心を読めるプリムラが、ある日その力を失って。

やなぎ怜

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前編

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 プリムラは心が読めた。天賦の才というやつであった。

 他人の考えはプリムラにはすべてお見通しで、プリムラははじめ、これはだれもがみな持っている能力なのだと思っていた。

 幼くして母親の不倫を暴いたとき、プリムラはその他大勢の人間には、他人の心を読む力は備わっていないのだと知った。

 プリムラの母親は不貞の責任を取らされ、実家へと帰された。

 プリムラの父親は、プリムラの天賦の才についてはなにも言わなかった。

 ほどなくして新しい母親がやってきたが、プリムラは彼女を家族だと思ったことは、これまで一度もない。

 プリムラの天賦の才を知ってから、父親はどこかよそよそしくなった。

 新しい母親も、プリムラに対してはひどく無関心に見えた。

 プリムラは、別にそれでよかった。

 プリムラに悪心ある者や、邪念を持つ者の中で、少しでもそれを恥じていたり、後ろめたさを抱いている人間は、プリムラに近づいてこない。また、それを暴かれたくないと思っている人間も。

 そういう作用は、プリムラにとっては便利なものだった。

 プリムラはしたたかだった。

 だから、孤立してもプリムラは平気だった。

 ひどい言葉を投げつけられても、その何倍も醜くて汚い本心からの言葉を暴き出して、無知なふりをしてぶつけ返してやった。

 それでなお孤立が深まっても、プリムラは面倒な人間のほうから避けてくれるなら、自分の限りある人生にとっては万々歳だと思っていた。

 他人がプリムラを嫌ったように、プリムラも他人を嫌ったのだ。

 そんな風に生きてきたプリムラだったが、今、恋人と呼べる間柄の男性がいる。名はガオと言う。

 ガオはプリムラとは、言ってしまえば幼馴染という関係でもあった。

 ガオは彼の父親からすると庶子というやつで、幼いころは父親とは離れて暮らしていたとプリムラは聞いている。

 その生い立ちのせいなのか、はたまた生まれつきのものなのか、ガオはとにかく感情表現が下手で、加えて素直ではなかった。

 しかし、プリムラには関係がなかった。プリムラは、心が読めるのだ。

「話しかけんじゃねえよ、ブス」

 幼いころ、プリムラが初めて挨拶をしたとき、ガオは顔を赤くしてそう罵倒してきた。

 すぐにガオの父親は息子を叱りつけ、ガオの継母――父親の正妻――はわずかに顔をしかめた。

 だがプリムラはひとつも傷つきはしなかった。

「そういうときは『お近づきになれて光栄です』くらいは言うものよ。わたしのこと、『きれい』って思ってくれてありがとう」

 プリムラからすれば、いつもの反撃。意趣返し。

 しかしガオは目を剥いておどろき、先ほどよりもずっと顔を赤くして逃げ去ってしまった。

 ガオの父親が息子に代わって謝罪したり、プリムラの父親がプリムラをやんわりとたしなめたりと場はあわただしかったが、プリムラはまったく動じなかった。

 プリムラは、ガオに恥をかかせた自覚はあった。

 けれども先に罵倒してきたのはガオのほうなのだし、とまったく悪びれなかった。

 しかし彼とはこれきりだろうという確信はあった。

 だから、二度目の出会いでまた向こうから話しかけてきたとき、プリムラは少なからずおどろいたのだ。

「お前……心が読めるなら先に言えよな!」
「なぜ、わたしのほうから、わざわざ、言わなければならないの?」

 顔をかすかに赤くして、怒った様子のガオに対し、プリムラはわざわざ言葉を区切って意地悪に言った。

 ガオはすぐ言葉に詰まった。罵倒は一丁前だったが、もともと話すこと自体が得意ではないのだろう。

 しかしプリムラがそんなガオに配慮する理由はなかった。

 口ごもるガオの心の中は嵐に見舞われ、波に揉まれる小舟のようで、わざわざ読むことが面倒になるほど、しっちゃかめっちゃかだった。

「……ごめん」

 ガオは顔を赤くして、うつむいたままぽつりとそう言った。

 ガオの心の中に、後悔や謝罪の気持ちがあることはプリムラも当然、わかっていた。

 わかっていたが、そうやって胸中に抱いた思いをそのまま口にしてきたことには、少しおどろいた。

 プリムラがおどろいているあいだに、ガオはまた顔を真っ赤にしたまま走り去ってしまった。

 ――根っからの悪人、ってわけじゃないんだろうけど。

 プリムラの感想はそんなものだった。

 ガオが素直に謝罪の言葉を口にしたことにおどろきはしたものの、プリムラは結構根に持つタイプだ。

「……パートナーがいないのか? なら、オレが踊ってやるよ」
「そんな態度でパートナーを捕まえられると思っているのなら、あなたのその認識は即刻改めたほうがいいと思うわ」

 だから、とあるお屋敷のボールルームで三度目の出会いを果たしたときに、思わず意地の悪いことを言ってしまった。

 ガオはまた顔を赤くした。心の中で、プリムラに腹を立てているのがありありとわかった。

 プリムラは、てっきりガオが気分を害してまた走り去るものだと思っていた。

 けれども、楽団の演奏が始まると同時に、ガオはプリムラの手を取ってボールルームの中心部へと飛び出してしまった。

 これでは、さしものプリムラも一曲は踊らざるを得ない。

「ずいぶん乱暴な紳士様ね?」

 プリムラがちくりと嫌味を言っても、ガオは踊ることに必死なのか、言葉は返ってこなかった。

 しかしその心は雄弁だった。

 プリムラが密着すれば「近い」だの「なんかいい匂いがする」だのと心が乱れるのがわかった。

 プリムラと目が合えば、すぐに視線はそらされたものの、その胸が躍っていることがわかった。

 ガオがこちらに気があるのは、プリムラももちろんわかっていた。

 けれども先述した通りにプリムラは結構根に持つタイプだ。最初の罵倒の言葉が忘れられなくて、プリムラも素直とは言えない態度を取ってしまっていた。

 意地悪な言葉を投げかけられ、恥をかかされ、それでもガオがプリムラとかかわろうとしてくるのは、不思議だった。

 他人がプリムラのことを嫌うように、プリムラも他人を嫌った。

 けれどもガオは。ガオだけはプリムラに好意を抱いてくれている。実の父親ですらどこかプリムラのことを疎ましく思っているというのに。

「もう一曲踊らない?」

 なにか、自覚できるほどに大きなきっかけがあったわけではない。

 ただ、プリムラはもう少しガオのことを知りたいと思った。

 素直じゃない言葉、粗暴な態度。それらはどう考えても紳士失格で、お世辞にも褒めることはできない。

 けれど――。

「はあ? お前、オレの足踏みかけただろ。そんなヘタクソなやつと――」
「あなたのリードだって褒めるところがなかったけれど」
「――う、うるせえ!」

 プリムラとこうして真正面から言葉を交わそうとしてくるのは、ガオしかいなかった。

 プリムラはそれを面白いと思った。

 自分の人生なんてひとつも面白いと思ったことのないプリムラだったが、ガオといるとなんだか色のないその道が華やぐような気がしたのだ。

 ……プリムラとガオ、どこか似たところのあるふたりが、想いを通じ合わせて恋人になるまで、そう時間はかからなかった。
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