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「すみませんね。変なもの食べさせちゃって。これで口直ししてください」
母親が帰ると、能條はすぐさま袋入りの煎餅を持ってきて、俊哉に差し出した。
「まあ、確かに個性的な味でしたけど、そんなに悪くはなかったと思いますよ」と、一応フォローしながら、勧められた煎餅を手に取り、割ったひとかけらを口に入れる。
口内に残っていた複雑な甘みが塩気で緩和され、少しホッとした。
「母はお菓子作りにオリジナルを取り入れて、あえてあんな冒険的なことをしてるんです。まれにすごく美味しい時もあるんですけど、だいたい不味い。今日のはいい方ですよ」
「オリジナルですか。随分、研究熱心なんですね」
「研究熱心というか、母は昔からなんでも凝る人なんです。最近はお菓子作りにハマっちゃって、新作を作ると、毒味を俺にさせるんですよ。その役目は二年前に他界した父だったんですが、今は俺がその役をさせられてて...」
参りましたよ、と言うように能條は頭を掻いた。
「優しいお父さんだったんですね」
能條は苦笑し、「いえ、ひどい父だったんですよ。女癖が悪くて、外に女作って母に苦労ばかりかけて、実は俺、愛人の子供なんです」
とさらりと言った。
「え?」
突然の告白に俊哉は驚いてしまう。
「俺の実母は病気で亡くなったんですが、母は愛人の子である俺を引き取って、育ててくれたんです。そういうこともあって、父は母に頭が上がらなかったんです。毒味役もある意味、罪滅ぼしでやってたんでしょう」
母親との複雑な事情をあっけらかんと語ると、「いろんな形があるんですよ。歪でも複雑でも、人の数だけの愛の形がある」と動揺する俊哉に微笑んだ。
「すみません。こんな話して。私事はここまでにしときましょう」
能條は区切りをつけるように、お茶を一口飲む。
俊哉もお茶を飲み、気持ちを切り替える。
この男なら気付いているはずだ。
ここに来た理由に。
「そろそろ...」
能條は言う。
「そろそろ来る頃だと思ってました。自分の気持ちに決着つけるために」
「やっぱり...」
俊哉は確信した。
「あなたにはもう全部見抜かれていたんですね」
「ええ」
能條は種明かしする手品師のように不敵に微笑む。
「最初から...気付いてましたよ」
そう。最初から。
ファミレスで出会ったあの日から。
相対したのは三十分も満たない時間だった。
でも確かに、あの日から、恋は始まった。
いや、あの時から....。
あの時、能條は笑顔を弾けさせ、「あなたに会えてよかった」とそう言った。
そして、黒い瞳がグッと近付いてくる感覚になった。
世界が止まった。
確かにあの瞬間だろう。
恋に落ちたという表現を使うならば...。
俊哉を見つめる黒い瞳が揺れている。
能條もあの瞬間を過らせているのだろう。
「でもはっきりと確信したのは、一週間ぶりに再会した時です」と能條が言ったので、今度は再会した時のことを思い出す。
「あなたは、なかなか診察に来なかった俺を責めるように嫌味を言ったんです。それで確信しました。会いに来るのを待ってたんだなって」
俊哉はため息を吐いた。
全部、見抜かれていたのだ。
「あなたは分かっていたんですね。俺が...」
いいのだろうか。
言葉にしてしまったら、本当に始まってしまう。
能條は黙ったままだ。
待っているのだろう。言葉にするのをずっと待っていた。
「あなたを好きになってしまったことを...」
言ってしまった。
いや、言わされたのだ。
この男の掴めない言動、幼稚さも狡猾さも、全てはここまで導くためだったのだと、改めて今、はっきりと理解した。
でも、心に寄り添える深い優しさが根底にあることに気付いている。
初対面の能條に古い友人のような親しみを覚えた。
それはきっと、その深い優しさを感じ取ったからだ。
今はそう思える。
能條が立ち上がり、俊哉の隣りに腰を下ろした。
肩に手が回され、引き寄せられる。そして、耳元で囁いた。
「もう待たなくていいですね」
もう答えは出した。
気持ちに決着はつけた。
もう始まってしまったのだ。
それでも一塊の迷いが胸中に影を差していた。
一番大事な問題が残っている。
「パパと二人がいい」
聡の声が脳内に響いた。
それがまるで予兆であったかのように、ジャケットのポケットに入れていたスマホが鳴った。
「また朝帰りするつもり?」
第一声から嫌味をぶつけられる。
「遅くなるならそう言ってよ。夕飯までに帰るって言うから待ってたのに。ピザ頼んで先に食べるからね」
「聡、ごめん。ちょっと話が長引いちゃって...」
言い終わる前に電話が切れた。
俊哉は慌てて能條に言う。
「聡が待ってるから、帰らないと」
「俺はもう待てませんよ」
能條の口唇が触れる寸前まで近付いた。
「待って...その前に大事な話があるんです」
俊哉は身体を離し、能條と目を合わせる。
「聡くんのことですか」と能條の方から、そう切り出してきた。
「...はい。聡はまだ子供です。父親に恋人ができただけでも動揺するし、しかも相手が男だというのは、まだ受け入れられないと思うんです。だから...この関係を聡には絶対バレないようにしたいんです。会うのは週末の日中だけになるし、もちろん聡との約束があれば、そっちを優先させます。それでもいいですか」
「分かりました。聡くんにバレないようにすればいいんですね」
あっさりとそう返され、提案したのは自分なのに「バレないようになんて、うまくいくかな」と逆に訊いてしまう。
「大丈夫だって、なんとかなりますよ」
能條はそう言って、口唇を重ねてきた。
「なんとかなるなんて、いいかげんな人の常套句じゃない」
恵理が呆れたように言う。
「これでいいのかな」
「さあね。でも、この恋は始まっちゃったんだから、もう後戻りはできないでしょう」
そう。もう後戻りはできない。
早く帰らなければと思いながらも、俊哉は深く甘い口づけから離れることができなかった。
母親が帰ると、能條はすぐさま袋入りの煎餅を持ってきて、俊哉に差し出した。
「まあ、確かに個性的な味でしたけど、そんなに悪くはなかったと思いますよ」と、一応フォローしながら、勧められた煎餅を手に取り、割ったひとかけらを口に入れる。
口内に残っていた複雑な甘みが塩気で緩和され、少しホッとした。
「母はお菓子作りにオリジナルを取り入れて、あえてあんな冒険的なことをしてるんです。まれにすごく美味しい時もあるんですけど、だいたい不味い。今日のはいい方ですよ」
「オリジナルですか。随分、研究熱心なんですね」
「研究熱心というか、母は昔からなんでも凝る人なんです。最近はお菓子作りにハマっちゃって、新作を作ると、毒味を俺にさせるんですよ。その役目は二年前に他界した父だったんですが、今は俺がその役をさせられてて...」
参りましたよ、と言うように能條は頭を掻いた。
「優しいお父さんだったんですね」
能條は苦笑し、「いえ、ひどい父だったんですよ。女癖が悪くて、外に女作って母に苦労ばかりかけて、実は俺、愛人の子供なんです」
とさらりと言った。
「え?」
突然の告白に俊哉は驚いてしまう。
「俺の実母は病気で亡くなったんですが、母は愛人の子である俺を引き取って、育ててくれたんです。そういうこともあって、父は母に頭が上がらなかったんです。毒味役もある意味、罪滅ぼしでやってたんでしょう」
母親との複雑な事情をあっけらかんと語ると、「いろんな形があるんですよ。歪でも複雑でも、人の数だけの愛の形がある」と動揺する俊哉に微笑んだ。
「すみません。こんな話して。私事はここまでにしときましょう」
能條は区切りをつけるように、お茶を一口飲む。
俊哉もお茶を飲み、気持ちを切り替える。
この男なら気付いているはずだ。
ここに来た理由に。
「そろそろ...」
能條は言う。
「そろそろ来る頃だと思ってました。自分の気持ちに決着つけるために」
「やっぱり...」
俊哉は確信した。
「あなたにはもう全部見抜かれていたんですね」
「ええ」
能條は種明かしする手品師のように不敵に微笑む。
「最初から...気付いてましたよ」
そう。最初から。
ファミレスで出会ったあの日から。
相対したのは三十分も満たない時間だった。
でも確かに、あの日から、恋は始まった。
いや、あの時から....。
あの時、能條は笑顔を弾けさせ、「あなたに会えてよかった」とそう言った。
そして、黒い瞳がグッと近付いてくる感覚になった。
世界が止まった。
確かにあの瞬間だろう。
恋に落ちたという表現を使うならば...。
俊哉を見つめる黒い瞳が揺れている。
能條もあの瞬間を過らせているのだろう。
「でもはっきりと確信したのは、一週間ぶりに再会した時です」と能條が言ったので、今度は再会した時のことを思い出す。
「あなたは、なかなか診察に来なかった俺を責めるように嫌味を言ったんです。それで確信しました。会いに来るのを待ってたんだなって」
俊哉はため息を吐いた。
全部、見抜かれていたのだ。
「あなたは分かっていたんですね。俺が...」
いいのだろうか。
言葉にしてしまったら、本当に始まってしまう。
能條は黙ったままだ。
待っているのだろう。言葉にするのをずっと待っていた。
「あなたを好きになってしまったことを...」
言ってしまった。
いや、言わされたのだ。
この男の掴めない言動、幼稚さも狡猾さも、全てはここまで導くためだったのだと、改めて今、はっきりと理解した。
でも、心に寄り添える深い優しさが根底にあることに気付いている。
初対面の能條に古い友人のような親しみを覚えた。
それはきっと、その深い優しさを感じ取ったからだ。
今はそう思える。
能條が立ち上がり、俊哉の隣りに腰を下ろした。
肩に手が回され、引き寄せられる。そして、耳元で囁いた。
「もう待たなくていいですね」
もう答えは出した。
気持ちに決着はつけた。
もう始まってしまったのだ。
それでも一塊の迷いが胸中に影を差していた。
一番大事な問題が残っている。
「パパと二人がいい」
聡の声が脳内に響いた。
それがまるで予兆であったかのように、ジャケットのポケットに入れていたスマホが鳴った。
「また朝帰りするつもり?」
第一声から嫌味をぶつけられる。
「遅くなるならそう言ってよ。夕飯までに帰るって言うから待ってたのに。ピザ頼んで先に食べるからね」
「聡、ごめん。ちょっと話が長引いちゃって...」
言い終わる前に電話が切れた。
俊哉は慌てて能條に言う。
「聡が待ってるから、帰らないと」
「俺はもう待てませんよ」
能條の口唇が触れる寸前まで近付いた。
「待って...その前に大事な話があるんです」
俊哉は身体を離し、能條と目を合わせる。
「聡くんのことですか」と能條の方から、そう切り出してきた。
「...はい。聡はまだ子供です。父親に恋人ができただけでも動揺するし、しかも相手が男だというのは、まだ受け入れられないと思うんです。だから...この関係を聡には絶対バレないようにしたいんです。会うのは週末の日中だけになるし、もちろん聡との約束があれば、そっちを優先させます。それでもいいですか」
「分かりました。聡くんにバレないようにすればいいんですね」
あっさりとそう返され、提案したのは自分なのに「バレないようになんて、うまくいくかな」と逆に訊いてしまう。
「大丈夫だって、なんとかなりますよ」
能條はそう言って、口唇を重ねてきた。
「なんとかなるなんて、いいかげんな人の常套句じゃない」
恵理が呆れたように言う。
「これでいいのかな」
「さあね。でも、この恋は始まっちゃったんだから、もう後戻りはできないでしょう」
そう。もう後戻りはできない。
早く帰らなければと思いながらも、俊哉は深く甘い口づけから離れることができなかった。
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