1 / 1
引退
しおりを挟む
「今日を以て、私、古橋徹は、探偵を引退します」
言い終わると、目の前のテーブルに置かれたコーヒーを見る。自分が淹れたものだ。立ち上る湯気は、入れた時に近い温度を保っている事を示している。それにゆっくりと口をつけた。
「何か決め手でもあったんですか? 探偵の引退というのを、改めて発表とするというのは理由があるのでしょう」
来客用のテーブルの、向かいに座る男が聞いてきた。左手にはボールペンを持ち、ノートに何やら書き付けている。少し青色が入ったメガネにハンチング、もらった名刺には鍵山信治、ライターという文字が印されていて、フリー活動しているらしい。年は四十代中頃といった所か。
「引退と、二十年前の事件と関係があるのですか?」
鍵山は、こちらの返答を待たずに、次の質問をしてくる。
「はっはっはっ。今日はそれを聞きたくて来たんでしょう? 楽しみはとっておいた方がいい。電話で話しをしたと思いますが、後日、その辺の事を含めて出版する予定があります。だから記事にする際には、肝心な部分は伏せていただくというのが、今回の取材の条件です。大丈夫でしょうけどね」
私はもう一度、コーヒーに口をつける。豆の持つポテンシャルを、うまく引き出せたかどうか確認する。購入した豆は一流、それを生かすも殺すも私の腕次第。先ほどから味の行方が気になってしょうがない。香りはこの部屋に充満している。初秋の昼下がり、私にとって至福の時間だ。
ここは、私、古橋徹(ふるはしとおる)の探偵事務所兼自宅。雑居ビルの二階に構えて三十数年。私自身の年齢も還暦を越えた。そろそろこのビルも取り壊しの話が出始めた頃、随分と長い付き合いとなった。事務所スペースも、年季の入った事務用デスクと棚、古びた来客用のテーブルとパイプ椅子があるだけ。引退に際して、これまでの年月で積み上がった澱のように貯まった物品は、少しづつ片付けている最中だ。
「先ほど、鍵山さんが言われた二十年前の事件は、ご存じのように解決出来ませんでした」
私は続きを、話始めた。あの事件について、自ら口に出すことはこれまでほとんど無かったため、少し口がひきつるような感覚に陥った。
「古橋さんは、テレビカメラの前で頭を下げましたね。まったくわからないと」
鍵山が、間を空けずに、早めの相槌を打つ。
「それより前の約十年間は、二重密室、時空を曲げたアリバイ工作、国家機密の暗号など依頼が次から次へと舞い込んできました。どれも解決していたんですが、あの事件は解決できませんでした。二十代のOLがマンションの一室で刺殺されていた、シンプルな事件です。そして、解決出来なかった事で、自分で言うのも何ですが、これまでに積み上げた名声は、地に落ちました。次々に寄せられていた依頼もすぐに綺麗さっぱり途絶えました。やむを得ず他の探偵がやるように、身辺調査やペットの捜索をして、食いつないでいました」
「約三十年前に颯爽と現れた、名探偵古橋徹。数々の輝かしい実績を残していただけに、あのアパートでの殺人事件を解決出来ないと宣言したのは、とても衝撃的でしたね。それ以来事件を解決されてない?」
鍵山は顔の距離を近づけてくる。
「はい、それでもしばらくはちらほらと依頼はありました。しかし、あれ以来解決は出来ていません。恥ずかしい話、生活のために日雇いの仕事をして食いつないだ日をありました」
私はつらい日々を思いだし、少し感傷的になった。
「こうやって聞いてると、二十年前の事件をきっかけに、探偵としての能力が急激に無くなったように感じるんですけど。あの事件は未解決でも、それからの事件は、同じように解決すればいいわけで。何か理由があるんですか、あの二十年前の事件に」
鍵山の追求は止まらない。
しかし、今だにコーヒーに手をつけない事の方が、私にとってはとても気になる所であった。
「あります。それが、今回出版を予定している所の肝ですね」
私はニヤリと笑顔を向ける。
鍵山は顔を上げない。どうやらこちらを見ずにノートに、今までに言った、私の言葉をまとめているようだ。ノートには『立花京子殺人事件』という文字を書かれている。
私はその文字を指さし。
「その事件です。そこの所が大事な所です」
「それならば、話を聞いて行けば、わかってくるという事ですね。では質問は変えて、探偵を引退というのはどういう事ですか? 定義といいますか、具体的には廃業とか閉店とかと考えてよろしいのでしょうか?」
鍵山は顔を上げると、椅子座ったまま、さらにズイッと体を前のめりに詰め寄る。正直に言って、これ以上に、寄る幅は無い。ペンを持った右腕に力が入っているのも見える。
話に興味がある姿勢を見せてくれるので、こちらも気持ちが乗ってくる。
「そうですね。探偵の仕事はもうしませんということです。身辺調査、ペット捜索なんかもです。看板を下ろすという事ですね」
「何かきっかけでもあったんですか? それと同時に、二十年前の事件の真相を話すだなんて、殺人事件には時効はありません。もし犯人がわかっているなら解決出来るのではないですか? そしてその真相とはなんでしょう? 探偵の能力が無くなったのも関係あるんですか?」
鍵山がヒートアップして目一杯してきた質問を、私は無視するように、カップの残りのコーヒーを飲み干した。
私は、少し前に探偵を引退する事、そして、二十年前の未解決事件の真相を話すという事を発表した。そしてその事について取材をしたいと言って来たのが、この鍵山なのだ。
「全ては一つにつながっています。しかし説明するには、順を追って話をしなければなりません。まず、今から三ヶ月前にいただいた依頼がきっかけなんです。それまで、私は引退も二十年前の事件の事も話す気はありませんでした」
言いながら私は、椅子から立ち上がる。
「鍵山さん」
鍵山はノートに何か書いていて、こちらを見ない。
「鍵山さん」
私は、少し強めに声をかけた。
「ああ、はい」
鍵山は、書くものが一段落したのか、ようやく顔をあげた。
「コーヒー、おかわりいります?」
私の問いかけに、まだカップに口をつけていない鍵山は右の手のひらをこちらに向け、いらないという意思を見せる。
スティックタイプの砂糖を一ついれた彼のコーヒー、今だに口をつけない事に風味が合わなかったのでは無いかと、気になった。ブレンドの配合を若者が好むものにしてみたが、迎合しすぎたか。それとも、もう少しビターなものにすれば良かったか。彼ももう随分と若くは無いようだ。
「それでは三ヶ月前の依頼、それについて教えてください」
右手を下ろすと、鍵山が続けてノートに何やらペンを走らせる。コーヒーに手をつける気配は無い。
「はい、その話をしましょう」
三ヶ月前の古橋探偵事務所
私は事務所で、身辺調査の書類を整理していた時の事でした。雨は降っていないものの、黒い雲が空を覆い、今にもという雰囲気を漂わせていた六月のある日の事でした。
その人は音も無く事務所に入ってくると、異様な熱を帯びた視線を私に向けていました。どれくらいの時間、そのように立っていたのでしょう。今し方かもしれないし、一時間以上その状態だとしてもおかしくない、その立ち姿は異形以外何者でもありませんでした。
「立花さん?」
存在に気づいて、声を出すまでにこの人は誰だろうと迷う事はありませんでした。立花直樹。二十年前に解決出来なかった事件の被害者の父親、その人だったからです。
初めて会ったのは事件直後、悲しみにくれた表情で解決してくれと、丁寧にお願いされました。しかし、それが適わないとわかってからは、罵詈雑言を吐いて立ち去った男です。最終的には犯人よりも私を嫌悪するようになってしまいました。怒りの矛先がどこにいるともわからない犯人よりも、目の前でちょろちょろしていた、役に立たない探偵の方が向けやすかったのでしょう。あれから二十年、もちろんこの事務所に顔を見せた事はありませんでした。人の事は言えませんが、お互い頭に白いものが増え、立ち姿も背が少し曲がり、年月を感じさせました。
そんな立花さんは、この来客用のテーブルに、ドンと厚みのある封筒を投げました。重みがありそうなそれを見て、現金だとすぐにわかりました。急な来訪よりも、テーブルに置かれた茶封筒にしか意識のいかない自分に嫌気がさしました。
立花さんは、さらにジャケットの内ポケットより一枚の紙を取り出し、テーブルの上に置きました。
「依頼だ。この写真館にいってお前の遺影を撮れ。そして、死んでくれ。そこには、依頼代と写真撮影代が入ってる。死んでくれ。お前が出来る娘の供養はそれだけだ」
そう言うと、私の返事も聞かずに、立花さんは事務所を出て行きました。もちろん、二度ほど声を掛けて引き留めようとしました。聞く耳なんてもっちゃいない、会話する気など端からありませでした。
残ったのは、現金の入った封筒、そして、遺影の撮影をするという写真館のチラシでした。茶封筒にはかなりの額の現金。チラシを確認して代金の所を見ると、現金の額はちょうど二倍、依頼代と撮影代という事でした。
その写真館については、聞いた事は無かったので、チラシをもとにネットで検索をし、評判、口コミについて調べて見ました。すると、すぐにわかった事があります。それは、この写真館は『死の写真館』と異名がついている事でした。ここで撮影した人は、程なくして死を迎える、というものがその由来でした。それもかなりの人数が撮影直後に亡くなっており、噂が噂を呼び、ついには『死の写真館』と呼ばれているという事でした。
そこで、私は電話予約をして、撮影をする事にしました。
現在の古橋探偵事務所
「行ったんですか?」
しばらく、黙って聞いていた鍵山が大きな声を出す。
「落ちぶれたとはいえ、探偵です。わからない事、不思議な事を目の前にすると調べたくなるのは性分です。それに、代金を立花さんに戻しに行っても受け取ってくれそうに無いし、撮影するしか私には道は無かったという事です」
自分が入れた、新しいコーヒーの風味を確認して、熱々を口に運ぶ。
「撮ったら死ぬんですよね? 死の写真館と呼ばれているわけだし、遺影ではなく、話を聞きに行くという選択肢もあったんじゃないですか」
鍵山はまだ食らいついてくる。
「『死の写真館』と呼ばれていて、普通なら商売やっていけませんよ。それでも、予約を取るも一苦労の繁盛ぶり、これは普通じゃない何かがあると思いました」
「それはそうですけど」
鍵山は食い下がってくる。
「私はとうに六十を過ぎてます。生き様だってこの二十年は、胸を張って生きて来たと言えるようなものは、何一つありません。家族もいませんし、親しくしている親戚もいません。だから、別にこれで死んでも誰も、何も思わないでしょう」
二杯目のコーヒーの味も、満足のいくものが出来たと思う。ゆっくりと飲み込んだ。
「そういうものですか」
鍵山は、少し軽蔑したような物言いをした。
「正直言いますね、お金が欲しかったんです。どうせ死にはしないだろうと思ってました。写真撮るだけで、立花さんに報告する義務もありません。だって、『死の写真館』のカラクリを調べろの依頼じゃ無いんですよ。撮影して終わり、最高じゃないですか」
私は舌を出し、少しおどけたような顔をした。
しかし、鍵山はノートに何やら書き付けていて、私の顔など見ていなかった。
私は気をとり直して、話を続けた。
「それに立花さんは、この二十年、私を殺したいくらい憎いはずです。でも、私を手にかけてしまう事は、娘さんの無念を晴らす事では無い。それでも、私が死んだら少しは気が晴れるかもしれない、そう思っての依頼だったのでしょう。子を思う親の気持ちというのは強いものです。子供をもった事はありません。それでも、数々の事件の捜査の際に感じた事でもあります」
私は、ゆっくりと表情を戻して、おどけた顔をデフォルトに戻していった。
鍵山は顔を上げると、何も言わず、もの欲しそうにこちらを見ていた。決してコーヒーでは無く、話の続きである事は自明であった。
私は写真館の話を始める事にした。
南口写真館
写真館はこの加是町(くわぜちょう)で、この事務所からでいうと駅を挟んで真逆の位置にありました。あの辺りは、以前は大きな商店街がありましたが、今や郊外の大型ショッピングセンターにおされて、ご多分に漏れず寂れた場所になっています。写真館はさらに裏通りに位置していました。立地は、三叉路に立っている所。外観は、古びた洋館の建物は、どこからともなく伸びた蔦が絡みつき、外壁の大半を覆って模様と化しているものでした。私は、写真館の写真を思わず撮ってしまいました。いかがわしくもあり、うさんくささもある、『死の写真館』という異名を持つには絶妙な外観でした。
予約した時間になったので、建物の中へ。対応したのは、館主というのでしょうか、この写真館の主がいるのみでした。助手や従業員、他に手伝う家族というものが見当たりません。一人で切り盛りしているようでした。
「いらっしゃいませ」
決して明るい声ではありません。事前情報の異名がそうさせるのでしょうか、室内はとても薄暗く、湿度もこの室内だけが妙に高い気がして、ジメジメしています。机の上には、無造作にカメラやレンズが置かれていました。
決して、子供の七五三、ウェディングフォト、家族写真などここで撮りたいとは思わせない、重い空気がこの部屋、いや建物全体を取り巻いているようでした。
館主は、髭が口周りや顎だけで無く頬にまで浸食していて、髪の毛も男性にしては随分と長く後頭部上でいくらかまとめられていれていました。爽やかとはほど遠い風貌に、こちらも『死の写真館』の館主たる見た目を備えていました。まるで死に神のように見えました。
私たちは、お互いに名前を名乗り、館主が南口健太(みなみぐちけんた)という名前だと知りました。そして遺影の撮影について打ち合わせをしました。そこでは別にこれといって、変わった事はありません。こちらの希望とコース、それに予算との摺り合わせ。遺影というものを撮るのは初めてでしたが、標準的なものだと思いました。
「では、撮りましょうか?」
館主はそう言うと、私を撮影する場所へと促します。
服装も、撮影を行うつもりでスーツを着ていってたので、困りはしませんでした。
そこは後ろに白い幕がおり、年期の入った木の椅子が鎮座している所でした。
私は椅子へ腰を下ろすと、まっすぐカメラのレンズを見るように指示されます。
「はい、もう少し顎ひきましょうか、ええそうです、はい一枚行きますよ」
そう言った刹那、フラッシュがきらめき、虹色の残像が視界に残りました。
館主は私の襟元を少し居直すと、再びフラッシュを煌めかせました。
撮影は至って順調、少し斜に構えた構図であったり、はにかんだものなど数パターンを試して終了しました。
恐れていた、魂を抜かれるような儀式をされたり、何かフラッシュを用いた催眠術のようなものを行い、自ら死に向かわせるような、まじないみたいなものもありませんでした。
「これって、支払いは?」
「よく、間違えられるのは、死んだら支払って、死ぬまでは僕が保管みたいに思われるんですけど、そんな事は中々できません。基本は撮影して仕上がったら、お渡しします。都合に合わせて少しの期間なら保管はできます。それと、引き渡しの時にお代はお願いします」
館主は柔らかい口調で答えました。
撮影した人間が死ねば死ぬほど、儲かるシステムではありませんでした。もしかして、夜な夜な、撮影した人を殺しに回っているような、おぞましいからくりがあるのかと思っていましたが、システム的に、リスクとリターンが合っているようには思いませんでした。
現像や額に入れての仕上げがあるので一ヶ月程かかるといわれて了承して帰りました。
現在の古橋探偵事務所
「もう三ヶ月経ってるんですよね」
鍵山は、我慢できずに聞いてくる。
「そうですね、昨日でちょうど三ヶ月ですかね」
「三ヶ月経ってて、なんとも無いんですか?」
鍵山は私が透けて見えないか確認するように、焦点が私にあったり、向こう側にいったりしている。
「ええ、今の所は」
私は胸を張る。
「本当に撮影の時は変じゃなかった?」
鍵山の追求は終わらない。
「実は、一つ気になった事はありました」
「気になった事?」
私の発言に鍵山は食いつく。
「もう少しで終わりですと言った時、館主はファインダーから目を外すと右目をつぶり、左まぶたをゆっくり、本当にゆっくりと閉じたんです」
「結果、両目を閉じた」
鍵山は結論を急ぐ。
「そうなんですけど、あの瞬間。何だろう、エアポケットのような時間がほんの数秒ですけど流れました」
「それだけ?」
「ええ、それだけです。他におかしな所は無かったと思います。そこから数枚撮影して終わりです。それに私は元気です」
私は、両腕で力こぶをつくって見せる。長袖を着ているのでわからないが、実際にはほとんど力こぶは出ていない。
「そうですか」
鍵山は私が元気な事に、不服な態度をとっている。
「そして、それから一ヶ月経ってから、遺影が出来ました」
「あ、そうか、撮影は三ヶ月前だから」
「ええ、遺影はできあがっています。そしてそこにあります」
私は、鍵山の後ろの側を指さす。
「あるんですか」
鍵山が大きな声を上げると、顔だけ後ろを向く。
私は、立ち上がるとその鍵山の背後、事務所入り口側の角に布でかけられたそこへと向かう。
「これです」
とりさった布の下には、遺影があった。そこには、こちらを正面に向かって座り、静かに凝視する私がいた。以前趣味しようとしていた油絵。その際に購入したイーゼルは二回使っただけで事務所の隅に放っておいたが、今回は遺影を飾るのにちょうど良かった。
「い、遺影ですね」
鍵山が思いもよりませんでしたの口調で、そのままの事を口にした。
「ええ、見事な遺影です」
「ですよね」
私の返答に、意外でしたの同意の言葉を吐いた。
「何も感じませんか?」
そんな鍵山に私は質問を投げた。
鍵山はそれを受け、間近によって遺影を観察し始めた。私から見て、それほど高く無い鼻が遺影に付くんじゃ無いかと心配になった。それほど接近したという事だ。
「い、遺影ですね」
鍵山が絞り出したのはそれだけであった。席に戻ると後ろ向きに上半身をひねり、遺影を見ながらコーヒーを飲んだ。
やっと一口目に口をつけた。私はもう冷めてないかが心配になった。鍵山に出したブレンドはホットの方が味わい深いものを選んだ。飲むペースは人それぞれだ。だが、一口だけでも早めに飲んで欲しい。熱いうちにしか味わえない風味というものもある。
「鍵山さん、何も? 感じない?」
私は再度、鍵山に質問をした。これは、コーヒーの味も含めての質問だ。
鍵山はいまだ、コーヒーを飲みながら、遺影を見て何か考えている。
「感じませんか?」
「ええ、何も。遺影ですね」
鍵山はカップに口をつけたまま、体の向きを私のほうに戻した。
残念ながら、コーヒーについての意見は出てこなかった。
「この遺影、知り合いの別の写真館に持ち込みました。何かあるんじゃないかと」
「撮影だけじゃなく、その後も調査したんですね」
鍵山は、何かをノートに書き始めた。
「依頼自体はこれで終わりなので、明らかに自分の興味本位なんですけど、何かわかればと思いまして。流石に探偵歴は三十年は越えてくると、写真関係でも知り合いはいます。そのつてを頼って行いました」
「結果は?」
鍵山は先を急ぐ、恐らく遺影はそれほど目を引く程のものでは無かったのであろう、この辺の話に興味を無くしているように見受けられた。そして残念ながらコーヒーの方にも興味は無いようであった。
「あきら・・・」
私はそこで言葉を切った。
「はい?」
鍵山がこちらを振り向く。
「・・・かになったことはこれは、絵でした」
「えっ」
私の言葉に、鍵山は息を飲む。
「そうです。絵です」
その言葉を言った時には、鍵山は再び遺影をド接近で観察していた。座っていた席から、あっという間にスピードで再び遺影の場所まで移動していたのだ。今度こそ、鼻が付くのでは無いかと本気で心配になった。しかし、再び話の方に興味をもって良かった。同じように、コーヒーにも持ってくれても良いのであるが。
「いやぁ、写真でしょこれ。まったくわからない」
鍵山は腕組みのまま、ウンウンとうなずき感心している。
「遺影を写真では無く、絵で行う事は珍しい事ではありません。しかし、ここは写真館と銘打って、カメラを使っての撮影をした上で絵で仕上げて来てます。これには何か理由があるはずなのです」
私は重要な情報を出した事で、少しばかり興奮をしていた。それを半分も聞かずに、遺影を見つめている鍵山に、少しばかりいらついた。
「そして、それを問い詰めに、写真館に向かいました」
「行ったんだ」
鍵山はようやく、遺影の前から離れると席に戻った。そして、カップに残ったコーヒーを雑に飲み込んだ。
南口写真館
私は写真館を訪れると、館主は別の遺影を運びだそうとしている所でした。
「この前はどうも。どうされました。お代もいただきましたし、何か不備でもありましたか」
館主はそれほど愛想が良い方ではありません。それでも客商売という側面もあり、私の再訪が自分の不手際が原因であった場合の事も含めて、丁寧に対応していただきました。
「すこし、お話よろしいですか?」
私は、手を館内の方へ向けて促すと、館主は渋々といった面持ちですが、了承して建物の中へ入れてくれました。
「話というのは?」
仕事の途中という事もあり、館主は話の内容を急ぎました。
「単刀直入に言います。あの遺影、写真じゃなくて絵ですよね」
館主から、数少ない笑みが消えました。見据えてきたまなざしは彼の普段のものでしょう、空恐ろしい浮世離れした冷たいものでした。
もしかしたら、こういう真相に気づいた者だけが、この写真館で殺されたりするのかもという想像がよぎりました。それくらい、冷たい視線でした。
「ダメですか。それならば、写真で撮りましょうか? これくらいで罪になります? 逮捕しますか?」
口調は殺伐としたものとなり、私は身の危険を感じさせる凄みを感じさせられました。やはり、それが『死の写真館』へのトリガーかと思わされました。
「いえ、何にもなりません。私は実は探偵をやっています。隠していて申し訳ない。今は落ちぶれていますが、二十年前は少し名前も売れていました。そこで、ここで遺影を撮る人間は死が訪れるという事で、調査して欲しいとの依頼が私の所へやってきました。そこで実際に体験して、そして調べたという所です」
死への恐怖へ立ち向かって、私は思いきって素性と依頼を明かしました。実際の依頼は調査までは受けていません。しかし、それでは館主から話しを聞けない、真相がわからないと思い、少し話を作りました。
「撮影におかしな事も無いし、あなたが私を夜中に殺しには来ない。それに、殺さなくてもお金がもらえるシステム。遺影を撮って、すぐに死ぬ事にあなたにメリットは無い」
恐怖から私は、館主に話す隙を作らないように、まくし立てました。
「調べたら、この遺影は写真ではなく絵であるということ。謎は深まるばかりです。もしかしたら私もすぐに死ぬのかもしれない。それならば、それまでに本人に聞いてみようと思い、今日はここに来ました。私が名探偵ならば、瞬く間に謎を解くんでしょうけど、それは残念ながら適いません。恥ずかしながら、真相を直接聞きに来たまでです」
私は軽く頭を下げました。この辺りの話は嘘は無いです、思いのたけを話きりました。
「死の写真館だと言われてる事は知ってます。うちで撮影した人がどんどん死んでるのも、もちろん知っています。しかし、遺影を撮るっていうのは死が近い人がする事だから、普通の撮影よりも確率が高くなるのは当たり前じゃないですか?」
「じゃ、どうして絵に? 写真のほうが効率良く出来る気がしますけど」
「以前にフィルムを入れ忘れた時があったんです」
私の話を遮るように、館主は話しを始めました。
「ある日、撮影したご婦人の時。帰ったあとにカメラ開くとフィルムが無い事に気づきました。慌てて連絡したら、その帰りの車で急に容態が悪くなってそのまま入院。今夜が山だって言われて、遺影も急ピッチでお願いと言われたんです。フィルムが無かったなんて言えないし、もう一度撮影をお願いする事も難しい状況でした」
「どうしたんです?」
「左目をつぶると残ってるんです。そのご婦人の座っていた姿が」
「姿が、残ってる?」
「そうです。残像というかイメージというか。それに、俺、絵が得意なんです」
そう言うと、撮影場所に置かれた机の引き出しから紙を一枚取り出しました。そこには、置かれた缶ジュースが倒れてこぼれているものが描かれていたんです。見る角度によっては本当にそこに、こぼれたジュースと缶があるように見えました。
カメラアイと写実の超絶技巧。
見た物をカメラのように頭のようにそのまま残せる能力。ある物を写真のように描く事が出来る能力。天は二物を与えないとは言いますが、この驚異的な力二つが館主には備わっていたという事でした。
「一晩で描き上げました。ほとんど記憶が無いくらい、全身全霊でした。偶然でしょうけど描き上げた時、ご婦人は亡くなられたという事でした。おそるおそるお渡しした遺影は、評判が良かったんです。写真で良いも悪いも言われた事はほとんどありません。でも、その遺影の時は遺族の方から反応がありました。嬉しかったんです。それから時々、こっそり絵で描いてお渡ししてました。すると、その時は本当に良かったとリアクションがあります。自分でもよくわかりません。その頃からです、うちで遺影を撮影するとすぐに死ぬというのは。この絵と死が関わっているのでしょうか?」
逆に、本人から質問される始末でした。
「写真ほど量産はできません。それでも、絵のほうが評判が良く、俺自身もそっちの方が楽しい。いつしか、撮影する事はほとんどなくなり、絵のみでやるようになりました。親父の代からずっと写真館でやってた事もあり、看板はそのまま。ご存じ、撮影の真似事をやって、目に焼き付けてます」
館主はそこで目線を下げました。後ろめたい事もあったのでしょう、最後の方は声がどんどん小さくなっていきました。
「初めて、見破られました。さすが探偵さん。おみそれしました。でも、特に悪い事はしてません。でもこれを機に、絵でやってますと、多いに謳ってやっていこうと思います」
私の指摘にどこか吹っ切れたような気がして、話を聞きに来て良かったと思いました。
「では、お仕事忙しいのに申し訳ありませんでした」
私は帰宅の意を示すと、立ち上がりました。すると、目線の先には先ほど運びだそうとしていた、遺影がありました。梱包されていて中身は見えません。しかし、外側には誰の物がわかるように、宛名が書かれていました。
立花直樹様
「えっ」
私はその梱包されていた、遺影に近づきました。
「やはりお知り合いですか? 立花さんとは」
館主がゆっくりと、近づいてきました。
「やはり?」
私は、その館主のその言葉が気にかかりました。
「ええ、二回ほど古橋という男が撮影に来たかと問い合わせがありました。お知り合いだったんですか? 本当に急な事で明日がお葬式だそうですね」
館主は少し笑みを交えて質問してきました。
「立花さん亡くなったんですか?」
私は思わず、逆に質問をしました。
「随分前、に撮影は終わっていました。ただ、まだ預かっておいてくれ。まだ死ねない、まだ死ねない。そう言ってお預かりしてましたが、つい先日の事です。連絡がそろそろ入るかもしれませんね」
館主は少し笑顔で、話をしました。
撮影日を聞くと、私に依頼する二ヶ月程前でした。
現在の古橋探偵事務所
「立花直樹さんは亡くなっていた」
鍵山は、半分口を開けて私に言葉を発した。驚いているのは自明の理であった。
「ええ、その事も少し調べて見ると、もともと持っていた持病が悪化した事が原因での事らしいです。それでも、倒れる前日までそのような素振りは一切見せず、倒れてからもベッドの上で、私が死んだかどうかを気にしてたという事でした」
私はまたもやコーヒーに口をつけた。少し間が開いたからか、少し温度が下がっている。風味が少し損なわれるが、私としては冷めたコーヒーも悪くない。そこから生まれる深い味わいというものがある。鍵山が熱いうちに飲まなかったのも、そういう主義なのかもしれない。
「やはり『死の写真館』。古橋さんももしかして、大丈夫ですか?」
鍵山は聞いてくる。
「今の所は、なんともありません。少し血圧が高くて病院に通ってますが、それも薬でなんとかなってます」
「という事は、結局、遺影を撮ったら死ぬという『死の写真館』のカラクリはわかってないわけですね」
「いや、それはわかってます」
「わかってる? どうして? 写真が絵だったということ以外に何かあります? 古橋さん自体は死んでないわけなんだから」
鍵山は私を指さしてくる。
「自分って自分で見えないんですよ」
「はい?」
鍵山は、意味がわからないという素振りで聞き返してくる。
「自分の目で自分を見ることは出来ない」
「いや出来ますよ。ほら」
鍵山は自分の腕やら身体やらを見る。
「そうじゃなくて、自分自身としっかりと、向き合うという意味でです」
「それなら、鏡とか、それこそ写真とかもそうだし」
鍵山は写真をとる手振りをする。
「それは、何かを介した自分。そうでは無くて、自分の目で自分を見る事って、不可能じゃないですか?」
「ふーん」
鍵山は腕を組むと、上を向く。様々なシミュレーションを行っているのであろう。
「できませんか?」
鍵山は不服そうだ、
「できません」
私は簡潔に答えた。
「それで? でもそれが死を招くと関係は無いように思えるんですが」
鍵山は不満一杯で、私が持っている答えを聞きたがる。
「この遺影。これは、自分を、自分自身を見てるんです。写真では無く、絵。館主のカメラアイと超絶技巧がなせる技なんでしょうけど、鏡や写真で見てきたものと訴えてくるものが違います」
「訴えてくる」
鍵山のオウム返しは、止まらない。
「ええ。表層では無い、深層。今だけでは無い、これまでの自分の歴史。それがにじみ出た皺、シミ。よく頑張ってきたな。自分の絵ですけど、自然とそう声を掛けたくなります」
私は思わず下を向いた。
鍵山もここは相槌をせずに待ってくれる。
「そして、このままで良いのか? このまま人生終わっていいのか? やり残した事は無いのか? 遺影の自分が語ってきます。だからあまり長い時間は遺影を見てられない。これまでの人生、目を背けてきた事が溢れてきます。文字通り、自分自身と向き合うという事でしょうか。自分に自信が無ければ直視するのも難しい、そういうものです」
私は顔を上げ、鍵山を見る。
「そこまでですか。本当に本人にしかわからない」
鍵山は不思議そうに、こちらを見ている。
「それはそうかもしれません。私も写真館で他の人の遺影を見ましたが、何も思いませんでした。しかし、自分のものを見ると違います。これを見てると、もう心の残りが無ければ死んでもいいという気持ちもわかります。それほど、この遺影には力があります」
「心残り?」
鍵山はその単語に引っかかった。
「立花さんにとっては、娘の未解決事件での憎しみ。犯人では無く探偵の私へ向かってしましまいましたが、そういうものです。それはもちろん私にもあります」
「という事は、それを取り去れば・・・」
「死ぬという気はありません。しかし、それで、探偵古橋徹は終わり。死という意味であれば、引退。そういう事になるかもしれませんね」
鍵山はその言葉を聞くと、さらにノートにペンが走った。
私はそれを気にせず、話を続けた。
「だから、探偵古橋徹の引退。そのために二十年前の事件の真相を告白して、本にして出そうと思ったわけです。この遺影を見て、この事をほったらかしにしたまま死ぬ事は出来ないと思いました」
「真相があると?」
鍵山が顔を上げる。
「あります。あの未解決事件の真相が」
私は残りのコーヒーを飲み干した。
「そして、あなたが今回取材を申し込んできた」
私はテーブル端に置いておいた、鍵山の名刺をつまみ上げると、肩書きと連絡先を目で読む。
「興味深い話が聞けると思い、申し込ませていただきました。お忙しいのに恐縮です」
鍵山は二度頭を下げる。
「実際、こんなロートル、取材したいなんて言ってきたの鍵山さんだけなんです」
「そうなんですか? てっきり取材が殺到してるんじゃないかと心配になっていました」
私は顔の前で手を振ると、少し間をとり、話を続けた。
「先ほども言いました。二十年前、とあるOLがマンションの一室で殺害されました。密室でも無ければ、争った形跡も無い。普通の包丁のようなもので一刺し。胸を刺されて、即死の状態。この町での事件という事もあり、私に捜査協力の依頼がありました。そして、それまで数々の事件を解決してきたのにも関わらず、私はその事件を解決する事は出来ませんでした」
私は語気に力がこもった。
「ええ、知ってますし、先ほど聞きました」
鍵山は、その続きに興味があるようで、今の私の話は彼の耳に留まっているようには思えない。
「私は、それまでの事件、自分で解決していなかったんです」
「はい?」
私の告白に、鍵山は瞳孔を開く。
「全て、殺害された彼女が解決していました」
「えっ」
今度は鍵山の重心が後ろへとずれる。
「事件からさらに十年前。彼女が高校生の頃に、私と被害者は出会っていました。彼女は唐突に事務所にあらわれたのです」
私は昔を懐かしむように、事務所の天井を見上げた。
三十年前の古橋探偵事務所
「あの、すいません」
彼女は、高校の制服を着て、学校校章が入ったの鞄を持っていました。第一印象は、浮ついた所がなく、勉学に励んでいる真面目そうな女子高生だなというものでした。
「ペットがいなくなって探してますっていう、張り紙見たんですけど」
私はその当時、探偵としては駆け出しで、事件の捜査の依頼も受けてましたが、こういうペット捜索も同時に行っていました。そのペットの捜索の一環で、電信柱に張った、紙の一枚の話でした。
「この犬、私の家の近所で、見かけるようになったんですけど。三日前くらいからいるし、餌をあげても逃げずに食べてるからおかしいなと思って。首輪とかついてないから、どうなのかなって思ってて、そしたらこの張り紙見たから」
彼女は言いました。
「それなら、家の住所とその犬がいる詳しい場所をその地図に書いておいてくれる。ありがとう」
私は少し前に依頼されていた、密室殺人の事で頭が一杯でぞんざいに彼女を扱いました。
地図はこの町のものが壁に貼ってあり、既にそれまでの事件で使用していたため、付箋がいくつもついていて、黒や赤のペンで丸やらバツやらの印がついていました。
「はーい」
彼女はそんな私の態度に対しても、素直に返事をすると、その辺にある赤ペンを拾い上げると自分の家周辺を見つけ、印をつけていました。
「あ、これって」
すると、その地図の横に置かれたホワイトボードには密室殺人事件の概要がまとめられたものが、書かれたり写真が貼り付けられたりしていました。
「ごめん、それは見なかった事にして、いろいろ機密事項だから」
私は相変わらず、彼女に対して顔も上げず、机の資料を見ながら言いました。
「犬見つけて、飼い主に返したら、情報料としていくらか支払うから連絡先も教えて」
と言ったものの、女子高生に連絡先を教えろというのも、どうかと思い直しました。
「あ、やっぱり嫌だよね。ちょっと待って、先に払っておくよ」
私は、机の引き出しを開けいくらか金が入っているであろう、古い革の長財布を取り出すと、記憶の中では数万円入っているはずの中身が、現実には一万円しか入っておらず絶望しながら、その一枚を取り出し、彼女に渡そうと近寄りました。頭の中はその月の生活をどのようにするかということで、一杯でした。
「はい、解けました。密室と見せかけた事件ですね」
彼女は不意に明るい声を発しました。そして背を向けていた彼女が、くるりと振り向きながらそう言ったのです。髪の毛とスカートが、同心円状に軽く舞い上がり、私と正対したときに舞い降りました。
「はい?」
私は彼女が発した言葉の意味を理解しておらず、疑問の声を上げました。
「お金いりませんよ。餌上げてて毎日楽しかったですし」
彼女は両手を胸の高さまで上げると、手の平をこちらにむけてブンブン振っていました。 何度も一万円を突き出しますが、お金を受けとってもらえません。
「いいよ、もらって。情報料だから」
「そんな大金もらえません。それに、謎解きまでさせてもらって」
彼女は笑うと目が、半円のようになり愛くるしい表情を見せました。
「そうか、それなら」
私は少し残念な演技をして、一万円を引っ込めました。
「それより、そのさっき言ってた、見せかけって?」
私は気になる本丸の、先ほどの彼女の発言を追いました。
「こっちですか?」
彼女はホワイトボードのほうを指さす。
「そう、その見せかけとかって」
私は何一つこの事件に関してわかっていない。
「これは密室に見せかけて、駆けつけた人達が、鍵は閉まっているという先入観から、ドアを強めにノックする。その振動でロックがかかり密室完成。最初から閉まっていたかのようにするトリックですね」
彼女は得意げに、左手の人差し指を立てる。そして、立てた指と自分のポーズに気づき、恥ずかしそうにその指を折りたたんだ。
「すいません、探偵さんに偉そうな事を。もう、こんな簡単な事件、解決してますよね。ごめんなさい。ただ、ちょっとこういうの好きなものだから。人が死んでるのに不謹慎ですよね。すいません」
そういうと、彼女は頭を下げて、事務所を出て行こうとしました。
「ちょっと待って」
僕は彼女の手首を掴みました。
何か淡い話が始まってもおかしく無かったり、もしくは悲鳴を上げられて面倒な事になってもおかしくはありませんでした。でも、それくらい私は彼女の発言が衝撃的すぎたのです。
「これって、見せかけ密室なの」
「は、は、離してください」
彼女は私の握った手を離そうとして、私の話した内容は聞こえていませんでした。
「ごめん。つい。それより、これって」
私は手を離しました。それでも、ホワイトボードを指さして、彼女にしっかりと確認をしっかりと確認しました。
「え、ああ、はい。そうとしか考えられません」
そう言うと、彼女はこの事件の概要から外堀を埋めていき、密室殺人の寄り詳しい理屈、人間関係が生み出す動機、それからはじき出される、犯行可能な人物の特定までを理路整然と説明しました。
「その話って、今これを見て考えたんだよね」
私は、自然と声が大きくなっていたと思いました。
「はい。殺人事件があったしか新聞には出てません。ちょっと気になっていたんですよね。どうなったんだろうと思ってました。ここまで捜査資料を見せてもらえれば、私でも解けます」
私は一週間、捜査資料とにらめっこして、一ミリも解けていませんでした。
「もういいですか。友達とカフェ行く約束があるので」
彼女が出て行こうとしたので、私は再び慌てて彼女の腕を握りました。
「なんですか。やめてください。警察呼びますよ」
私は再び、思わず手を離しました。
「ああ、ごめんなさい。あの失礼かもしれないけど、名前と連絡先を教えて欲しい。それに、高校何年生? あと将来は警察とか探偵とかになる気はある?」
聞きたい事が多すぎて、一つの会話に質問を入れすぎたのは、その時でも感じていました。しかし、それくらい聞きたかったんです。
「名前も電話番号はさっきの地図に書き入れてます。高校一年です。警察とか探偵とかは勘弁して欲しいですね。目立つの嫌なんで。将来はカフェを開こうかと思っています」
言い終わるとか終わらないかそれくらいで、彼女は事務所を出て行きました。
それが、私が彼女と初めて出会った時の事です。
現在の古橋探偵事務所
「ついでに言うと、それからすぐに犬も無事保護しました」
「では、それからはみやこさんが事件を解決していた」
鍵山の気持ちは、私の前日譚にはあまり響かなかったようだ。
「ええ。特に大きな事件になると、謝礼の額も大きくなります。しかし彼女は受け取りませんでした。表に出る気も無いし、お金もいらない。謎を運んできてくれて、考えさせてくれる、それが一番楽しいんだと言い続けていました」
私は椅子から立ち上がった。
「コーヒー、おかわり入れましょう」
私は鍵山のカップが空なのを確認すると、事務所の端にある炊事場に行き新しいコーヒーを入れた。
「その遺影も彼女に見せてあげたかったな。なんて言うかな。あはは」
私の言葉に、鍵山も思わずもう一度遺影の方を振り向く。
それを確認して、私は鍵山のカップにコーヒーをそそぐ。
「砂糖一つでしたね」
鍵山はこちらを向き直ると。
「ええ、そうです。流石、よく観察されてる」
鍵山の口元が緩む。
私は、白い粉をさらさらと湯気が立ち上るカップの中に入れた。
「良く言われました。推理とは観察だと。とにかく、良く見る、良く聞くそして覚える。それがはじまりだとね。十年間、いくつの事件を解決したかわかりません。文字通り安楽椅子探偵。彼女は表には出ず、家で私から聞く事件の概要だけを頼りに推理していました」
鍵山はそのままこちらを見ている。
「彼女はそれから大学に進学、そして就職をしました。その間、十年」
「十年も」
鍵山の表情が動かなくなってきた。
「彼女は、カフェを開くという夢を持ちながら就職して、OLとして働き始めました。もっと違う職業に就くという選択肢もあると思ったのですが、普通が一番と、聞き入れてくれませんでした。それでも、彼女への事件捜査の依頼は途絶える事はありませんでした」
「そんなに前から、知り合いだった。そして随分と長い期間、探偵業をしていた」
「そうです、彼女が全部解決していたんです」
私はまだ湯気が立ち上るカップを鍵山の前に置いた。
「そのみやこさんが殺された」
鍵山はまだ熱いコーヒーを口に入れながら、聞いてくる。
「前の事件解決のお礼を持って、彼女のマンションに行くとそこには警察車両と、立ち入り禁止の黄色のテープが張り巡らされていました。現場の人間は、私の到着を誰かが依頼したものだと勘違い。そのまま私が捜査する事になりました」
「なるほど」
鍵山はコーヒーをいくらか飲むと、またノートに何やら書き始めた。
「でも、これまでの事件は全て彼女が解決していました。私だけでは解決など出来ません。ましてや、その彼女の殺人事件。私は途方にくれました。そしてそのまま未解決の事件として今日まで来ていて、父親には恨まれたまま、お亡くなりになりました」
私の言葉に鍵山はもう何も書いてはいない。じっとこちらを見ている。
「そして、遺影を撮影した事で、この事件の真相をもう話をしてしまおうと思いました。今までの話が真相です」
私もコーヒーを飲む。自然と力が入っている事に気づき、自分でもびっくりした。
「私はこれらの事をまとめて出版します。鍵山さんには、本を出すまでは核心の部分は伏せて、欲しいんです」
「これで全部ですか。そうですか」
鍵山は再び、椅子の背もたれを使用した。そして、またコーヒーに口をつける。
「でも、こうやって探偵業を引退する、そして二十年前の事件の真相を話すという事を公にすれば、やってくると思ったんですよ」
「やってくる?」
鍵山が再び重心を前にする。
「もし自分が犯人だったら、気になって何を言われるか調べにくると思いました」
私のほうも、話を一旦切ると椅子にしっかりと座り直した。
「時間が経っているとはいえ、自分に不利な情報を話されたり、本として世の中に出れば困ると思うんです。だから、どういう内容か事前に調べに来ると思うんですよ」
私は軽く咳をする。咳など出そうには無かったが、話のリズムであえて強めにゴホンと喉を鳴らした。
「名前を変え、顔を変え、知らない振りしてこうやってね」
私の目の前にいる鍵山の目は完全に座っている。
「彼女には当時付き合っている男がいました。確か名前は東山彰(ひがしやまあきら)。彼女の事だ、私や事件の事は完璧に彼氏に隠していたはずです」
私は心拍数が変わっていない事を確認した。想定内だ。私が犯人なら、私を殺して口封じをするはずだと踏んでいた。
「それでも、彼氏は気づいた。自分以外の男と会っている事を、そして、浮気をしていると思いこんだ。裏切られたと思った彼氏は、彼女に手をかけた」
いつの間にか、私の目には涙が溢れている。
「殺される直前。もしかしたら、何か証拠でもあったかもしれない。それは息絶えるまでの短い時間、彼女が隠滅したはずだ。彼女は彼氏を愛していた。疑いの気持ちもわかっていた。事件を未解決にして、彼氏には自由に生きて欲しかったんじゃないのか」
「どうしたんです、急に?」
鍵山は今日一番の大きな声を出した。
「彼氏の彰は第一の容疑者だった。しかし、決定的証拠が無いまま今日まで来た。それほど、彼女の立ち回りが完璧だったんだろう」
私は鍵山の膝が震えているのを確認した。
「私との関係もばれないように、防犯カメラの無いマンションに住んでいた。そして、部屋は常に清潔に保たれ、証拠が残りにくい生活をしていた。それはいずれ自分にこういう事が起こりうる事を予見していたのかもしれない」
私は頬に伝うものがあるのを感じていた。
「彼女はそれを避けようとしなかった。裏で事件を解決している。彼氏に内緒の事がある。それは、こういう誤解を招くかもしれない。それは甘んじて受け入れよう。それほど、事件を解決する事は止められないものだったんだ。そして、それと同じくらい彼氏を愛していたんだ。だから、彼氏の彰は逮捕されなかった」
私の声は震えながらも、力強くなっていると思った。
「でも、君の今の行動が証明している。私を殺そうとしている。それは、二十年前のあの事件、やっぱり君が犯人なんだね。真相を話すと言っても、本当に私はあの事件、何もわかっていない。探偵を引退する。最後に捨て身であの事件だけは解決したい。そう思ってやった最後の大ばくち。ちゃんと君が引っかかってくれてよかった」
鍵山はいつの間にか立ち上がり、包丁をこちらに向けている。
「いつから、いつから、俺があいつの彼氏だとわかっていた。顔も名前も違う。どうして、どうして?」
鍵山は体全体が震えていて、その震えは、彼自身でも制御がおいついていない。
「取材を申し込んできたのは、君だけ。それに彼女の名前は京子と書いてみやこと呼ぶ。私は、ずっと彼女と呼んでいる。それでも君はみやこと間違えずに呼んでいた。それは実際に呼んだ事があるから。報道資料も、もう文章しか残っていない、みやこと呼ぶのは至難の技だ」」
私の指摘に鍵山はくっと唇を噛む
「鍵山と呼んでも、反応が悪い。いくら準備していても長い時間になればぼろが出る。試しに、本名の『あきら』と呼んで、その後に『・・・かに』と話を続けた時に思わず、返事をしている。そういう所から君が東山彰である事を示している。それに住んでいた所はアパート。実際に行けば高層マンションに住んでいた。しかしオーナーがこだわりで名前にはアパートとつけていた。私は何度もマンションと言ったが、君は間違えずにアパートと呼んだ。もうとっくにそこは更地になっている。今更現地に行っても間違えるはずが無い。取材だけではわかり得ない証拠だよ」
「どうせお前は、『死の写真館』で撮影したんだ。遺影がある。その呪いで死ぬんだ。いいな」
鍵山の体全体に力が入ったように見えた。瞬間、刃先が自分の体を貫いたかのような錯覚に陥った。
ドサッ。
私の体から痛みや鮮血は出なかった。そして、鍵山の体躯と包丁は同時に事務所の床に倒れた。
「二杯目のコーヒー、しびれ薬入れておいた。こんな事もあろうかとね。君が犯人だと確信もてたからね。よかった、刺される前に効いて。これも一か八かだったからよかったよ」
私は、鍵山のそばに屈むと優しい言葉をかけ、包丁を取り上げると離れた場所に置いた。
「全て、彼女に学んだ調査方法だった。全然ものに出来なかったけど、ようやく少しだけ使う事ができたよ。みやこの彼氏に使うとは思わなかったけどな」
「あのぉ、すいません」
その瞬間、事務所に来客があった。
「ああ、どうぞこちらへ、時間ぴったりです」
私はその客を招き入れると、先ほどまで私が座っていた所にその男を座らせた。
「南口写真館です」
名乗ったその男は、南口だった。
「そこで寝転がって、痙攣している男なんですよ。まだ若いし、遺影を撮るには早いんですけど、いろいろあって、人生やり直させたほうがいいと思って」
自分でもおかしな事を言っていて、すこし半笑いになる。
「でも、床に倒れたままではいくらなんでも、遺影をというのは少し」
「そうですね、これでは良い遺影にならない」
二人して痙攣した鍵山を椅子に座らせた。
「くそっ、なんで」
鍵山は体中がしびれているため、話す言葉もままならない。
「鍵山。これで遺影撮影してもらうから、やり直そうな」
私は声をかける。
南口はカメラを取り出し始めていた。
「あ、もうネタはばれてます。いきなりでいいですよ」
「そうですか、では」
南口はふぅーっと息を吐いた。そして右目をつぶると、左目だけでしばらく鍵山を見つめた。それからゆっくりと、静かに左まぶたが上から降りてきて、まもなく、両目が閉じられた。
「それでは、私はコーヒーでもいれましょう。それに折角だ、私の昔話でも聞いてください」
一年後、カフェデテクティブ
「いらっしゃいませ」
入り口を見ると、遺影を抱えた南口が入ってくる。
「配達中なんですけど、コーヒー一杯いいですか? 一日一杯飲むのが習慣になっちゃって」
南口はあれから髪を短く切り、髭も剃って壮観な見た目になっていた。
「ここも開いてそろそろ一年か」
カウンターに座った南口は、『オープン一周年記念クーポン』という券を見つける。
「正確にはあと二ヶ月後なんだけどね。気持ち的には今月なので、コーヒー一杯無料券を配ろうかと思ってる」
私はコーヒーの準備をしながら、笑顔を南口へと向ける。
「あの彼も刑が決まったとか」
南口は天井を見る。
「ええ。拘置所まで遺影を持っていって、見せましたから。それから、彼は自白を初めて、犯罪を認めました。これで彼女も、それに親父さんも成仏出来る」
私は目を瞑った。
「古橋さんのおかげで、僕は遺影の絵師として再出発できました。今ではすっきり仕事させてもらってます」
南口は深々と頭を下げる。
「ああ、止めて止めて。それよりコーヒーどうぞ。ミルクのみね」
私は、南口へコーヒーを出す。
「いつもありがとうございます」
「私もそうだよ。君の遺影のおかげで、向いて無かった探偵を辞めて、こうやって好きなコーヒーを入れる仕事を始めるきっかけをくれたんだから」
「本当、古橋さんの淹れるコーヒー最高ですよ、アツっ」
南口は猫舌のくせに、いつも熱々を口に入れてヤケドする。
「彼女、みやこはカフェが好きだったんです。初めて会った日も、その後はカフェに行ってました。コーヒーが好きだったんですね。そこで、よく私は彼女にコーヒーを淹れていました。だから、十年間も表と裏の探偵としてやれていたんだと思います」
「このコーヒーを飲んでたんですね」
「コーヒーを淹れるのだけは彼女より上手かったんです。だから彼女はカフェを開く事をあきらめたんです」
私はもう一度目を瞑る。
「古橋さんに淹れてもらうコーヒーで、もう充分だったのかな」
「そうだといいんですが。天国でもコーヒー飲んでるかな」
私は目を開くと、またもや天井を見た。
「もう一回、遺影書きましょうか?」
南口が、意地悪そうな顔を見せた。
「止めてください。しびれ薬いれますよ」
私と南口は静かに笑いあった。
了
言い終わると、目の前のテーブルに置かれたコーヒーを見る。自分が淹れたものだ。立ち上る湯気は、入れた時に近い温度を保っている事を示している。それにゆっくりと口をつけた。
「何か決め手でもあったんですか? 探偵の引退というのを、改めて発表とするというのは理由があるのでしょう」
来客用のテーブルの、向かいに座る男が聞いてきた。左手にはボールペンを持ち、ノートに何やら書き付けている。少し青色が入ったメガネにハンチング、もらった名刺には鍵山信治、ライターという文字が印されていて、フリー活動しているらしい。年は四十代中頃といった所か。
「引退と、二十年前の事件と関係があるのですか?」
鍵山は、こちらの返答を待たずに、次の質問をしてくる。
「はっはっはっ。今日はそれを聞きたくて来たんでしょう? 楽しみはとっておいた方がいい。電話で話しをしたと思いますが、後日、その辺の事を含めて出版する予定があります。だから記事にする際には、肝心な部分は伏せていただくというのが、今回の取材の条件です。大丈夫でしょうけどね」
私はもう一度、コーヒーに口をつける。豆の持つポテンシャルを、うまく引き出せたかどうか確認する。購入した豆は一流、それを生かすも殺すも私の腕次第。先ほどから味の行方が気になってしょうがない。香りはこの部屋に充満している。初秋の昼下がり、私にとって至福の時間だ。
ここは、私、古橋徹(ふるはしとおる)の探偵事務所兼自宅。雑居ビルの二階に構えて三十数年。私自身の年齢も還暦を越えた。そろそろこのビルも取り壊しの話が出始めた頃、随分と長い付き合いとなった。事務所スペースも、年季の入った事務用デスクと棚、古びた来客用のテーブルとパイプ椅子があるだけ。引退に際して、これまでの年月で積み上がった澱のように貯まった物品は、少しづつ片付けている最中だ。
「先ほど、鍵山さんが言われた二十年前の事件は、ご存じのように解決出来ませんでした」
私は続きを、話始めた。あの事件について、自ら口に出すことはこれまでほとんど無かったため、少し口がひきつるような感覚に陥った。
「古橋さんは、テレビカメラの前で頭を下げましたね。まったくわからないと」
鍵山が、間を空けずに、早めの相槌を打つ。
「それより前の約十年間は、二重密室、時空を曲げたアリバイ工作、国家機密の暗号など依頼が次から次へと舞い込んできました。どれも解決していたんですが、あの事件は解決できませんでした。二十代のOLがマンションの一室で刺殺されていた、シンプルな事件です。そして、解決出来なかった事で、自分で言うのも何ですが、これまでに積み上げた名声は、地に落ちました。次々に寄せられていた依頼もすぐに綺麗さっぱり途絶えました。やむを得ず他の探偵がやるように、身辺調査やペットの捜索をして、食いつないでいました」
「約三十年前に颯爽と現れた、名探偵古橋徹。数々の輝かしい実績を残していただけに、あのアパートでの殺人事件を解決出来ないと宣言したのは、とても衝撃的でしたね。それ以来事件を解決されてない?」
鍵山は顔の距離を近づけてくる。
「はい、それでもしばらくはちらほらと依頼はありました。しかし、あれ以来解決は出来ていません。恥ずかしい話、生活のために日雇いの仕事をして食いつないだ日をありました」
私はつらい日々を思いだし、少し感傷的になった。
「こうやって聞いてると、二十年前の事件をきっかけに、探偵としての能力が急激に無くなったように感じるんですけど。あの事件は未解決でも、それからの事件は、同じように解決すればいいわけで。何か理由があるんですか、あの二十年前の事件に」
鍵山の追求は止まらない。
しかし、今だにコーヒーに手をつけない事の方が、私にとってはとても気になる所であった。
「あります。それが、今回出版を予定している所の肝ですね」
私はニヤリと笑顔を向ける。
鍵山は顔を上げない。どうやらこちらを見ずにノートに、今までに言った、私の言葉をまとめているようだ。ノートには『立花京子殺人事件』という文字を書かれている。
私はその文字を指さし。
「その事件です。そこの所が大事な所です」
「それならば、話を聞いて行けば、わかってくるという事ですね。では質問は変えて、探偵を引退というのはどういう事ですか? 定義といいますか、具体的には廃業とか閉店とかと考えてよろしいのでしょうか?」
鍵山は顔を上げると、椅子座ったまま、さらにズイッと体を前のめりに詰め寄る。正直に言って、これ以上に、寄る幅は無い。ペンを持った右腕に力が入っているのも見える。
話に興味がある姿勢を見せてくれるので、こちらも気持ちが乗ってくる。
「そうですね。探偵の仕事はもうしませんということです。身辺調査、ペット捜索なんかもです。看板を下ろすという事ですね」
「何かきっかけでもあったんですか? それと同時に、二十年前の事件の真相を話すだなんて、殺人事件には時効はありません。もし犯人がわかっているなら解決出来るのではないですか? そしてその真相とはなんでしょう? 探偵の能力が無くなったのも関係あるんですか?」
鍵山がヒートアップして目一杯してきた質問を、私は無視するように、カップの残りのコーヒーを飲み干した。
私は、少し前に探偵を引退する事、そして、二十年前の未解決事件の真相を話すという事を発表した。そしてその事について取材をしたいと言って来たのが、この鍵山なのだ。
「全ては一つにつながっています。しかし説明するには、順を追って話をしなければなりません。まず、今から三ヶ月前にいただいた依頼がきっかけなんです。それまで、私は引退も二十年前の事件の事も話す気はありませんでした」
言いながら私は、椅子から立ち上がる。
「鍵山さん」
鍵山はノートに何か書いていて、こちらを見ない。
「鍵山さん」
私は、少し強めに声をかけた。
「ああ、はい」
鍵山は、書くものが一段落したのか、ようやく顔をあげた。
「コーヒー、おかわりいります?」
私の問いかけに、まだカップに口をつけていない鍵山は右の手のひらをこちらに向け、いらないという意思を見せる。
スティックタイプの砂糖を一ついれた彼のコーヒー、今だに口をつけない事に風味が合わなかったのでは無いかと、気になった。ブレンドの配合を若者が好むものにしてみたが、迎合しすぎたか。それとも、もう少しビターなものにすれば良かったか。彼ももう随分と若くは無いようだ。
「それでは三ヶ月前の依頼、それについて教えてください」
右手を下ろすと、鍵山が続けてノートに何やらペンを走らせる。コーヒーに手をつける気配は無い。
「はい、その話をしましょう」
三ヶ月前の古橋探偵事務所
私は事務所で、身辺調査の書類を整理していた時の事でした。雨は降っていないものの、黒い雲が空を覆い、今にもという雰囲気を漂わせていた六月のある日の事でした。
その人は音も無く事務所に入ってくると、異様な熱を帯びた視線を私に向けていました。どれくらいの時間、そのように立っていたのでしょう。今し方かもしれないし、一時間以上その状態だとしてもおかしくない、その立ち姿は異形以外何者でもありませんでした。
「立花さん?」
存在に気づいて、声を出すまでにこの人は誰だろうと迷う事はありませんでした。立花直樹。二十年前に解決出来なかった事件の被害者の父親、その人だったからです。
初めて会ったのは事件直後、悲しみにくれた表情で解決してくれと、丁寧にお願いされました。しかし、それが適わないとわかってからは、罵詈雑言を吐いて立ち去った男です。最終的には犯人よりも私を嫌悪するようになってしまいました。怒りの矛先がどこにいるともわからない犯人よりも、目の前でちょろちょろしていた、役に立たない探偵の方が向けやすかったのでしょう。あれから二十年、もちろんこの事務所に顔を見せた事はありませんでした。人の事は言えませんが、お互い頭に白いものが増え、立ち姿も背が少し曲がり、年月を感じさせました。
そんな立花さんは、この来客用のテーブルに、ドンと厚みのある封筒を投げました。重みがありそうなそれを見て、現金だとすぐにわかりました。急な来訪よりも、テーブルに置かれた茶封筒にしか意識のいかない自分に嫌気がさしました。
立花さんは、さらにジャケットの内ポケットより一枚の紙を取り出し、テーブルの上に置きました。
「依頼だ。この写真館にいってお前の遺影を撮れ。そして、死んでくれ。そこには、依頼代と写真撮影代が入ってる。死んでくれ。お前が出来る娘の供養はそれだけだ」
そう言うと、私の返事も聞かずに、立花さんは事務所を出て行きました。もちろん、二度ほど声を掛けて引き留めようとしました。聞く耳なんてもっちゃいない、会話する気など端からありませでした。
残ったのは、現金の入った封筒、そして、遺影の撮影をするという写真館のチラシでした。茶封筒にはかなりの額の現金。チラシを確認して代金の所を見ると、現金の額はちょうど二倍、依頼代と撮影代という事でした。
その写真館については、聞いた事は無かったので、チラシをもとにネットで検索をし、評判、口コミについて調べて見ました。すると、すぐにわかった事があります。それは、この写真館は『死の写真館』と異名がついている事でした。ここで撮影した人は、程なくして死を迎える、というものがその由来でした。それもかなりの人数が撮影直後に亡くなっており、噂が噂を呼び、ついには『死の写真館』と呼ばれているという事でした。
そこで、私は電話予約をして、撮影をする事にしました。
現在の古橋探偵事務所
「行ったんですか?」
しばらく、黙って聞いていた鍵山が大きな声を出す。
「落ちぶれたとはいえ、探偵です。わからない事、不思議な事を目の前にすると調べたくなるのは性分です。それに、代金を立花さんに戻しに行っても受け取ってくれそうに無いし、撮影するしか私には道は無かったという事です」
自分が入れた、新しいコーヒーの風味を確認して、熱々を口に運ぶ。
「撮ったら死ぬんですよね? 死の写真館と呼ばれているわけだし、遺影ではなく、話を聞きに行くという選択肢もあったんじゃないですか」
鍵山はまだ食らいついてくる。
「『死の写真館』と呼ばれていて、普通なら商売やっていけませんよ。それでも、予約を取るも一苦労の繁盛ぶり、これは普通じゃない何かがあると思いました」
「それはそうですけど」
鍵山は食い下がってくる。
「私はとうに六十を過ぎてます。生き様だってこの二十年は、胸を張って生きて来たと言えるようなものは、何一つありません。家族もいませんし、親しくしている親戚もいません。だから、別にこれで死んでも誰も、何も思わないでしょう」
二杯目のコーヒーの味も、満足のいくものが出来たと思う。ゆっくりと飲み込んだ。
「そういうものですか」
鍵山は、少し軽蔑したような物言いをした。
「正直言いますね、お金が欲しかったんです。どうせ死にはしないだろうと思ってました。写真撮るだけで、立花さんに報告する義務もありません。だって、『死の写真館』のカラクリを調べろの依頼じゃ無いんですよ。撮影して終わり、最高じゃないですか」
私は舌を出し、少しおどけたような顔をした。
しかし、鍵山はノートに何やら書き付けていて、私の顔など見ていなかった。
私は気をとり直して、話を続けた。
「それに立花さんは、この二十年、私を殺したいくらい憎いはずです。でも、私を手にかけてしまう事は、娘さんの無念を晴らす事では無い。それでも、私が死んだら少しは気が晴れるかもしれない、そう思っての依頼だったのでしょう。子を思う親の気持ちというのは強いものです。子供をもった事はありません。それでも、数々の事件の捜査の際に感じた事でもあります」
私は、ゆっくりと表情を戻して、おどけた顔をデフォルトに戻していった。
鍵山は顔を上げると、何も言わず、もの欲しそうにこちらを見ていた。決してコーヒーでは無く、話の続きである事は自明であった。
私は写真館の話を始める事にした。
南口写真館
写真館はこの加是町(くわぜちょう)で、この事務所からでいうと駅を挟んで真逆の位置にありました。あの辺りは、以前は大きな商店街がありましたが、今や郊外の大型ショッピングセンターにおされて、ご多分に漏れず寂れた場所になっています。写真館はさらに裏通りに位置していました。立地は、三叉路に立っている所。外観は、古びた洋館の建物は、どこからともなく伸びた蔦が絡みつき、外壁の大半を覆って模様と化しているものでした。私は、写真館の写真を思わず撮ってしまいました。いかがわしくもあり、うさんくささもある、『死の写真館』という異名を持つには絶妙な外観でした。
予約した時間になったので、建物の中へ。対応したのは、館主というのでしょうか、この写真館の主がいるのみでした。助手や従業員、他に手伝う家族というものが見当たりません。一人で切り盛りしているようでした。
「いらっしゃいませ」
決して明るい声ではありません。事前情報の異名がそうさせるのでしょうか、室内はとても薄暗く、湿度もこの室内だけが妙に高い気がして、ジメジメしています。机の上には、無造作にカメラやレンズが置かれていました。
決して、子供の七五三、ウェディングフォト、家族写真などここで撮りたいとは思わせない、重い空気がこの部屋、いや建物全体を取り巻いているようでした。
館主は、髭が口周りや顎だけで無く頬にまで浸食していて、髪の毛も男性にしては随分と長く後頭部上でいくらかまとめられていれていました。爽やかとはほど遠い風貌に、こちらも『死の写真館』の館主たる見た目を備えていました。まるで死に神のように見えました。
私たちは、お互いに名前を名乗り、館主が南口健太(みなみぐちけんた)という名前だと知りました。そして遺影の撮影について打ち合わせをしました。そこでは別にこれといって、変わった事はありません。こちらの希望とコース、それに予算との摺り合わせ。遺影というものを撮るのは初めてでしたが、標準的なものだと思いました。
「では、撮りましょうか?」
館主はそう言うと、私を撮影する場所へと促します。
服装も、撮影を行うつもりでスーツを着ていってたので、困りはしませんでした。
そこは後ろに白い幕がおり、年期の入った木の椅子が鎮座している所でした。
私は椅子へ腰を下ろすと、まっすぐカメラのレンズを見るように指示されます。
「はい、もう少し顎ひきましょうか、ええそうです、はい一枚行きますよ」
そう言った刹那、フラッシュがきらめき、虹色の残像が視界に残りました。
館主は私の襟元を少し居直すと、再びフラッシュを煌めかせました。
撮影は至って順調、少し斜に構えた構図であったり、はにかんだものなど数パターンを試して終了しました。
恐れていた、魂を抜かれるような儀式をされたり、何かフラッシュを用いた催眠術のようなものを行い、自ら死に向かわせるような、まじないみたいなものもありませんでした。
「これって、支払いは?」
「よく、間違えられるのは、死んだら支払って、死ぬまでは僕が保管みたいに思われるんですけど、そんな事は中々できません。基本は撮影して仕上がったら、お渡しします。都合に合わせて少しの期間なら保管はできます。それと、引き渡しの時にお代はお願いします」
館主は柔らかい口調で答えました。
撮影した人間が死ねば死ぬほど、儲かるシステムではありませんでした。もしかして、夜な夜な、撮影した人を殺しに回っているような、おぞましいからくりがあるのかと思っていましたが、システム的に、リスクとリターンが合っているようには思いませんでした。
現像や額に入れての仕上げがあるので一ヶ月程かかるといわれて了承して帰りました。
現在の古橋探偵事務所
「もう三ヶ月経ってるんですよね」
鍵山は、我慢できずに聞いてくる。
「そうですね、昨日でちょうど三ヶ月ですかね」
「三ヶ月経ってて、なんとも無いんですか?」
鍵山は私が透けて見えないか確認するように、焦点が私にあったり、向こう側にいったりしている。
「ええ、今の所は」
私は胸を張る。
「本当に撮影の時は変じゃなかった?」
鍵山の追求は終わらない。
「実は、一つ気になった事はありました」
「気になった事?」
私の発言に鍵山は食いつく。
「もう少しで終わりですと言った時、館主はファインダーから目を外すと右目をつぶり、左まぶたをゆっくり、本当にゆっくりと閉じたんです」
「結果、両目を閉じた」
鍵山は結論を急ぐ。
「そうなんですけど、あの瞬間。何だろう、エアポケットのような時間がほんの数秒ですけど流れました」
「それだけ?」
「ええ、それだけです。他におかしな所は無かったと思います。そこから数枚撮影して終わりです。それに私は元気です」
私は、両腕で力こぶをつくって見せる。長袖を着ているのでわからないが、実際にはほとんど力こぶは出ていない。
「そうですか」
鍵山は私が元気な事に、不服な態度をとっている。
「そして、それから一ヶ月経ってから、遺影が出来ました」
「あ、そうか、撮影は三ヶ月前だから」
「ええ、遺影はできあがっています。そしてそこにあります」
私は、鍵山の後ろの側を指さす。
「あるんですか」
鍵山が大きな声を上げると、顔だけ後ろを向く。
私は、立ち上がるとその鍵山の背後、事務所入り口側の角に布でかけられたそこへと向かう。
「これです」
とりさった布の下には、遺影があった。そこには、こちらを正面に向かって座り、静かに凝視する私がいた。以前趣味しようとしていた油絵。その際に購入したイーゼルは二回使っただけで事務所の隅に放っておいたが、今回は遺影を飾るのにちょうど良かった。
「い、遺影ですね」
鍵山が思いもよりませんでしたの口調で、そのままの事を口にした。
「ええ、見事な遺影です」
「ですよね」
私の返答に、意外でしたの同意の言葉を吐いた。
「何も感じませんか?」
そんな鍵山に私は質問を投げた。
鍵山はそれを受け、間近によって遺影を観察し始めた。私から見て、それほど高く無い鼻が遺影に付くんじゃ無いかと心配になった。それほど接近したという事だ。
「い、遺影ですね」
鍵山が絞り出したのはそれだけであった。席に戻ると後ろ向きに上半身をひねり、遺影を見ながらコーヒーを飲んだ。
やっと一口目に口をつけた。私はもう冷めてないかが心配になった。鍵山に出したブレンドはホットの方が味わい深いものを選んだ。飲むペースは人それぞれだ。だが、一口だけでも早めに飲んで欲しい。熱いうちにしか味わえない風味というものもある。
「鍵山さん、何も? 感じない?」
私は再度、鍵山に質問をした。これは、コーヒーの味も含めての質問だ。
鍵山はいまだ、コーヒーを飲みながら、遺影を見て何か考えている。
「感じませんか?」
「ええ、何も。遺影ですね」
鍵山はカップに口をつけたまま、体の向きを私のほうに戻した。
残念ながら、コーヒーについての意見は出てこなかった。
「この遺影、知り合いの別の写真館に持ち込みました。何かあるんじゃないかと」
「撮影だけじゃなく、その後も調査したんですね」
鍵山は、何かをノートに書き始めた。
「依頼自体はこれで終わりなので、明らかに自分の興味本位なんですけど、何かわかればと思いまして。流石に探偵歴は三十年は越えてくると、写真関係でも知り合いはいます。そのつてを頼って行いました」
「結果は?」
鍵山は先を急ぐ、恐らく遺影はそれほど目を引く程のものでは無かったのであろう、この辺の話に興味を無くしているように見受けられた。そして残念ながらコーヒーの方にも興味は無いようであった。
「あきら・・・」
私はそこで言葉を切った。
「はい?」
鍵山がこちらを振り向く。
「・・・かになったことはこれは、絵でした」
「えっ」
私の言葉に、鍵山は息を飲む。
「そうです。絵です」
その言葉を言った時には、鍵山は再び遺影をド接近で観察していた。座っていた席から、あっという間にスピードで再び遺影の場所まで移動していたのだ。今度こそ、鼻が付くのでは無いかと本気で心配になった。しかし、再び話の方に興味をもって良かった。同じように、コーヒーにも持ってくれても良いのであるが。
「いやぁ、写真でしょこれ。まったくわからない」
鍵山は腕組みのまま、ウンウンとうなずき感心している。
「遺影を写真では無く、絵で行う事は珍しい事ではありません。しかし、ここは写真館と銘打って、カメラを使っての撮影をした上で絵で仕上げて来てます。これには何か理由があるはずなのです」
私は重要な情報を出した事で、少しばかり興奮をしていた。それを半分も聞かずに、遺影を見つめている鍵山に、少しばかりいらついた。
「そして、それを問い詰めに、写真館に向かいました」
「行ったんだ」
鍵山はようやく、遺影の前から離れると席に戻った。そして、カップに残ったコーヒーを雑に飲み込んだ。
南口写真館
私は写真館を訪れると、館主は別の遺影を運びだそうとしている所でした。
「この前はどうも。どうされました。お代もいただきましたし、何か不備でもありましたか」
館主はそれほど愛想が良い方ではありません。それでも客商売という側面もあり、私の再訪が自分の不手際が原因であった場合の事も含めて、丁寧に対応していただきました。
「すこし、お話よろしいですか?」
私は、手を館内の方へ向けて促すと、館主は渋々といった面持ちですが、了承して建物の中へ入れてくれました。
「話というのは?」
仕事の途中という事もあり、館主は話の内容を急ぎました。
「単刀直入に言います。あの遺影、写真じゃなくて絵ですよね」
館主から、数少ない笑みが消えました。見据えてきたまなざしは彼の普段のものでしょう、空恐ろしい浮世離れした冷たいものでした。
もしかしたら、こういう真相に気づいた者だけが、この写真館で殺されたりするのかもという想像がよぎりました。それくらい、冷たい視線でした。
「ダメですか。それならば、写真で撮りましょうか? これくらいで罪になります? 逮捕しますか?」
口調は殺伐としたものとなり、私は身の危険を感じさせる凄みを感じさせられました。やはり、それが『死の写真館』へのトリガーかと思わされました。
「いえ、何にもなりません。私は実は探偵をやっています。隠していて申し訳ない。今は落ちぶれていますが、二十年前は少し名前も売れていました。そこで、ここで遺影を撮る人間は死が訪れるという事で、調査して欲しいとの依頼が私の所へやってきました。そこで実際に体験して、そして調べたという所です」
死への恐怖へ立ち向かって、私は思いきって素性と依頼を明かしました。実際の依頼は調査までは受けていません。しかし、それでは館主から話しを聞けない、真相がわからないと思い、少し話を作りました。
「撮影におかしな事も無いし、あなたが私を夜中に殺しには来ない。それに、殺さなくてもお金がもらえるシステム。遺影を撮って、すぐに死ぬ事にあなたにメリットは無い」
恐怖から私は、館主に話す隙を作らないように、まくし立てました。
「調べたら、この遺影は写真ではなく絵であるということ。謎は深まるばかりです。もしかしたら私もすぐに死ぬのかもしれない。それならば、それまでに本人に聞いてみようと思い、今日はここに来ました。私が名探偵ならば、瞬く間に謎を解くんでしょうけど、それは残念ながら適いません。恥ずかしながら、真相を直接聞きに来たまでです」
私は軽く頭を下げました。この辺りの話は嘘は無いです、思いのたけを話きりました。
「死の写真館だと言われてる事は知ってます。うちで撮影した人がどんどん死んでるのも、もちろん知っています。しかし、遺影を撮るっていうのは死が近い人がする事だから、普通の撮影よりも確率が高くなるのは当たり前じゃないですか?」
「じゃ、どうして絵に? 写真のほうが効率良く出来る気がしますけど」
「以前にフィルムを入れ忘れた時があったんです」
私の話を遮るように、館主は話しを始めました。
「ある日、撮影したご婦人の時。帰ったあとにカメラ開くとフィルムが無い事に気づきました。慌てて連絡したら、その帰りの車で急に容態が悪くなってそのまま入院。今夜が山だって言われて、遺影も急ピッチでお願いと言われたんです。フィルムが無かったなんて言えないし、もう一度撮影をお願いする事も難しい状況でした」
「どうしたんです?」
「左目をつぶると残ってるんです。そのご婦人の座っていた姿が」
「姿が、残ってる?」
「そうです。残像というかイメージというか。それに、俺、絵が得意なんです」
そう言うと、撮影場所に置かれた机の引き出しから紙を一枚取り出しました。そこには、置かれた缶ジュースが倒れてこぼれているものが描かれていたんです。見る角度によっては本当にそこに、こぼれたジュースと缶があるように見えました。
カメラアイと写実の超絶技巧。
見た物をカメラのように頭のようにそのまま残せる能力。ある物を写真のように描く事が出来る能力。天は二物を与えないとは言いますが、この驚異的な力二つが館主には備わっていたという事でした。
「一晩で描き上げました。ほとんど記憶が無いくらい、全身全霊でした。偶然でしょうけど描き上げた時、ご婦人は亡くなられたという事でした。おそるおそるお渡しした遺影は、評判が良かったんです。写真で良いも悪いも言われた事はほとんどありません。でも、その遺影の時は遺族の方から反応がありました。嬉しかったんです。それから時々、こっそり絵で描いてお渡ししてました。すると、その時は本当に良かったとリアクションがあります。自分でもよくわかりません。その頃からです、うちで遺影を撮影するとすぐに死ぬというのは。この絵と死が関わっているのでしょうか?」
逆に、本人から質問される始末でした。
「写真ほど量産はできません。それでも、絵のほうが評判が良く、俺自身もそっちの方が楽しい。いつしか、撮影する事はほとんどなくなり、絵のみでやるようになりました。親父の代からずっと写真館でやってた事もあり、看板はそのまま。ご存じ、撮影の真似事をやって、目に焼き付けてます」
館主はそこで目線を下げました。後ろめたい事もあったのでしょう、最後の方は声がどんどん小さくなっていきました。
「初めて、見破られました。さすが探偵さん。おみそれしました。でも、特に悪い事はしてません。でもこれを機に、絵でやってますと、多いに謳ってやっていこうと思います」
私の指摘にどこか吹っ切れたような気がして、話を聞きに来て良かったと思いました。
「では、お仕事忙しいのに申し訳ありませんでした」
私は帰宅の意を示すと、立ち上がりました。すると、目線の先には先ほど運びだそうとしていた、遺影がありました。梱包されていて中身は見えません。しかし、外側には誰の物がわかるように、宛名が書かれていました。
立花直樹様
「えっ」
私はその梱包されていた、遺影に近づきました。
「やはりお知り合いですか? 立花さんとは」
館主がゆっくりと、近づいてきました。
「やはり?」
私は、その館主のその言葉が気にかかりました。
「ええ、二回ほど古橋という男が撮影に来たかと問い合わせがありました。お知り合いだったんですか? 本当に急な事で明日がお葬式だそうですね」
館主は少し笑みを交えて質問してきました。
「立花さん亡くなったんですか?」
私は思わず、逆に質問をしました。
「随分前、に撮影は終わっていました。ただ、まだ預かっておいてくれ。まだ死ねない、まだ死ねない。そう言ってお預かりしてましたが、つい先日の事です。連絡がそろそろ入るかもしれませんね」
館主は少し笑顔で、話をしました。
撮影日を聞くと、私に依頼する二ヶ月程前でした。
現在の古橋探偵事務所
「立花直樹さんは亡くなっていた」
鍵山は、半分口を開けて私に言葉を発した。驚いているのは自明の理であった。
「ええ、その事も少し調べて見ると、もともと持っていた持病が悪化した事が原因での事らしいです。それでも、倒れる前日までそのような素振りは一切見せず、倒れてからもベッドの上で、私が死んだかどうかを気にしてたという事でした」
私はまたもやコーヒーに口をつけた。少し間が開いたからか、少し温度が下がっている。風味が少し損なわれるが、私としては冷めたコーヒーも悪くない。そこから生まれる深い味わいというものがある。鍵山が熱いうちに飲まなかったのも、そういう主義なのかもしれない。
「やはり『死の写真館』。古橋さんももしかして、大丈夫ですか?」
鍵山は聞いてくる。
「今の所は、なんともありません。少し血圧が高くて病院に通ってますが、それも薬でなんとかなってます」
「という事は、結局、遺影を撮ったら死ぬという『死の写真館』のカラクリはわかってないわけですね」
「いや、それはわかってます」
「わかってる? どうして? 写真が絵だったということ以外に何かあります? 古橋さん自体は死んでないわけなんだから」
鍵山は私を指さしてくる。
「自分って自分で見えないんですよ」
「はい?」
鍵山は、意味がわからないという素振りで聞き返してくる。
「自分の目で自分を見ることは出来ない」
「いや出来ますよ。ほら」
鍵山は自分の腕やら身体やらを見る。
「そうじゃなくて、自分自身としっかりと、向き合うという意味でです」
「それなら、鏡とか、それこそ写真とかもそうだし」
鍵山は写真をとる手振りをする。
「それは、何かを介した自分。そうでは無くて、自分の目で自分を見る事って、不可能じゃないですか?」
「ふーん」
鍵山は腕を組むと、上を向く。様々なシミュレーションを行っているのであろう。
「できませんか?」
鍵山は不服そうだ、
「できません」
私は簡潔に答えた。
「それで? でもそれが死を招くと関係は無いように思えるんですが」
鍵山は不満一杯で、私が持っている答えを聞きたがる。
「この遺影。これは、自分を、自分自身を見てるんです。写真では無く、絵。館主のカメラアイと超絶技巧がなせる技なんでしょうけど、鏡や写真で見てきたものと訴えてくるものが違います」
「訴えてくる」
鍵山のオウム返しは、止まらない。
「ええ。表層では無い、深層。今だけでは無い、これまでの自分の歴史。それがにじみ出た皺、シミ。よく頑張ってきたな。自分の絵ですけど、自然とそう声を掛けたくなります」
私は思わず下を向いた。
鍵山もここは相槌をせずに待ってくれる。
「そして、このままで良いのか? このまま人生終わっていいのか? やり残した事は無いのか? 遺影の自分が語ってきます。だからあまり長い時間は遺影を見てられない。これまでの人生、目を背けてきた事が溢れてきます。文字通り、自分自身と向き合うという事でしょうか。自分に自信が無ければ直視するのも難しい、そういうものです」
私は顔を上げ、鍵山を見る。
「そこまでですか。本当に本人にしかわからない」
鍵山は不思議そうに、こちらを見ている。
「それはそうかもしれません。私も写真館で他の人の遺影を見ましたが、何も思いませんでした。しかし、自分のものを見ると違います。これを見てると、もう心の残りが無ければ死んでもいいという気持ちもわかります。それほど、この遺影には力があります」
「心残り?」
鍵山はその単語に引っかかった。
「立花さんにとっては、娘の未解決事件での憎しみ。犯人では無く探偵の私へ向かってしましまいましたが、そういうものです。それはもちろん私にもあります」
「という事は、それを取り去れば・・・」
「死ぬという気はありません。しかし、それで、探偵古橋徹は終わり。死という意味であれば、引退。そういう事になるかもしれませんね」
鍵山はその言葉を聞くと、さらにノートにペンが走った。
私はそれを気にせず、話を続けた。
「だから、探偵古橋徹の引退。そのために二十年前の事件の真相を告白して、本にして出そうと思ったわけです。この遺影を見て、この事をほったらかしにしたまま死ぬ事は出来ないと思いました」
「真相があると?」
鍵山が顔を上げる。
「あります。あの未解決事件の真相が」
私は残りのコーヒーを飲み干した。
「そして、あなたが今回取材を申し込んできた」
私はテーブル端に置いておいた、鍵山の名刺をつまみ上げると、肩書きと連絡先を目で読む。
「興味深い話が聞けると思い、申し込ませていただきました。お忙しいのに恐縮です」
鍵山は二度頭を下げる。
「実際、こんなロートル、取材したいなんて言ってきたの鍵山さんだけなんです」
「そうなんですか? てっきり取材が殺到してるんじゃないかと心配になっていました」
私は顔の前で手を振ると、少し間をとり、話を続けた。
「先ほども言いました。二十年前、とあるOLがマンションの一室で殺害されました。密室でも無ければ、争った形跡も無い。普通の包丁のようなもので一刺し。胸を刺されて、即死の状態。この町での事件という事もあり、私に捜査協力の依頼がありました。そして、それまで数々の事件を解決してきたのにも関わらず、私はその事件を解決する事は出来ませんでした」
私は語気に力がこもった。
「ええ、知ってますし、先ほど聞きました」
鍵山は、その続きに興味があるようで、今の私の話は彼の耳に留まっているようには思えない。
「私は、それまでの事件、自分で解決していなかったんです」
「はい?」
私の告白に、鍵山は瞳孔を開く。
「全て、殺害された彼女が解決していました」
「えっ」
今度は鍵山の重心が後ろへとずれる。
「事件からさらに十年前。彼女が高校生の頃に、私と被害者は出会っていました。彼女は唐突に事務所にあらわれたのです」
私は昔を懐かしむように、事務所の天井を見上げた。
三十年前の古橋探偵事務所
「あの、すいません」
彼女は、高校の制服を着て、学校校章が入ったの鞄を持っていました。第一印象は、浮ついた所がなく、勉学に励んでいる真面目そうな女子高生だなというものでした。
「ペットがいなくなって探してますっていう、張り紙見たんですけど」
私はその当時、探偵としては駆け出しで、事件の捜査の依頼も受けてましたが、こういうペット捜索も同時に行っていました。そのペットの捜索の一環で、電信柱に張った、紙の一枚の話でした。
「この犬、私の家の近所で、見かけるようになったんですけど。三日前くらいからいるし、餌をあげても逃げずに食べてるからおかしいなと思って。首輪とかついてないから、どうなのかなって思ってて、そしたらこの張り紙見たから」
彼女は言いました。
「それなら、家の住所とその犬がいる詳しい場所をその地図に書いておいてくれる。ありがとう」
私は少し前に依頼されていた、密室殺人の事で頭が一杯でぞんざいに彼女を扱いました。
地図はこの町のものが壁に貼ってあり、既にそれまでの事件で使用していたため、付箋がいくつもついていて、黒や赤のペンで丸やらバツやらの印がついていました。
「はーい」
彼女はそんな私の態度に対しても、素直に返事をすると、その辺にある赤ペンを拾い上げると自分の家周辺を見つけ、印をつけていました。
「あ、これって」
すると、その地図の横に置かれたホワイトボードには密室殺人事件の概要がまとめられたものが、書かれたり写真が貼り付けられたりしていました。
「ごめん、それは見なかった事にして、いろいろ機密事項だから」
私は相変わらず、彼女に対して顔も上げず、机の資料を見ながら言いました。
「犬見つけて、飼い主に返したら、情報料としていくらか支払うから連絡先も教えて」
と言ったものの、女子高生に連絡先を教えろというのも、どうかと思い直しました。
「あ、やっぱり嫌だよね。ちょっと待って、先に払っておくよ」
私は、机の引き出しを開けいくらか金が入っているであろう、古い革の長財布を取り出すと、記憶の中では数万円入っているはずの中身が、現実には一万円しか入っておらず絶望しながら、その一枚を取り出し、彼女に渡そうと近寄りました。頭の中はその月の生活をどのようにするかということで、一杯でした。
「はい、解けました。密室と見せかけた事件ですね」
彼女は不意に明るい声を発しました。そして背を向けていた彼女が、くるりと振り向きながらそう言ったのです。髪の毛とスカートが、同心円状に軽く舞い上がり、私と正対したときに舞い降りました。
「はい?」
私は彼女が発した言葉の意味を理解しておらず、疑問の声を上げました。
「お金いりませんよ。餌上げてて毎日楽しかったですし」
彼女は両手を胸の高さまで上げると、手の平をこちらにむけてブンブン振っていました。 何度も一万円を突き出しますが、お金を受けとってもらえません。
「いいよ、もらって。情報料だから」
「そんな大金もらえません。それに、謎解きまでさせてもらって」
彼女は笑うと目が、半円のようになり愛くるしい表情を見せました。
「そうか、それなら」
私は少し残念な演技をして、一万円を引っ込めました。
「それより、そのさっき言ってた、見せかけって?」
私は気になる本丸の、先ほどの彼女の発言を追いました。
「こっちですか?」
彼女はホワイトボードのほうを指さす。
「そう、その見せかけとかって」
私は何一つこの事件に関してわかっていない。
「これは密室に見せかけて、駆けつけた人達が、鍵は閉まっているという先入観から、ドアを強めにノックする。その振動でロックがかかり密室完成。最初から閉まっていたかのようにするトリックですね」
彼女は得意げに、左手の人差し指を立てる。そして、立てた指と自分のポーズに気づき、恥ずかしそうにその指を折りたたんだ。
「すいません、探偵さんに偉そうな事を。もう、こんな簡単な事件、解決してますよね。ごめんなさい。ただ、ちょっとこういうの好きなものだから。人が死んでるのに不謹慎ですよね。すいません」
そういうと、彼女は頭を下げて、事務所を出て行こうとしました。
「ちょっと待って」
僕は彼女の手首を掴みました。
何か淡い話が始まってもおかしく無かったり、もしくは悲鳴を上げられて面倒な事になってもおかしくはありませんでした。でも、それくらい私は彼女の発言が衝撃的すぎたのです。
「これって、見せかけ密室なの」
「は、は、離してください」
彼女は私の握った手を離そうとして、私の話した内容は聞こえていませんでした。
「ごめん。つい。それより、これって」
私は手を離しました。それでも、ホワイトボードを指さして、彼女にしっかりと確認をしっかりと確認しました。
「え、ああ、はい。そうとしか考えられません」
そう言うと、彼女はこの事件の概要から外堀を埋めていき、密室殺人の寄り詳しい理屈、人間関係が生み出す動機、それからはじき出される、犯行可能な人物の特定までを理路整然と説明しました。
「その話って、今これを見て考えたんだよね」
私は、自然と声が大きくなっていたと思いました。
「はい。殺人事件があったしか新聞には出てません。ちょっと気になっていたんですよね。どうなったんだろうと思ってました。ここまで捜査資料を見せてもらえれば、私でも解けます」
私は一週間、捜査資料とにらめっこして、一ミリも解けていませんでした。
「もういいですか。友達とカフェ行く約束があるので」
彼女が出て行こうとしたので、私は再び慌てて彼女の腕を握りました。
「なんですか。やめてください。警察呼びますよ」
私は再び、思わず手を離しました。
「ああ、ごめんなさい。あの失礼かもしれないけど、名前と連絡先を教えて欲しい。それに、高校何年生? あと将来は警察とか探偵とかになる気はある?」
聞きたい事が多すぎて、一つの会話に質問を入れすぎたのは、その時でも感じていました。しかし、それくらい聞きたかったんです。
「名前も電話番号はさっきの地図に書き入れてます。高校一年です。警察とか探偵とかは勘弁して欲しいですね。目立つの嫌なんで。将来はカフェを開こうかと思っています」
言い終わるとか終わらないかそれくらいで、彼女は事務所を出て行きました。
それが、私が彼女と初めて出会った時の事です。
現在の古橋探偵事務所
「ついでに言うと、それからすぐに犬も無事保護しました」
「では、それからはみやこさんが事件を解決していた」
鍵山の気持ちは、私の前日譚にはあまり響かなかったようだ。
「ええ。特に大きな事件になると、謝礼の額も大きくなります。しかし彼女は受け取りませんでした。表に出る気も無いし、お金もいらない。謎を運んできてくれて、考えさせてくれる、それが一番楽しいんだと言い続けていました」
私は椅子から立ち上がった。
「コーヒー、おかわり入れましょう」
私は鍵山のカップが空なのを確認すると、事務所の端にある炊事場に行き新しいコーヒーを入れた。
「その遺影も彼女に見せてあげたかったな。なんて言うかな。あはは」
私の言葉に、鍵山も思わずもう一度遺影の方を振り向く。
それを確認して、私は鍵山のカップにコーヒーをそそぐ。
「砂糖一つでしたね」
鍵山はこちらを向き直ると。
「ええ、そうです。流石、よく観察されてる」
鍵山の口元が緩む。
私は、白い粉をさらさらと湯気が立ち上るカップの中に入れた。
「良く言われました。推理とは観察だと。とにかく、良く見る、良く聞くそして覚える。それがはじまりだとね。十年間、いくつの事件を解決したかわかりません。文字通り安楽椅子探偵。彼女は表には出ず、家で私から聞く事件の概要だけを頼りに推理していました」
鍵山はそのままこちらを見ている。
「彼女はそれから大学に進学、そして就職をしました。その間、十年」
「十年も」
鍵山の表情が動かなくなってきた。
「彼女は、カフェを開くという夢を持ちながら就職して、OLとして働き始めました。もっと違う職業に就くという選択肢もあると思ったのですが、普通が一番と、聞き入れてくれませんでした。それでも、彼女への事件捜査の依頼は途絶える事はありませんでした」
「そんなに前から、知り合いだった。そして随分と長い期間、探偵業をしていた」
「そうです、彼女が全部解決していたんです」
私はまだ湯気が立ち上るカップを鍵山の前に置いた。
「そのみやこさんが殺された」
鍵山はまだ熱いコーヒーを口に入れながら、聞いてくる。
「前の事件解決のお礼を持って、彼女のマンションに行くとそこには警察車両と、立ち入り禁止の黄色のテープが張り巡らされていました。現場の人間は、私の到着を誰かが依頼したものだと勘違い。そのまま私が捜査する事になりました」
「なるほど」
鍵山はコーヒーをいくらか飲むと、またノートに何やら書き始めた。
「でも、これまでの事件は全て彼女が解決していました。私だけでは解決など出来ません。ましてや、その彼女の殺人事件。私は途方にくれました。そしてそのまま未解決の事件として今日まで来ていて、父親には恨まれたまま、お亡くなりになりました」
私の言葉に鍵山はもう何も書いてはいない。じっとこちらを見ている。
「そして、遺影を撮影した事で、この事件の真相をもう話をしてしまおうと思いました。今までの話が真相です」
私もコーヒーを飲む。自然と力が入っている事に気づき、自分でもびっくりした。
「私はこれらの事をまとめて出版します。鍵山さんには、本を出すまでは核心の部分は伏せて、欲しいんです」
「これで全部ですか。そうですか」
鍵山は再び、椅子の背もたれを使用した。そして、またコーヒーに口をつける。
「でも、こうやって探偵業を引退する、そして二十年前の事件の真相を話すという事を公にすれば、やってくると思ったんですよ」
「やってくる?」
鍵山が再び重心を前にする。
「もし自分が犯人だったら、気になって何を言われるか調べにくると思いました」
私のほうも、話を一旦切ると椅子にしっかりと座り直した。
「時間が経っているとはいえ、自分に不利な情報を話されたり、本として世の中に出れば困ると思うんです。だから、どういう内容か事前に調べに来ると思うんですよ」
私は軽く咳をする。咳など出そうには無かったが、話のリズムであえて強めにゴホンと喉を鳴らした。
「名前を変え、顔を変え、知らない振りしてこうやってね」
私の目の前にいる鍵山の目は完全に座っている。
「彼女には当時付き合っている男がいました。確か名前は東山彰(ひがしやまあきら)。彼女の事だ、私や事件の事は完璧に彼氏に隠していたはずです」
私は心拍数が変わっていない事を確認した。想定内だ。私が犯人なら、私を殺して口封じをするはずだと踏んでいた。
「それでも、彼氏は気づいた。自分以外の男と会っている事を、そして、浮気をしていると思いこんだ。裏切られたと思った彼氏は、彼女に手をかけた」
いつの間にか、私の目には涙が溢れている。
「殺される直前。もしかしたら、何か証拠でもあったかもしれない。それは息絶えるまでの短い時間、彼女が隠滅したはずだ。彼女は彼氏を愛していた。疑いの気持ちもわかっていた。事件を未解決にして、彼氏には自由に生きて欲しかったんじゃないのか」
「どうしたんです、急に?」
鍵山は今日一番の大きな声を出した。
「彼氏の彰は第一の容疑者だった。しかし、決定的証拠が無いまま今日まで来た。それほど、彼女の立ち回りが完璧だったんだろう」
私は鍵山の膝が震えているのを確認した。
「私との関係もばれないように、防犯カメラの無いマンションに住んでいた。そして、部屋は常に清潔に保たれ、証拠が残りにくい生活をしていた。それはいずれ自分にこういう事が起こりうる事を予見していたのかもしれない」
私は頬に伝うものがあるのを感じていた。
「彼女はそれを避けようとしなかった。裏で事件を解決している。彼氏に内緒の事がある。それは、こういう誤解を招くかもしれない。それは甘んじて受け入れよう。それほど、事件を解決する事は止められないものだったんだ。そして、それと同じくらい彼氏を愛していたんだ。だから、彼氏の彰は逮捕されなかった」
私の声は震えながらも、力強くなっていると思った。
「でも、君の今の行動が証明している。私を殺そうとしている。それは、二十年前のあの事件、やっぱり君が犯人なんだね。真相を話すと言っても、本当に私はあの事件、何もわかっていない。探偵を引退する。最後に捨て身であの事件だけは解決したい。そう思ってやった最後の大ばくち。ちゃんと君が引っかかってくれてよかった」
鍵山はいつの間にか立ち上がり、包丁をこちらに向けている。
「いつから、いつから、俺があいつの彼氏だとわかっていた。顔も名前も違う。どうして、どうして?」
鍵山は体全体が震えていて、その震えは、彼自身でも制御がおいついていない。
「取材を申し込んできたのは、君だけ。それに彼女の名前は京子と書いてみやこと呼ぶ。私は、ずっと彼女と呼んでいる。それでも君はみやこと間違えずに呼んでいた。それは実際に呼んだ事があるから。報道資料も、もう文章しか残っていない、みやこと呼ぶのは至難の技だ」」
私の指摘に鍵山はくっと唇を噛む
「鍵山と呼んでも、反応が悪い。いくら準備していても長い時間になればぼろが出る。試しに、本名の『あきら』と呼んで、その後に『・・・かに』と話を続けた時に思わず、返事をしている。そういう所から君が東山彰である事を示している。それに住んでいた所はアパート。実際に行けば高層マンションに住んでいた。しかしオーナーがこだわりで名前にはアパートとつけていた。私は何度もマンションと言ったが、君は間違えずにアパートと呼んだ。もうとっくにそこは更地になっている。今更現地に行っても間違えるはずが無い。取材だけではわかり得ない証拠だよ」
「どうせお前は、『死の写真館』で撮影したんだ。遺影がある。その呪いで死ぬんだ。いいな」
鍵山の体全体に力が入ったように見えた。瞬間、刃先が自分の体を貫いたかのような錯覚に陥った。
ドサッ。
私の体から痛みや鮮血は出なかった。そして、鍵山の体躯と包丁は同時に事務所の床に倒れた。
「二杯目のコーヒー、しびれ薬入れておいた。こんな事もあろうかとね。君が犯人だと確信もてたからね。よかった、刺される前に効いて。これも一か八かだったからよかったよ」
私は、鍵山のそばに屈むと優しい言葉をかけ、包丁を取り上げると離れた場所に置いた。
「全て、彼女に学んだ調査方法だった。全然ものに出来なかったけど、ようやく少しだけ使う事ができたよ。みやこの彼氏に使うとは思わなかったけどな」
「あのぉ、すいません」
その瞬間、事務所に来客があった。
「ああ、どうぞこちらへ、時間ぴったりです」
私はその客を招き入れると、先ほどまで私が座っていた所にその男を座らせた。
「南口写真館です」
名乗ったその男は、南口だった。
「そこで寝転がって、痙攣している男なんですよ。まだ若いし、遺影を撮るには早いんですけど、いろいろあって、人生やり直させたほうがいいと思って」
自分でもおかしな事を言っていて、すこし半笑いになる。
「でも、床に倒れたままではいくらなんでも、遺影をというのは少し」
「そうですね、これでは良い遺影にならない」
二人して痙攣した鍵山を椅子に座らせた。
「くそっ、なんで」
鍵山は体中がしびれているため、話す言葉もままならない。
「鍵山。これで遺影撮影してもらうから、やり直そうな」
私は声をかける。
南口はカメラを取り出し始めていた。
「あ、もうネタはばれてます。いきなりでいいですよ」
「そうですか、では」
南口はふぅーっと息を吐いた。そして右目をつぶると、左目だけでしばらく鍵山を見つめた。それからゆっくりと、静かに左まぶたが上から降りてきて、まもなく、両目が閉じられた。
「それでは、私はコーヒーでもいれましょう。それに折角だ、私の昔話でも聞いてください」
一年後、カフェデテクティブ
「いらっしゃいませ」
入り口を見ると、遺影を抱えた南口が入ってくる。
「配達中なんですけど、コーヒー一杯いいですか? 一日一杯飲むのが習慣になっちゃって」
南口はあれから髪を短く切り、髭も剃って壮観な見た目になっていた。
「ここも開いてそろそろ一年か」
カウンターに座った南口は、『オープン一周年記念クーポン』という券を見つける。
「正確にはあと二ヶ月後なんだけどね。気持ち的には今月なので、コーヒー一杯無料券を配ろうかと思ってる」
私はコーヒーの準備をしながら、笑顔を南口へと向ける。
「あの彼も刑が決まったとか」
南口は天井を見る。
「ええ。拘置所まで遺影を持っていって、見せましたから。それから、彼は自白を初めて、犯罪を認めました。これで彼女も、それに親父さんも成仏出来る」
私は目を瞑った。
「古橋さんのおかげで、僕は遺影の絵師として再出発できました。今ではすっきり仕事させてもらってます」
南口は深々と頭を下げる。
「ああ、止めて止めて。それよりコーヒーどうぞ。ミルクのみね」
私は、南口へコーヒーを出す。
「いつもありがとうございます」
「私もそうだよ。君の遺影のおかげで、向いて無かった探偵を辞めて、こうやって好きなコーヒーを入れる仕事を始めるきっかけをくれたんだから」
「本当、古橋さんの淹れるコーヒー最高ですよ、アツっ」
南口は猫舌のくせに、いつも熱々を口に入れてヤケドする。
「彼女、みやこはカフェが好きだったんです。初めて会った日も、その後はカフェに行ってました。コーヒーが好きだったんですね。そこで、よく私は彼女にコーヒーを淹れていました。だから、十年間も表と裏の探偵としてやれていたんだと思います」
「このコーヒーを飲んでたんですね」
「コーヒーを淹れるのだけは彼女より上手かったんです。だから彼女はカフェを開く事をあきらめたんです」
私はもう一度目を瞑る。
「古橋さんに淹れてもらうコーヒーで、もう充分だったのかな」
「そうだといいんですが。天国でもコーヒー飲んでるかな」
私は目を開くと、またもや天井を見た。
「もう一回、遺影書きましょうか?」
南口が、意地悪そうな顔を見せた。
「止めてください。しびれ薬いれますよ」
私と南口は静かに笑いあった。
了
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】断罪された占星術師は、処刑前夜に星を詠む
佐倉穂波
恋愛
星は、嘘をつかない。嘘をついていたのは——わたし自身だった。
王宮の卜部に勤める十七歳の占星術師リュシア・アストレアは、ある日、王太子妃候補の婚儀に「凶」の星を読んだ。星が告げるままに報告したに過ぎなかったのに、翌朝には牢に入れられていた。罪状は「占星術を用いて王家を惑わせ、王太子暗殺を画策した」こと。
言いがかりだ。
しかし、証明する術がない。
処刑は五日後の朝と告げられ、リュシアは窓もない石の牢に閉じ込められた。
そこで彼女は気づいてしまう。占いが外れ続けていた本当の理由に。
道具も星図もない暗闇の中で、生まれて初めて、星の声を正しく聞いた。
瞼の裏に広がる夜空が、告げる。
【王太子が、明後日の夜に殺される】
処刑前夜に視た予言を、誰が信じるというのか。それでも、若き宰相クラウス・ベルシュタインは深夜の牢へ足を運び、断罪された少女の言葉に耳を傾けた。
二人の出会いは、運命をどう変えていくのかーー。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる