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しおりを挟むその夜も、私はヴュートリッヒ邸にホワイトレディの蝶を飛ばした。
狩猟大会で耳にした、ビュットナー伯爵が倒れたという事件に関する情報が欲しかったからだ。
窓から、青い夜空に舞い上がっていく光る蝶を見送ったあと、私は窓辺に引き寄せた椅子に腰を下ろした。
そして遠くに飛ばした蝶に意識を集中する。
ほどなくして瞼の裏に、ヴュートリッヒの邸宅が見えた。蝶の移動とともに、その視界はヴュートリッヒの窓辺に接近していく。
運がいいことに、その日は三階の部屋の窓辺に、ボリスの姿があった。アリアドナ以上に、邸宅を留守にしていることが多いボリスが、たまたま帰宅したときに蝶を飛ばせたのは幸いだった。
「ヴュートリッヒの名前に泥を塗った連中を、今すぐ騎士団から追い出せ!」
蝶が窓枠に降り立った直後、ボリスの怒声が飛んできた。
どうやらボリスはたった今、狩猟大会でヴュートリッヒの騎士達が起こした騒ぎの内容を報告されたようだ。その怒りようはすさまじく、彼は髪を振り乱しながら怒鳴り散らし、報告した執事がグラスを投げられるほどだった。
「まったく・・・・」
火山のように、ひとしきり感情を爆発させると、ボリスは毒が抜けたように大人しくなった。
そのタイミングを見計らって、執事がおずおずと近づいていく。
「閣下、その・・・・」
「なんだ?」
「ーーーーアリアドナお嬢様の監視は、継続しますか?」
執事のその言葉に、私は息を呑む。
(ボリスがアリアドナに監視をつけてるの? 護衛じゃなくて?)
護衛ならわかるけれど、なぜ我が子に監視をつけるのだろうか。
「もちろんだ。あの女は目を離すと、何をしでかすかわからんからな」
ボリスのその答えは、さらに私を驚かせた。
「このところ、以前よりもさらに増長して、手に負えなくなっている。甘やかしすぎてしまったようだ。金遣いの荒さもひどくなる一方だし・・・・」
「その件についてご報告が・・・・」
「何だ!?」
執事の態度から、よくない報告だと察したのか、ボリスの声はまた鋭く尖っていた。
「ブティックから、また請求書が届きまして・・・・」
「あの女、またヴュートリッヒの金で、ドレスを買ったのか!」
ボリスは怒りのあまり、勢いよく立ち上がると、吠えたてる猛犬のような剣幕で怒鳴り散らした。
アリアドナはいつも手ぶらでブティックに入店し、高額のドレスを何着も購入しているらしい。しかも彼女は毎回、その場では代金を支払おうとしない。後日、ヴュートリッヒの邸宅に、ドレスの請求書が届くそうだ。
社交界の女王としての地位を守るためか、アリアドナは貴族の集まりでは必ずと言っていいほど、最新のドレスを着用していた。それを当主であるボリスも了承しているのだろうと思っていたけれど、ヴュートリッヒ家の実態は私の想像とはまったく違ったようだ。
「まったく、信じられない金遣いの荒さだ! ヴュートリッヒの血を引いていないくせに、ヴュートリッヒの名前でやりたい放題だな!」
(ーーーーえ?)
耳を疑った。
(アリアドナが、ヴュートリッヒの血を引いていない?)
アリアドナがヴュートリッヒ侯爵令嬢を名乗っているのだから、アリアドナとボリスは当然、親子なのだろうと思いこんでいた。
でも今のボリスの発言が真実だとすると、二人がまったく似ていないことにも納得がいく。
(この件について、クリストフに聞いてみよう)
なにか、発見があるかもしれない。
「・・・・あの件については、どうなっている?」
立て続けに不満を爆発させたことで、逆に疲れたのか、ボリスは崩れるように椅子に座る。その身体は、縮んでいるように見えた。
「進展がありました。狙い通り、ヴュートリッヒに批判的だった貴族達に、病の症状が表れはじめたようです」
ーーーーようやく、私が聞きたかった話題に移ったようだ。
私は聴覚に意識を集中させて、二人の会話を聞き逃すまいとした。
「ほう、本当に病の症状が表れたのか・・・・アリアドナが言ったとおりだったな。性格はともかくとして、あの女の知識は本物だな」
ボリスはその点には、感心しているようだった。
「繋がりがある神官達にも、すでに動いてもらっています、後は、病態が悪化した時に、お嬢様本人に治癒能力を使ってもらうだけです」
「誰かに勘づかれた気配は?」
「いえ、ありません」
「そうか・・・・今回の仕込みは、長くかかったな」
「症状が表れるまで、数年、もしくは数十年かかるかもしれないと、お嬢様もおっしゃっていましたので・・・・」
ボリスは頬を緩めて、肩から力を抜く。
ーーーー私の推測通り、ビュットナー伯爵達が倒れた一件に、やはりヴュートリッヒが関与していたようだ。
これでヴュートリッヒという家門が全力で、アリアドナの〝聖女計画〟を後援していることがはっきりした。
「・・・・アリアドナは厄介な存在だが、使える有益な駒であることも間違いない。しばらくはご機嫌取りを続けて、聖女の称号を守ってもらわないとな」
それがボリスが出した結論だった。
ボリスはアリアドナの浪費癖にうんざりしつつも、同時に彼女のことを、〝有用な駒〟と考えているようだ。実際、アリアドナの知識で弱っていた家門を立て直せたのだから、こうして裏で陰口を叩きつつも、面と向かうと文句も言えなくなってしまうのだろう。
「エルネスタが皇子を篭絡できたなら、あんな女を支援せずにすむのに・・・・」
その上、ボリスの本当の目的は、アリアドナではなく、エルネスタを皇后にすることのようだった。
さっきの会話の内容が真実なら、アリアドナはボリスの実子ではないようだから、血の繋がりがあるエルネスタを皇宮に送り込みたいようだ。クリストフの話では、エルネスタは大人しく、父親に従順だそうだから、アリアドナと違って扱いやすいと思われているのかもしれない。
「このまま、計画を進めるんだ。決してまわりに悟られないよう、注意しろ」
「かしこまりました」
執事は一礼し、部屋を後にした。
一人残されたボリスは、黙々と酒をあおり続け、そのせいで眠くなったのか、頭が舟をこぎはじめる。
これ以上聞き耳を立てていても、収穫はないと思い、私はホワイトレディに、戻るように指示を出す。光る蝶は分解されるように霧散し、ヴュートリッヒ邸の映像も、瞼の裏から消えた。
しばらくして、光の粒子となって戻ってきたホワイトレディの一部が、紋章の中に入っていく。
(具体的なことは、何もわからなかった)
ビュットナー伯爵の件にヴュートリッヒが噛んでいたことはわかったものの、ボリスと執事は具体的な方法には触れなかった。だから彼らがどうやってビュットナー伯爵を害したのか、その手段については知ることができなかった。
(ヴュートリッヒが関わっているとわかっただけで、収穫はあった)
そして深海のような空に、光をふりまく月を見上げながら、今後のことに思いを巡らせる。
(まずはクリストフに会って、アリアドナとボリスの関係性について聞こう)
そう決めて、長かった一日に終止符を打つため、私は寝室に移動した。
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