鬼の花嫁

炭田おと

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1_また破談になりました

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「――――今回の大田様との縁談、諸事情により、流れることになりました」


 私にそう報告するとき、松田まつだ様は何度も汗を拭っていた。


「・・・・・・・・」


 ――――破談になったのは、今回で何度目だろう。


 頭に浮かぶのは、縁談が駄目になった回数ばかりだ。途中で数えることを止めてしまったから、もう何度目なのか覚えていない。

「その・・・・穏葉やすは様はなにぶん、複雑な立場にいますゆえ、なかなか縁談をまとめるのが難しく――――それに、お歳も・・・・」

 松田様は言い訳をしようと必死になっているのか、言ってはならないことまで口走っている。私は無言で、その言葉を聞いていた。

 私は複雑な事情を背負っていて、世話役の松田様が懸命に結婚相手を捜してくれているのに、その事情のせいで、なかなか相手が見つからない。

 そうしているうちに、今の年齢になってしまった。この国でも貴族階級は早婚の傾向があるから、今後はますます難しくなるだろうと思う。

「ですが、その・・・・気落ちする必要はございません」

 松田様は私のご機嫌を窺って、上目遣いになる。

「すでに別の縁談を取りまとめている最中ですから、数日中に、ご報告できることがあると思います」

「・・・・はは・・・・ありがとうございます・・・・」

 そう言うしかなかった。

 顔も見たことがない相手から振られ続けるという、地獄を、もう何年も味わっているから、諦めの気持ちしか湧いてこない。

 ――――お互いの意思を無視して、無理やり組まされる縁談で結婚するなんて、気が進まない。

 でも、いつまでもここにはいられない。自分に、拒否権がないことは、よくわかっている。

「それで、その・・・・別の縁談を取りまとめているということでしたが、お相手はどんな方なんでしょうか?」

 それだけは確かめておかなければならないと思って、松田様に聞いた。

 選り好みをするつもりはない。選べる立場じゃないことは、誰よりも自覚している。

 年齢も見た目も給料も関係ない。ただ、博打好きで借金だらけとか、暴力を振るう相手との結婚だけは、避けたかった。

「はい、お相手は公家の百田丹次ももたたんじ様でございます」

「え!? あの百田様ですか!?」

 思わず、大きな声を出してしまった。

 松田様の目が丸くなる。

「・・・・なにか問題が?」

「あの・・・・百田様って、前の奥様に暴力を振るっていたことで有名な方ですよね?」

「そ、そういう噂もありますが・・・・」

 とたんに松田様は、歯切れが悪くなる。

 開いた口が塞がらない私の前で、松田様はしきりに汗を拭った。

「ですがそれは、噂ですので・・・・」

「でも、奥様が顔を腫らしていたという目撃証言を聞いています。前の奥様は、実家に帰ってしまったのでしょう?」

「転んだだけなのでは・・・・」

「毎日のように転びますか?」

「・・・・・・・・」

 反論できなくなって、松田様は萎んだように肩を縮めてしまう。

「それにすでに、百田様には、大勢の愛人がいるということでしたが」

「まあ、女遊びが盛んな方のようで・・・・でも、結婚すれば落ち着くでしょう」

「・・・・博打も好きで、散財の結果、借金だらけと聞きましたが」

「・・・・それも結婚すれば、落ち着くはずです」

「・・・・・・・・」

 噂好きの女中のおかげで、私の耳にはたくさんの噂話が入ってくる。

 百田様とは会ったことは一度もないけれど、悪い噂なら山ほど聞いていた。暴力的で、権力欲が強く、目的のためなら手段を選ばない人なのだそうだ。

 そして結婚後も変わらなかった人の噂はたくさん聞いているけれど、結婚後に変わった人の話は、今のところ、数えるほどしか聞いていない。

「ま、まあ、人間の駄目なところを手当たり次第、鍋に入れて、水がなくなるまで煮詰めたようなお方ですが、そんなお方でも、捜せば、なにか一つぐらい、いいところを見つけられるはずです」

(それで取り繕っているつもりですか!? この際、素直に言わせてもらいますけど、何一つ取り繕えていませんからね!)

 素直にそう言えたら、どれだけよかっただろう。でも今の私は、それを言える立場じゃなかった。

「だ、大丈夫ですよ! 穏葉様が今おっしゃったことはすべて、噂ではありませんか! 真実とは限りません」

「・・・・・・・・」

 大丈夫だ、大丈夫だ、と私は自分に言い聞かせる。今までも何度も、縁談がまとまらず、破談になってきた。今回だけうまくいくなんて、そんなことはないはず。

「今回の縁談は、百田様もかなり乗り気なので、うまくいきそうなんです。朗報ですね」


 それは朗報じゃない。――――凶報だ。


 私はそう言いたい気持ちを、必死に喉の奥に押し戻す。

 百田様が私との結婚に乗り気なのは、この婚姻を出世に利用できると考えているからだろう。

 一応、結婚という形式さえ整えてしまえば、それ以後、私は用済みになるはず。――――結婚後、私がどんな扱いを受けるかは、目に見えていた。

「だから、期待してお待ちください」

 にこにこと笑う松田様の顔を見ていると、嫌です、助けてくださいと泣きつくこともできずに、引き攣った笑顔を返すことしかできなかった。

「・・・・さ、散歩をしてきます・・・・」

「え? 穏葉様?」

 よろめきながら立ち上がり、襖を開けて、縁側に出た。


「穏葉様? お出かけですか?」

「松田様とのお話、いいんですか?」

 庭で洗濯をしていた女中の、千代ちよ愛弥あやに声をかけられたけれど、返事をする気力がなかったから、引き攣った笑顔だけ返して、そのまま横を通り過ぎた。



「ねえ、ねえ、聞いた?」

 外に出ようと、門をくぐったところで、女中の声が聞こえてきた。

 何となく見つかりたくなくて、私は庭の木立の影に隠れる。

 そっと、声が聞こえた方向を窺うと、洗濯物籠を持った、三人の女中の姿を見つけた。

「穏葉様の縁談、また流れたそうよ」

「また? 穏葉様も、もうとっくに嫁いでいておかしくない御歳でしょ? どうして今まで、縁談がまとまらなかったのかしら?」

「ほら、先代御主おんしゅが視察中に、暗殺されたじゃない? その時に、ご息女の穏葉様も、一緒にいたらしいのよ。で、刺客の刃を顔に受けてしまったというわけ」

「ああ・・・・顔に傷が残ってしまったのね」

「その上、鬼に噛まれて、首に噛み痕まで残っているらしいのよ!」

「・・・・前の御主の娘なんていう、微妙な立場にいる上に、顔の傷、さらに゛噛み痕゛まで残ってるお姫様なんて、それじゃ、貰い手がないはずだわ」

「・・・・・・・・」

「そういえば、聞いた? 翔肇様が――――」

 話が次の話題に移り、女中も梅のくるわのほうへ去っていく。

 誰もいなくなったことを確かめてから、私は門に向かって歩いた。

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