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16_交渉成立_燿茜視点
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桜の廓の門の前を通りかかったところで、知っている人物の姿を見つけた。
(御嶌逸禾か)
白鳥の庭園で、思わぬ動きを見せた女だ。彼女も今日は桜の廓の掃除をさせられているようで、手に持った桶の水は汚れていた。
なぜか立ち止まり、御嶌の姿を目で追ってしまう。
視線を感じたのか、御嶌は振り返った。
――――目が合い、御嶌は凍り付く。
「き、きき、鬼久頭代。どうしてここに――――」
まるで殺人鬼に出くわしたような反応だった。不満に思いつつ、彼女に近づく。
「御嶌逸禾、だったな」
「は、はい・・・・」
「お前は、桜女中だったのか」
「い、いえ、私は下女です・・・・」
消え入りそうな声で、彼女は答えた。
「わ、私に何かご用でしょうか・・・・?」
なぜ怯える、と考えて、刑門部省の武官が近くにいることに気づいた。
御嶌は、武官のほうをちらちらと見ている。いまだに、刑門部省に引き渡されるかもしれないと、怯えているのだろうか。
(・・・・男の俺は、大奥には入れない。となれば、女中の誰かに協力者になってもらう必要がある)
勇啓様の頼みごとを叶えるためには、女中の協力者を見つける必要があった。
俺は御嶌を、じっと見つめる。視線から逃れるためなのか、御嶌は伏し目がちになっていた。
「・・・・安心しろ。刑門部省に引き渡すつもりはない」
「えっ」
御嶌は目を上げて、俺の顔を見つめる。
「――――代わりに、協力してほしいことがある」
御嶌は鳩が豆鉄砲を食らったように忙しく、目を瞬かせた。
「協力、ですか?」
「白鳥の庭園で起こった襲撃事件で、勇啓様が敵に斬られたことは、もう知っているな?」
「は、はい」
「勇啓様はその時に、女中に助けられたと言っている。お前と同じ、桜女中の着物を着ていたそうだ。だが今日、勇啓様が桜女中達の顔を確かめたところ、その中に恩人はいなかったらしい」
「・・・・・・・・」
「勇啓様は礼を言うために、恩人にもう一度会いたいそうだ。だが男の俺は、大奥には入れず、調査もできない。だが、桜女中のお前なら、聞き込みができる」
「女中ではなく、下女です」
わざわざ言い直して、御嶌は考え込んだ。
「・・・・桜女中に成りすました人だったのでは?」
「成りすますには、女中の着物を用意する必要がある。だが、外にいる人間がどうやって、着物の柄を知る? 刺客でさえ、まったく同じものを用意できなかった」
「似た柄を、本物と見間違えた可能性もあります」
「それはない。勇啓様は何度か桜女中の着物を目にしているし、幼い頃から高価なものに囲まれて暮らしてきた鬼だ。真贋を見分ける力は持っている」
御嶌は不安そうに、目を泳がせる。
「・・・・私に、拒否権はないんですよね?」
「ないな」
「即答ですね!?」
拒めば、刑門部省に引き渡す――――御嶌はそう受け取ったようだ。
俺は御嶌を刑門部に引き渡すつもりはなかったが、誤解されたままのほうが、今は都合がいい。
「報酬は出す」
「報酬――――」
すると、御嶌の目が輝いた。
「報酬よりも欲しいものがあります。その願いを叶えてくださるのなら、喜んでご協力します」
「願いとは?」
御嶌は胸に手を当て、一度深呼吸した。そして俺の目を見据える。
「・・・・仕事を紹介してほしいんです」
なんだ、そんなことか、と拍子抜けした。御嶌がやけに畏まっているから、もっと大きな報酬を望んでいるのかと思っていたが、実際は俺が考えていたものよりも、ずっとささやかなものだった。
「桜下女として働けているのに、どうして仕事が必要なんだ?」
「近いうちに、ここを出ていかなければなりません。・・・・詳しいことは聞かないでください。事情は話せませんから。とにかく、出ていかなければならないんです」
「・・・・・・・・」
「できるだけ遠くに行きたいと思っています。もし、私がこの仕事を達成できたのなら、遠くの働き口を紹介してもらえないでしょうか」
「お前は、何ができる?」
「掃除、洗濯はできるようになりました!」
御嶌は胸を張る。
「ちょっと、あなた!」
その時、桜の廓の門から、もう一人の桜女中が出てきた。
「またこんなところで油を売って!」
「ま、真伊子様・・・・!」
「掃除も洗濯も満足にできないくせに、休憩だけは一人前に取ろうとするのね! 千代様の口添えがあるからといって、調子に乗るんじゃ――――」
怒っていた桜女中は、途中で俺に気づいたようだった。俺を二度見すると、その目は丸くなり、口は金魚のようにぱくぱくと動く。
「き、鬼久頭代!」
「すまないが、今は取り込み中だ」
「い、いえ! お話を邪魔して、申し訳ありませんでした!」
何度も頭を下げ、桜女中は逃げるように、桜の廓の中に戻っていく。
御嶌は呆然と、桜女中の後ろ姿を見つめていた。
「・・・・掃除も洗濯も下手なようだな」
「・・・・・・・・」
萎れるように、御嶌は項垂れてしまう。
――――掃除、洗濯ができると豪語した直後、先輩の女中に図らずも否定される。なんていう運の悪さだろうと、逆に感心してしまう。
「今はまだ修行中ですが・・・・必ず、努力してうまくなります」
「そうか」
努力は認めよう。とはいえ、下女として働いている女が、掃除も洗濯も下手というのも不思議な話だ。今までどうやって、生きてきたのだろうか。
ここで事情を聞いても、おそらく御嶌は答えないだろう。答えずにすむように、最初に事情は話せないと前置きしたのだから。
「・・・・わかった。そういうことなら、お前の働き口を見つけておこう。それで、交渉成立だ」
俺の答えを聞いて、御嶌は目を輝かせる。
「ありがとうございます! 今すぐ仕事に取りかかります!」
御嶌は跳ぶような勢いで、桜の廓の中に入っていった。
(御嶌逸禾か)
白鳥の庭園で、思わぬ動きを見せた女だ。彼女も今日は桜の廓の掃除をさせられているようで、手に持った桶の水は汚れていた。
なぜか立ち止まり、御嶌の姿を目で追ってしまう。
視線を感じたのか、御嶌は振り返った。
――――目が合い、御嶌は凍り付く。
「き、きき、鬼久頭代。どうしてここに――――」
まるで殺人鬼に出くわしたような反応だった。不満に思いつつ、彼女に近づく。
「御嶌逸禾、だったな」
「は、はい・・・・」
「お前は、桜女中だったのか」
「い、いえ、私は下女です・・・・」
消え入りそうな声で、彼女は答えた。
「わ、私に何かご用でしょうか・・・・?」
なぜ怯える、と考えて、刑門部省の武官が近くにいることに気づいた。
御嶌は、武官のほうをちらちらと見ている。いまだに、刑門部省に引き渡されるかもしれないと、怯えているのだろうか。
(・・・・男の俺は、大奥には入れない。となれば、女中の誰かに協力者になってもらう必要がある)
勇啓様の頼みごとを叶えるためには、女中の協力者を見つける必要があった。
俺は御嶌を、じっと見つめる。視線から逃れるためなのか、御嶌は伏し目がちになっていた。
「・・・・安心しろ。刑門部省に引き渡すつもりはない」
「えっ」
御嶌は目を上げて、俺の顔を見つめる。
「――――代わりに、協力してほしいことがある」
御嶌は鳩が豆鉄砲を食らったように忙しく、目を瞬かせた。
「協力、ですか?」
「白鳥の庭園で起こった襲撃事件で、勇啓様が敵に斬られたことは、もう知っているな?」
「は、はい」
「勇啓様はその時に、女中に助けられたと言っている。お前と同じ、桜女中の着物を着ていたそうだ。だが今日、勇啓様が桜女中達の顔を確かめたところ、その中に恩人はいなかったらしい」
「・・・・・・・・」
「勇啓様は礼を言うために、恩人にもう一度会いたいそうだ。だが男の俺は、大奥には入れず、調査もできない。だが、桜女中のお前なら、聞き込みができる」
「女中ではなく、下女です」
わざわざ言い直して、御嶌は考え込んだ。
「・・・・桜女中に成りすました人だったのでは?」
「成りすますには、女中の着物を用意する必要がある。だが、外にいる人間がどうやって、着物の柄を知る? 刺客でさえ、まったく同じものを用意できなかった」
「似た柄を、本物と見間違えた可能性もあります」
「それはない。勇啓様は何度か桜女中の着物を目にしているし、幼い頃から高価なものに囲まれて暮らしてきた鬼だ。真贋を見分ける力は持っている」
御嶌は不安そうに、目を泳がせる。
「・・・・私に、拒否権はないんですよね?」
「ないな」
「即答ですね!?」
拒めば、刑門部省に引き渡す――――御嶌はそう受け取ったようだ。
俺は御嶌を刑門部に引き渡すつもりはなかったが、誤解されたままのほうが、今は都合がいい。
「報酬は出す」
「報酬――――」
すると、御嶌の目が輝いた。
「報酬よりも欲しいものがあります。その願いを叶えてくださるのなら、喜んでご協力します」
「願いとは?」
御嶌は胸に手を当て、一度深呼吸した。そして俺の目を見据える。
「・・・・仕事を紹介してほしいんです」
なんだ、そんなことか、と拍子抜けした。御嶌がやけに畏まっているから、もっと大きな報酬を望んでいるのかと思っていたが、実際は俺が考えていたものよりも、ずっとささやかなものだった。
「桜下女として働けているのに、どうして仕事が必要なんだ?」
「近いうちに、ここを出ていかなければなりません。・・・・詳しいことは聞かないでください。事情は話せませんから。とにかく、出ていかなければならないんです」
「・・・・・・・・」
「できるだけ遠くに行きたいと思っています。もし、私がこの仕事を達成できたのなら、遠くの働き口を紹介してもらえないでしょうか」
「お前は、何ができる?」
「掃除、洗濯はできるようになりました!」
御嶌は胸を張る。
「ちょっと、あなた!」
その時、桜の廓の門から、もう一人の桜女中が出てきた。
「またこんなところで油を売って!」
「ま、真伊子様・・・・!」
「掃除も洗濯も満足にできないくせに、休憩だけは一人前に取ろうとするのね! 千代様の口添えがあるからといって、調子に乗るんじゃ――――」
怒っていた桜女中は、途中で俺に気づいたようだった。俺を二度見すると、その目は丸くなり、口は金魚のようにぱくぱくと動く。
「き、鬼久頭代!」
「すまないが、今は取り込み中だ」
「い、いえ! お話を邪魔して、申し訳ありませんでした!」
何度も頭を下げ、桜女中は逃げるように、桜の廓の中に戻っていく。
御嶌は呆然と、桜女中の後ろ姿を見つめていた。
「・・・・掃除も洗濯も下手なようだな」
「・・・・・・・・」
萎れるように、御嶌は項垂れてしまう。
――――掃除、洗濯ができると豪語した直後、先輩の女中に図らずも否定される。なんていう運の悪さだろうと、逆に感心してしまう。
「今はまだ修行中ですが・・・・必ず、努力してうまくなります」
「そうか」
努力は認めよう。とはいえ、下女として働いている女が、掃除も洗濯も下手というのも不思議な話だ。今までどうやって、生きてきたのだろうか。
ここで事情を聞いても、おそらく御嶌は答えないだろう。答えずにすむように、最初に事情は話せないと前置きしたのだから。
「・・・・わかった。そういうことなら、お前の働き口を見つけておこう。それで、交渉成立だ」
俺の答えを聞いて、御嶌は目を輝かせる。
「ありがとうございます! 今すぐ仕事に取りかかります!」
御嶌は跳ぶような勢いで、桜の廓の中に入っていった。
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