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しおりを挟む「それで、あんたは何のためにこの家を離れてたんだ?」
はぐらかすことが目的だったのに、やはり殿下はそう簡単には誘導されてくれないようだ。
「この家に常駐していたのは、俺が力を取り戻した時に対応するためだろ? そんなあんたが隠家を離れたのは、それだけ緊急事態だったってことだ」
あからさまに探りを入れられている。私の外出が、政界の勢力図の変化に関連した動きではないかと、勘ぐっているようだった。
(・・・・政界の勢力図が今、どうなってるのかを知りたいのね)
彼は皇太子なのだから、勢力図に変化が起きたなら、把握しておきたいと思うのは当然だ。
ここではぐらかせば、ヨルグ殿下は不満を募らせるはず。殿下は自分の意志でここにいるわけじゃないから、なおさらだ。
「私が隠家を離れたのは私用のためであって、政界の勢力図には特に大きな変化は起こっていません」
「そうか・・・・」
バルドゥールさんの視線を、背中に感じた。
ヨルグ殿下に、外の情報をどのていど教えるかは、私達が一番慎重になっている点でもある。
皇太子が行方不明になって、皇都が大騒ぎになっていることを知れば、ヨルグ殿下は焦りを感じ、何が何でもここから脱出しようとするだろう。そうなればおのずと私達が衝突する回数が増えて、関係は信頼からさらに遠ざかってしまうだろう。
この点については、クリストフともよく話し合っている。
ヨルグ殿下を監禁しなければならなくなり、彼の反感を買ってしまった時点で、私達は正体を明かすという選択肢を失ってしまった。
同時に、暗殺の主犯がヴュートリッヒであることも伝えられなくなった。ヨルグ殿下が、敵意を抱いた人物の話を信じるはずもないし、敵の敵は味方という考えから、ヴュートリッヒの肩を持つ可能性もあったからだ。
でも最近のヨルグ殿下からは、強い敵意は感じられなくなった。口では私の態度に文句を言いつつも、彼の態度はずいぶん柔らかくなっているし、今だってお土産のパンを素直に食べてくれた。
本当に疑っているのなら、私達が与えたものなんて絶対に口にしなかったはずだ。ほんの少しではあるものの、信頼関係が築けた証拠だと思う。
(・・・・今なら、暗殺の主犯がヴュートリッヒだと伝えても、大丈夫?)
クリストフは時期尚早だと言っていた。私には、判断できない。
でも今のヨルグ殿下の目を見て、これ以上外から切り離しておくのは逆効果だと感じた。
ーーーー信頼関係を築くためにも、ヨルグ殿下のためになる情報は、伝えておくべきなのかもしれない。
「・・・・殿下はきっと、外の状況を知ることができないことを、もどかしく感じていると思います」
私は腹をくくって、ヨルグ殿下の目をまっすぐ見据えた。
「今回の件は、私の落ち度で起こったことです。ーーーーなのでその謝罪として、こちらから、いくつか情報を提供します」
「お、お待ちください!」
バルドゥールさんが間に入ってくる。
「外の情報は、まだ教えないほうが・・・・」
「大丈夫です。私達の正体に関することや、バウムガルトナーの不利になるようなことは言いませんから」
バルドゥールさんと小声でやり取りをする間、ヨルグ殿下は睨むように私達を見つめていた。
「最近、殿下の態度は、ずいぶん柔らかくなりました。もう一段階、信頼を得るためには、私達が情報を出し惜しみしたままではダメだと思うんです」
「・・・・・・・・」
「私が責任を取ります。だから、お願いです」
バルドゥールさんは渋々ながらも、了承して、後ろに下がってくれた。
私はあらためて、ヨルグ殿下に向きなおる。
「殿下の予想通り、殿下が行方不明になり、混乱が起こっています。陛下は殿下の捜索を命じて、今は大勢の人が殿下を探しています」
「・・・・俺を死んだとみなして、親父が他の皇子を皇太子にしようとする動きはあるのか?」
「今はまだ、表立った動きはありません。仮にそんなことを企む人がいたとしても、殿下の生死がはっきりしない状況で、陛下にそんなことを上奏すれば、陛下の怒りを買うだけでしょう」
「・・・・そうか」
ヨルグ殿下は、肩から力を抜いた。死んだとみなされて、次の皇太子選びがはじまっているかもしれないという不安を感じていたのかもしれなかった。
「ーーーーですが水面下では、殿下の不在を好機とみて、動き出した者達もいるようです」
「・・・・フックスか?」
私がうなずくと、ヨルグ殿下は溜息をこぼした。
ヴュートリッヒの名前を出すのは、まだ危険だと判断した。
でも私が出した名前がフックスなら、ヨルグ殿下は疑うことはないだろう。もともとヨルグ殿下は、ベルント殿下を推していたフックスと敵対していたし、公的な場で両者がやりあったことも、一度や二度の話じゃない。
なによりも、フックスの名前を口にした時のヨルグ殿下の顔からは、嫌悪感がありありと読み取れた。
「予想できた情報で、特にありがたみも感じないな。フックスのクソジジイはベルントが皇太子になるべきだって普段から公言してやがったし、俺のことを目障りに思っていることを隠そうともしなかったからな。俺がいない間に動き出すことなんて、誰でも想像できる」
フックスのクソジジイとは、フックス家の現在の当主、ギュンター・フォン・フックスのことだろう。彼はまだ五十代で、ジジイ呼ばわりされるような年齢じゃないけれど、ヨルグ殿下は憎しみを込めて、あえてそう呼ぶようにしているのだろう。
「そうでしょうね。私から提供できる情報はもう一つあります。・・・・どうやら動き出したのは、敵の陣営だけじゃないようなんです」
「なんだと?」
殿下は両眼を光らせる。
「殿下の母上の生家であり、殿下の最大の後援者であるクロイツェルーーーーこの内部でも、不穏な動きがあるようです」
ヨルグ殿下を監禁しなければならなくなった時に、混乱する政界でヴュートリッヒだけじゃなく、フックスがどう立ち回るかも気になったので、ギュンターにも見張りをつけていた。
ーーーーその過程で、フックスに取り入ろうとするクロイツェルの人間を発見することになった。
「クロイツェル陣営の人間が何人か、フックスの陣営の人間に接触しているのを見つけました。フックス側に、寝返る目算なのかもしれません」
ヨルグ殿下の表情が険しくなる。
クロイツェルの裏切り者が、ヨルグ殿下の生死がわからなくなったから、確実に次の勝者となるフックスに取り入ろうとしているのか、それとももともとヨルグ殿下やクロイツェルに不満があり、最初から他の陣営に寝返るつもりだったのかはわからない。
どんな理由があるのだとしても、クロイツェルの団結が必要な今、一部の人間が水を差すような裏切り行為をしていることだけは間違いなかった。
「・・・・フックス側には、クロイツェル側の人間を陣営に受け入れる理由はないはずだ」
ヨルグ殿下は怒りを呑みこんで、質問してきた。
「ええ、そうです。・・・・だからクロイツェルの人間が、フックス側が欲しがる情報を、取引に使ったと考えるべきでしょう」
ヴュートリッヒがファンクハウザーを派閥に受け入れる条件として、ジャコブにバウムガルトナーの内部情報を持ってくることを求めたように、フックスも陣営に招き入れる見返りとして、それ相応の情報を求めたはずだ。
「フックス側としては、今はヨルグ殿下に関する情報が少しでもほしいところでしょう。すでに殿下が亡くなっているとすれば、ベルント殿下を次の皇太子に推すために、根回しをしておかなければなりませんから。そのため、殿下に一番近い場所にいるクロイツェルの人間に、情報を売るようにそそのかしたんだと思います」
「・・・・そそのかされたとはいえ、自分だけが勝ち馬に乗るために、一族の危機を利用して、仲間を売るとはな」
ヨルグ殿下の目の奥が、ぎらりと光ったように見えた。
「・・・・反吐が出る」
敵対している相手じゃなく、仲間だと思っていた存在だからこそ、より大きな怒りになることがある。私はアリアドナという人物を通じて、それを学んだ。信頼があったぶんだけ、怒りは溶岩のように、ただれた毒になるのだ。
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