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告白
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「あれは私が二十歳のときでした」
龍崎さんが告白を始める。僕は世界が一変するのを感じていた。
――目をそらすな。真実に目を向けろ。
心の声が訴え続ける。
そうだ、僕はすべてを受け止めると決意した。これは自分で選んだ道だ。
これが、自分の選んだ道なんだ。
窓の外では急に雨が降ってきていた。窓に激しく打ちつける。
雨に一人立ち向かうかのように、龍崎さんは静かな語り口で空間を切り裂く。
「当時私は――」
*
当時私は、警察官になることを目指して警察学校に通っていました。ありきたりかもしれませんが、小さいころからの夢だった「町の人をまもりたい」という思いを叶えるために通っていたのです。
高校を卒業してすぐに入学しました。警察学校は全寮制での生活です。私もそこで共同生活をしていました。六時五十分の起床から始まり、二十二時半の就寝まで分刻みのスケジュールをこなす日々でした。
武道による心技体の鍛錬(たんれん)、日本文化を学ぶことによる情操教養、犯人の逮捕術など、様々な分野について身につけていきました。さらに、拳銃の扱いを覚えたのも学校でのことでした。規律をなによりも重視する環境下で、自制するすべも備わっていきました。勝手な判断で動くことは、即、死につながるためです。
土日は外出が可能でしたが、学校の外に出るときにはネクタイとスーツの着用が義務づけされていました。今こうしてスーツを着ているのは、組に入っているから、ビジネスをしているからというより、あのころからの習慣です。
高卒で入学した私は、順調に単位を取得し、二十一か月での卒業が見込まれていました。
そのようななか、私は最終段階を迎え、二十か月目に入ろうとしていました。警察署での五か月間に及ぶ実戦実習をしていたころです。
平日は授業に明け暮れているため、週末は羽を伸ばしていました。
あのときは、外泊の届けをして実家に帰っていたのです。一日出かけたあと、夜は地元の友人たちとお酒を飲み交わしていました。すっかり終電を逃して歩いて帰るはめになりました。
両国橋の上を通過しようとしていたときでした。時刻は深夜の二時ごろです。パンと乾いた発砲音が聞こえました。射撃実習中に聞いていた音と似ていました。爆竹だろうと思いながらも、妙な胸騒ぎがして、橋の下を覗きました。
そこには遠目に数名見えました。罵声を浴びせているのが聞こえます。なにを言っているのかは聞き取れません。暗くて見えにくいので、慎重に近づいていきました。
そのなかで男の声が聞こえました。
「次は脅しじゃ済まねえぞ」
そう言ったのがたしかに聞こえました。
男二名が女性を見下ろしていました。男のうち一名は拳銃を片手にしています。
通報したほうがよいのかと考えましたが、その時代は携帯電話は今ほど普及していませんでした。私も持っていなかったのです。公衆電話に行く猶予(ゆうよ)のないなか、私は「その人を助けてやってください」と声を上げました。
すると、「誰だ。和泉組のやつか」と男が言いました。和泉組は私も知っていました。その瞬間、男たちがどこかの組に入っている者だと気づきました。
私は通りすがりの者だと説明しました。
男は銃口をこちらに向けてきます。私は両手を上げて交渉を続けていました。
しかし、意味がありませんでした。
「おまえ、この女を殺れ」
男は銃を私に向けたまま言いました。もう一人の男が銃をふところから取り出し、私に握らせました。実習中のときとは比べものにならないほど、銃が重く感じられました。手が震えます。
「おまえも死にたいか」
男の銃口が私のこめかみに突きつけられました。私はどうしても女性に向けることができません。「この人は関係ない」と女性は叫びます。殺される、そんな予感がよぎったとき、手から銃が奪われました。女性が銃を手にしていました。あっという間のことでした。女性は自分の頭を射抜いたのです。
目の前で女性は血を吹き出しながら倒れていきました。
「おまえの指紋はこの銃にびっちりとついている」
男はそう言い、私の身分証を確認しました。そして、遺体を片づけて去っていきました。
私が射殺したという逃れようのない状況が生まれました。気が動転していたので、よけいにそう思い込んでしまいました。
いえ、実際に私が殺めたも同然です。
――たった一人の命もまもれない男が、どうやって多くの人をまもる。
その考えに私は取りつかれました。
そして私は警察官になることを断念し、警察学校を辞めました。
卒業間近だったこともあり、家族にも同級生にも教官にも、どうして辞めるんだと反対されました。私はただひと言、正義なんてきれいごとだったと伝えました。
神というものが存在するのかはわかりません。しかし、もしもいるのだとしたら、私のなかでは、やり場のない憎しみや悲しみの矛先を向ける対象としてのみ存在しています。
今でもあのときの銃の感触、命が散っていく光景から逃れられていません。
私は自分が水兎の母親を殺めたと思いながら生きてきました。
私は、男が言っていた「和泉組のやつか」という言葉を覚えていました。
私はすべての事実を組の人に話すことを決めたのです。言わなかったとしてもいずれ耳に入るとも思いました。それなら自分から行くべきだと決意したのです。
私は現在の親方に会いました。そこでありのままのことを話しました。
その後、親方から真実を聞きました。
女性の名前はアイ、愛するの「愛」です。蔵前組親分の愛人だったそうです。麻薬を吸入させられたことにより体をむしばまれかけていたところを親方が助けたのだと言います。そうです。あかりさんのときと同じ状況です。
やがて、親方は愛さんを妻として迎えます。二人の間にできた子、それが水兎です。
母親を奪ってしまった当時、水兎は一歳になったばかりだと聞かされました。私はそれを聞いて、組に入ることをその場で言い伝えました。一人の命もまもれなかった男の償いです。この小さな一つの命だけでもまもると誓ったのです。
親方は私に龍崎今弥の名を与えました。これは通り名ではなく、現在の戸籍上の名前です。別の人物として生まれ変わり、会ったことのない男の名前が私の名前になりました。
戸籍の売買、それが和泉組の稼業の一つです。戸籍を売る者、買う者、動機は様々です。
私はこれまで蔵前組との直接の接触は避けてきました。顔が割れている可能性があるからです。
しかしあれから十八年、行くべきときが来たようです。水兎はもうじき、私の転機と同じ二十歳を迎えます。水兎には私のように夢が潰えてほしくはないのです。水兎の命をまもる、それは水兎の夢をまもることでもあるからです。
龍崎さんが告白を始める。僕は世界が一変するのを感じていた。
――目をそらすな。真実に目を向けろ。
心の声が訴え続ける。
そうだ、僕はすべてを受け止めると決意した。これは自分で選んだ道だ。
これが、自分の選んだ道なんだ。
窓の外では急に雨が降ってきていた。窓に激しく打ちつける。
雨に一人立ち向かうかのように、龍崎さんは静かな語り口で空間を切り裂く。
「当時私は――」
*
当時私は、警察官になることを目指して警察学校に通っていました。ありきたりかもしれませんが、小さいころからの夢だった「町の人をまもりたい」という思いを叶えるために通っていたのです。
高校を卒業してすぐに入学しました。警察学校は全寮制での生活です。私もそこで共同生活をしていました。六時五十分の起床から始まり、二十二時半の就寝まで分刻みのスケジュールをこなす日々でした。
武道による心技体の鍛錬(たんれん)、日本文化を学ぶことによる情操教養、犯人の逮捕術など、様々な分野について身につけていきました。さらに、拳銃の扱いを覚えたのも学校でのことでした。規律をなによりも重視する環境下で、自制するすべも備わっていきました。勝手な判断で動くことは、即、死につながるためです。
土日は外出が可能でしたが、学校の外に出るときにはネクタイとスーツの着用が義務づけされていました。今こうしてスーツを着ているのは、組に入っているから、ビジネスをしているからというより、あのころからの習慣です。
高卒で入学した私は、順調に単位を取得し、二十一か月での卒業が見込まれていました。
そのようななか、私は最終段階を迎え、二十か月目に入ろうとしていました。警察署での五か月間に及ぶ実戦実習をしていたころです。
平日は授業に明け暮れているため、週末は羽を伸ばしていました。
あのときは、外泊の届けをして実家に帰っていたのです。一日出かけたあと、夜は地元の友人たちとお酒を飲み交わしていました。すっかり終電を逃して歩いて帰るはめになりました。
両国橋の上を通過しようとしていたときでした。時刻は深夜の二時ごろです。パンと乾いた発砲音が聞こえました。射撃実習中に聞いていた音と似ていました。爆竹だろうと思いながらも、妙な胸騒ぎがして、橋の下を覗きました。
そこには遠目に数名見えました。罵声を浴びせているのが聞こえます。なにを言っているのかは聞き取れません。暗くて見えにくいので、慎重に近づいていきました。
そのなかで男の声が聞こえました。
「次は脅しじゃ済まねえぞ」
そう言ったのがたしかに聞こえました。
男二名が女性を見下ろしていました。男のうち一名は拳銃を片手にしています。
通報したほうがよいのかと考えましたが、その時代は携帯電話は今ほど普及していませんでした。私も持っていなかったのです。公衆電話に行く猶予(ゆうよ)のないなか、私は「その人を助けてやってください」と声を上げました。
すると、「誰だ。和泉組のやつか」と男が言いました。和泉組は私も知っていました。その瞬間、男たちがどこかの組に入っている者だと気づきました。
私は通りすがりの者だと説明しました。
男は銃口をこちらに向けてきます。私は両手を上げて交渉を続けていました。
しかし、意味がありませんでした。
「おまえ、この女を殺れ」
男は銃を私に向けたまま言いました。もう一人の男が銃をふところから取り出し、私に握らせました。実習中のときとは比べものにならないほど、銃が重く感じられました。手が震えます。
「おまえも死にたいか」
男の銃口が私のこめかみに突きつけられました。私はどうしても女性に向けることができません。「この人は関係ない」と女性は叫びます。殺される、そんな予感がよぎったとき、手から銃が奪われました。女性が銃を手にしていました。あっという間のことでした。女性は自分の頭を射抜いたのです。
目の前で女性は血を吹き出しながら倒れていきました。
「おまえの指紋はこの銃にびっちりとついている」
男はそう言い、私の身分証を確認しました。そして、遺体を片づけて去っていきました。
私が射殺したという逃れようのない状況が生まれました。気が動転していたので、よけいにそう思い込んでしまいました。
いえ、実際に私が殺めたも同然です。
――たった一人の命もまもれない男が、どうやって多くの人をまもる。
その考えに私は取りつかれました。
そして私は警察官になることを断念し、警察学校を辞めました。
卒業間近だったこともあり、家族にも同級生にも教官にも、どうして辞めるんだと反対されました。私はただひと言、正義なんてきれいごとだったと伝えました。
神というものが存在するのかはわかりません。しかし、もしもいるのだとしたら、私のなかでは、やり場のない憎しみや悲しみの矛先を向ける対象としてのみ存在しています。
今でもあのときの銃の感触、命が散っていく光景から逃れられていません。
私は自分が水兎の母親を殺めたと思いながら生きてきました。
私は、男が言っていた「和泉組のやつか」という言葉を覚えていました。
私はすべての事実を組の人に話すことを決めたのです。言わなかったとしてもいずれ耳に入るとも思いました。それなら自分から行くべきだと決意したのです。
私は現在の親方に会いました。そこでありのままのことを話しました。
その後、親方から真実を聞きました。
女性の名前はアイ、愛するの「愛」です。蔵前組親分の愛人だったそうです。麻薬を吸入させられたことにより体をむしばまれかけていたところを親方が助けたのだと言います。そうです。あかりさんのときと同じ状況です。
やがて、親方は愛さんを妻として迎えます。二人の間にできた子、それが水兎です。
母親を奪ってしまった当時、水兎は一歳になったばかりだと聞かされました。私はそれを聞いて、組に入ることをその場で言い伝えました。一人の命もまもれなかった男の償いです。この小さな一つの命だけでもまもると誓ったのです。
親方は私に龍崎今弥の名を与えました。これは通り名ではなく、現在の戸籍上の名前です。別の人物として生まれ変わり、会ったことのない男の名前が私の名前になりました。
戸籍の売買、それが和泉組の稼業の一つです。戸籍を売る者、買う者、動機は様々です。
私はこれまで蔵前組との直接の接触は避けてきました。顔が割れている可能性があるからです。
しかしあれから十八年、行くべきときが来たようです。水兎はもうじき、私の転機と同じ二十歳を迎えます。水兎には私のように夢が潰えてほしくはないのです。水兎の命をまもる、それは水兎の夢をまもることでもあるからです。
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