Unknown Power

ふり

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3章

32 練習試合

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 新後県立球場の空には雲ひとつない晴天が広がっている。
 新後市内の午前10時時点での天気予報では、午前午後ともに降水確率0パーセントの晴天らしい。
 日本海側に位置する新後県は、冬場となれば晴れが少なく、曇りでも晴れているという人間もいるほどだ。だから、今日も含めて3日連続で晴れたのは、ほとんど奇跡のようなものであった。
 グラウンドのコンディションは連日の晴天で非常によく、試合をするには申し分もない。絶好の試合日和である。
 スタンドには観客はもとより、クラブチームと企業チームの対戦はめったにあるわけじゃないので、地元のテレビ局や関東の複数の局、各種メディアの関係者たちも詰めかけていた。
 試合前の各自の練習が終わり、拝藤組がベンチへ撤収していく。入れ替わりに坂戸がダグアウトから出てきてマウンドに登った。
 新後アイリスのユニフォームは白地に黄色、青、ピンク、赤の水玉が散りばめられ、真ん中に紫色の明朝体(みょうちょうたい)寄りのIRISが踊っている。また、イサハイ工業を始めとした主な出資者のロゴが、胸や背中などに貼られており、元の世界では見た目が賑やかなことでも話題になった。帽子は白地にピンクの文字でIRISと刺繍(ししゅう)が施(ほどこ)されされている。拝藤組の黒を基調として、白抜きの筆文字の漢字で拝藤(はいとう)と書かれているシンプルなユニフォームとはまるで対照的だった。

「拝藤社長、少しお時間よろしいでしょうか?」

 マウンド上から坂戸の朗々とした声が通る。
 普段はバックネット裏で観戦する拝藤だったが、この日に限ってなぜかダグアウトにいた。完膚なきまでに新後アイリスを叩き潰せるとでも思っていただのだろう。スーツの上に防寒使用のマントを羽織(はお)り、ベンチに悠然と腰かけていた。
 その名指しされた拝藤が悠々とした足取りでマウンド上へ赴いた。

「何かな」
「実は私から渡したいものがありまして」

 小脇に抱えたカバンから白い封筒を取り出した。拝藤の眼は驚愕に見開かれる。それは真鍋葵の退職届だったのである。

「真鍋の退職届だとッ……? どういうことだ!?」
「さらにもうひとり」

 間髪入れずに同じような封筒を突きつけた。この時点で拝藤の頭には全身の血が上り、沸騰寸前だった。

「今度は誰だ!?」
「私です」

 いつの間にか拝藤の後ろにいたのは瑞加だった。

「五月ィ……き、貴様ァ……!」

 拝藤の額の血管を浮き上がらせて吠えた。

「何を考えておる貴様ッ!?」
「運命はこうなるべきと私にささやきかけたのです」

 瑞加は柳に風とばかりに受け流している。

「くだらん、くだらぬ! ああ、くだらんッ!! 何が運命だ宿命だ神様の思し召しだかなんだ! 貴様はあれほどよくしてやった雇い主に盾突こうというのか!?」
「申し訳ございません。このような人間で。ただ、私は運命に導かれるまま生きてきただけです。しかし、新たに芽生えた感情を大事にしたい」

 新後アイリスベンチで事の成り行きを見守っている桐子に視線を送る。それからジッパーを下におろすと、ジャンパーの下から新後アイリスのユニフォームが現れた。帽子も取ってジャンパーの上に置き、さらに髪をまさぐる。パチ、パチと爪を切るような音とともに、かつらを外す。剃り上げられた頭を拝藤に向かって深々と下げた。

「お世話になりました」
「待て、貴様!」
「辞める人間を引き留めるなんて野暮ですよ」

 今度は生名茜が飄然(ひょうぜん)とした態度で立っていた。

「私も拝藤組を抜けますわ。このままじゃ右腕が何本あってもたりないですもん。あー、退職届ならいけ好かないあのクソ眼鏡に渡しておきましたので」

 拝藤を見据えながら指差した先には退職届を握りつぶし、悔しそうにダグアウトから身を乗り出している一女がいた。

「貴様までもッ……許さん、許さんぞッ!!」
「ところで社長、あなたには好きな人はいますか」

 予想だにしてない言葉に絶句する拝藤。

「クサイ言葉ですが、私は愛と自由のために生きます」

 茜は新後のアイリスのダグアウトへ歩みを進める。すると、ダグアウトからジャンパーのフードをすっぽり被った人物が出てきた。

「茜ちゃん!」

 フードを取り去り帽子のツバを上げる。そこにいたのは葵だった。

「何ィ!?」

 拝藤は驚愕し、目を白黒させる。

「葵!」

 ふたりは抱き合い何度も熱いキスを繰り返した。

「拝藤社長」

 ハッとして振り返った拝藤が見たものは、勝ち誇った表情の坂戸であった。

「これが私のやり方です。人を活(い)かしてこそ、上の立つものの役目ではないでしょうか。アンタみたいに恐怖で縛って、奴隷のように酷使していてはダメなんです。人の心は移ろいやすいもの。鞭ばかりくれていては、人は人でなくなってしまう」
「おのれ、クソババアッ……誰に向かって講釈を垂れておると思ってる!?」
「『敗者に語る資格なし』。前の世界でアンタがよく言ってた言葉です。それを今アンタに送ります。負け犬社長さん」
「クソッタレェ!!」

 拝藤の堪忍袋の緒が切れた。怒りに任せた拳が坂戸を襲いかかろうとした。が――

「社長!」

 一女がいち早く駆けつけ、拝藤を羽交(はが)い締(じ)めにする。ついで監督の園木、遅れてほかの選手たちも飛びついた。

「公衆の面前で殴ってはおしまいですわ! どうか抑えてください!」
「ぬううッ……!」

 しばらく坂戸を血走った眼で睨んでいたが、やがて拳をゆっくり下ろした。

「賢明なご判断です」

 坂戸は笑みを見せて言う。一女は金切り声を上げた。

「あなたは黙っていてくださらない!?」
「いいえ、黙らないわ。拝藤社長、いかがいたしますか。醜態(しゅうたい)を公衆の面前で曝(さら)した今、それでも親善試合をなさいますか?」
「するわけなかろう! 中止だ中止!!」

 拝藤がいつまでも己に抱き着いている選手たちを邪険(じゃけん)に振り払い、憤然(ふんぜん)とした足取りで自軍ダグアウトへ帰っていく。
 こうして新後アイリス対拝藤組の試合は中止。拝藤が中止と高らかに叫んだこともあり、実質的に新後アイリスの不戦勝と捉えられてもよい結果となった。

「仲の奴さえ、間に合っておればッ……!」

 仲がガウラとネリネを間に合わせていれば、充分な勝ち目はありえた可能性が高い。拝藤はそう信じて疑わなかった。
 呪詛(じゅそ)のようにつぶやいた拝藤の眼には、ドス黒い負の感情が宿っていた。

「坂戸のババア、ただではすまぬぞッ……!!」
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