鬼の花嫁

炭田おと

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29_曖昧な言葉は避けましょう

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 数分後、私は、佳景様の女中達に引き摺られ、神社の隅にある、絵馬殿えまでんの裏側に連れて行かれていた。


「あなた、勝手なことをしないでよ」


 絵馬殿の壁際に追い詰められ、私は取り囲まれる。

 私の前に並んだ女中達の顔は、怒りで人相が変わっていた。

「神聖な儀式の最中だったのよ? なのに、勝手な判断で、凛帆様に近づくなんて・・・・。下女ふぜいが、出過ぎた真似をするんじゃないわよ!」

「・・・・申し訳ありませんでした」

「謝ってすむ問題!?」

 女中の一人が、壁を叩く。

「・・・・本当に、すみません」

 今は何を言っても、火に油を注ぐことになってしまうと、張りつめた空気から、なんとなくわかった。

 だからひたすら、謝り続けるしかない。私は奥歯を噛みしめ、頭を下げ続ける。

「あっ・・・・!」

 すると髪をつかまれて、引っ張られた。

「謝ってすむ問題じゃないと、何度言えば・・・・!」

 唐突に、声が途切れる。


 ハッとして耳を澄ますと、こちらに近づいてくる足音に気づいた。女中達はその足音の主を警戒して、肩を強ばらせている。


 ――――現れたのは、鬼久頭代ききゅうとうだいだった。


「鬼久頭代・・・・」

 どうして鬼久頭代がここに、と混乱していると、私を隠すように、女中の一人が前に出る。

「鬼久頭代、私達になにかご用でしょうか?」

「道具の片付けに、人手がいるそうだ。女中取締が、女中達を呼んでいる」

「そ、そうですか! すぐに行きます!」

 引き攣った笑顔を浮かべて、女中達はそそくさと去っていく。


 そしてその場には、私と鬼久頭代だけが残された。


「・・・・・・・・」

 気まずい。鬼久頭代とこうして向かい合うのは、夜に御政堂を抜けだした凛帆様を追いかけて、その後送ってもらった時以来だ。

「大丈夫か?」

「え? あ・・・・」

 髪が乱れていることに気づいて、私は慌てて髪の乱れを直す。

「災難だったな」

「・・・・気づいてたんですね」

 私がどうしてここにいるのか、鬼久頭代はもう知っているらしい。

「あの流れを見れば、ある程度のことはわかる」

「・・・・もしかして、助けてくれたんですか?」

「女中達はどんなに怒っていても、部外者が入っていけば、不思議と大人しくなる」

 御政堂の女中は、二つの顔を使い分けることを教育されているから、部下を折檻している最中でも、部外者が現れれば、仮面を付け替える。

 鬼久頭代はそれをわかっていて、素知らぬ顔で間に入ってくれたようだ。

「ありがとうございます」

「礼を言われることじゃない。俺にできるのはここまでだ。大奥のことに口を出す権利は、俺にはない」

「はい、わかってます。・・・・私の落ち度ですから」

 すると鬼久頭代が、眉根を寄せる。

「間違ったことをしたと思ってるのか?」

「え・・・・」

「お前は、間違ったことはしていない。ここは、正しいことをしても、評価してもらえるとは限らない世界だ。そういった意味では、賢い選択ではなかったのかもしれないが」

「・・・・・・・・」

 そう言ってもらえて、少し気持ちが楽になった。

「・・・・私は、賢くないみたいです。あの時は、あれが正しい行動だと思ったんですが」

「お前は賢いが、不器用だな。うまく立ち回れない」

「はは・・・・」

「だが、個人的な意見を言わせてもらえば、不器用ながら自分が正しいと思ったことをする人間のほうが、好感が持てるし、信頼もできる」

 虚を突かれて、私は何も言葉が出てこなくなった。

 鬼久頭代は、時々、思いがけないことを言う。私はずっと、木蔦の宮に閉じ籠っていたから、こんな時、どんな反応をして、どんな言葉を返せばいいのか、正解がわからない。

 それに今、私はよくわからない感情に胸を支配されていた。

 だから鬼久頭代のこういったところが、少し苦手だと感じてしまう。


「それで御嶌、報酬の件だが・・・・」

「報酬!?」

「遠くの地で働くことを、希望していたな」

「はい!」

「坂山の旅館の女将が、仲居を捜しているらしい」

「坂山・・・・」

 坂山は京月の南のほうにある、大きな町だ。商業の町として、栄えていると聞いている。


 ――――せっかく鬼久頭代が働き口を見つけてくれたのに、私は素直に喜べなかった。


 坂山は品物の交易所でもあり、そのため交通機関が発達している。

 もし、私が御政堂から逃げ出して、御主が捜索を命じた場合、当然、役人は坂山も捜索するはずだった。坂山はきっと、探しやすい場所のはずだ。


「・・・・どうやら、お前の条件に見合わなかったようだな」

 鬼久頭代は私の表情から答えを読み取って、封筒をポケットに戻してしまった。

「申し訳ありません・・・・」

「なぜ謝る?」

「・・・・仕事を捜してもらうのなら、きちんと希望を伝えておくべきでした。せっかく、捜してもらったのに・・・・本当に、すみません」

 できるだけ遠くに、なんていう曖昧な言葉を、使うべきじゃなかった。きちんと、どれぐらい京月から離れた場所なのかを、伝えなければならなかったのだ。

「いや、詳しく聞かなかった俺も悪い」

 鬼久頭代は、許してくれた。

 経歴から、自分にも他人にも厳しい人だと、勝手に決めつけていたけれど、本当は寛容なところもある人だ。

「具体的に、どんな場所がいいんだ?」

「え?」

「坂山では駄目だったんだろう? どの地域であれば、お前の希望に見合う?」

「・・・・まだ、捜してくれるんですか?」

「報酬は支払うのが当然だ」

「あ、ありがとうございます!」

 勢いよく、頭を下げた。

 きちんと希望を伝えなかったのは、私の落ち度だ。それでもまだ捜してくれる鬼久頭代に、深く感謝した。

「礼を言われることじゃない。それで、どんな場所を希望してるんだ?」

「えっと・・・・」

 私は、北鬼の地理を頭の中に思い浮かべる。

「北鬼の最南端にあるという、福千ふくせんに行きたいと思います。あの場所は人が少なくて、静かだと聞きましたから」

 そして北鬼の中で、もっとも南鬼に近い場所にある。あの場所なら役人達も迂闊に動けないし、万が一見つかって追いかけられても、南鬼のほうに逃げることができると思った。

 逃走先に南の地域を選んだのは、久芽里の一族に迷惑をかけないためだ。久芽里の鬼の一部は今、東北地方で暮らしているらしい。私が北に逃げてしまったら、久芽里の一族を巻き込んでしまう恐れがあった。

「わかった、捜しておこう」

 鬼久頭代は、そう約束してくれた。





 鬼久頭代が持ち場に戻ったので、私は一人で、国柱神宮の本殿に向かって歩いていた。

 女中達の輪の中に戻らなければならないと思うと、気が重い。

 俯きがちに、鈍くなった足の動きを見つめながら歩いていると、ふと、誰かの影が私の影に被さった。

 顔を上げる。


 神社の外廊下の高欄こうらんに、誰かが腰かけていた。


「凛帆様・・・・」

 両足を廊下の外に投げ出すような格好で、高欄に腰かけていたのは、凛帆様だった。


 凛帆様の後ろには、結衣花ゆいかさんと、明美弥様の姿もある。


「大丈夫だった?」

 凛帆様は高欄から飛び下りて、私に近づいてきた。何を聞かれたのかわからなくて、私は首を傾げる。

「あなたが佳景様の女中に連れて行かれたって、結衣花から聞いたわ。・・・・私達の問題に巻き込んで、ごめんなさい」

「・・・・・・・・」

 凛帆様も明美弥様も、琴に細工したのが誰なのか、とっくに気づいていたのだろう。

「まったく、あんなわかりやすい嫌がらせをしてくるなんてね」

 明美弥様は憤懣やるかたないといった様子だ。一方凛帆様は、怒りよりも罪悪感のほうが強いらしく、申し訳なさそうに俯いている。

「本当に、ごめんなさい。・・・・どうにかしたいけど、北鬼では、私達ができることは少ないの。きっと、女中達の動きを止められない」

「凛帆様のせいじゃありません。・・・・私は大丈夫ですよ」

 凛帆様のせいじゃない。私が勝手にしたことだ。

 凛帆様の顔の曇りが、少しだけ晴れた。

「あなたの名前、聞いていい?」

 不意にそう言われて、虚を突かれる。

「え?」

「何度も顔を合わせてるのに、お互い、自己紹介をしてないわよね。もっと前にするべきだったのに、なんだか忘れちゃってて。名前、教えてくれる?」

「わ、私の名前は、御嶌みしま逸禾いちかです」

「逸禾ね。私は、一条凛帆よ。こっちは、結衣花と、二条明美弥」

「よろしくね」

「よよ、よろしくお願いします」

「そんなに緊張しなくていいのに」

 三人は気さくに笑いかけてくれた。

「・・・・桜の廓では、私達は自由に動けない。だからあなたを守ることができないけど・・・・私達にできることがあったら、何でも言ってね」

「・・・・大丈夫です。自分でなんとかできますから」

 私がそう答えると、二人は安心したのか、頬が緩む。

 参拝客だろうか、大勢の人達が近づいてくる気配があった。

「・・・・凛帆様。そろそろ行ったほうがいいと思います。私達と一緒にいるところを見られたら、御嶌さんの立場が、もっと悪くなると思いますから」

「・・・・そうね」

 結衣花さんの言葉で、凛帆様は重たい息を吐きだす。

「私達は、先に行くわ。・・・・一緒にいるところを見られないほうがいいと思うから」

 今回の件で、表面的とはいえ、取り繕えていた北鬼と南鬼の花嫁という関係が、崩れてしまった。琴を持っていっただけで、あれだけ怒られたのに、北鬼の花嫁と仲良くしたら、さらに何をされるか、予測できない。


「それじゃあね、逸禾。また時間があるときに、話をしましょう」

「ええ」


 手を振ってくれる凛帆様に、私も手を振り返す。


 凛帆様達は角を曲がり、見えなくなった。

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