというと約810万円の計算になる。
「な、75000ドル……!?」
想像よりも遥かに上を言った金額に、絶句するランドルフ。
「必ずや一回りも二回りも成長させてみせます」
「わかった。私の一存では決められない。上に報告して聞いてみる」
「わかりました。よろしくお願いします」
仲は日本人らしく深々と一礼して監督室を辞去した。
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