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62_お礼を言いに行こう
しおりを挟む――――京月を混乱の渦中に突き落とした、御政堂襲撃事件が決着してから、一週間が過ぎようとしていた。
落ち着きを取り戻した桜の廓で、閻魔の婚礼はつつがなく執り行われている。
鬼廻一族の鬼が身代となり、いくつかの儀式を経て、花嫁達に祝花が送られた。祝花の数で、花嫁達の身分に差が出始めている。
今、一番多くの祝花を持っているのは、凛帆様と美火利様だ。二人は賞賛され、位が上がり、今は皇嬪の地位にいる。
儀式の結果が、瓦版として発行され、賑わわない日は一日もなく、京月の人達は、毎日、この話題で盛り上がっていた。
夏の日差しから身を守るためか、花々も衣替えをしはじめて、御政堂の庭の色彩は鮮やかなものになっていた。
その日も御政堂は騒がしいのに、木蔦の宮のまわりだけ、眠っているように静かだった。
「本当に助かりました。ありがとうございます、梅子さん」
その日私は、木蔦の宮で、梅子という名前の女性と向かい合っていた。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
彼女は千代の友人で、私が不在の間、代わりに桜女中として働いてくれていた。千代とは、三十年以上も交友を続けているらしい。
怪我が完治したと奥医師からお墨付きをもらったので、私は仕事に復帰したいと考えていた。
折よく、梅子さんが木蔦の宮を訪ねてくれたので、今日、仕事に復帰することを伝えるつもりだ。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いいえ、怪我をしたんだから、仕方ありませんよ。それに、私も助かりましたから」
「助かった?」
「うちは最近、なにかと出費がかさんで、家計が苦しかったので、今回のこと、とても助かっているんです」
「そうだったんですね」
よかった、と胸を撫で下ろす。
私が言い出したことで、多くの人に迷惑をかけてしまったという自覚がある。梅子さんがそう言ってくれて、ほんの少しだけ、罪悪感が和らいだ。
「それにしても、穏葉様も変わっていますね。女中の仕事を覚えたい、なんて、他の姫様達は絶対言いませんよ」
「・・・・私も、一通り雑務はできるようになるべきだと思いまして」
「何にしても、とてもよい心がけだと私は思います。穏葉様が嫁ぐ方は、幸せな方ですね」
「あはは・・・・」
それから逃げるために、頑張っているんです、なんて、口が裂けても言えない。
「・・・・それで、穏葉様、ご相談があるんですが」
言いにくそうな気配を漂わせながら、梅子さんは膝の上で組んだ指を、もじもじと動かす。
「なんでしょう?」
「厚かましいお願いだとは思いますが・・・・」
「気にせず、仰ってください」
梅子さんは、顔を上げてくれた。
「――――できれば、もう少しだけ、働かせてもらえないでしょうか?」
「え?」
「お恥ずかしい話ですが・・・・もともと私が嫁いだ家は、あまり裕福ではないので、出費が続いて借金がかさみ、お金が必要なんです。私も働きに出ようとしていましたが、女性が働ける場所は少ないうえに、私もこれといって、仕事に有利な特殊な技能を持ち合わせているわけでもありません。だから、なかなか見つからなくて・・・・」
「そうだったんですか・・・・」
「こんなことを頼んで、本当に申し訳ありません」
「いえ、先に頼んだのはこちらですから。そういうことなら、引き続きお願いします」
技能を覚えることと、家計を助けること、どちらが生活に直結しているかと考えれば、選ぶのに時間はかからなかった。それにもともとは、私の勝手なお願いからはじまったことなのだ。
「ありがとうございます!」
梅子さんは何度も頭を下げて、帰っていった。
「ちょうどいい機会です。穏葉様も、少し休んでください」
「うん・・・・」
千代はそう言ってくれるものの、持て余した時間の使い道がない。
桜女中として働きはじめてからはとても忙しく、時間の余裕が欲しいと思っていたけれど、余裕がありすぎるとそれはそれで、困ってしまう。
(あ、そういえば、鬼久頭代にお礼が言えてないな)
あらためてお礼を伝えに行くべきだとは思っていたものの、足の怪我が完治するまでは、千代が外出を許してくれなかったため、先延ばしになってしまっていた。
せっかく時間が余っているのだから、お礼を言いに行こうと思い、私は立ち上がる。
「町に行ってくる」
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