Unknown Power

ふり

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3章

30 東京に降る雪

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 タンパからロサンゼルスへは飛行機で5時間以上のフライトである。
 ガウラとネリネの日本へ行く手続きは、アメリカらしくテンポよく簡潔に進んだ。元来、トレード、解雇、昇格・降格などが頻繁なリーグである。そういった各種手続きの形式も出来上がっているのだろう。
 当座の緊張から解き放たれた仲が、窓際の席で頬杖をついてその上に横顔の乗せて熟睡している。真ん中のシートに座っているネリネは、ブックカバーをかけた分厚い本を熟読している。通路側のガウラは豪快に口を開け、よだれを垂らして爆睡していた。
 やがて横顔が手のひらからずり落ち、仲は驚きながら眠りから覚めた。両手でまだ半分眠たい目をこすりながら隣を見た。

「なんだ、ネリネは寝てなかったのか」
「おはよう」

 ネリネが一言一句確かめるように日本語で言ってくる。

「『おはよう』って早速日本語を覚え始めたのか」

 ネリネはニコリともせず英語で返してくる。

「何事も早く取り組んだほうがいいでしょ。それに、あなたまでもが寝てしまったから黙ってインプットするしかなかった。隣の女はよだれ垂らして爆睡してるしね」
「せっかく風格があるのに台無しだな。これじゃデカい子どもだ」

 仲は苦笑いをし、ガウラのブランケットをかけ直してやった

「暇でしょうし、起きたからには付き合ってもらうわよ」
「構わないが、何を読んでいるんだ?」
「監督――ランドルフ――からもらった国語辞典」
「んー……まあ、辞典から入ってもいいんだがな。俺が渡した日常会話のテキストを読んだほうが勉強になるぞ」
「飽きた」
「『飽きた』? 200ページぐらいあるやつだぞ。搭乗前に渡したばかりなのに、ものの数時間で読み切れるのかよ」
「速読できる。5回ぐらいやれば覚えられる」

 試しにいくつかの例文をもとに会話してみた。すると、どれも適切な答えが返って来る。ネリネが嘘をついているのではなく、実際に知識が定着しているのがわかった。

「ネリネ……おまえって本当に凄いんだな」

 前の世界のネリネとダブる。ネリネは当然だと言わんばかりの顔をした。

「そうでもないわよ。体が小さい分、努力しないと太刀打ちできない世界にいたから」

 仲がネリネを見る目が、自然に尊敬のまなざしになる。さすが前の世界ではリトルSO(スタッフ・オフィサー)――ヘッドコーチや参謀を指す――と呼ばれ、務めあげた女傑(じょけつ)である。頭の中身からして自分とは違うと痛感した。
 優秀な人材が豊富なメジャーリーグの世界で生き抜くためには、並大抵の努力じゃいつまで経っても選手として大成できない。選手として、そしてのちにコーチや監督でも活躍するには、あらゆることに対してのたゆまぬ努力が重要なのである。それを欠いていては駄目なのだ。日本のように、現役時代に主力級だった選手が引退後すぐに監督になれるほど甘くない。中には最下層のルーキーリーグからコーチや監督を務め、10年近く経ってからようやくメジャーの監督になった元選手もいるのだ。長い下積みの中でチームを采配、運用し、まとめ上げる力とキャリアを培(つちか)い、なおかつ選手からの信頼を得なければとても監督になれない。それほどまでにメジャーは過酷でとてもシビアな世界なのだ。

「何をジッと見つめてる? ほら、この単語の意味を教えて」
「ああ、悪い。ええっとこれはだな。オンザアラート? 日本語に訳すと――虎視(こし)眈々(たんたん)だな。ジッと機会をうかがうことだ」
「甘いわね。これでレギュラーを奪取しなければ意味がない」

 指差す先にはLightning(ライトニング) speed(スピード)と書いてある。

「電光(でんこう)石火(せっか)か……」



 搭乗口から出てきた仲は、ふたりに荷物の受け取りを頼み、真っ先に電光掲示板を確認しに行った。
 1時間半後にはここを立つ予定である。比較的スムーズな乗り継ぎだった。
 だが、電光掲示板を見ていた仲は目が点になる。東京(成田)行きがCANCELLED(キャンセルド)――欠航と表示されていたのだ。
 何かの間違いだろうと最寄りのカウンターに駆け込み、何があったのか聞いた。女性職員もわからず、電話を手に取ってダイヤルを押した。それから4,5分話したのち神妙な顔で言った。

「東京は大雪が降っているそうです。滑走路にも雪が積もり、除雪するのに時間がかかるとのことです」
「じゃあ、こちらから飛べたとしても、着陸することはできないのですか?」
「はい。お気の毒ですが」

 魂が抜けた亡者(もうじゃ)のような足取りで、ガウラとネリネと待ち合わせ場所に指定していたカフェへ向かった。

「どうしたの? 元気ないよー?」

 悲壮感が全身から強く発せられているのらしく、ガウラの声が心配げだ。

「東京に大雪が降ってフライトできないってさ」
「間に合うの?」

 頭の中が真っ白でネリネの言葉が理解できず、仲は聞き返した。

「何がだ」
「試合よ。試合」
「ッ……! 俺としたことが忘れてた。ちょっと電話してくる」

 サイフだけを引っ掴み、仲は近くの公衆電話に飛び込んだ。ところが必要なセントを持ち合わせておらず、テレホンカードを買いに行こうにも利用者が並び出していることに気づいた。一刻を争う事態に、やむなくコレクトコールで日本の拝藤組秘書室に電話をかけた。

「連絡がないので心配していましたよ」

 久々に聞いた一女の声は相変わらず冷ややかであったが、心をざらつかせるような苛立(いらだ)ちも混じっていた。

「遅くなってすまない。ガウラとネリネの手続きに忙殺されていた。今、ふたりを連れてロサンゼルスにいる」
「最悪なタイミングですわね。昨日立っていれば大雪に遭わずに済みましたのに」

 恨むような口調である。仲の仕事の遅さをなじっているようにも思えた。

「雪はそんなに酷いのか」
「ええ。主要な公共交通機関は完全に麻痺しました。運休や遅延や事故や往生、なんでもありのパニック状態ですわ。当然、社長の機嫌も今年一番の悪さで、わたくしたち秘書はほとほと困り果てておりますの」

 胃が捻り上げられるように痛んだ。吐き気をこらえて何も言えずにいると、受話器の向こうの一女が深いため息がついた。

「土下座を何百回か行って許してもらえれば御(おん)の字と心得ておいてくださいませ。電話のことは伝えておきます」

 そして一方的に電話が切れた。
 仲は受話器を見つめ、しばし呆然と立ち尽くす。

――自然災害まで想定できるかよ。クソッタレ!

 受話器を叩きつけて憤然(ふんぜん)と電話ボックスから出る。
 前の世界の1993年の東京は、雪は降ってもパラつく程度だったと思う。気温も例年通りで特に変わったところはなかったはずだった。対して新後は冷夏(れいか)だったのにも関わらず、寒冬(かんとう)に見舞われていた。12月中旬から下旬にかけて大雪が連日降り、全体を通して寒く散々な年となっていたのだ。
 ふたりのもとへ戻ってきた仲は、ウェイトレスにコーヒーを注文すると、電話の内容を正直に話した。

「仕方ないわ。運が悪かったと思いなさい」
「私たちにも責任があるから、仲さんのことは体を張って守ってあげるよっ!」

 ふたりの言葉に少し仲の気が楽になった。

「近くのホテルを取るしかないわね。ここはアメリカでも有数の治安の悪いところだから」
「あー、確か暴動が去年あったんだよな」

 ここロサンゼルスでは、1992年の4月の終わりから5月の頭にかけて暴動が起きていた。黒人への度を越した積年の差別と、人種間で起こった事件の不平等な判決が契機(けいき)となり、一気に爆発したのだった。

「すっかり頭から抜け落ちてたぜ。ロビーで一夜なんて過ごすなんて、もってのほかだな。ホテルを予約しようか」

 自嘲(じちょう)気味の笑みを漏らしてコーヒーをすすった。

「日本に帰ったら額(ひたい)から血が出るまで土下座だな」

 ネリネが眉根を寄せた。

「どうして? 私たちふたりを連れて帰るミッションが達成できているのに?」
「ところがそうもいかない。日本は頭を下げる文化が根強い。例えふたりを連れ帰ったとしても、約束のひとつである期日を守れなかったら、誠心誠意謝らなければならないんだ」
「……そうなの。でも、どちらにせよ日本の寒い気候に慣れるまではポテンシャルを出せない」

 ネリネの何気ない一言が仲の心臓をえぐり、一気に血の気が引いた。

――俺としたことが、ふたりを獲ることしか考えてなかった。そうだよな、パフォーマンスをするためにはコンディションを整えないとな……。来て明日全力投球してくださいなんて、少し考えてみれば選手が壊れる可能性もありえる酷い話じゃないか。しかしふたりがいないとしても、拝藤組は勝てるのだろうか。可能性はあるにしても、由加里も動いてるだろうし……。

 仲は頭を抱える。ガウラとネリネの獲得が思ったほど早く進まなかったのもあるが、自分のことしか考えていない自分にガッカリした。環境を整え、内面的なケアを施さなければ人間は動かない。ロボットや機械とはわけが違うのだ。

「逆に約束が破れてよかったじゃない。猶予(ゆうよ)ができたのだから」
「一週間もあれば仕上げて見せるよっ! 寒さによるけどねっ!」

 マヌケな自分をふたりは肩を叩いて励ましてくれる。嬉しさと情けなさに涙しそうになったが、力強くうなずいて立ち上がった。

「よーし、何か美味いものでも食べに行くか! 今日でアメリカの料理は食べ治めだぞ!」
「ステーキが食べたーい! アゴが外れるぐらい分(ぶ)っ厚(あつ)いーの!」
「私はなんでも。強いて言えばコーンドッグを食べたい」
「わかったわかった。好きなだけ食べていいぞ。全部俺が払うからな」

 日本に帰ってからを今考えても仕方ない。やることは全力土下座一本なのだから。それに、今はふたりに寄り添ってやることが先決だった。大事な大事な金の卵である。仲の心の中で羅刹顔(らせつがお)の拝藤は、とりあえず掻き消されていた。
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