2 / 2
後編
しおりを挟む
「おぬしらは恋愛ごとをナメくさっておる」
波打つ真っ白な長い髪に、口元が見えないほどに生い茂った白いひげ。
半裸の壮年男性はプリムラに向かってそう言い放った。
プリムラはとっさに反論しようと思ったものの、上手く言葉が出なかった。
それに――少々、男性の言には心当たりがあったのも事実。
「――よって、そなたには罰を与える」
そこでプリムラは目覚めた。先ほどの一件は、夢の中の出来事だったのだ。
しかし朝食を取るためにダイニングルームへと降りてきたところで、プリムラは気づいた。
他人の心の内が読めなくなっていることに。
だがプリムラは半ばパニックに陥りながらも、表面上は努めて冷静に振舞った。平時となんらたがわない態度を貫いた。
それでも半信半疑のままにいくらか耳を澄ませてもみた。しかし、いくら経っても他人の心の声は聞こえてこない。
自分以外の他人が、なにを考えているのかわからない――。
それは、プリムラ以外の他者からすれば至極当たり前のことであったが、プリムラの人生においては初めての事象だった。
プリムラは、他人の心が読める。
それは、プリムラにとっても、プリムラ以外の他人にとっても、当たり前の事実だった。
しかし、今日、それは引っくり返った。
いつもと変わらぬ態度で、プリムラは登校した。そして、真っ先にガオを捜した。
「ハア? 心が読めなくなったあ?」
家族にも使用人にも告げられなかったその事実を、プリムラは努めて冷静に説明する。……少なくとも、プリムラはそうしたつもりだった。
しかしその声はみじめなくらいに上擦っていたし、不安に震えているのが丸わかりだった。
昨日まで視力に問題のなかったものが、今日には失明していた。プリムラからすれば今の状況はそれとほとんど同じだった。
これまで、プリムラに悪心ある者が近づいてこなかったのは、ひとえにプリムラが他人の心を読める力を持っているからであった。
けれども、それがなくなったと知られれば、どうなるか――。
プリムラは疑心暗鬼の状態に陥っていた。
怖くて、不安で仕方がなくて。自らの身に起きた出来事をガオに話してどうにかなるとは思えなかったものの、だれかに言ってしまいたいという気持ちのままに、彼に事実を伝えたのだ。
ガオは、
「ふーん……」
と、無関心な響きを伴った声で言った。
プリムラの心の中に、にわかに焦燥が生まれる。
プリムラは、ガオのことを理解している。素直になれなくて、ときに粗暴にも思える言葉遣いをすることはあっても、プリムラに対しては優しい態度を示すし、心の中はプリムラへの愛であふれている。
プリムラは、他人の心が……読めた。読めたから、ガオのことはだれよりも自分が理解しているという自負があった。
だからプリムラとガオは、これまで「すれ違い」だとかいうカップルにありがちなトラブルとは無縁だった。
ガオがいくら素直ではない態度を取ってしまっても、プリムラにはその本心が筒抜けだったからだ。
今、ガオの返答が無関心に聞こえたのは、単純にその頭を猛スピードで回転させ、色々と考え事をしているからだ、ということもプリムラにはよく理解できた。
わざわざ心の中を覗かなくったって、プリムラにはガオの言葉の裏にある気持ちを理解できる。
できるが――
「別に……お前が天賦を失っても、どうでもいい」
プリムラの心に不安の波が押し寄せた。
それは朝起きてからずっとその不安の波をなんとかため込んでいたダムを、決壊させるにはじゅうぶんだった。
「……は? お前、なんで泣いて……」
わかっている。ガオにとって、プリムラが心を読めるかどうかなんて、どうでもいいことなのだ。
ガオは、プリムラという人間を愛しているから。
だから心を読まれることに居心地悪さや、気恥ずかしさを感じていても、それでもプリムラのそばにいてくれているのだ。
わかっている。
わかっている。
けれど。
「……言って」
「……なんて?」
「……『好き』って、言って」
わからなかった。
今のプリムラは、ガオの心を読めないのだ。ガオの気持ちが本心であると知る手段が、なにもないのだ。
「ガオの気持ち、今わかんないから」
「それはさっき聞いた――」
「だから! ガオが冷たいこと言っても! 今のわたしはなんにもガオの本心がわかんないんだってば!」
「……だから、『好き』って言ってよ……」。プリムラはみじめったらしく鼻をすすり、そんな顔をガオには見られたくなくて、うつむいた。それでもガオが呆気に取られている様子は、なんとなくの空気でわかった。
しばらくの沈黙は、プリムラにはひどく長く感じられた。
だが、やがてガオが口を開く。
「オレが悪かった。だから、泣くなよ」
「泣かせたのはガオの言葉のせいだよ」
「だから『悪かった』って言っただろ。……あー……」
ガオがじれた声を出したあと、唾を呑み込むかすかな音が聞こえた。
「だから……お前に天賦があろうとなかろうと、オレはお前のことが好きだって、言いたくてだな……」
「わかってる」
「わかってないだろ。だから泣いてるんだろ」
「それはそうだけど」
「メンドクセーやつ。……だけど、まあ、素直になれないオレが一番メンドクセーか」
ガオがポケットから取り出したハンカチを差し出す。布地にはちょっとシワが寄っていた。
「ハンカチは毎日洗濯してもらってよ」
「う、うるせー」
――珍しくガオが素直に優しくしてくれるのに、ぜんぜん、ロマンチックじゃない。
プリムラは内心でそんな不満を漏らすが、しかしこういうところが自分たち「らしさ」なのかなとも思った。……思えた。
「……お前が」
「うん……」
「お前がもうオレの心がわかんねーって言うなら……これからはちゃんと言葉にしていく。すぐにうまくはできねえと思うけど……」
「うん……」
「お前に、『好き』って気持ちがきちんと伝わらないことが一番イヤだからな」
プリムラはガオから渡されたハンカチで涙をぬぐい、顔を上げた。
目の前には、顔を真っ赤にしたガオがいた。けれどもいつかのように、ガオがその場から逃げ出すような気配は、当たり前だがなかった。
「わたしも……『ガオが好き』ってたくさん言う」
「おう、たくさん言えよ!」
ガオは羞恥の感情がもはや上限に達しているのか、普段とは違い、顔を赤くして恥ずかしがりながらもそんなことを口走る。ヤケになっているのだろう。
それは、プリムラにもよくわかった。
心の内が読めなくても、わかった。
……プリムラの他人の心を読む天賦の才は、なぜか次の日には戻っていた。夢の中でプリムラに説教をしてきたのは神の類いだろうと今は納得できる。恋愛ごとをどこかナメていたふたりに灸をすえるために出てきたのだろう。プリムラとガオはそう解釈した。
――かくして、どこにいても愛を囁き合う学園一のバカップルは誕生したのであった。
波打つ真っ白な長い髪に、口元が見えないほどに生い茂った白いひげ。
半裸の壮年男性はプリムラに向かってそう言い放った。
プリムラはとっさに反論しようと思ったものの、上手く言葉が出なかった。
それに――少々、男性の言には心当たりがあったのも事実。
「――よって、そなたには罰を与える」
そこでプリムラは目覚めた。先ほどの一件は、夢の中の出来事だったのだ。
しかし朝食を取るためにダイニングルームへと降りてきたところで、プリムラは気づいた。
他人の心の内が読めなくなっていることに。
だがプリムラは半ばパニックに陥りながらも、表面上は努めて冷静に振舞った。平時となんらたがわない態度を貫いた。
それでも半信半疑のままにいくらか耳を澄ませてもみた。しかし、いくら経っても他人の心の声は聞こえてこない。
自分以外の他人が、なにを考えているのかわからない――。
それは、プリムラ以外の他者からすれば至極当たり前のことであったが、プリムラの人生においては初めての事象だった。
プリムラは、他人の心が読める。
それは、プリムラにとっても、プリムラ以外の他人にとっても、当たり前の事実だった。
しかし、今日、それは引っくり返った。
いつもと変わらぬ態度で、プリムラは登校した。そして、真っ先にガオを捜した。
「ハア? 心が読めなくなったあ?」
家族にも使用人にも告げられなかったその事実を、プリムラは努めて冷静に説明する。……少なくとも、プリムラはそうしたつもりだった。
しかしその声はみじめなくらいに上擦っていたし、不安に震えているのが丸わかりだった。
昨日まで視力に問題のなかったものが、今日には失明していた。プリムラからすれば今の状況はそれとほとんど同じだった。
これまで、プリムラに悪心ある者が近づいてこなかったのは、ひとえにプリムラが他人の心を読める力を持っているからであった。
けれども、それがなくなったと知られれば、どうなるか――。
プリムラは疑心暗鬼の状態に陥っていた。
怖くて、不安で仕方がなくて。自らの身に起きた出来事をガオに話してどうにかなるとは思えなかったものの、だれかに言ってしまいたいという気持ちのままに、彼に事実を伝えたのだ。
ガオは、
「ふーん……」
と、無関心な響きを伴った声で言った。
プリムラの心の中に、にわかに焦燥が生まれる。
プリムラは、ガオのことを理解している。素直になれなくて、ときに粗暴にも思える言葉遣いをすることはあっても、プリムラに対しては優しい態度を示すし、心の中はプリムラへの愛であふれている。
プリムラは、他人の心が……読めた。読めたから、ガオのことはだれよりも自分が理解しているという自負があった。
だからプリムラとガオは、これまで「すれ違い」だとかいうカップルにありがちなトラブルとは無縁だった。
ガオがいくら素直ではない態度を取ってしまっても、プリムラにはその本心が筒抜けだったからだ。
今、ガオの返答が無関心に聞こえたのは、単純にその頭を猛スピードで回転させ、色々と考え事をしているからだ、ということもプリムラにはよく理解できた。
わざわざ心の中を覗かなくったって、プリムラにはガオの言葉の裏にある気持ちを理解できる。
できるが――
「別に……お前が天賦を失っても、どうでもいい」
プリムラの心に不安の波が押し寄せた。
それは朝起きてからずっとその不安の波をなんとかため込んでいたダムを、決壊させるにはじゅうぶんだった。
「……は? お前、なんで泣いて……」
わかっている。ガオにとって、プリムラが心を読めるかどうかなんて、どうでもいいことなのだ。
ガオは、プリムラという人間を愛しているから。
だから心を読まれることに居心地悪さや、気恥ずかしさを感じていても、それでもプリムラのそばにいてくれているのだ。
わかっている。
わかっている。
けれど。
「……言って」
「……なんて?」
「……『好き』って、言って」
わからなかった。
今のプリムラは、ガオの心を読めないのだ。ガオの気持ちが本心であると知る手段が、なにもないのだ。
「ガオの気持ち、今わかんないから」
「それはさっき聞いた――」
「だから! ガオが冷たいこと言っても! 今のわたしはなんにもガオの本心がわかんないんだってば!」
「……だから、『好き』って言ってよ……」。プリムラはみじめったらしく鼻をすすり、そんな顔をガオには見られたくなくて、うつむいた。それでもガオが呆気に取られている様子は、なんとなくの空気でわかった。
しばらくの沈黙は、プリムラにはひどく長く感じられた。
だが、やがてガオが口を開く。
「オレが悪かった。だから、泣くなよ」
「泣かせたのはガオの言葉のせいだよ」
「だから『悪かった』って言っただろ。……あー……」
ガオがじれた声を出したあと、唾を呑み込むかすかな音が聞こえた。
「だから……お前に天賦があろうとなかろうと、オレはお前のことが好きだって、言いたくてだな……」
「わかってる」
「わかってないだろ。だから泣いてるんだろ」
「それはそうだけど」
「メンドクセーやつ。……だけど、まあ、素直になれないオレが一番メンドクセーか」
ガオがポケットから取り出したハンカチを差し出す。布地にはちょっとシワが寄っていた。
「ハンカチは毎日洗濯してもらってよ」
「う、うるせー」
――珍しくガオが素直に優しくしてくれるのに、ぜんぜん、ロマンチックじゃない。
プリムラは内心でそんな不満を漏らすが、しかしこういうところが自分たち「らしさ」なのかなとも思った。……思えた。
「……お前が」
「うん……」
「お前がもうオレの心がわかんねーって言うなら……これからはちゃんと言葉にしていく。すぐにうまくはできねえと思うけど……」
「うん……」
「お前に、『好き』って気持ちがきちんと伝わらないことが一番イヤだからな」
プリムラはガオから渡されたハンカチで涙をぬぐい、顔を上げた。
目の前には、顔を真っ赤にしたガオがいた。けれどもいつかのように、ガオがその場から逃げ出すような気配は、当たり前だがなかった。
「わたしも……『ガオが好き』ってたくさん言う」
「おう、たくさん言えよ!」
ガオは羞恥の感情がもはや上限に達しているのか、普段とは違い、顔を赤くして恥ずかしがりながらもそんなことを口走る。ヤケになっているのだろう。
それは、プリムラにもよくわかった。
心の内が読めなくても、わかった。
……プリムラの他人の心を読む天賦の才は、なぜか次の日には戻っていた。夢の中でプリムラに説教をしてきたのは神の類いだろうと今は納得できる。恋愛ごとをどこかナメていたふたりに灸をすえるために出てきたのだろう。プリムラとガオはそう解釈した。
――かくして、どこにいても愛を囁き合う学園一のバカップルは誕生したのであった。
57
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
強面貴族の幼馴染は恋を諦めている〜優しさを知っている年下令嬢は妹にしか見られない〜
蒼井美紗
恋愛
伯爵令嬢シルフィーネは幼馴染のレオナルドが大好きだった。四歳差があり妹としか見られていないので、自身の成長を待っていたら、レオナルドが突然騎士団に入ると言い出す。強面の自分と結婚させられる相手が可哀想だと思ったらしい。しかしシルフィーネはレオナルドのことが大好きで――。
冬薔薇の謀りごと
ono
恋愛
シャルロッテは婚約者である王太子サイモンから謝罪を受ける。
サイモンは平民のパン職人の娘ミーテと恋に落ち、シャルロッテとの婚約破棄を望んだのだった。
そしてシャルロッテは彼の話を聞いて「誰も傷つかない完璧な婚約破棄」を実現するために協力を申し出る。
冷徹で有能なジェレミア公爵やミーテも巻き込み、それぞれが幸せを掴むまで。
ざまぁ・断罪はありません。すっきりハッピーエンドです。
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
【短編版】番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました
降魔 鬼灯
恋愛
コミカライズ化進行中。
連載版もあります。
ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。
幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。
月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。
義務的に続けられるお茶会。義務的に届く手紙や花束、ルートヴィッヒの色のドレスやアクセサリー。
でも、実は彼女はルートヴィッヒの番で。
彼女はルートヴィッヒの気持ちに気づくのか?ジレジレの二人のお茶会
三話完結
コミカライズ化に伴いタイトルを『憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜』から
『番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました』に変更させていただきます。
王子様への置き手紙
あおた卵
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
星森
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
ガネス公爵令嬢の変身
くびのほきょう
恋愛
1年前に現れたお父様と同じ赤い目をした美しいご令嬢。その令嬢に夢中な幼なじみの王子様に恋をしていたのだと気づいた公爵令嬢のお話。
※「小説家になろう」へも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる