鬼の花嫁

炭田おと

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42_ものすごく空気が悪いです_後半

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「どうしてあなたのせいで私まで、疑われなきゃならないの!」

「・・・・!」

 桜堂に戻ろうとしたところで、花蘇芳の宮のほうから、金切り声が聞こえてきた。驚いて、足が止まってしまう。

「あなたのせいなのよ! わかってるの!?」

 金切り声と一緒に、何かを打つような音も聞こえてきた。

 私は足音を立てないように気を付けながら、花蘇芳の宮に近づく。


 花蘇芳の宮の裏庭に、数人の女性の姿が見えた。


(あれは・・・・)


 女性達の輪の中心にいるのは、佳景様だ。


 そして、佳景様の前には、久遠鳴さんが跪かされている。女中達に押さえつけられ、身体を折り曲げるような格好で、深く項垂れていた。


 久遠さんを取り囲んでいる女中の手には、棒のようなものが握られていた。状況を把握して、血の気が引く。


「・・・・父上に頼まれたから、あなたを女中として連れてくることを了承したけど・・・・失敗だったわ。何が何でも、反対すべきだった。・・・・まさか、討政活動をしていると、私まで噂されるなんて・・・・!」

 佳景様の両肩は、怒りで震えていた。

「・・・・落ち着いてください、佳景様。みな、面白がって噂しているだけです。本当に久遠家や、佳景様が討政活動に加担しているなんて、思っていません」

「黙りなさい! そんなことわかってるのよ! 噂だけでも、私の名誉は傷つけられている! そのことに怒ってるのよ!」

 佳景様は激昂し、女中の手から棒を奪うと、自ら、久遠さんの背中を打ち付けた。

「・・・・っ」

 久遠さんは強く打たれても、声を上げなかった。私のところからは顔が見えないから、彼女がどんな表情をしているのか、わからない。

 だけど佳景様の様子から、手加減しているとは思えなかった。

 何度か久遠さんを棒で打って、佳景様は吐息を吐き出す。

「・・・・あなた、国柱神宮参拝の時に、自分一人だけ目立とうとして、黒い着物を着ていたわね」

「・・・・違います。私は目立たないよう、地味な色を選んだんです」

「地味? 地味ですって?」

 佳景様の口の端が、裂けるように吊り上がった。

「よく言うわ。目立つことがわかっていたから、あの着物を選んだんでしょ。まったくあなたは、抜け目のない女よ。・・・・吐き気がするわ」

 すっと、久遠さんが面を上げる。

 久遠さんと目が合い、佳景様が怯んだのが、表情でわかった。

「――――いずれ、真実は明らかになるでしょう。それまでどうか、お待ちください」

「この私に命令するつもり!?」

 久遠さんの言葉に、佳景様は激昂し、また、棒を振り上げる。

 何度撃たれても、久遠さんは声を上げなかった。だけど悲鳴がなくとも、暴力に耐えている姿は痛ましい。

(な、なんとかしないと・・・・! )

 必死に考えて、私はある方法を思いついた。

 花蘇芳の宮から少し離れ、私は深呼吸する。

「み、御台所様!」

 私が声を発した瞬間に、背後から聞こえていた佳景様達の声が、ぴたりと止まっていた。

「お散歩ですか? それとも、佳景様にご用でしょうか?」

 ――――もちろん、御台所はここにはいない。私は一人芝居をしているだけだ。

 だけど、佳景様達がいる場所からは、御台所がいるかどうかは確かめられない。

 女中を寄ってたかって殴っている姿を見られたら、佳景様の評判は地に落ちる。御台所にこのことを目撃されることだけは、避けたいはず。

「もう行くわよ! さあ、早く!」

 大勢の人達が、花蘇芳の宮の中に、駆け込んでいく足音が聞こえた。

 足音が聞こえなくなってから、私は急いで、久遠さんのところに走った。

 久遠さんはそこに一人、取り残されている。痛みのせいなのか、まだ立ち上がれないようだ。

「久遠さん! 大丈夫ですか?」

「あなたは・・・・」

 久遠さんは不思議そうに、私を見上げた。

「こっちに来てください。傷の手当てをしましょう。立てますか?」

「ええ」

 意外にも、久遠さんはすっと立ち上がった。

「場所を移動しましょうか」

 久遠さんのほうが私の手を引いて、歩き出した。





「ここまでくれば、もう大丈夫そうですね」

 桜堂の裏庭で、私達は一息つく。

 振り返って、誰もいないことを確かめ、私は肩の力を抜いた。

「御台所が来たというのは、あなたの嘘なんでしょう?」

「え?」

 いきなり聞かれて、私は面食らう。

「私を助けるために、嘘をついてくれたんでしょう? ありがとうございます」

 久遠さんは、深く頭を下げる。

「い、いえ、そんな・・・・それよりも、怪我は大丈夫ですか?」

 棒が振り下ろされるたびに、ぞっとするような音が響いていた。佳景様は怒りのあまり、力を制御できていなかったのだろうと思う。

「背中を見せてください。痣になってるかも・・・・」

「大丈夫ですよ」

 そう言うなり、久遠さんは着物を脱ぎはじめた。

「な、何を・・・・」

 襟を開いて、大きく開けると、久遠さんは身体を反転させ、私に背中を見せる。

 着物の下にあったものを見て、私はあっと声を上げた。

 久遠さんは着物の下に、分厚い書物を差し込んでいたのだ。

「まったく痛みがなかったわけではありませんが、これでかなり衝撃を弱めることができました。着ぶくれしますけどね」

 久遠さんの顔には、微笑が浮かんでいる。あんな目に遭ったのに、彼女はとても落ち着いていた。

「・・・・ずっと、それを着物の下に入れているんですか?」

「いいえ。・・・・でも、佳景様が私を折檻しようとしている気配がわかるので、その前に入れるようにしています」

「その気配、いつもわかるんですか?」

「だいたいは。・・・・佳景様は、感情がお顔にでやすい方ですから」

 洞察力に優れた人のようだ。しかも折檻の気配を感じても、冷静に身を護る術を捜しているあたり、儚げな見た目と違い、肝が据わった一面もある。

「だけど、背中が狙われるとは限らなかったんじゃないですか?」

「折檻するにしても、女中達は、顔や首などの、見える部分は狙いません。だからああやって蹲っておけば、自然と背中を狙うしかなくなるんです」

「・・・・よく考えてるんですね」

 しかも久遠さんは、とても頭がいい。

 あらためて、近くで見ると、久遠鳴さんは本当に、綺麗な人だった。

 誰もが思い描く美しさ、それが形を持ったような、完璧な顔だ。美しい女性達が集められたこの場所ですら、彼女の美しさは際立っている。

 あまりにも現実離れしすぎているから、この世の存在ではないと感じるほどだった。

「あの、私の顔に、なにかついてるでしょうか?」

「あ、いえ、何でもありません!」

 思わず、久遠さんの顔を見つめてしまっていた。慌てて、私は視線を足元に落とす。

「・・・・私、余計なことをしてしまったかもしれませんね」

「いいえ、あのまま殴られ続けていれば、ひどい痣ができていたでしょう。・・・・本当に、ありがとうございます」

「私にできたことなんて小さなことなんで、もう頭を下げないでください」

「よろしければ、あなたの名前を教えてもらえますか?」

「私・・・・ですか? 私は、御嶌逸禾ですが・・・・」

「逸禾・・・・可愛らしい名前ですね」

 久遠さんは、微笑む。

 ――――本当に、綺麗な人だと思う。美しい人を見ると、私のように世俗を捨てたところがある女でも、羨ましいと思う気持ちが多少は湧いてくるものだけれど、この人の場合、あまりにも浮世離れしているから、そんな気持ちも湧いてこない。

「私、久遠鳴といいます。よろしくお願いします、逸禾さん」

 久遠さんが、私の手を取った。


 ――――彼女の手の平は凍えるように冷たくて、およそ体温というものが感じられなかった。


 触れ合った部分から、体温を奪われ、私は凍り付いてしまう。


 久遠さんは、すぐに私の手を放してくれた。

「そろそろ戻らないと、また佳景様に折檻されてしまいそうですね。私は、もう行きます」

「え、ええ・・・・」

「――――それでは、また」

 最後に微笑んで、久遠さんは身を翻す。すぐに彼女の後ろ姿は、桜堂の角を曲がって、私の視界から消えてしまった。


「・・・・・・・・」


「穏葉様!」


 ぼんやりと、久遠さんが去った方向を見つめていた私は、千代の声に驚かされて、跳びあがりそうになっていた。

「ち、千代、いつからそこにいたの?」

「木蔦の宮にお戻りください!」

「またなの!?」

「刑門部卿がまだ、おいでになるそうです」

「ええっ!?」

 千代に手を引っ張られて、私は走りだした。

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