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四郎と千世が連れ立って――というか、ほとんど千世は四郎に引きずられて――辿り着いた、ホテルの上品なラウンジ。……から、今まさに移動しようとしている朔良を見つけて、千世は声をかけそうになった。
しかし今ここで自分が声をかけても朔良の迷惑になるのではないか、と千世は考えた。
実際、朔良はその隣に立つ、千世よりもいくつか年上の、綺麗な格好をした女性に穏やかな笑顔を振りまいている。
朔良は見合い話を断るつもりで会いに行くのだと千世に言った。
千世は、その言葉を信じていないわけではなかったものの、しかし自分よりも遥かに自信が溢れていて、いかにも育ちが良さそうなその女性を見ると、しり込みする気持ちが生まれた。
だから、千世は朔良を見つけても、声をかけられなかった。
だが四郎は普通に朔良を呼び止めた。
四郎と千世を認めた朔良は、口をつぐんでぎょっとおどろきに目を剥いた。
朔良の中に、言い知れぬ不安が生じる。
他でもない恋人である千世以外の女性と――見合い話を断るためとは言えど――会っていたこと。その場面を千世に見られたこと。
そして――四郎だ。
朔良は四郎を「理性ある獣」と評した。彼の本質が獣だろうという認識は、今でも朔良の中に根強くある。
それから、土岐四郎という男が、都合よく「理性」を見せてくれる獣ではないこともまた、朔良は確信していた。
「彼女を捨てる気か、宮城」
「……突然現れてなんなんですか、土岐さん」
四郎は好青年にしか見えない笑顔のまま、明るくもどこかすごむような声で問う。
朔良の予想通り、四郎は他人の都合など考えないし、都合よく察して動いてくれるということもないのだった。
朔良が千世を見れば、千世は戸惑った様子で土岐の服の裾を、控えめに引っ張る。
「と、土岐さん……」
少しだけ咎め立てるような、あるいはなだめるような声で千世は四郎の名を呼んだが、四郎が動かないこと弁慶のごとし。
朔良は千世に負担をかけたくはないという思いと共に、四郎がこれ以上無用なトラブルを引き起こさないことを願って、軽く息を吐く。
そして改めて四郎の浅黒い肌の、精悍な顔を見た。
「捨てる気なんてありません。今日は、お断りするために来たんです」
「――だ、そうだが?」
四郎が見たのは、千世ではなく――朔良との見合いを希望した、土師美園だった。
土師美園は女性であるから、当然のように周囲には恋人たち――朔良が最初に紹介されたところによると、夫ではないらしい――が控えている。
その恋人たちは不穏な空気を発しつつ、怪訝そうな顔でことの成り行きを見守っている様子だった。
しかしまさにその中心にいる土師美園は、なぜかいかにも落ち着かないといった表情をしていた。
先ほどまで、土師美園は朔良にしなだれかからんばかりだった――朔良は上手くかわしていた――というのに、今では完全に距離を取っている。
自分の容姿にも魅力にも自信満々な、男は自分にかしずいて当たり前――そんな思考が透けて見えるような女性。それが朔良が抱いた土師美園の印象だった、はずだが。
「お知り合いですか?」
「親戚だ。大変名誉なことに」
朔良が土師美園と四郎の関係を問えば、珍しく皮肉に満ちた四郎の声が返ってきた。
四郎は、あわあわとあせった顔をする土師美園を、射抜くような鋭い目で見ながら、言葉を続ける。
「我が一族には未だ旧弊の空気が漂っていてな。本家分家などといった隔たりがそうだ。俺は本家の四男、彼女は分家筋の長女というわけだ」
四郎が、時代錯誤な価値観を良しとしていないことは明らかだった。
それでも土師美園からすると、本家の人間になにやら見合いの現場に踏み込まれたのは、大変に気まずいらしい。
なぜ気まずいのか、そのものの理由はもちろん朔良にはわかりはしなかったものの、ロクな予感がしなかった。
しかし四郎は気が変わったのか、土師美園に向けていた鋭い視線を少しだけゆるめた。
顔は、最初から好青年としか言いようのない笑みが浮かんだままだ。
けれども、有無を言わせぬすごみが、四郎の笑顔にはあった。
「悪いことは言わない。ここにいる宮城朔良という男には恋人がいる。恋人というのはここにいる彼女で、俺は彼女の友人なんだ。だからあきらめて、今日のことはすっかり忘れて帰ってくれ」
穏やかに、相手を諭すような言葉ではあったものの、「帰ってくれないか」という言葉ではなく、「帰ってくれ」と言い切っているあたりに、土岐四郎という人間が表れているようだった。
朔良は突然変わった場の流れについて行くのに必死だったが、そんな中でも四郎が、仮に方便だろうと千世を「友人」と言ったことにおどろいた。
四郎に笑顔のまま、すごまれるようにそう言われて、土師美園はもごもごと不明瞭な言葉を口の中で転がしているようだった。
そんな状況になって、黙っていられなかったのが、土師美園がぞろぞろと引き連れてやってきた恋人たちであった。
この恋人たち、顔はいいにはいいが、ファッションだとかまとう空気とかが、いかにもホストかチンピラ風だなと、朔良は初対面から思っていたが、中身も見た目通りだったらしい。
「本家だがなんだか知らねえが、男が女をコケにしてタダで済むと思ってんのか!?」
土師美園の恋人のひとりは、いきり立った様子で大股に前へ出ると、やおら四郎の胸倉をつかみ、そう言おうと――したのだろう。
したのだろうが、「タダで済むと」のあたりで四郎の頭突きが男の顔面にモロに入った。
男は鼻血を噴き出しながらもんどりうって倒れ込む。それほどの威力だったのだろう。ずいぶんな石頭だな、と朔良は妙に冷静にそう思った。
痛みを訴えつつ、ギャアギャアとわめく男を見下ろして、四郎は胸の前で拳を作る。
その顔には、まさに「満面の笑み」としか言えないような表情が浮かんでいる。
土師美園の他の恋人たちからガラの悪い怒号が飛んできても、その笑顔はまったく崩れる様子がない。
当たり前だ。
こいつは、土岐四郎なのだから――。
朔良は、諦念を持ってこと成り行きを見守ることしかできなかった。
そこからあとの出来事はもう――「喧嘩」ではなく「蹂躙」と呼ぶほうが正しかった。
しかし今ここで自分が声をかけても朔良の迷惑になるのではないか、と千世は考えた。
実際、朔良はその隣に立つ、千世よりもいくつか年上の、綺麗な格好をした女性に穏やかな笑顔を振りまいている。
朔良は見合い話を断るつもりで会いに行くのだと千世に言った。
千世は、その言葉を信じていないわけではなかったものの、しかし自分よりも遥かに自信が溢れていて、いかにも育ちが良さそうなその女性を見ると、しり込みする気持ちが生まれた。
だから、千世は朔良を見つけても、声をかけられなかった。
だが四郎は普通に朔良を呼び止めた。
四郎と千世を認めた朔良は、口をつぐんでぎょっとおどろきに目を剥いた。
朔良の中に、言い知れぬ不安が生じる。
他でもない恋人である千世以外の女性と――見合い話を断るためとは言えど――会っていたこと。その場面を千世に見られたこと。
そして――四郎だ。
朔良は四郎を「理性ある獣」と評した。彼の本質が獣だろうという認識は、今でも朔良の中に根強くある。
それから、土岐四郎という男が、都合よく「理性」を見せてくれる獣ではないこともまた、朔良は確信していた。
「彼女を捨てる気か、宮城」
「……突然現れてなんなんですか、土岐さん」
四郎は好青年にしか見えない笑顔のまま、明るくもどこかすごむような声で問う。
朔良の予想通り、四郎は他人の都合など考えないし、都合よく察して動いてくれるということもないのだった。
朔良が千世を見れば、千世は戸惑った様子で土岐の服の裾を、控えめに引っ張る。
「と、土岐さん……」
少しだけ咎め立てるような、あるいはなだめるような声で千世は四郎の名を呼んだが、四郎が動かないこと弁慶のごとし。
朔良は千世に負担をかけたくはないという思いと共に、四郎がこれ以上無用なトラブルを引き起こさないことを願って、軽く息を吐く。
そして改めて四郎の浅黒い肌の、精悍な顔を見た。
「捨てる気なんてありません。今日は、お断りするために来たんです」
「――だ、そうだが?」
四郎が見たのは、千世ではなく――朔良との見合いを希望した、土師美園だった。
土師美園は女性であるから、当然のように周囲には恋人たち――朔良が最初に紹介されたところによると、夫ではないらしい――が控えている。
その恋人たちは不穏な空気を発しつつ、怪訝そうな顔でことの成り行きを見守っている様子だった。
しかしまさにその中心にいる土師美園は、なぜかいかにも落ち着かないといった表情をしていた。
先ほどまで、土師美園は朔良にしなだれかからんばかりだった――朔良は上手くかわしていた――というのに、今では完全に距離を取っている。
自分の容姿にも魅力にも自信満々な、男は自分にかしずいて当たり前――そんな思考が透けて見えるような女性。それが朔良が抱いた土師美園の印象だった、はずだが。
「お知り合いですか?」
「親戚だ。大変名誉なことに」
朔良が土師美園と四郎の関係を問えば、珍しく皮肉に満ちた四郎の声が返ってきた。
四郎は、あわあわとあせった顔をする土師美園を、射抜くような鋭い目で見ながら、言葉を続ける。
「我が一族には未だ旧弊の空気が漂っていてな。本家分家などといった隔たりがそうだ。俺は本家の四男、彼女は分家筋の長女というわけだ」
四郎が、時代錯誤な価値観を良しとしていないことは明らかだった。
それでも土師美園からすると、本家の人間になにやら見合いの現場に踏み込まれたのは、大変に気まずいらしい。
なぜ気まずいのか、そのものの理由はもちろん朔良にはわかりはしなかったものの、ロクな予感がしなかった。
しかし四郎は気が変わったのか、土師美園に向けていた鋭い視線を少しだけゆるめた。
顔は、最初から好青年としか言いようのない笑みが浮かんだままだ。
けれども、有無を言わせぬすごみが、四郎の笑顔にはあった。
「悪いことは言わない。ここにいる宮城朔良という男には恋人がいる。恋人というのはここにいる彼女で、俺は彼女の友人なんだ。だからあきらめて、今日のことはすっかり忘れて帰ってくれ」
穏やかに、相手を諭すような言葉ではあったものの、「帰ってくれないか」という言葉ではなく、「帰ってくれ」と言い切っているあたりに、土岐四郎という人間が表れているようだった。
朔良は突然変わった場の流れについて行くのに必死だったが、そんな中でも四郎が、仮に方便だろうと千世を「友人」と言ったことにおどろいた。
四郎に笑顔のまま、すごまれるようにそう言われて、土師美園はもごもごと不明瞭な言葉を口の中で転がしているようだった。
そんな状況になって、黙っていられなかったのが、土師美園がぞろぞろと引き連れてやってきた恋人たちであった。
この恋人たち、顔はいいにはいいが、ファッションだとかまとう空気とかが、いかにもホストかチンピラ風だなと、朔良は初対面から思っていたが、中身も見た目通りだったらしい。
「本家だがなんだか知らねえが、男が女をコケにしてタダで済むと思ってんのか!?」
土師美園の恋人のひとりは、いきり立った様子で大股に前へ出ると、やおら四郎の胸倉をつかみ、そう言おうと――したのだろう。
したのだろうが、「タダで済むと」のあたりで四郎の頭突きが男の顔面にモロに入った。
男は鼻血を噴き出しながらもんどりうって倒れ込む。それほどの威力だったのだろう。ずいぶんな石頭だな、と朔良は妙に冷静にそう思った。
痛みを訴えつつ、ギャアギャアとわめく男を見下ろして、四郎は胸の前で拳を作る。
その顔には、まさに「満面の笑み」としか言えないような表情が浮かんでいる。
土師美園の他の恋人たちからガラの悪い怒号が飛んできても、その笑顔はまったく崩れる様子がない。
当たり前だ。
こいつは、土岐四郎なのだから――。
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