極めてグロテスクなトリニティ

やなぎ怜

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side 空(2)

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「別に私のせいばかりではない」と空は内心で言い訳をする。弟たちに対して空が感じている溝。それはなにも自覚している、己の卑屈な性格からくる被害妄想的空想とは言い切れないと空は思っていた。

 空は弟たちと同じ高校に通わせてもらっているものの、そこではだれもこの三人が姉弟だとは思っていない。空たちは珍しい苗字というわけでもなかったし、学校という場に限っては接点もない。三つ子であることは学校側は当然知っているから、クラスは別々にされている。

 陸は頻繁に兄である海のクラスに顔を出しているようだが、空のいる教室にきたことはない。海もそうだ。だから、弟たちを知る生徒はみんなあのふたりを双子だと思っている。

 これで空の容姿が海や陸みたいに華やかなものであれば、「もしかして」なんて思う生徒もいたかもしれない。けれども現実には空の見た目は地味で平凡でありふれた女子高生そのものであった。

 対する海と陸は目鼻立ちがハッキリとした美貌の持ち主で、そんな顔がふたつ並んでいるのだから、それはもうたまらない人間にはたまらないので、人気がある。

 けれども海と陸は、どこかふたりだけの世界に閉じこもっているフシがある。恋人はおろか友人がいるかどうかすらも怪しい。互いに、互いがいればそれでいいと思っているかのような態度。空がふたりに対して溝を感じているのはそういう理由もあった。

 しかしそんなことを考える空も空で、恋人はおろか友人もひとりとしていない。恋人はともかくも同性の友人くらいはいたことはある。だが過去の話だ。

 空と友達になってくれた女の子たちはみな、やがて海と陸に惹かれて、最後にはフェードアウトしてしまうのがお決まりだった。海と陸は先述したとおり、概ねああいう態度だから、きっとフられた相手の姉といっしょにいるのは気まずく感じてしまうのだろう。空はそう解釈して、かつての友人たちがよそよそしくなってしまうことを納得してきた。

 空はだれかを楽しませるすべを知らない。知っているのはひとを殺す方法くらい。それは海と陸も同じだろうが、視覚に大いに頼って生きている人間が、美しいと感じるものに惹かれたり、好意を抱いたりするのは当然だ。だから海と陸と並べば、地味な空はどうしたって見劣りしてしまう。

 理不尽だと思うし、不公平だと思う。愛想の悪さでは空も、海も陸も変わらないのに、ちやほやされるのは弟たちばかり。歯噛みしたくなるのも無理はない。

 けれども、空はどうしても弟たちを嫌いにはなれなかった。溝は感じても、鬱陶しい存在だとは思わない。たった三人の姉弟なのだ。空は弟たちのことをちゃんと「家族」だと思っている。けれども、弟たちはどうだろうか。

 そう考えると空は疎外感を覚えてしまう。むなしさを感じてしまう。それはすべて「さびしさ」からくる感情だった。それは、空もちゃんと理解している。理解してはいるが、うまく咀嚼できない。咀嚼できないから、喉が詰まったようになる。

 客もまばらなハンバーガーショップのふたり席の片方に腰を下ろし、空はハンバーガーを頬張る。それは、口に詰め込むというほうが正しいだろう。別にハンバーガーは好きではない。ただ、お手軽だから口にしているだけだった。それでもそれなりに舌は楽しめる。いつもなら。

 今日は拷問部屋に海と陸が乱入したからだろうか。口に詰め込むハンバーガーは味がしない。そういうときは気分が落ち込んでいると決まっている。空は冷静に己の心理状態を分析し、今夜は早くベッドに入ることを決めた。



 空たち姉弟を今飼っているのは雲雀組の組長の孫である恵一郎けいいちろうだ。

 ままある話だが、組長の息子で恵一郎の父親は家業を嫌って出奔し、恵一郎の母親と一緒になって子供を儲けたが、事故死。そこからなんやかんやあって、恵一郎は雲雀組の組長である祖父に引き取られた。

 恵一郎の父親が故人であることは空も承知しているのだが、母親がどうなったのかまでは知らない。恵一郎は現役の大学生だから、その母親もまだ若いに違いないとは思っているが、そこから先はどうしたって邪推になってしまう。恵一郎本人の口からも、たまに父親の話は聞いても母親の話は出てこないあたり、もしかしたらロクでなしだったのかもしれないが、しょせんは邪推だ。

 恵一郎は「ヤクザ」という語から連想されるような典型的人柄からは程遠い、穏やかな人間である。空たち姉弟を拾って仕込んだ前任者のように、虫の居所が悪いからと血尿が出るまで蹴りつけたりはしない。だから空は恵一郎に対しては比較的好意を抱いていた。とは言え、情熱的なものからはほど遠い、平熱の感情ではあったが。

 恵一郎はいつでもにこにこと微笑んでいて、丁寧な言葉遣いを崩さない。一般人はだれも彼が雲雀組の跡取りと目されているとは思わないだろう。

 ただ、底が見えなくて恐ろしいと言われる向きも空は理解していた。空だって正直、そういう風に思うときもある。だが恵一郎のその恐ろしさが今のところ自分に向けられる様子がないので、看過している。

 恵一郎が空たちに暴力を振るわないからといって、真実優しい人間ではないことはちゃんと理解していた。本当に優しい人間であれば、ヤクザの小間使いをして暮らす空たちに、少しは同情心を見せるだろう。しかし恵一郎は一度たりともそんな顔をしたことがない。つまりは大学生ながら、彼も立派なヤクザものなのだ。

 それでもたまに、気にかけられていると思うことはある。

 たとえば、弟たちとの関係はどうだと世間話の延長線上で聞かれたときとか。

 恵一郎は見抜いているのだ。空と、海と陸のあいだに横たわる見えない溝を。

 会社の上司というのはこんな感じなのかもしれないと思ったところで、空からすれば恵一郎はたしかに上司のようなものだなと思い直す。空たちは一応、恵一郎の部下という立ち位置だろう。ならば部下たちの人間関係に気を配るのは当たり前のことなのかもしれない、と空は考えた。

「たまには三人で出かけてみたら? 夏だし、水族館とか」

 恵一郎は底知れぬ笑顔を浮かべて――空からすれば――恐ろしいことを言う。三人で出かければ、空はたちまち仲間はずれにされてしまうだろう。三人集まってふたりのあいだだけで会話が交わされるという状況は、なにも空たち姉弟だけに起こり得る現象ではないだろう。容易に想像のつく状況を脳裏に思い浮かべ、空は小さく首を横に振った。

 海などはぺらぺらとノンストップでおしゃべりできるが、空はそうではない。生来から口下手なのだ。そのことはもちろん、恵一郎もわかっている。それでもぎこちない口調で、空は丁寧に恵一郎の提案をやんわりと却下した。

「私と行っても、ふたりはきっと面白くないでしょう」

 それは空からすれば動かざる事実。だが、ハッキリと口にしてしまうと、そのあまりのみじめさに唇を噛みたくなる。

 ――もっと私が愉快な人間だったらよかったのに。

 しかし空が生真面目な気質であることは、一朝一夕で変えられるものではない。口下手なところも、他人を喜ばせるすべを知らないところも、嫌になるほど後ろ向きな思考だって。

「そう……じゃあ僕と行ってみる?」
「……え?」
「予行演習にでもなるかと思って」

 恵一郎の思考は相変わらず読めない。いつものようににこにこと笑っていて、おどけるように人差し指を立てて自分の顔をさしている。

「そんな……若のお手をわずらわせるわけにはいきません……。畏れ多いですし……」
「そっか」

 しどろもどろになりながら辞退すれば、恵一郎はそれ以上追ってくることはなかったので、空はほっと内心で安堵のため息をつく。

「じゃあお小遣いあげる」

 恵一郎はまたにこにことした笑顔を浮かべながら、財布を取り出し、そこから一万円札を五枚取り出した。空は呆気に取られて、差し出された五枚の一万円札を前にただ視線をうろうろとさせることしかできない。

「気分転換にどこか行ってきたら? そこでお土産でも買って、あのふたりに渡してあげたらいい」

 空がそんなことして、果たしてあのふたりが喜ぶのか。空は己の胸に去来する疑問を口にはせず、戸惑ったまま、恵一郎から五万円を受け取った。つき返すのも無礼な気がして、結局はそうしたのだ。

 そうして「お小遣い」を受け取ってしまったからには、空はどこかへ遊びに行ってお土産を買ってこなければならなくなった。
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