1 / 11
side 空(1)
しおりを挟む
空はため息をついた。それはもう疲労がにじみににじんだ、重いため息を。
つい今しがた労働を終えた空は、思わず服の袖を鼻に寄せてしまう。わかる範囲では悪臭はついていない。仕事を終えたあと、ロッカールームで服を着替えたのだから、今、空が着ている制服にそのような臭いがついていないのはわかりきっていた。しかし、なんとなく汗の臭いがするような気持ちになる。
空の仕事は肉体労働だ。それもかなりの重労働だし、体を動かすだけでなく頭も使うから、精神的にも疲れる。
拷問というのは、ただ単純に相手の身体を痛めつければいいというものではない。言葉の飴と鞭を巧みに使い分けながら、相手の精神を振り回し、追い詰めて、ときにこちらが欲しい情報を引き出さねばならない。それはかなりの重労働と言って差支えないだろう。
空は拷問が苦手だった。相手の頭に風穴を空けるか、首を掻き切ってハイおしまいのコロシとは違う。センスの話をするのであれば、空は自分に拷問のセンスはないと思っている。コロシのセンスは多少あるとは思うが。
けれども空は仕事を選べる立場ではない。「職業選択の自由」などという言葉と空は無縁の関係なのだ。本来であればとっくの昔に野垂れ死んでいただろう空を、拾って育ててくれた雲雀組のために身を粉にして働く。
しかし今日の拷問は比較的ラクではあった。雲雀組のシマで、アイスやエクスタシーといったヤクを売り捌いていた頭の悪い売人を、でき得る限りの苦痛を与えてから殺す。要は見せしめだ。最終的に殺すことは決定していたので、死なないギリギリのラインを攻める必要がなかったのは、空にとっては幸いなことだった。
なのに先ほどからため息が止まらない。
というのも空が「いつもより比較的ラク」な拷問でさえも手間取ってしまったがために、部屋に弟たちが乱入してきたせいだ。
空は三つ子の一番上で、下には弟がふたりいる。だが空だけ卵が違う。一方、弟ふたりは一卵性なのでひと目で兄弟だとわかるほどそっくりなのだ。そういうわけで三つ子とは言っても、空と弟ふたりとはあんまり似ていない。
弟たちの名前は「海」と「陸」と言う。いかにも安直な命名だと空はいつも思う。けれどもちゃんと名前が付けられているだけ、その待遇はマシなものだ。名前も付けられず、ボロ雑巾になるまで使われて、ゴミみたいに捨てられる人間だってこの世にはいるのだから。
ゴミみたいな死にかたをしないためにも、空は雲雀組のために働こうと必死だ。だれだって苦しい死にかたはしたくない。空もそうだった。
けれども弟たちは違うらしい。裏社会の住人なりに堅実に生きようとしている空と比べれば、弟たちはひどくちゃらんぽらんで快楽主義的である。
今日の拷問だってそうだ。空に任されていた仕事に横入りしたのだから、空はあとで己が怒られやしないかとちょっと心配している。
「まーた手間取ってんの?」
「空は不器用だからな」
三つ子の姉弟と言えども、空は弟たちから「お姉ちゃん」だとか呼ばれたことはない。お産に時間がかかって、明確に空のほうが誕生日が先なのだが、やはり姉扱いはされたことがない。
「まだまだ元気じゃん~」
「そんなペースじゃまだ死ぬのは先だな」
空は無言のまま、額にうっすらとにじんだ汗をぬぐう。しかし両手はビニールの手袋で覆われていたから、それが上手くできたとは思えなかった。
海と陸の乱入に、イスに縛りつけられた売人は目を白黒させていたが、海がおもむろにニッパーを手に取ったので身を強張らせる。
「ほーら空、手本見せてやっからさー」
海は売人の後ろに回ると、手にしたニッパーで人差し指の爪を割った。
「まず爪をパキッと縦に割ってー」
のんびりとした海の言葉に重なって、売人の呼気が荒くなり、その体が震えた。尋問のターンが終わって猿轡を噛ませているので、恐らく苦悶に満ちているだろう声は漏れ出てこない。
「そんでタバスコとかラー油とか垂らすんだけどー」
「……置いてねえってよ、海」
「えー?」
空がなにか言う前に、陸が海に言う。海は不満そうに子供っぽく――実際未成年だが――口を尖らせた。
海は陸のほうを見たまま、手元に視線を落とさず売人の爪をゆっくりと剥いで行く。売人の体がガタガタと震えて、苦痛をこらえているのがありありとわかった。
「つまんねえ」
海は本当につまらなさそうな顔をして、コンクリートの床に売人の爪を放り投げた。ひとまず苦痛の時間が終わったので、売人の体から力が抜ける。
「つーか、タバスコとかラー油とか話してたらハラ減ってきたわー」
「中華でも食いに行くか?」
「いいね~」
売人が垂れ流した尿や、汗、血の臭いがただよう拷問部屋でのん気な会話が繰り広げられる。こんな状況でよく食欲が湧くなと空は己の弟ながら呆れる気持ちだ。
「空は?」
「……行かない」
まったく食欲が湧かなかったというのもあった。しかし断った理由の大部分は、食事中もこの仲の良い弟たちを見て、疎外感という居心地の悪い空気を味わいたくなかった、というものだ。
そう、空はこの弟たちによそよそしさを感じている。三つ子であるにもかかわらず、ひとりだけ似ていない空。ひとりだけ誕生日が違う空。なんでもそつなくこなせる弟たちに対して、不器用な空。空は生真面目な気質だが、弟たちはそうではない……。
そういう、ひとつひとつは小さなものだが、積み重なれば山となって空の前に立ちはだかる違い。それは疎外感となって空をさいなむ。
空の返事に、海は「そ」とだけ言って陸のそばへ寄る。そういうなにげない行動のひとつひとつに、空は勝手に仲間はずれになった気持ちになる。食事の誘いを断ったのは自分だとわかっていても。
被害妄想的だとは、わかっている。けれどもそれを頭で理解して、自在に心理状態をコントロールできるのであれば、世の中にメンタルクリニックなんてものは必要ないだろう。
――拷問が上手くできなかったせいだ。
空は勝手に地へと落ち込んで行く気持ちを、そうやって別のなにかのせいにすることで、胸中に生じた寂寥感を誤魔化そうとする。
「手伝う?」
「……いらない。……ひとりで、できる」
陸にそうやって言葉をかけられても、空は彼の顔を見ることが出来なかった。
しかし空がそうやって拒絶に似た言葉を発しても、海も陸も意に介する様子はない。心底どうでもいいと思っているのかもしれない――と空はまた被害妄想的な想像をしてしまう。
結局、海と陸は売人が絶命するまで空に痛めつけられる様子を見届けて、終わればさっさと拷問部屋から連れ立って出て行ってしまった。
つい今しがた労働を終えた空は、思わず服の袖を鼻に寄せてしまう。わかる範囲では悪臭はついていない。仕事を終えたあと、ロッカールームで服を着替えたのだから、今、空が着ている制服にそのような臭いがついていないのはわかりきっていた。しかし、なんとなく汗の臭いがするような気持ちになる。
空の仕事は肉体労働だ。それもかなりの重労働だし、体を動かすだけでなく頭も使うから、精神的にも疲れる。
拷問というのは、ただ単純に相手の身体を痛めつければいいというものではない。言葉の飴と鞭を巧みに使い分けながら、相手の精神を振り回し、追い詰めて、ときにこちらが欲しい情報を引き出さねばならない。それはかなりの重労働と言って差支えないだろう。
空は拷問が苦手だった。相手の頭に風穴を空けるか、首を掻き切ってハイおしまいのコロシとは違う。センスの話をするのであれば、空は自分に拷問のセンスはないと思っている。コロシのセンスは多少あるとは思うが。
けれども空は仕事を選べる立場ではない。「職業選択の自由」などという言葉と空は無縁の関係なのだ。本来であればとっくの昔に野垂れ死んでいただろう空を、拾って育ててくれた雲雀組のために身を粉にして働く。
しかし今日の拷問は比較的ラクではあった。雲雀組のシマで、アイスやエクスタシーといったヤクを売り捌いていた頭の悪い売人を、でき得る限りの苦痛を与えてから殺す。要は見せしめだ。最終的に殺すことは決定していたので、死なないギリギリのラインを攻める必要がなかったのは、空にとっては幸いなことだった。
なのに先ほどからため息が止まらない。
というのも空が「いつもより比較的ラク」な拷問でさえも手間取ってしまったがために、部屋に弟たちが乱入してきたせいだ。
空は三つ子の一番上で、下には弟がふたりいる。だが空だけ卵が違う。一方、弟ふたりは一卵性なのでひと目で兄弟だとわかるほどそっくりなのだ。そういうわけで三つ子とは言っても、空と弟ふたりとはあんまり似ていない。
弟たちの名前は「海」と「陸」と言う。いかにも安直な命名だと空はいつも思う。けれどもちゃんと名前が付けられているだけ、その待遇はマシなものだ。名前も付けられず、ボロ雑巾になるまで使われて、ゴミみたいに捨てられる人間だってこの世にはいるのだから。
ゴミみたいな死にかたをしないためにも、空は雲雀組のために働こうと必死だ。だれだって苦しい死にかたはしたくない。空もそうだった。
けれども弟たちは違うらしい。裏社会の住人なりに堅実に生きようとしている空と比べれば、弟たちはひどくちゃらんぽらんで快楽主義的である。
今日の拷問だってそうだ。空に任されていた仕事に横入りしたのだから、空はあとで己が怒られやしないかとちょっと心配している。
「まーた手間取ってんの?」
「空は不器用だからな」
三つ子の姉弟と言えども、空は弟たちから「お姉ちゃん」だとか呼ばれたことはない。お産に時間がかかって、明確に空のほうが誕生日が先なのだが、やはり姉扱いはされたことがない。
「まだまだ元気じゃん~」
「そんなペースじゃまだ死ぬのは先だな」
空は無言のまま、額にうっすらとにじんだ汗をぬぐう。しかし両手はビニールの手袋で覆われていたから、それが上手くできたとは思えなかった。
海と陸の乱入に、イスに縛りつけられた売人は目を白黒させていたが、海がおもむろにニッパーを手に取ったので身を強張らせる。
「ほーら空、手本見せてやっからさー」
海は売人の後ろに回ると、手にしたニッパーで人差し指の爪を割った。
「まず爪をパキッと縦に割ってー」
のんびりとした海の言葉に重なって、売人の呼気が荒くなり、その体が震えた。尋問のターンが終わって猿轡を噛ませているので、恐らく苦悶に満ちているだろう声は漏れ出てこない。
「そんでタバスコとかラー油とか垂らすんだけどー」
「……置いてねえってよ、海」
「えー?」
空がなにか言う前に、陸が海に言う。海は不満そうに子供っぽく――実際未成年だが――口を尖らせた。
海は陸のほうを見たまま、手元に視線を落とさず売人の爪をゆっくりと剥いで行く。売人の体がガタガタと震えて、苦痛をこらえているのがありありとわかった。
「つまんねえ」
海は本当につまらなさそうな顔をして、コンクリートの床に売人の爪を放り投げた。ひとまず苦痛の時間が終わったので、売人の体から力が抜ける。
「つーか、タバスコとかラー油とか話してたらハラ減ってきたわー」
「中華でも食いに行くか?」
「いいね~」
売人が垂れ流した尿や、汗、血の臭いがただよう拷問部屋でのん気な会話が繰り広げられる。こんな状況でよく食欲が湧くなと空は己の弟ながら呆れる気持ちだ。
「空は?」
「……行かない」
まったく食欲が湧かなかったというのもあった。しかし断った理由の大部分は、食事中もこの仲の良い弟たちを見て、疎外感という居心地の悪い空気を味わいたくなかった、というものだ。
そう、空はこの弟たちによそよそしさを感じている。三つ子であるにもかかわらず、ひとりだけ似ていない空。ひとりだけ誕生日が違う空。なんでもそつなくこなせる弟たちに対して、不器用な空。空は生真面目な気質だが、弟たちはそうではない……。
そういう、ひとつひとつは小さなものだが、積み重なれば山となって空の前に立ちはだかる違い。それは疎外感となって空をさいなむ。
空の返事に、海は「そ」とだけ言って陸のそばへ寄る。そういうなにげない行動のひとつひとつに、空は勝手に仲間はずれになった気持ちになる。食事の誘いを断ったのは自分だとわかっていても。
被害妄想的だとは、わかっている。けれどもそれを頭で理解して、自在に心理状態をコントロールできるのであれば、世の中にメンタルクリニックなんてものは必要ないだろう。
――拷問が上手くできなかったせいだ。
空は勝手に地へと落ち込んで行く気持ちを、そうやって別のなにかのせいにすることで、胸中に生じた寂寥感を誤魔化そうとする。
「手伝う?」
「……いらない。……ひとりで、できる」
陸にそうやって言葉をかけられても、空は彼の顔を見ることが出来なかった。
しかし空がそうやって拒絶に似た言葉を発しても、海も陸も意に介する様子はない。心底どうでもいいと思っているのかもしれない――と空はまた被害妄想的な想像をしてしまう。
結局、海と陸は売人が絶命するまで空に痛めつけられる様子を見届けて、終わればさっさと拷問部屋から連れ立って出て行ってしまった。
0
あなたにおすすめの小説
答えられません、国家機密ですから
ととせ
恋愛
フェルディ男爵は「国家機密」を継承する特別な家だ。その後継であるジェシカは、伯爵邸のガゼボで令息セイルと向き合っていた。彼はジェシカを愛してると言うが、本当に欲しているのは「国家機密」であるのは明白。全てに疲れ果てていたジェシカは、一つの決断を彼に迫る。
放蕩な血
イシュタル
恋愛
王の婚約者として、華やかな未来を約束されていたシンシア・エルノワール侯爵令嬢。
だが、婚約破棄、娼館への転落、そして愛妾としての復帰──彼女の人生は、王の陰謀と愛に翻弄され続けた。
冷徹と名高い若き王、クラウド・ヴァルレイン。
その胸に秘められていたのは、ただ1人の女性への執着と、誰にも明かせぬ深い孤独。
「君が僕を“愛してる”と一言くれれば、この世のすべてが手に入る」
過去の罪、失われた記憶、そして命を懸けた選択。
光る蝶が導く真実の先で、ふたりが選んだのは、傷を抱えたまま愛し合う未来だった。
⚠️この物語はフィクションです。やや強引なシーンがあります。本作はAIの生成した文章を一部使用しています。
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
イケメン恋人が超絶シスコンだった件
ツキノトモリ
恋愛
学内でも有名なイケメン・ケイジに一目惚れされたアイカ。だが、イケメンはアイカ似の妹を溺愛するシスコンだった。妹の代わりにされてるのではないかと悩んだアイカは別れを告げるが、ケイジは別れるつもりはないらしくーー?!
「二年だけの公爵夫人~奪い合う愛と偽りの契約~」二年間の花嫁 パラレルワールド
柴田はつみ
恋愛
二年だけの契約結婚――
その相手は、幼い頃から密かに想い続けた公爵アラン。
だが、彼には将来を誓い合った相手がいる。
私はただの“かりそめの妻”にすぎず、期限が来れば静かに去る運命。
それでもいい。ただ、少しの間だけでも彼のそばにいたい――そう思っていた。
けれど、現実は甘くなかった。
社交界では意地悪な貴婦人たちが舞踏会やお茶会で私を嘲笑い、
アランを狙う身分の低い令嬢が巧妙な罠を仕掛けてくる。
さらに――アランが密かに想っていると噂される未亡人。
彼女はアランの親友の妻でありながら、彼を誘惑することをやめない。
優雅な微笑みの裏で仕掛けられる、巧みな誘惑作戦。
そしてもう一人。
血のつながらない義兄が、私を愛していると告げてきた。
その視線は、兄としてではなく、一人の男としての熱を帯びて――。
知らぬ間に始まった、アランと義兄による“奪い合い”。
だが誰も知らない。アランは、かつて街で私が貧しい子にパンを差し出す姿を見て、一目惚れしていたことを。
この結婚も、その出会いから始まった彼の策略だったことを。
愛と誤解、嫉妬と執着が交錯する二年間。
契約の終わりに待つのは別れか、それとも――。
五年越しの再会と、揺れる恋心
柴田はつみ
恋愛
春山千尋24歳は五年前に広瀬洋介27歳に振られたと思い込み洋介から離れた。
千尋は今大手の商事会社に副社長の秘書として働いている。
ある日振られたと思い込んでいる千尋の前に洋介が社長として現れた。
だが千尋には今中田和也26歳と付き合っている。
千尋の気持ちは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる