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3章
05 ひとりぼっちの桃未
しおりを挟む晴れ渡る青空に澄み切った海。昼下がりの沖縄県の気温は12月でも20度を超え、本土より強烈な紫外線が降り注ぎ、冬でもビーチを訪れた人々の肌を焼いている。やや強めの風が時折吹くものの、比較的過ごしやすい気候だ。
人から遠く離れた所に、半袖短パンで帽子をかぶった少女が砂浜を駆けていた。黒髪のツインテールが釣られて揺れている。
同じ所を飽きもせず行ったり来たり。だいたい30~50メートル間をかれこれ20分以上往復している。
服で覆われている以外は日に焼け、小麦色の手足と顔が印象的だ。
やがてひとしきり走って満足したのか、ゆっくり減速しつつ、次第にウォーキングになり、砂浜に尻をつけた。
置いておいたカバンからタオルとスポーツドリンクを引っ張り出し、汗をぬぐいながらキャップを回して口をつける。
ひと息つきながら西へ落ち続ける太陽を一瞥し、澄み切った海を見ながら波の音に耳を傾けた。
しばらく放心したかのようにボーっとしていたが、サッと立ち上がり歩き出す。そのまま躊躇なく穏やかな海の中を進み、ある程度の距離まで進むと立ち止まって目を閉じ、穏やかな波に身を任せて動かなくなった。
「お、そっちも撮影をするのか?」
助手席に収まった相崎が、ルームミラー越しにラゲッジに積んである機材に目を留める。
「まあな。若いもんたちには俺が与那国を見つけたら、ポケベルでメッセージを送って駆けつけてもらうことになってる。たまには活躍した選手を取り上げてやらんとな。ただ正直、どこのビーチにいるかわからないんだよな」
黒く日焼けした男がバンを運転しながら頭を掻く。男の名は石黒(いしぐろ)。かつては相崎と新後テレビで働いたこともある同僚で、気の置けない関係である。今は南西テレビのディレクターを務めている。
坂戸、佳澄、相崎、贄が那覇空港に到着すると、この石黒が出迎えてくれた。相崎が事前に連絡をしていたのだ。空港を出て石黒が自分で運転してきたという社用車のバンに乗り、与那国桃未がいると思われる近場のビーチを探して回ったが、まだ見つかっていない。
坂戸が聞いた。
「何か手がかりはないんですか?」
「手がかりは、夕日が沈む西のビーチで毎日運動してるってぐらいですね。特定のビーチにいることはなく、毎日違うビーチにだいたい14時か15時から夕日が沈むまでいます」
那覇市周辺にいくつかビーチが点在している。そのどこかで与那国桃未がトレーニングをしているとのことだった。
「早く会いたいなー。どんな娘(こ)だろ」
佳澄がのんきな声で言う。石黒が答えた。
「それなりにテンションが高い娘(こ)だよ。ときどき電池が切れたようにおとなしくもなるけど」
「おお、いいじゃないですかー! ギャップが効いてますなー。会ったら真っ先に抱きしめてあげるんだ。だって、ずっとひとりだったんですよね?」
「基本的に群れない人間だからな。自分から輪の中に入っていこうとはしない。両親が亡くなってから、特に強くなったみたいだ」
「大丈夫ですって。いっしょに食べたり飲んだりすれば、ベストフレンドってやつですよ~」
贄が調子のいい口調で言う。佳澄がすぐに反応した。
「おっ、贄ちゃんいいこと言うじゃなーい!」
佳澄と贄が手のひらを当て合う。相崎が苦い顔をした。
「佳澄、あまり甘やかさないでくれ。ったく、まだ仕事もしてねぇってのに、もうメシの催促(さいそく)か」
「小腹が空(す)いて、これじゃ仕事ができないですよ~」
そう言って贄は胃の辺りを撫でる。
「馬鹿野郎、俺の分の機内食も食ったじゃねえか」
「あれじゃ、満腹中枢(ちゅうすう)が刺激されませんっ」
あまりにも悲痛な叫びに聞こえたのか、石黒が同情した。
「よしよしわかった。そこのリュックにサーターアンダギーが入ってるから食べな」
「わあー、石黒さんありがとうございますっ! いただきまーすっ!」
ルームミラーで贄の喜ぶ顔を見てから、助手席の元同僚を軽くにらんだ。
「相崎、こんなかわいい娘が腹空かせてんだ。タッパも結構あるし、かわいそうだと思わんのか」
「思わない。こいつの胃袋は底なしで、食い物を与え続けてもこんな調子だからな。だから一度与えたら、ほっぺ膨らませて腕組みして黙り込むまでは何もやらない」
「まるで動物みたいに扱いが徹底してるんだな」
「経費が文字通り食いつくされるんだ。こいつの食費でな」
再度ルームミラーを一瞥する。確かに贄は、よく噛んでいるんだかわからないほどのスピードで、サーターアンダギーを平らげていく。
「彼女は大食い選手か何かか?」
「ただの大食い一家の長女だとよ」
そうこうしているうちに3ヶ所目のビーチに到着し、駐車スペースにバンを停める。若い女子ふたりは真っ先に砂浜へ駆け出していく。
「与那国はママチャリで行動してる。ここにいるなら停まってるはずだ」
石黒は駐輪場へダッシュしていった。
残された坂戸と相崎は、それぞれ分担して指示された物を外に出した。
坂戸は片手間にビーチを見渡す。さすがに冬のマリンブルーに染まった海に入っている者は、片手で数えられるぐらいしかいない。砂浜では子どもたちや家族連れ、それに若者たちがまばらに遊んでいるだけだ。
「よし、あった。ここのビーチにいるはずだ」
「わかった。私も気合入れて運ぶわ」
「坂戸さんはいいですよ。我々が運びますんで」
「大丈夫。まだまだ力には自信があるのよ」
とは言ったものの機材を両手に抱え、砂浜を歩くのはかなりキツイものがある。テンションが上がって今の体のことを忘れていた坂戸がひいこら言いながら運んでいると、先に行ったふたりが戻ってきた。
「ねぇ、監督。あそこにいる人全然動かないんだけど」
「はあ? なんですって」
全身に汗が滲み出し、イライラしながら機材を下ろして佳澄の指差すほうを見る。このビーチは遠浅(とおあさ)らしく、目を凝らしてやっと発見できるほどに遠くにいた。透き通る青い海の中に、ぽつねんと存在する人の姿がようやく確認できた。
「まったく動かないわね」
しばらく女性陣が様子を眺めていると、相崎が追いつき機材を下ろした。
「どうかしました?」
顔中を汗まみれにした相崎が坂戸に声をかける。
「あそこにいる人が動かないのよ」
「ええ、マジですか」
相崎が手を額に当てて目を細める。
「いますね。本当にまったく動かない」
そこへ、石黒がやってきた。坂戸が不安げに聞いた。
「石黒さん。あそこにいるのって……」
「そうそう、あれが与那国桃未ですよ。彼女は――」
「まさか!」
佳澄が石黒の話を遮る。
「独りがつらいからって入水(じゅすい)しようとしてるんじゃ……?」
「いや、違う――」
「贄ちゃん、行くよっ!」
「はい!」
若いふたりは石黒の制止も聞かずに、海の中を猛然とした早さで掻き分けて行く。
「……まあ、迎えに行ったと思えばいいか」
石黒が誰ともなく小さくつぶやき、坂戸と相崎に荷物を持って移動するように促した。
穏やかな波が桃未の体を優しく包み込んで洗っている。
目を閉じて外界の音を意識的に遮断し、心を無にして自分の鼓動と呼吸を傾聴(けいちょう)する。ゆっくり一定のリズムが自分の中を刻(きざ)み続ける。やがてその音も遥か遠くに行ってしまう感覚まで達すると、自分も海の一部になった気がした。人は母親の胎内(たいない)にいるときは羊水(ようすい)に浸かっている。ちなみに、羊水と海水の成分がほとんど同じであり、海は母親の胎内とはよく言ったものだ。
不意にこのまま母さんのもとへ行ければな、と思う。意識が急速に戻ってくる。やっぱり独りは寂しい。バイト仲間もいるし、少ないながら友達もいる。だが、所詮(しょせん)は赤の他人だ。血を分けた親や兄弟姉妹がいれば、心に空いた空洞(くうどう)が満たされるのだろう。桃未はそう思って疑わない。
目を閉じたまま半無意識に足が前に出た。ほんの小さな一歩が桃未の意思を強くした。遠浅でもこのまま進んでいけば、いずれは足も着かない場所にたどり着くだろう。
海は――母は自分を受け入れてくれるのだろうか。不安ではないのだが、一瞬脳裏をかすめた言葉がどうにも引っかかり、足が止まった。それと同時に音の遮断をやめ、目を開けた途端に、水を乱雑に掻き分ける音が耳についた。
何ごとだろうと振り向こうとするが、
「早まっちゃダメ―――っ!」
背後から体を強く抱きしめられ、体の身動きが取れなくなった。首をかろうじて回す。必死の形相の若い女が、自分のことを離すまいとしている。
しかし、不思議と嫌な感じはしなかった。表現するのが難しいが、なんとも言えない心地よい感じがしたのだ。このままずっとこの人になら身を委(ゆだ)ねてもいいなという感覚。でも、見知った仲ならともかく初対面同士である。そうもいかなかった。
「わたしは、あの、その……」
張りつめていたものが切れたせいだろうか、頭と口がうまく回らない。体の力も徐々に抜けていくのがわかる。相手の高い体温で、身も心も弛緩(しかん)しきっているのだろう。
「あのね、桃未ちゃん。人生山もあれば谷もある。生きてればいいことも悪いこともある。桃未ちゃんを必要とする人間だっているんだから、早まったことをしちゃダメだよ」
優しく母が子を諭(さと)すような声音だ。幼いころの母の声色にそっくりで、心の琴線(きんせん)に触れた。不意に景色が歪み、鼻をすする。涙が洪水となって目から溢れ出す。
「母さん……」
桃未の嗚咽交じりの声を聞いた女は、力を緩めてこちらを振り向かせて今度は優しくかき抱いた。
「私はお母さんじゃないけどさ。迎えに来たよ、桃未ちゃん」
桃未の涙はしばらく止まりそうもなかった。
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