鬼の花嫁

炭田おと

文字の大きさ
15 / 86

13_とんでもないことになってしまった_後半

しおりを挟む
 他の礼門部省の役人達が、ゆらりと動き出して、東屋を取り囲む。

 殺意に濡れた眼光を見れば、彼らが役人に成りすました刺客であることは、一目瞭然だった。


「・・・・まだ仲間がいたのか」

 近づいてくる複数の影に、鬼久頭代の目は細められ、剣呑な光を宿す。

 そこに至ってようやく、詠誓御主や勇啓様も立ち上がり、剣の柄に手をかけた。

「お二人は下がっていてください」

「俺も戦えるぞ」

「働き者なのは認めますが、俺がいるのに、勇啓様が戦う必要はありません」

「そう言うな。最近、身体を動かしていないから、思いっきり暴れたいんだ」

 そして役人達は袖から短刀を取り出し、鞘を投げ捨てる。

 青魚の鱗のような刃が、鬼久頭代達に向けられた。

「ひぃぃっ!」

 ますます取り乱した長老は、腰が抜けたのか、その場に座り込んでしまう。


「天命に逆らう鬼達を殺せ!」

「御主と勇啓様をお守りしろ!」

 そして、刑門部の武官と、刺客の声が重なった。


「きゃあああ!」

 武官と刺客が入り乱れ、剣戟の音が太鼓のように打ち鳴らされる。

 戦えない役人や、女中達は悲鳴を上げながら逃げ惑い、美しい雪の絨毯は踏み荒らされた。

「ぐあっ・・・・!」

「・・・・っ!」

 誰かが斬られたのか、雪の絨毯に赤い点描が広がる。私はその鮮やかな赤さに怯みながらも、垣根の影に飛び込んだ。

 垣根の影から、そっと東屋のほうを窺う。


 刃が隙間を縫うように、大気を切り裂いて、刺客を倒していく。

 鬼久頭代の動きは流麗で、斬られていく敵が散らす血の飛沫すら、演武の一幕に見えるほどだった。

 刺客は大勢いたのに、誰一人、詠誓御主に近づくことすらできなかった。

 動きから見て、敵も鬼のはず。だけどそのほとんどは、鬼久頭代が立つ線を越えられず、斬られてしまったのだ。

 しかも驚くことに、鬼久頭代の立ち位置は、最初からほとんど変わっていない。東屋の前から動かず、複数の敵を相手に、傷一つ負っていないのだ。

 最初は混乱していたけれど、気持ちが落ち着くと、戦況を分析できるようになった。

(・・・・とりあえず、ここに隠れていれば大丈夫そう)

 標的は詠誓御主か、勇啓様のようで、刺客は逃げ惑う役人や女中には目もくれない。ここに隠れていれば、巻き込まれることはないはず。

 最初は刺客のほうが数で押していたけれど、見る間に逆転して、今は鬼久頭代達のほうが押している。ほとんど、鬼久頭代の手柄だった。

 そしてあっという間に、勝敗が決まってしまう。

「くっ・・・・」

 刺客は残りわずかとなり、刑門部の武官が、彼らを取り囲んだ。

「みな、戻ってこい! 鬼久頭代の後ろにいるんだ!」

 もう大丈夫だと思ったのか、長老が散り散りに逃げていった者達を、呼び戻そうとしていた。

 怯えながらも、女中達が東屋のほうに向かって動き出したので、私もその流れに混じる。

「くそ、撤退だ!」

 もはや勝てないと悟ったのか、離れた場所にいた刺客の何人かが、石塀をよじ登って、外に逃げようとしていた。


「逃がすか!」

 勇啓様と数人の武官が、追っ手の後を追いはじめた。

「勇啓様! 深追いはいけません!」

「逃がすわけにはいかない!」

 追手は塀の向こう側に、姿を消してしまう。

「勇啓様!」

「燿茜! お前は、詠誓御主を守ってくれ!」

 勇啓様は鬼久頭代の制止さえ振り切って、後を追う。

 門を使うと時間がかかるので、勇啓様は塀が低い場所を選び、近くの木を足場にして、跳躍する。


 そして軽々と、塀を跳び越えてしまった。


「勇啓様、待ってください!」

 他の武官は勇啓様のように、軽々と塀を乗り越えられない。勇啓様は、武官がおたおたしている間に、男達を追って、姿を消してしまった。


「・・・・残るはお前達だけだぞ。大人しく投降するのなら、斬ることはない」

 残りの刺客ににじり寄りながら、鬼久頭代はそう言った。

「・・・・・・・・」

 だけど刺客は、応じようとはしない。


 私はその時、またあることに気づいた。

 東屋の中にいる女中が、不穏な動きを見せている。

 他の女中は、膝が震えるほど恐怖で縮こまっているのに、明らかにその女中だけ、動きが、そして見ている方向が違うのだ。

 ――――女中が睨んでいるのは、刺客の顔ではなく、鬼久頭代の背中だった。

(まさか、あの人も刺客なの?)

 私は女中の動きを、注意深く観察する。

 ――――よく見ると、その女中の着物は、桜女中の着物でも、梅の廓の女中の着物でもなかった。桃色の着物ではあるものの、柄がまったく違う。

(やっぱり違う、この人、女中じゃない!)

 最初から、その女性が行列に混じっていたのなら、誰かが着物の柄の違いに気づいていたはずだから、彼女はあらかじめ白鳥の庭園に潜んでいて、この騒ぎに乗じて、他の女中にまぎれ、鬼久頭代に近づいたのだろう。

 女中は袖の中に手を入れ、じわじわと鬼久頭代に近づいていく。

 その動きは素人そのものだった。私の視線にすら、気づかないのだから。

(どうする?)

 一瞬、声を上げるのを迷ってしまったのは、目立つことを恐れたからだ。今の私も、女中に成りすましているようなものなので、目立つのは非常にまずい。

 だけど私が迷ってしまっている間に、その女性は、鬼久頭代の背後に迫っていた。


「死ねッ!」

 女性は袖から取りだした短剣を鞘から引き抜いて、高く頭上に掲げた。


「・・・・っ!」


 ――――身体が、反射的に動いていた。

 私は袖から、鬼道きどうを使うための形代を取り出し、投げる。


 形代は真っ直ぐ大気を切り裂いて、女性の腕に張り付いた。


ばく!」


「・・・・っ!」

 術を発動した瞬間に、女性の腕は、固まったように動かなくなる。

 女性は短剣を振り下ろせず、瞠目した。

 滑り落ちるように、短剣が彼女の手の平から落ちていく。


「貴様! 何をしている!?」

 今さら女性のことに気づいた武官が、鬼久頭代を守るために動き出した。

 だけど女性はすでに、膝を雪の中に埋めていて、危険な存在ではなくなっていた。武官に取り押さえられ、女性は拘束される。

 ばくばくとなる心音で、まわりの人達の声が、よく聞こえない。

(誰にも見られていない・・・・よね?)

 今の動きを、誰かに見られてしまったかもしれないという不安に、胸を焼かれる。私はまわりを見回した。

 武官と女中達は、まだ味方側に紛れ込んでいるかもしれない刺客に怯え、右往左往している。

 だけど、私を見ている人はいない。どうやら誰も、今の私の動きには、気づかなかったようだ。

(よかった・・・・)

 全身の力を抜こうとしたところで、誰かの視線が横顔に突き刺さるのを感じた。


 顔を上げて――――鬼久頭代と目が合う。


 鋭い視線に呼吸を阻まれて、私は蛇に睨まれた蛙のように凍り付いた。

(・・・・今の動きを、見られていたの?)

 そんなはずがない。女性が動いて、私が形代を投げた時、鬼久頭代は間違いなく、私達に背中を向けていた。背中に目がついていない限り、私の動きには気づけなかったはず。


「なんだ、この紙は」

 武官の声が聞こえて、私はハッとする。

 武官が女性の腕に張りついた形代に気づいて、それを剥がそうとしていた。

「それ、なんだ?」

「刺客の腕に張り付いてたんだ。これ、なんだと思う?」

「さあ・・・・」

(回収できなかった・・・・!)

 形代を回収しなければならなかったのに、それができなかった。もう形代は武官の手の中にあって、どうすることもできない。

「隠れていた刺客は、これで全員だろうか」

「着物の柄で見分けろ。刺客が用意した衣装は、手を抜いたものが多いようだ」

「はい!」

 鬼久頭代の指示で、武官達は忙しく動き出す。

「・・・・・・・・」

 鬼久頭代は、もう私を見ようとしない。

 目があったのは気のせいだ。私は自分に、そう言い聞かせた。

「刺客はもういないようです」

「そうか」

 長老が、詠誓御主に近づいていった。

「お怪我はありませんか、御主様」

「大事ない」

「よかった・・・・」

「長老、御主、御政堂に戻りましょう。どうやら今日の白鳥の庭園は、安全とは言えないようです」

「そ、そうですな、鬼久頭代の言うとおりです、さあ、御主様。御政堂に戻りましょう」

「戻るぞ! お前達もついてこい!」


 鬼久頭代の言葉で、行列はぞろぞろと動きだした。


 ――――ようやく、御政堂に戻れる。私は胸に手を当てて、深呼吸した。まだ少し、鼓動が速い。


「・・・・こんなことになり、まことに申しわけありません、御主様」

 黙々と歩いていると、長老の声が聞こえてきた。

「これからは不逞な輩が御主に近づけないよう、いっそう警備を強化します。・・・・ですが、どうか誤解なさらぬよう。今回の襲撃は、御政堂が仕組んだことではありません。誰の仕業が知りませぬが、必ずや犯人を見つけますので、それまで――――」

「言い訳をする必要はない。今回の襲撃に、御政堂が関わっていないことはわかっている。俺を殺すつもりなら、燿茜を俺に随伴などさせないはずだ」

「そ、そうですか・・・・よかった」

「それになかなか楽しめたぞ。北鬼の鬼達との交流だと思えば、たまにはこんな余興も楽しいものだ。観光だけではつまらないからな」

「・・・・・・・・」

 詠誓御主のとんでもない言葉に、長老は黙してしまった。

(・・・・とんでもない人だわ)

 一歩間違えば、命を失っていたかもしれないのに。あの出来事を楽しい余興と言ってのけるところがすごい。噂以上の、風変わりな人だ。

「・・・・それに、面白いものを見ることもできた」

 詠誓御主の目が動く。

 目が、合った気がした。びっくりして、慌てて俯く。

「・・・・・・・・」

 しばらくして、私はおそるおそる顔を上げる。詠誓御主はもう前を向いていた。

(気のせいだった・・・・?)

 胸に手を当てると、鼓動はまた、速くなっていた。


「鬼久頭代!」

 詠誓御主が輿に乗り込もうとしたとき、飛ぶような勢いで走ってきた武官が、鬼久頭代に近づいた。顔は死人のように青ざめていて、汗がびっしりと額に浮かんでいる。

「・・・・どうした?」

 そのただならぬ様子に、鬼久頭代の顔にも、緊張が走った。

「ゆゆゆ――――」

 ぶるぶると震えながら、武官はなにか言おうとしていたけれど、肝心の部分が聞き取れなかった。

「落ち着け。よく聞こえない」

 鬼久頭代に肩をつかまれ、武官の肩は、打たれたように跳ね上がった。


「勇啓様が、斬られました!」


 ――――その場にいた誰もが、凍り付いて動けなくなっていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...