心を読めるプリムラが、ある日その力を失って。

やなぎ怜

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後編

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「おぬしらは恋愛ごとをナメくさっておる」

 波打つ真っ白な長い髪に、口元が見えないほどに生い茂った白いひげ。

 半裸の壮年男性はプリムラに向かってそう言い放った。

 プリムラはとっさに反論しようと思ったものの、上手く言葉が出なかった。

 それに――少々、男性の言には心当たりがあったのも事実。

「――よって、そなたには罰を与える」

 そこでプリムラは目覚めた。先ほどの一件は、夢の中の出来事だったのだ。

 しかし朝食を取るためにダイニングルームへと降りてきたところで、プリムラは気づいた。

 他人の心の内が読めなくなっていることに。

 だがプリムラは半ばパニックに陥りながらも、表面上は努めて冷静に振舞った。平時となんらたがわない態度を貫いた。

 それでも半信半疑のままにいくらか耳を澄ませてもみた。しかし、いくら経っても他人の心の声は聞こえてこない。

 自分以外の他人が、なにを考えているのかわからない――。

 それは、プリムラ以外の他者からすれば至極当たり前のことであったが、プリムラの人生においては初めての事象だった。

 プリムラは、他人の心が読める。

 それは、プリムラにとっても、プリムラ以外の他人にとっても、当たり前の事実だった。

 しかし、今日、それは引っくり返った。

 いつもと変わらぬ態度で、プリムラは登校した。そして、真っ先にガオを捜した。

「ハア? 心が読めなくなったあ?」

 家族にも使用人にも告げられなかったその事実を、プリムラは努めて冷静に説明する。……少なくとも、プリムラはそうしたつもりだった。

 しかしその声はみじめなくらいに上擦っていたし、不安に震えているのが丸わかりだった。

 昨日まで視力に問題のなかったものが、今日には失明していた。プリムラからすれば今の状況はそれとほとんど同じだった。

 これまで、プリムラに悪心ある者が近づいてこなかったのは、ひとえにプリムラが他人の心を読める力を持っているからであった。

 けれども、それがなくなったと知られれば、どうなるか――。

 プリムラは疑心暗鬼の状態に陥っていた。

 怖くて、不安で仕方がなくて。自らの身に起きた出来事をガオに話してどうにかなるとは思えなかったものの、だれかに言ってしまいたいという気持ちのままに、彼に事実を伝えたのだ。

 ガオは、

「ふーん……」

 と、無関心な響きを伴った声で言った。

 プリムラの心の中に、にわかに焦燥が生まれる。

 プリムラは、ガオのことを理解している。素直になれなくて、ときに粗暴にも思える言葉遣いをすることはあっても、プリムラに対しては優しい態度を示すし、心の中はプリムラへの愛であふれている。

 プリムラは、他人の心が……読めた。読めたから、ガオのことはだれよりも自分が理解しているという自負があった。

 だからプリムラとガオは、これまで「すれ違い」だとかいうカップルにありがちなトラブルとは無縁だった。

 ガオがいくら素直ではない態度を取ってしまっても、プリムラにはその本心が筒抜けだったからだ。

 今、ガオの返答が無関心に聞こえたのは、単純にその頭を猛スピードで回転させ、色々と考え事をしているからだ、ということもプリムラにはよく理解できた。

 わざわざ心の中を覗かなくったって、プリムラにはガオの言葉の裏にある気持ちを理解できる。

 できるが――

「別に……お前が天賦を失っても、どうでもいい」

 プリムラの心に不安の波が押し寄せた。

 それは朝起きてからずっとその不安の波をなんとかため込んでいたダムを、決壊させるにはじゅうぶんだった。

「……は? お前、なんで泣いて……」

 わかっている。ガオにとって、プリムラが心を読めるかどうかなんて、どうでもいいことなのだ。

 ガオは、プリムラという人間を愛しているから。

 だから心を読まれることに居心地悪さや、気恥ずかしさを感じていても、それでもプリムラのそばにいてくれているのだ。

 わかっている。

 わかっている。

 けれど。

「……言って」
「……なんて?」
「……『好き』って、言って」

 わからなかった。

 今のプリムラは、ガオの心を読めないのだ。ガオの気持ちが本心であると知る手段が、なにもないのだ。

「ガオの気持ち、今わかんないから」
「それはさっき聞いた――」
「だから! ガオが冷たいこと言っても! 今のわたしはなんにもガオの本心がわかんないんだってば!」

 「……だから、『好き』って言ってよ……」。プリムラはみじめったらしく鼻をすすり、そんな顔をガオには見られたくなくて、うつむいた。それでもガオが呆気に取られている様子は、なんとなくの空気でわかった。

 しばらくの沈黙は、プリムラにはひどく長く感じられた。

 だが、やがてガオが口を開く。

「オレが悪かった。だから、泣くなよ」
「泣かせたのはガオの言葉のせいだよ」
「だから『悪かった』って言っただろ。……あー……」

 ガオがじれた声を出したあと、唾を呑み込むかすかな音が聞こえた。

「だから……お前に天賦があろうとなかろうと、オレはお前のことが好きだって、言いたくてだな……」
「わかってる」
「わかってないだろ。だから泣いてるんだろ」
「それはそうだけど」
「メンドクセーやつ。……だけど、まあ、素直になれないオレが一番メンドクセーか」

 ガオがポケットから取り出したハンカチを差し出す。布地にはちょっとシワが寄っていた。

「ハンカチは毎日洗濯してもらってよ」
「う、うるせー」

 ――珍しくガオが素直に優しくしてくれるのに、ぜんぜん、ロマンチックじゃない。

 プリムラは内心でそんな不満を漏らすが、しかしこういうところが自分たち「らしさ」なのかなとも思った。……思えた。

「……お前が」
「うん……」
「お前がもうオレの心がわかんねーって言うなら……これからはちゃんと言葉にしていく。すぐにうまくはできねえと思うけど……」
「うん……」
「お前に、『好き』って気持ちがきちんと伝わらないことが一番イヤだからな」

 プリムラはガオから渡されたハンカチで涙をぬぐい、顔を上げた。

 目の前には、顔を真っ赤にしたガオがいた。けれどもいつかのように、ガオがその場から逃げ出すような気配は、当たり前だがなかった。

「わたしも……『ガオが好き』ってたくさん言う」
「おう、たくさん言えよ!」

 ガオは羞恥の感情がもはや上限に達しているのか、普段とは違い、顔を赤くして恥ずかしがりながらもそんなことを口走る。ヤケになっているのだろう。

 それは、プリムラにもよくわかった。

 心の内が読めなくても、わかった。



 ……プリムラの他人の心を読む天賦の才は、なぜか次の日には戻っていた。夢の中でプリムラに説教をしてきたのは神の類いだろうと今は納得できる。恋愛ごとをどこかナメていたふたりに灸をすえるために出てきたのだろう。プリムラとガオはそう解釈した。

 ――かくして、どこにいても愛を囁き合う学園一のバカップルは誕生したのであった。
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