バケモノ王子とその先生

やなぎ怜

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「まず、私は人間じゃない」

 処置を終えた仮面の男は俺を見て「部屋に入れ」と無言で指を差した。その後「外にいるから話し合え」と言って出て行ってしまう。残された俺はベッドの上にいる先生を見た。腕のくっついた先生を見た。また瞬きをしている先生を見た。どこからどう見ても、手投げ弾を真正面から受け止めた後には見えない。

 そんな先生が、俺にスツールを勧め、腰を下ろしたところを見届けたのか、口を開いて言った。

「人間じゃない」。そう聞いたときの俺の心境を、ひとことで言い表すのは難しい。おどろきを伴いつつ、納得したというのが一番正確だろうか。先生がどこか浮世離れした雰囲気を持っていることも、戦争の前からずっと姿が変わっていないことも、そのひとことですべて腑に落ちた。

「もっと正確に言えば人間だったが、今は人間ではない」
「それじゃあ――先生は、一体?」
「ホムンクルス……と言ってわかるか? まあ、言ってしまえば人造の生命体だ。マスターに言わせればホムンクルスの進化系が私らしいが、専門ではないのでよくわからない」
「あの仮面の男が先生を造った、ということか」
「肉体はそうだ」
「……魂は?」
「そう、魂は人間だ。……人間だった。ホムンクルスの肉体に入れるのに足る、どこかの乞食の子供……それが私……だった」

 人造の生命体が今、目の前にいるのだと思うと不思議な気持ちになった。目の前にいるのは、もう何度だって見慣れた先生なのに。……それでも先生が見慣れないなにかに変化することはなかった。先生は、先生のままだった。ホムンクルスであるとか、乞食であったとか聞かされても、俺にとって先生は先生なのだ。

 先生は静かに言葉を続ける。

「私がバケモノをこの国に授けたのは、マスターが金に困っていたからだ」

 愛国心だとか、正義のためとか言われても、うさんくさいことこの上ないが、あまりに世俗的な理由に少し呆気に取られる。しかしまあ、少し話しただけでもあの仮面の男が義侠心とかそういう麗しい心の持ち主かと問われると、迷ってしまうていどには、「金のため」と言うのはぴったりな理由に思えた。

「そしてマスターがここにきていたのは、私がこのまま死ねばホムンクルスの技術が流出してしまうことを恐れたのだろう。錬金術師は秘密主義者が多い。マスターも例外なくそうだ」
「……それにしては妙にタイミングがよかった」
「もしかしたら未来予知くらいはできるのかもしれない」

 己がバケモノという人知を超えた存在であるということを一瞬忘れて、「未来予知」という言葉の荒唐無稽さにちょっと笑いそうになった。が、真面目に考えれば人造の生命体などを生みだす技術を持っているのだ。もしかして、という言葉が脳裏をよぎる。

 先生は大真面目に話しているわけではないようだった。先生もあくまで可能性の話をしているにすぎないのだろう。

 それよりも先生の言葉が引っかかった。

「あの男は先生の死を……いや、死にかけることを? 予見していたのか。それで、王都に?」
「いや……私はもう、死にかけの体なんだ、ジル」
「え?」

 また一瞬呆気に取られた。こんなにも元気そうに話しているのにもかかわらず、死にかけている、というのがよくわからなかった。……もしかしたら、あの仮面の男の施術は一時的に命を繋げるためのもので、先生は今この瞬間も死に向かっているのだろうか? そんな想像をして血の気が引いて行くのがわかった。

 先生はそんな俺をいつもの水晶のような美しい目で見ている。そして淡々と言葉を告げて行く。

「本来、ホムンクルスというものはフラスコの中で作られ、そこからは出られない。出たとしても短命で、すぐに死んでしまう。……私もそうだ。例外なく、ホムンクルスはフラスコの外では長くは生きられない」
「……では、フラスコに戻れば――」
「私ほどの大きさのフラスコを作るなんてことになれば、マスターは泣いてしまう。それにマスターが目指すのは外でも生きられるホムンクルスなんだ。フラスコに戻すことなんて考えていない」
「それでは! ……それでは、先生は……死んでしまう」

「死んでしまう」。なんて忌々しく恐ろしい言葉なのだろう。それを口で形作った瞬間、俺はまた体から血の気が引いて行く音を聞いた。

 震える声で、震えを止められない声で、俺は先生に問う。

「先生は……それでいいのか」
「いいも悪いもない。マスターのお陰で私は人並みの生活というモノを知った。そういう恩がある。それに、死んでもまたマスターが私の肉体を作ってくれる」
「……『また』?」
「そうだ。私はもう気づいたらずっとそういう風に生きてきた。生まれて……いや、生みだされて? 死んで……また生まれて、死ぬ。私の魂はそうやって何度も使

 今度こそ絶句した。そしてじわじわと仮面の男に対する怒りのようなものを感じた。「使われる」――そんな風に、先生を道具として扱っていることに、憤怒の情を禁じ得ない。

 そんな感情が表情に出てしまっていたのか、先生はふっと目元を緩めて俺を見る。

「いいんだ、これで。お陰で私は色んな国へ行けて、色んなものが見られる。死ぬのは苦しいが、また新たな命を与えられるのだと思うと、そういうことにも慣れてしまった」
「でも、そんな」
「いいんだ、ジル。お前が私のために怒ってくれてうれしい。でも、マスターのことは怒らないでやってくれ。たしかに立派な人格とは言い難いが……あれでも打たれ弱いんだ」

「打たれ弱い」がなにを示しているのかまでは、俺は読み取れなかった。ひょろっとしているから、俺が殴ったらたしかに死んでしまいそうだ。あるいは、ふたつの意味で「打たれ弱い」と表現したのかもしれない。

 俺は怒りを向ける先を失って、情けなくもしおしおと萎れて行く自分を感じた。

「死期が近づいているのはわかっていた。いずれ衰弱して私は死ぬ。だからその前に……お前に会いたかった」

 しかし現金なもので、次の瞬間には俺は先生の言葉によって春でも到来したかのように浮き立つ。先生が死んでしまうという事実は俺にとってあまりに残酷だったが、それゆえに最期を前にして「俺に会いたかった」という言葉には喜びを禁じ得ない。

 だが先生の表情はどんどんと暗く、難しくなって行くようだった。俺はそんな先生を見て、胸騒ぎを覚える。

「そして……生き残ったお前に告げなければならないことがあった」
「……それは?」
「……バケモノには副作用がある。バケモノになった人間を……不老にするという副作用が」

 先生の言葉は正直に言えば――おどろくべき事実というわけでもなかった。みな、俺の白髪に気を取られているのか指摘されたことはなかったが、俺は気づいていた。バケモノになってから何年も経つのに、あれからまったく鏡で見る己の顔が変わらないことに。

 先生の言葉に傷ついたり、裏切られたという気持ちになったり、怒りを覚えたりはしなかった。不思議と、そういう感情は浮かんではこなかった。

 先生の言った副作用は、事前には知らされていなかった。客観的に見れば、「騙し打ちされた」という表現がぴったりくるのだろうが、俺は先生を罰したいような気持ちにはならなかった。

「それは……父上も知らないのか?」
「知らない。知られてしまうと、ややこしいことになるからな」
「なるほど……」

 バケモノになってでも老いない肉体が欲しいと言う人間は、この世にゴマンといるだろう。そう考えると先生が父にすらバケモノの副作用を秘匿したのには納得が行く。秘密の情報など、口に出した瞬間からどこへと漏れるかわかったものではない。

「それは、あの男がそう命令したのか?」
「……まあ、そういうことになる」

 渋々といった様子で口にした先生を見て、まあそうだろうなと俺は思った。秘匿の方針に先生の意思はあまり感じられなかったからだ。そういう直感もあって、俺は先生を責め立てるような気にはならなかった。かと言って、あの仮面の男に対する怒りもない。俺の意思でバケモノになったのだから、今さらどうこう言われても問題はなかった。

「先生は……つまり、永遠を生きているということになるのか?」
「マスターがいる限りは、そうだろう」
「そして俺も、死なない限りは永遠を生きることになる、と」
「……そうだ」

「――うれしい」

 俺は思わず、笑みを浮かべた口元からそんな言葉をこぼしていた。
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