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3章
02 イサハイ工業の社長
しおりを挟む「お願いしようかしら」
本保の肉厚の顔がほころんだ。
「みんなで解決していきましょうよ! 当面、寮の電話番のバイトも雇えばいいですしね」
「ありがとう」
本保の力強い言葉が琴線(きんせん)に触れ、涙が込み上げて来そうなところを懸命にこらえる。精神的に楽になったことで、気持ちが緩んでしまったのだろう。
「坂戸さんは、責任感が強くてひとりで背負い込むことがあるから」
「馬鹿、それはアンタもじゃない。働き過ぎて死ぬんじゃないわよ」
「いやいや、自分なんかまだまだ死ねませんよ。嫁さんもいませんし、結婚資金のためにバリバリ働きます! ……ただ、医者から痩(や)せろ痩せろ言われてノイローゼになりそうですけど」
本保は声を裏返して笑い飛ばす。つられて坂戸も腹の底から笑った。
――落ち着いたら嫁探しでも手伝ってあげようかな。
脳裏にそんな考えがよぎり、どうしたものかと少し思案していると、玄関から声が飛んできた。
「おおーい、飯酒盃(いさはい)のジジだ。ちょっと来てくれやー」
ドスンドスン、と次々何かを置いていく音がする。
坂戸と本保が玄関に行ってみると、段ボールやギフト箱が空いているスペースにどんどん積まれていた。
上下ベージュの作業着姿の老人が、難し気な顔で佇(たたず)んでいる。作業着の左の胸には、イサハイ工業と赤く刺繍(ししゅう)が施されている。痩身(そうしん)かつ短く刈り込んだ白髪頭、顔中皺だらけで眉毛も白く、肌は浅黒い。
一見(いっけん)して気難しそうな厄介なジジイと思われがちだが、
「おう、監督さん。今年もお歳暮のお裾分けだわや。若けぇモンたちで食ってくれや」
表情を変えずに出てきた言葉には、気さくな中にも慈(いつく)しみが込められていた。
――そっか。飯酒盃さんはお中元とお歳暮を毎年くれるんだっけ。
「どこ置いたらいいんば(だ)?」
厨房(ちゅうぼう)で料理の仕込みをしていた靖子(やすこ)が遅れて出てきた。
「あら、社長。いつもお世話になってます。若い方たち、こっちの部屋にお願いします」
5人の若手社員が気持ちのいい返事をし、先を歩く靖子の後ろを荷物を抱えて着いていく。
「毎年すみません。飯酒盃さんのおかげで私たちは、だいぶ助かってます」
「なーに、いいんでば(いいんだよ)。社員にはパーッとボーナスをやったし、アイリスの嬢ちゃんたちにもボーナスをやらんと罰が当たらあ」
飯酒盃巧次(たくじ)が経営しているイサハイ工業株式会社は、従業員数は約200名の新後県内でも有数の優良企業として有名な会社だ。作っている製品は自動車や農業機械部品――ハブやリアやベアリングやエンジンなど――の足回り部品が中心である。丁寧かつ迅速な仕事で評判が高い。地に足をつけた経営のおかげでバブル期は損という損もせず、世間の青色吐息とは無縁だった。ちなみに、勤務体系は日勤のみで、基本的には残業はない。国家公務員よりも早くから土日祝休みを取り入れ、社員のやる気を引き出させ、メリハリのある働きやすい環境を整えている。
「ま、余りモンで申し訳ねぇどもや(けどな)。それよか佳澄がおめでただってな。いがったな(よかったな)!」
顔は面倒くさいそうで怖そうだが口調は軽い。飯酒盃の特徴だ。滅多に柔らかい表情をしないためか、誤解を受けやすい。その分口調で喜怒哀楽を表している。
「ありがとうございます。本人に伝えておきますね」
「おう、頼むわ。ってコラ、ヨシ! ナ(おまえ)はなァに油売ってけつかんだ。ちゃんと仕事してんだかッ」
坂戸の近くに立っていた本保に目を留めて叱りつける。本保は吹き出た汗をハンカチで叩きながら、何度も体を折り曲げた。
「ヒャー、すみませんすみません。サボってたわけじゃなくて、今度1月号で発行する広報誌をチェックしてもらっていたところなんです」
「本当なんだば(か)?」
「本当ですって! ね、坂戸さん」
「そうですよ。広報誌のことで1時間以上話してました。ぼっちゃんは輪をかけた真面目で少し困っちゃいますね」
「ああ、だすけに(だから)40近くなっても嫁さ来ねぇんだな」
坂戸と飯酒盃が少しからかうように言うと、本保は真に受けてしまう。
「いやいやいや、嫁さんの話は関係ないんじゃないですか」
「バカタレ、冗談だてば」
飯酒盃が軽くいなし、顔を坂戸に向けた。
「それよか監督さん。ちと頼みてぇことがあんども、時間あっかね?」
「ええ、今大丈夫ですよ」
「じゃ、自分はこれで……」
「ナ(おまえ)も居てもいいわや。ちっとでもジジ(じいさん)の話を聞けやて」
飯酒盃が本保のスーツの袖(すそ)を強引に引っ張り、食堂に入っていく。坂戸も後に続く。
イスを引いて腰を下ろし、靖子の淹れてくれた熱い茶をすすりながら、対面に座った坂戸と本保を見やりながら切り出した。
「事務のあねさら(姉ちゃんたち)がふたりもいねなるんだと」
「急ですね」
「ひとりは寿(ことぶき)退社でもうひとりは具合わーりでよ、1年ばっか休職すんだわ」
菓子器(かしき)から硬い醤油せんべいを1枚取って豪快に音を鳴らす。飯酒盃は今67歳だが入れ歯など一切なく、生えそろっており、まだまだ老いてもなお元気そのものである。
「ヒャー大変ですね。でも、うちからは人員を割けませんよ。ギリギリの人数でやってますから」
本保は言葉を選びながら言った。
「冷てーこと言うんだがなぁ」
「ウチも今はちょっと……すみません。拝藤組との試合が終われば、フリーター組を説得してみせますから」
「そうだわな。監督さんは拝藤の負け犬のクソッタレをギャフンとやらないかんもんな。ま、ひとつ頼むわね」
せんべいを加えながら飯酒盃は食堂から出ていこうとした。が、己の頭を叩いて戻ってきた。
「さーさ(そうだ)、忘れてたわ。わしと仲の良い社長のチームがよ、アイリスと対戦してえって言ってんだわ」
「練習試合の申し込みですか。いいですよ、いつですか?」
「急で申し訳ねぇんだども、土曜の午後からって頼めねぇか?」
「大丈夫です。お世話になってる社長の頼みですもの。断るわけにはいきませんから」
「おお、あんがとよ。さすが監督さんだでや。この身の軽さ、即決即断の妙(みょう)をヨシも見習わんとや」
「はい、精進します」
本保の返事が軽い。優柔不断なところがある本保にとって耳が痛かった。
「うし、そろそろ行くわ。ヨシ、ちゃんと仕事せえよ」
坂戸と本保も立ち上がって、門(かど)送りするべく玄関を出た。
すでに飯酒盃が引き連れてきた社員たちは、先に車に戻って社長の戻りを待っていた。2台あるワンボックスカーの先頭のほうの助手席に乗った。
「ほんじゃ、頼むがね」
2台のワンボックスカーが国道に向かって疾走(しっそう)していった。
「どこも大変ですね。年の瀬だって言うのに」
飯酒盃を見送りながら本保がしみじみと言う。その言葉に渋い顔でうなずく坂戸であった。
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