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霜止出苗(しもやんでなえいづる)
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チカは困っていた。「途方に暮れる」とはこのことかと思った。
眼前には春めいた青空と水が引かれた稲田が広がり、隣には仏頂面のアマネがいる。
“城”の外にいるのではない。チカとアマネは――絵画の中にいるのだ。
ことの始まりはもはやわざわざ説明せずとも予測はできるだろう。“捨品”だ。
“捨品”の中にあった、春の稲田を描いた素朴な絵画。題は「霜止出苗」と裏に書かれていた。「春の」稲田だと予測をつけられたのは、その題があったからだ。
そしてなんらかの因果が働き、チカとアマネは絵画の中にいる。
そこにいたるまでの記憶はおぼろげであったが、恐らくチカはアマネとこの絵画を見ていて中に取り込まれてしまったのだろう。そうとしか考えられなかった。あの絵画そのものの光景が眼前に広がっているのだから、きっとそうだ。
「絵画の季節が春でよかった……」
チカがまず思ったのはそういうことであった。これで極寒の荒野を描いた絵画であったならば、絵の中で凍え死ぬという滅多にない死に方をするところであったからだ。
春の稲田を描いたこの絵画の中は、ぽかぽか陽気で春の柔らかい日差しが降り注いでいる。ひなたぼっこをするには絶好の気候と言えるだろう。
あぜ道に座り、そよ風に揺れる青いイネを見る時間は、人の心に平穏をもたらす。……絵画の中、という特殊なシチュエーションでなければ。
「先に思うのはそういうことなのか?」
さすがに普段口数の少ないアマネからもツッコミが入った。
「いや、重要だよ。助けを待つしかないんだから」
チカは真面目半分、ふざけ半分でそう言う。そんなチカの雰囲気はしっかりとアマネに伝わったらしく、彼はあぜ道に座り込んだまま大きなため息をついた。
「出られる方法がまるでわからねえ」
「まあ、助けを待つしかないね……」
「気がつくか?」
「あの五人が」と言外にいいたげなアマネへ、チカはごく控えめに「マシロなら……」と答える。
正直、マシロ以外に早々に異変に気付き、積極的に救助を試みてくれそうな顔は浮かばない。いや、ササも案外とあり得るだろうか。最近はそれなりに仲良くやれている実感がチカにはあった。
問題は男性陣だ。その中で義理人情を多少なりとも持ち合わせているのはコーイチしか思い浮かばなかった。アオとユースケは論外である。あのふたりは、そういうところがある。
アマネはぶつくさと言いながらも救助を試みてくれるイメージが浮かぶ。アマネは愛想はないが、チカが困っていれば助けてくれる。現実にどうかは知れないが、そんな印象があった。
「……だれかが気づくまでのんびりするしかないよ」
アマネは舌打ちをした後、春めいた穏やかな青空を仰いだ。
それに倣ってチカを上を見る。頭上の空では雲がゆっくりと流れていて、頬にそよ風が当たる。視線を戻せば青いイネが揺れる水田。「原風景」という語がチカの脳裏に浮かぶ。どこの原風景なのかはわからなかった。ただ、チカはそれを懐かしいと感じた。
「なんだかノスタルジックな絵だよね」
「……そうか?」
会話に困って思ったことを口にすれば、アマネが本気で理解できないという顔でチカを見る。
「田園風景っていうの? なんか、そういうのは懐かしい感じじゃない?」
「わかんねえ」
「えー……」
「……こんな田舎で子供ひとり暮らすなんてムリだろ。すぐに死ぬに決まってる」
アマネがなんと言いたいのかチカは一瞬わからなかった。実際に彼の言葉は飛躍していた。だが間を置いて、うすぼんやりとチカは解釈する。
「えーっと……アマネは“城”にくる前は都会で暮らしてたの?」
「……都会じゃなきゃ暮らしていけねえよ。人が多いところじゃないと残飯漁りとかできねえだろ」
チカは、唐突にアマネの別の面を知らされて困惑した。
アマネはと言えば、チカの質問には答えるものの、詳しく語るつもりは微塵もないらしく、話す内容も言葉少なで理解するのはなかなか難しい。
ストリートチルドレンってやつだったのかな、とチカはおぼろげながら推測する。
チカはどうなのだろう。特に人間関係の記憶は完全にないため、家族がいたのかどうかすらわからない。生物学上の父母は確実にいるだろうが、ともに暮らしていた家族は果たして存在していたのだろうか。
アマネのようにひとりぼっちだったのか、そうではなかったのか。それはチカが自力で思い出さない限り永遠に謎のままに感じられた。
……そもそも、どういった経緯でチカは“城”へきたのか。そもそも、それが謎である。
以前、一時期“城”に新たな住人が加わっていたが、彼女は“城”にきた経緯を話さなかった。連れてきた“黒子”たちもなにも言わなかった。そして彼女はすでに“城”を去っているため、答えは永遠に闇の中である。
一員に加わる条件もわからなければ、出られる理由もわからない。てっきり彼女もチカたちと同じく、“城”からは暗示のようなもので永遠に出られないと思っていたのに、現実は違った。
チカのこと、“城”のこと、外のこと……。なにもかも、わからないことだらけだ。
そして六人は多くを語ってはくれない。比較的チカによくしてくれているマシロですら、あまり話してはくれないのだ。他の五人はお察しである。
もっと知識が欲しいと思う。地下図書館では得られない、その外にある知識を欲しいと思う。
だが今のところ、それを得るとっかかりはあまりにも少なすぎた。
「アマネはさ――」
また会話に困ってなにか問おうとチカは思った。
けれどもそれは叶わなかった。
急に景色が暗転したかと思うと、気がつけば見知った景色の中で、あぜ道にいたのと同じ体勢で座っていたのだ。
「見知った景色」とは当然“城”のことである。チカがここずっと飽きるほど見慣れている景色と言えば、それしかない。
「わーっ、出た!」
ぽかんとしているチカに対し、歓声にも似た声を上げて抱き着いてきたのはマシロだった。
周囲を見回せば、チカとアマネを含めて七人がそろっている。マシロ以外は「やれやれ」と呆れ半分、疲労半分といった顔つきである。
「あー……助けてもらったみたい? ありがとう……」
「『みたい』じゃなくて助けたんだよ」
「うん、ありがとう」
腰に手をやったアオがそう言ったので、チカは再度礼を口にする。
「昼食代わりに作ったから夕食はお前らの当番なー」
「え? もう昼過ぎてるの? ごめん」
コーイチの言葉に、時計などないのにチカは思わず視線をぐるりと回して探してしまう。
「もー、お昼になってもどこ捜してもいないのに、絵の中にいるからびっくりした!」
そう言ったのはマシロだ。そりゃびっくりするだろうなとチカは思う。
「……それで、なにしたから私たち戻ってこれたの?」
「火であぶった」
「火で……?!」
「ヤバイかな~って思ったんだけど……それくらいしか思いつかなくて!」
平然と言ってのけたのはユースケである。マシロは申し訳なさそうな顔をしているが、そんなしおらしい態度でいるのは彼女だけだと言うのは、取り立てずともわかるだろう。
よくよく見ればチカたち七人がいるのは台所である。コンロのそばには春の稲田を描いた例の絵画が置かれていた。そしてユースケが言った通り、絵画の額縁の一部は黒く焦げている。
それで助かったからよかったものの、そのまま燃えていればどうなっていたんだろうとチカはゾッとする。
さすがにあの五人も絵画を燃やし尽くすことまではしなかったとは思うが……。
「……なんにせよ、助かった」
ずっと黙りこくっていたアマネが、若干照れた様子でそう言う。礼を言うのは普段の態度からして気恥ずかしいことなのだろう。それでもきちんとそういう場面で言うのは、アマネらしい。
「まあ、助かってよかった。夕食当番は頼むな」
そうやってコーイチがいい感じに〆たからか、こういうときに真っ先にからかってきそうなアオはなにも言わなかった。
一言も発しなかったササは、相変わらずぼんやりと眠たそうにしていた。
春の稲田を描いた絵画はチカからすると美しいものだったが、さすがに木枠を折られ、キャンパスを裂いたあとすべて燃やされた。
チカは燃やす場に居合わせたが、そのときにあの絵画の中で感じたそよ風が頬に当たったような気がした。気がしただけで、まるきり気のせいかもしれない。
未練がましいと思われたくなくて、だれにも言わなかったが。
眼前には春めいた青空と水が引かれた稲田が広がり、隣には仏頂面のアマネがいる。
“城”の外にいるのではない。チカとアマネは――絵画の中にいるのだ。
ことの始まりはもはやわざわざ説明せずとも予測はできるだろう。“捨品”だ。
“捨品”の中にあった、春の稲田を描いた素朴な絵画。題は「霜止出苗」と裏に書かれていた。「春の」稲田だと予測をつけられたのは、その題があったからだ。
そしてなんらかの因果が働き、チカとアマネは絵画の中にいる。
そこにいたるまでの記憶はおぼろげであったが、恐らくチカはアマネとこの絵画を見ていて中に取り込まれてしまったのだろう。そうとしか考えられなかった。あの絵画そのものの光景が眼前に広がっているのだから、きっとそうだ。
「絵画の季節が春でよかった……」
チカがまず思ったのはそういうことであった。これで極寒の荒野を描いた絵画であったならば、絵の中で凍え死ぬという滅多にない死に方をするところであったからだ。
春の稲田を描いたこの絵画の中は、ぽかぽか陽気で春の柔らかい日差しが降り注いでいる。ひなたぼっこをするには絶好の気候と言えるだろう。
あぜ道に座り、そよ風に揺れる青いイネを見る時間は、人の心に平穏をもたらす。……絵画の中、という特殊なシチュエーションでなければ。
「先に思うのはそういうことなのか?」
さすがに普段口数の少ないアマネからもツッコミが入った。
「いや、重要だよ。助けを待つしかないんだから」
チカは真面目半分、ふざけ半分でそう言う。そんなチカの雰囲気はしっかりとアマネに伝わったらしく、彼はあぜ道に座り込んだまま大きなため息をついた。
「出られる方法がまるでわからねえ」
「まあ、助けを待つしかないね……」
「気がつくか?」
「あの五人が」と言外にいいたげなアマネへ、チカはごく控えめに「マシロなら……」と答える。
正直、マシロ以外に早々に異変に気付き、積極的に救助を試みてくれそうな顔は浮かばない。いや、ササも案外とあり得るだろうか。最近はそれなりに仲良くやれている実感がチカにはあった。
問題は男性陣だ。その中で義理人情を多少なりとも持ち合わせているのはコーイチしか思い浮かばなかった。アオとユースケは論外である。あのふたりは、そういうところがある。
アマネはぶつくさと言いながらも救助を試みてくれるイメージが浮かぶ。アマネは愛想はないが、チカが困っていれば助けてくれる。現実にどうかは知れないが、そんな印象があった。
「……だれかが気づくまでのんびりするしかないよ」
アマネは舌打ちをした後、春めいた穏やかな青空を仰いだ。
それに倣ってチカを上を見る。頭上の空では雲がゆっくりと流れていて、頬にそよ風が当たる。視線を戻せば青いイネが揺れる水田。「原風景」という語がチカの脳裏に浮かぶ。どこの原風景なのかはわからなかった。ただ、チカはそれを懐かしいと感じた。
「なんだかノスタルジックな絵だよね」
「……そうか?」
会話に困って思ったことを口にすれば、アマネが本気で理解できないという顔でチカを見る。
「田園風景っていうの? なんか、そういうのは懐かしい感じじゃない?」
「わかんねえ」
「えー……」
「……こんな田舎で子供ひとり暮らすなんてムリだろ。すぐに死ぬに決まってる」
アマネがなんと言いたいのかチカは一瞬わからなかった。実際に彼の言葉は飛躍していた。だが間を置いて、うすぼんやりとチカは解釈する。
「えーっと……アマネは“城”にくる前は都会で暮らしてたの?」
「……都会じゃなきゃ暮らしていけねえよ。人が多いところじゃないと残飯漁りとかできねえだろ」
チカは、唐突にアマネの別の面を知らされて困惑した。
アマネはと言えば、チカの質問には答えるものの、詳しく語るつもりは微塵もないらしく、話す内容も言葉少なで理解するのはなかなか難しい。
ストリートチルドレンってやつだったのかな、とチカはおぼろげながら推測する。
チカはどうなのだろう。特に人間関係の記憶は完全にないため、家族がいたのかどうかすらわからない。生物学上の父母は確実にいるだろうが、ともに暮らしていた家族は果たして存在していたのだろうか。
アマネのようにひとりぼっちだったのか、そうではなかったのか。それはチカが自力で思い出さない限り永遠に謎のままに感じられた。
……そもそも、どういった経緯でチカは“城”へきたのか。そもそも、それが謎である。
以前、一時期“城”に新たな住人が加わっていたが、彼女は“城”にきた経緯を話さなかった。連れてきた“黒子”たちもなにも言わなかった。そして彼女はすでに“城”を去っているため、答えは永遠に闇の中である。
一員に加わる条件もわからなければ、出られる理由もわからない。てっきり彼女もチカたちと同じく、“城”からは暗示のようなもので永遠に出られないと思っていたのに、現実は違った。
チカのこと、“城”のこと、外のこと……。なにもかも、わからないことだらけだ。
そして六人は多くを語ってはくれない。比較的チカによくしてくれているマシロですら、あまり話してはくれないのだ。他の五人はお察しである。
もっと知識が欲しいと思う。地下図書館では得られない、その外にある知識を欲しいと思う。
だが今のところ、それを得るとっかかりはあまりにも少なすぎた。
「アマネはさ――」
また会話に困ってなにか問おうとチカは思った。
けれどもそれは叶わなかった。
急に景色が暗転したかと思うと、気がつけば見知った景色の中で、あぜ道にいたのと同じ体勢で座っていたのだ。
「見知った景色」とは当然“城”のことである。チカがここずっと飽きるほど見慣れている景色と言えば、それしかない。
「わーっ、出た!」
ぽかんとしているチカに対し、歓声にも似た声を上げて抱き着いてきたのはマシロだった。
周囲を見回せば、チカとアマネを含めて七人がそろっている。マシロ以外は「やれやれ」と呆れ半分、疲労半分といった顔つきである。
「あー……助けてもらったみたい? ありがとう……」
「『みたい』じゃなくて助けたんだよ」
「うん、ありがとう」
腰に手をやったアオがそう言ったので、チカは再度礼を口にする。
「昼食代わりに作ったから夕食はお前らの当番なー」
「え? もう昼過ぎてるの? ごめん」
コーイチの言葉に、時計などないのにチカは思わず視線をぐるりと回して探してしまう。
「もー、お昼になってもどこ捜してもいないのに、絵の中にいるからびっくりした!」
そう言ったのはマシロだ。そりゃびっくりするだろうなとチカは思う。
「……それで、なにしたから私たち戻ってこれたの?」
「火であぶった」
「火で……?!」
「ヤバイかな~って思ったんだけど……それくらいしか思いつかなくて!」
平然と言ってのけたのはユースケである。マシロは申し訳なさそうな顔をしているが、そんなしおらしい態度でいるのは彼女だけだと言うのは、取り立てずともわかるだろう。
よくよく見ればチカたち七人がいるのは台所である。コンロのそばには春の稲田を描いた例の絵画が置かれていた。そしてユースケが言った通り、絵画の額縁の一部は黒く焦げている。
それで助かったからよかったものの、そのまま燃えていればどうなっていたんだろうとチカはゾッとする。
さすがにあの五人も絵画を燃やし尽くすことまではしなかったとは思うが……。
「……なんにせよ、助かった」
ずっと黙りこくっていたアマネが、若干照れた様子でそう言う。礼を言うのは普段の態度からして気恥ずかしいことなのだろう。それでもきちんとそういう場面で言うのは、アマネらしい。
「まあ、助かってよかった。夕食当番は頼むな」
そうやってコーイチがいい感じに〆たからか、こういうときに真っ先にからかってきそうなアオはなにも言わなかった。
一言も発しなかったササは、相変わらずぼんやりと眠たそうにしていた。
春の稲田を描いた絵画はチカからすると美しいものだったが、さすがに木枠を折られ、キャンパスを裂いたあとすべて燃やされた。
チカは燃やす場に居合わせたが、そのときにあの絵画の中で感じたそよ風が頬に当たったような気がした。気がしただけで、まるきり気のせいかもしれない。
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