鬼の花嫁

炭田おと

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28_争いは、もうはじまっていました

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 そうして、国柱神宮に到着すると、御主や花嫁達は拝殿で参拝した。

 その後は、花嫁達が舞殿まいどので、歌や舞いを披露する予定だった。舞殿のまわりには、花嫁達の踊りや歌を見ようと、大勢の参拝客が集まってくる。


 一番手の佳景様は、舞殿で、先祖の霊魂に舞いを捧げた。


 緩やかな旋律に合わせて、巫女装束の千早の袖や、緋袴ひばかまの裾が翻る。

 腕が動くたびに鳴る神楽鈴の音が、粉が散るように、あたりに振り撒かれていった。

 幼い頃から、歌や舞いを教え込まれた佳景様の踊りは見事で、花嫁達を見に来た観衆の目は、輝いていた。

 踊りが終わると、拍手喝采が鳴り響く。満足げに立つ佳景様をねぎらうように、心地よい風が広場を駆け抜けて、壁代を揺らしていた。


 それからも次々と、花嫁達が踊りや歌を披露していく。


 そして最後に、凛帆様の番がやってきた。

 凛帆様は、琴歌きんかを披露した。

 まるで琴の音が、泡になって空に昇っていくように、印象的な音が散らばり、その音に凛帆様の透き通った声が乗せられる。観衆は息をすることも忘れて、歌声に聞き入っていた。


 ――――順調に進んでいた儀式に問題が起こったのは、その歌の最中だった。


「・・・・!」

 奇妙に音が跳びはね、琴の音色も、凛帆様の歌声も止まってしまう。

 何事かと思い、凛帆様の手元を見た。


 ――――琴の弦が、切れている。


「・・・・弦が切れたの?」

「・・・・なんだか、縁起が悪いな・・・・」

 静けさの後、観衆はざわつきはじめ、不穏な空気が流れた。

 神聖な儀式だ。些細なことでも、人々はその小さな点に、不気味さを感じてしまうのだろう。たとえ偶然でも、それが神聖な場所、神聖な儀式の最中に起こると、神仏からの言伝かもしれないと考えてしまうのだ。

(・・・・でも、どうして弦が切れたの? )

 凛帆様が使ったのは、この日のために拵えたもの、はじめて使うものなのに、弦が切れるなんて考えにくい。


「・・・・ほら、やっぱりね」

 ふと、誰かの呟きが耳に滑り込んできた。

 ハッとして、声が聞こえた方向を盗み見る。

「私が言った通りだったでしょ? やっぱりあの琴は、細工されてたのよ」

 二人の女中が、小声で話をしていた。

「私、確かに見たんだから。佳景様の女中が、琴が保管されていた部屋に、こそこそと入っていったところを」

「ええ、疑って悪かったわ。でもまさか、佳景様がここまでするなんて・・・・」

「昨日、女中達が、凛帆様が一番高い位を与えられそうだって噂してたのを、佳景様が耳にしたそうじゃない。・・・・よっぽど悔しかったのね」

「だけど、ただの噂でしょ? なのに普通、細工までする?」

「馬鹿ね。気位の高い方は、ほんの少しの侮辱も許さないものなのよ」

「だったら、直接、噂をしていた女中達を罰すればよかったのに」

「そんなことをしたら、自分の体面まで傷つけちゃうじゃない。代わりに、その怒りを凛帆様にぶつけたんでしょ」


「・・・・・・・・」

 凛帆様には、関係ないことなのに。私は、奥歯を噛みしめる。

 突然のことに、凛帆様はどうしていいのかわからないらしく、呆然としていた。誰かが、代わりの琴を持っていくべきなのに、なぜか女中は誰も、動こうとしない。


 私はあたりを見回す。

 舞いの時に使われていた琴が、隅に置かれているのが見えた。


 私は人を掻き分けて、琴に近づく。そしてそれを抱え上げて、凛帆様のところに走った。人垣から飛び出すと、観衆の視線が全身に突き刺さる。


「凛帆様、これを」

 私は凛帆様の隣に、琴を置く。

 凛帆様は私を見上げて、目を見開いた。

「あなたは――――」

「これをお使いください」

 凛帆様は私の顔から、琴に視線を落とした。

 そして、安心したように笑う。

「ありがとう」

 私は頭を下げ、観衆の中に戻った。

「・・・・馬鹿な子ね。こんな時は、動いちゃいけないのに」

「・・・・あの子、佳景様に目を付けられるわよ」

 くすくすと、誰かが笑う。私は暗い気持ちになった。


「みなさま、申し訳ありませんでした」

 凛帆様はすぐには歌を再開せず、まずは立ち上がって、観衆に深く頭を下げた。

「私は歌は得意ですが、琴の腕前はからきしです。なんとか取り繕っていましたが、ご先祖様には見抜かれていたのかもしれませんね。それで、聞くに堪えないと、ご先祖様が琴の弦を切ってしまわれたのかもしれません」

 どっと、笑いが巻き起こった。

 笑い声が風のように、不気味な気配を押し流してくれる。

(・・・・すごい人だ)

 あのまま歌いだしても、きっと不気味な空気を引き摺ったままになっていただろう。

 だから凛帆様はまず、強張った空気をほぐすことにしたようだ。高い位にいるはずの花嫁が、親しみやすさを見せると、観衆も安心したらしく、和やかな空気になっていた。

「優しい子が、せっかく琴を持ってきてくれましたが、私の下手な腕を披露したら、まだご先祖様に弦を切られてしまうかもしれません。だから、歌だけ歌うことにします。私、歌は得意ですから」

 凛帆様は目で、御主に問いかける。


「君の歌を聞かせてくれ」


 御主の許可を得て、凛帆様の笑みは深くなる。


 そして、凛帆様は歌いはじめた。琴の音がなくなったことで、声をよく聞き取れるようになり、観衆はまた、歌に聞き入る。


 凛帆様の声質は鈴を振るように軽やかで、なのに伸びやかに遠くまで響いていた。凛帆様はまったく音程を外さないから、安定して聞き入ることができた。


 歌が終わり、凛帆様は一礼する。

 拍手喝采が巻き起こった。どの花嫁の出しものよりも、大きな拍手が、長く続いた。

(よかった・・・・)


「まことに、見事な歌だった」

 張乾御主様が手を打つ音で、喝采は静まっていった。

「どの花嫁の出し物も実に素晴らしかった。だが特に、弦が切れるという問題にも動じずに、最後まで観衆を楽しませたのは素晴らしい」

 御主は前に出てきた。凛帆様に近づきながら、御主が袖から取り出したものを見て、観衆はハッと息を呑む。

「私はまだ身代ではないが、決して気取らず、国民を楽しませようとする今の君の振る舞いは、国母に相応しいと感じた。まだ早いのだろうが――――これを送らせてもらう」

 その手に握られたのは、菊の花を模した造花だ。


 ――――おそらくあの花が、身代が花嫁に送り、花嫁の位を決めるという、祝花しゅくかなのだろう。


 わっと、観衆がざわめく。


「御主様! いくらなんでも、それはまずいです。花を送るのは・・・・」

「身代になってから、だろう? だが、身代にならなければ花を送ってはならないという規則はない」

「そ、それは・・・・」

 止めようとした役人は、逆に言いくるめられて、黙ってしまった。

「・・・・北鬼の御主が、南鬼の花嫁に花を送ったぞ・・・・」

「・・・・御主様は、北鬼の花嫁を贔屓するだろうと思ってたんだけどな」

「・・・・これじゃ、北鬼の花嫁達の立場がないわね」

「・・・・儀式は今は形骸化して、なあなあになってるって聞いたけど、今年は本当に競い合いが起こるんじゃないか?」

 ひそひそと、言葉が交わされる。

 純粋に、目の前の出来事を催し物のように楽しんでいる人もいれば、北鬼の花嫁を嘲笑するような言葉もあった。


「・・・・・・・・」

 南鬼の花嫁や、初花様は、凛帆様に拍手を送ったけれど、美火利様や羽香乃様、そして佳景様は俯いている。


(・・・・ここで花を送らなくてもいいのに・・・・)

 張乾御主様も、少し配慮に欠けると思った。

 北鬼の花嫁のほうが有利だと思われていたのに、その認識を公衆の面前で覆されるなんて、花嫁達にとっては屈辱のはずだ。


「・・・・感謝します、御主様」

 凛帆様も戸惑っている様子だったけれど、この状況で、花を受けとらないわけにはいかない。

 凛帆様が前に出した手に、御主は花を置いた。

「これからも、励んでくれ」

「はい、精進いたします」

 また拍手が、潮騒の音のように鳴り響いた。


 胸を撫で下ろして、動き出そうとしたところで、群衆の中にいた少女と目が合った。


 ――――佳景様だ。鋭い眼光にハッとして、喉を塞がれる。


 しばらく私を睨んだ後、佳景様は身を翻す。

 代わりに、佳景様の隣に立っていた女中が、私に近づいてきた。


 ――――一難去って、また一難。


 覚悟していたものの、溜息をつかずにはいられなかった。

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