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3章
22 監視の目
しおりを挟むポケベルが届いた日から早速やり取りが続いた。もちろん、相手は母親の玲子ではなく、新後アイリスの監督の坂戸である。
練習や試合が終わって真っ先にポケベルをチェックするのが日課となった。ポケベルでひらがなやカタカナが使えるのはまだ少し先のことであり、数字のみの文面で送られてくる。それを変換表とにらめっこしつつ、改めて文面を作り上げていく。1件で一文ならまだしも、2、3件で一文が完成されているパターンもあった。なおかつ変換表を使わずそのまま読む――例えば114ならそのまま「いいよ」と読ませる――パターンもあったりと、葵は頭を悩ませて必死に自分の中で咀嚼(そしゃく)し、文面を時間をかけて再構成する作業に追われた。そして、葵がどういう役割を果たすのかが明確にわかり始めてきた。
拝藤組対する背信行為とは思いつつ葵は、万が一バレたとしても、今の拝藤組のレギュラー及び給料を捨ててでも茜を守りたかった。それが自分のためでもあり茜のためだと思っていた。
葵と茜はただのバッテリーではない。恋人同士の間柄であり、互いにとってかけがえのない存在なのだ。
野球をできる環境なんていくらでもある。しかし、茜は世界にひとりしかいない。日本国内での拝藤組の追い込みが激しければ、海外に飛べばいいとも考えていた。ちょうど関西のプロ野球チームで監督を務めていた人物がフランスにいるらしい。当然面識など一切ないが、同じ日本人である。何かしら助けてもらえると思った。
一方の茜は葵の行動を静観(せいかん)していた。監督に告げ口しようと思えば行動に移せたのに、だ。
理由は、口では殊勝(しゅしょう)なことを言いつつも、体――特に右腕の痛みが日に日に増していくのが怖かった。しかし、以前の自分の言葉を覆(くつがえ)したくないし、高すぎる自尊心が恋人相手であっても弱音を吐かせてくれない。それゆえに、見て見ぬふりをして告げ口に行かないことが茜が唯一できる協力なのだ。
「茜ちゃん、ちょっと出てくるね」
茜は葵のほうを見ず、無言でうなずく。口にしないが、どんなときも葵のそばにいたかった。プライドが邪魔して言い出せない自分と、葵がポケベルの文面を解読して公衆電話へ走っていくたび、だんだん自分から離れていく気がして悶々(もんもん)とするしかなかった。
「クソッ」
茜は唇を噛み、左手でベッドのマットレスを叩いた。
1993年当時のポケベルは、メッセージを受信するのみで送信ができなかった。送信するには電話が必要なのだ。
茜と葵の部屋にも固定電話――ちなみに、ダイヤル式はメッセージ送信には使えず、使えるのは♯(シャープ)ボタンがついているプッシュ式のみ――が置いてあるのだが、足がつかないようにわざわざ一階の公衆電話まで降りてくるのである。
間もなく日付が変わりそうな時間である。ラウンジには人っ子一人おらず、静まり返っていた。3台ある電話ボックスはどれも空で、葵は真ん中のボックスに入ろうとしたときだった。背後から、
「最近は外との交流にご熱心ね」
と、肝が冷えるような声がかけられた。
葵が肩越しに振り返ると、そこには昼間と変わらぬスーツ姿の一女がいつの間にか立っていた。
「一女さんじゃないですか。こんな夜遅くまでお仕事お疲れ様です」
気後れすることなく葵は言った。
「心にもないことを言うのはおやめになって。毎晩毎晩、あなたはどなたと連絡を取り合っているのかしら」
「お母さんですよ。今更ドラマに影響されたのか、ポケベルを持ってはしゃいでいるんです。それでこのポケベルも、わざわざ私とやり取りがしたいがために送ってきたんですよ」
葵は平然と嘘をつく。このころのポケベルは送信者の電話番号も表示されず、末尾に本人とわかるイニシャルか暗号を何文字か付け足してるだけであるので、誰とやり取りしているのかはわからない。それに、誰かしら介入してきて万が一ポケベルが見られてもいいように、メッセージを途切れ途切れか暗号めいたものにしていた。
「嘘をおっしゃい」
まったく動じない葵に、一女はひとつカマをかけてみることにした。
「もしや……新後アイリスと関わりのある人物とやり取りしているのかしら?」
「さあ……なんとも言えませんね。わたしと母はここ数年顔を合わせてませんし、帰る暇があれば練習していましたし。確かに、わたしの知らない間に新後アイリスの関係者と仲良くなっているか可能性もあるんじゃないですか」
とぼけた葵に一女は爆弾を落とした。
「知ってた? あなたの母親の真鍋(まなべ)玲子(れいこ)と新後アイリスの監督である坂戸悠里は、中学校卒業するまで同級生だったということを」
「ああ、そうだったんですか。……それで、どうかしましたか? 物心つかないときはまだしも、今の今まで会ったことも話したこともありませんよ」
淡々と答える葵に、一女の心がざわついた。思ったほどダメージを与えられなかったのもあるが、平静さを保つ葵に不気味なものを感じ取った。それでも、まだカマをかけ続けた。
「どうかしら? 嘘なんていくらでも並べられるもの」
「何が言いたいんですか?」
「あなた……何かを決意した目をしてるわ。ここを裏切って新後アイリスへ行くつもりね」
一女は会心の一撃を喰らわせたつもりだった。今度こそ動揺が表に出るはずである。だが、葵は視線をそらさずまっすぐ見返してきた。
「もしも一女さんが今言ったことが事実だとしたら、どうします?」
動揺と証拠を掴まれたと思い込んだ恐怖で体が震えて声が出ないはずだった。しかし、何ひとつとして葵から波打つものがない。しかも逆に問い返されるとは思っていなかった。
「あなたの大事な母親といっしょに、地獄へ送ってさしあげますわ」
意味深な捨て台詞を吐き、一女はそそくさと去っていった。
「地獄、か……」
どうやら監督や社長は、葵が毎晩公衆電話に入り浸っていることを知っているらしい。普段はたいして使わないから疑いがかかるのも無理はない。1週間近く経ってから一女を差し向けてきたわけでもあるし、わざと泳がせていた可能性も考えられる。
――今の茜ちゃんが苦しんでる状況こそが、わたしにとって地獄だよ。地獄から這い上がるためだったら、神様でも閻魔(えんま)様でも魂を売ってやる……!
文面を書きつけたメモ紙をポケットからつまみ出し、受話器をどかして100円玉を投入した。
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