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72_温かい日差し
その日、私は明け方近くに目覚め、それから眠れなくなってしまった。
窓をぼんやり眺めていると、月明かりの中、こちらに向かってくる一頭の馬を見つける。
まさかと思い、私は上着を羽織って、修道院の外に出た。
予想通り、夜道を駆けて現れたのは、ディデリクスだった。
「ディデリクス! こんな夜中に、どうしたの!」
こんな夜中に訪ねてくるなんて、なにかあったのかと胸が騒ぎ、私は慌てて、ディデリクスに駆け寄った。
「まだ起きていたのか」
「何かあったの?」
ディデリクスは不思議そうに、首を傾げる。
「別に、何も」
「だったらどうして、こんな夜中に? 危ないでしょう!」
ひやりとさせられた反動で、怒りが込み上げてきた。それでもディデリクスは、不思議そうにしている。
「君の顔を見たかっただけだ」
「・・・・・・・・」
天然の殺し文句で、私は怒りをぶつける矛先を失ってしまった。
「だけど、何もこんな夜中に来なくても・・・・」
ディデリクスは遠くに目を向ける。
「もうすぐ夜明けだ。夜通し馬を走らせれば、朝に着くだろうと思っていた。少し、到着が早まったようだが」
ニベアからここまで、かなり距離がある。
なのにディデリクスは、ただ私に会うためだけに、毎週、何時間もかけてここにやってきた。
そして私も、意識しないようにしているのに、遠くに馬が見えると、ディデリクスかもしれないと期待してしまっている。
もう、認めるしかなかった。私はディデリクスが会いに来てくれることを、嬉しく思っている。
遠くに白い光が見えて、私は目を細めた。
――――夜明けの光だ。
「・・・・綺麗だな」
私の隣に並んだディデリクスが、そう呟いた。
「・・・・ええ、そうね」
修道院は開けた草原地帯に建っているから、遠くにある山並みも、空が白く染め上げられていく様子も、はっきりと見ることができた。
私とディデリクスはしばらくの間、夜明けの景色を眺めて過ごす。
「この景色は、ニベアでは見ることができないものだ」
「ニベアの空は、建物の屋根で切り取られているものね。広い庭を持つ閣下の屋敷でも・・・・」
そこで、数日前のグレゴリウス卿との会話を思い出して、私は話を続けられなくなった。
「どうした?」
「・・・・何でもない」
「・・・・もしかしてまた閣下に、何か言われたのか?」
唐突にそんなことを聞かれ、虚をつかれた。
「・・・・どうしてわかったの?」
「君がそういう顔をしている時が、前にもあった。そのときも閣下が余計なことを言っていた」
「・・・・・・・・」
ディデリクスの妙な鋭さに、私は居心地が悪くなる。
「・・・・私にこだわる、あなたの気持ちがわからないわ」
他に言葉が見つからなくて、そう言うしかなかった。
「復讐に身を捧げたという共通点があるから? ・・・・でもそれじゃ、傷の舐めあいよ」
自分でも本当に、可愛げがない女だと思う。
それでも、言葉が止まらない。
「それの何が悪い?」
でもディデリクスは、怯まなかった。
「傷の舐めあいだろうが、俺が君を好きだという事実は変わらない」
「・・・・・・・・」
「俺にもこの手のことはよくわからないが、正解や不正解があるとは思えない。愛情のありかたは、人それぞれのはずだ」
ディデリクスの言葉とは思えず、私は少しの間、呆気に取られていた。
(いつの間にか、変わってたんだ)
顔を合わせれば、嫌味の応酬をする。そんな自分を子供っぽいと感じ、それに応じるディデリクスのことも、幼いと思っていた。
私達は子供時代を奪われたから、精神面に幼い面が残ってしまっていて、その幼い面を誰よりも、私達自身が嫌っていた。
でも、いつの間にか、ディデリクスは成長して、大人になっていた。心を閉ざして、まわりに敵意を向けていたあの頃の彼とは、別人のようだ。
――――置いていかれたようで、少し寂しい。
「・・・・悔しいわ」
私は唇を噛みしめる。
「何がだ?」
「この前まではあなたも、私と同じお子様だったのに、今ではまるで大人みたいな殊勝なことを言うのね」
「俺はもとから大人だ」
「よく言うわ」
おかしくて思わず笑うと、ディデリクスも笑ってくれる。
「知っているか? 閣下とローナ様が、和解したんだ」
私は驚いて、目を見張る。
ディデリクスが私のことを、ローナと呼んだことは一度もない。彼がローナと呼ぶのは、グレゴリウス卿の本当のご息女だけだ。
「本当に?」
「本当だ。グレゴリウス卿が熱心に手紙を送っていたが、その努力がついに実ったようだ。ベルナルドゥスも喜んでいる」
「よかったわ・・・・本当によかった・・・・」
復讐が終わった後、グレゴリウス卿がどうするのか、いつも心配していた。
私やディデリクスと同じように、グレゴリウス卿にも復讐心しかなかった。復讐が終わったら、家族の後を追ってしまうのでは、と危ぶんだこともあるほどだ。
でも今のグレゴリウス卿には、希望がある。
「それじゃ、ローナ様は屋敷に戻るのかしら?」
「それは・・・・ないだろう。神に人生を捧げるという、ローナ様の決意は固いようだ」
「そうなの・・・・それは残念ね」
「ただ、和解できるぐらいには、心の傷は癒えはじめているようだ。今後ローナ様の考えが変わる可能性もあるはず。どちらにしろ、閣下はローナ様の意思を尊重するつもりらしい」
「・・・・よかったわ。本当に」
ディデリクスの話を聞いただけで、修復されようとしている父娘の関係が想像できて、自然と笑顔が溢れた。
ディデリクスも同じ気持ちだったのか、彼の表情も優しくなっている。
「閣下とローナ様を見て、俺も考えをあらためた。・・・・俺達には、ずっと復讐しかなかった」
ディデリクスは、噛みしめるように言った。
「そうすることが、一人生き残った自分の義務だと思っていた。・・・・だから、君が襲撃されて、このまま復讐を続けるべきかどうか、迷いが生じた時に、自分を許せないと感じたんだ」
「・・・・・・・・」
「すべてが終わって、君が屋敷を去ってから、閣下にこの話を打ち明けた。・・・・閣下は、それは間違った感情じゃないと言ってくれた。間違っていたのは、死に突き進むように復讐だけを求めていた、私のほうだった、と」
ディデリクスに、生きるための希望を持ってほしい、とグレゴリウス卿は言った。
私達には、復讐という目的があった。確かに復讐という目標があるうちは歩いていられたけれど、それが達成されたとき、膝は折れてしまった。新たな人生を歩むための道しるべが、必要だと思ったのだろう。
はじめて出会った時、グレゴリウス卿は穏やかに見えても、どこか正気じゃない気配を漂わせていた。
実際、家族を無残に殺されて、正気と狂気の狭間に立っていたのだろう。
だけどそんなグレゴリウス卿も、どこかの時点で、本来の善悪観や、穏やかで優しい人格を取り戻したのだと思う。
きっとベルナルドゥスやエアニーの存在が、グレゴリウス卿の心の傷を癒したのだ。
グレゴリウス卿が私やディデリクスのことを必要以上に気遣うのは、私達を復讐に巻き込んでしまったという罪悪感があるからなのだろう。
「・・・・復讐は終わったが、達成感も何もなかった」
呟くように、ディデリクスが言った。
「ヘレボルスは倒さなければならない存在だったが、ただそれだけだった。倒したからと言って、俺達が変わるわけじゃない」
「・・・・・・・・」
「ただ――――君が生きていてよかった。本当に」
目が合うと、ディデリクスは微笑んだ。
(どうして・・・・)
私は今まで、復讐以外には何も望まないように、必死に殻を被ってきた。
命を狙われたときすら、その殻を失わずにすんだのだ。
――――なのに今、ディデリクスの笑顔を見て、その殻がはがれてしまったのを感じている。
「顔を見れたから、俺はもう帰る」
「まだ、来たばかりなのに・・・・」
「今日も、昼から任務があるんだ」
「忙しいのに、どうして来たの? 家で休んでおくべきでしょう?」
「顔が見たかったから、来たと言っただろう。また近いうちに――――」
「待って!」
なぜか反射的に、身体が動いていた。
歩き出そうとしたディデリクスの袖をつかんで、引き留めると、彼は驚いた顔を見せる。
「・・・・イネス?」
「あなたが、もし――――」
何かを言おうとして、言葉に困った。
考えてから動いたわけじゃない。ディデリクスを引き留めたのに、私は何も、言葉を用意できていなかった。
「イネス? どうしたんだ?」
ディデリクスは心配そうに、顔を覗き込んできた。
「目眩がするのか?」
「違う・・・・」
何か言わないと。そう思いながら、ディデリクスの目を見て――――心が定まった。
「グラックス様からは、完治したと言われた。子供も望めるかもしれないと」
ディデリクスは驚かなかった。多分、グレゴリウス卿から話を聞いていたのだろう。
「でもそれは、グラックス様の見解で、本当に後遺症が残っていないのかはわからない。子供は産めないのかも」
「・・・・・・・・」
「でももし、あなたがそれでもいいと言ってくれるのなら――――」
最後まで言う前に、私はディデリクスに抱き寄せられていた。
「・・・・君がいてくれるのなら、それだけでいい。他には望まない」
ディデリクスは腕の中に閉じ込めるように、強く私を抱きしめてくれた。
(・・・・これでよかったのかしら?)
心地よさを感じながらも、まだ迷いが残っている。
「もう考えるのはよせ。君が考えると、単純なことが複雑になる」
「・・・・どうして考えてることがわかるのよ」
「付き合いが長いから、自然とわかるんだ」
ディデリクスの笑い声を聞いて、私は考えることをやめた。
――――その時の私は、まるで生まれてはじめて朝日を浴びたように、日差しの中に温かさを感じていた。
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