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「ウチにきてくれた記念日だよ♡」「は? 騙されて連れてこられたんだが?」
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脱走しよう。
そう決意したのは恋人の若葉に連れられてやってきた高級レストランでのこと。
食事のためにわざわざあの家から私を連れ出してくれるなんて珍しいと思って「どうしたの?」なんて聞いたら、このセリフ。
「莉々がウチにきてくれた記念日だよ♡」
「は? 騙されて連れてこられたんだが?」
私の至極まっとうな返しに若葉は困ったように笑うだけ。
人工島である歓楽島は、名の通り島丸ごと歓楽街といった様相を呈している。私はそこでぷらぷらと働いていた。
そんな私を騙してあの一軒家に連れて行ったのは、他でもない幼馴染の若葉である。
歓楽島にも当然居住のための区画はあり、そのうちの高級住宅街と呼ばれる地区に若葉の用意した家はあった。
私はそこに連れて行かれて、基本的に外へ出ることは許されず――つまり、軟禁されている。
だから高級レストランへわざわざ連れ出してくれるなんて珍しいなと思ったら、これ。
若葉としては恋人と記念日を祝うくらいの軽い気持ちなのだろうが、私からすれば不満だらけだ。
でも出てきたコース料理に罪はないので全部食べた。出されたものはきちんと食べる。馬鹿すぎる私にだってそれくらいの礼儀はわかる。
そしてデザートに出されたカシス味のジェラートを食べ終わったあと、思ったのだ。
「脱走しよう」と。
脱走するための計画にはネズミ――スパイを使うことにした。
ネズミは若葉の組織に潜入している……どっかのスパイである。警察官かもしれないし、他のギャングの下っ端かもしれないが、そこまでのことを私は知らない。若葉は知っているのかもしれないけれど、少なくとも私は知らない。
ネズミが私が暮らしている一軒家に出入りするようになったのは三ヶ月ほど前。家に常駐しているわけではないのだが、それなりに顔見知りになっている。というか、私が一方的にフランクに話しかけているだけだ。
ネズミのほうはもちろん私に遠慮があるっぽい素振りを見せている一方、若葉や組織のことについてそれとなく聞き出そうとしてきたから、「あ、こいつネズミなのか」と気づいた次第であった。
それとほとんど同じ時期に、若葉から「あまり気安く話しかけてやるな」と釘を刺されて確信するに至ったのだ。
ネズミがなぜこんなことをしているのか私は知らない。知らないし、興味もない。だから、この脱走計画に利用させてもらうことにした。
ネズミがスパイではなく、組織にきちんと奉仕するような人間であれば、利用することにためらいも生まれたかもしれない。しかしネズミはスパイなので、私がどう扱ってもいいだろう。たぶん。若葉もわかってて泳がせてるだろうし。
「少しだけでいいから外に出たいナ」
私はぶっちゃけ美女である。物心ついたころから美少女として鳴らしてきて、わりと金に困っていたときでさえスキンケアやヘアケア、化粧品には気を払って生きてきた。なぜならこの容姿は私が持つ唯一の武器だったから。
そして今は若葉のお金でなに不自由なく自慢の美貌を保っている。
そんな美女が小首をかしげ、瞳を少しうるませながら、上目遣いにお願いをしているのだ。そこらの男であれば心がぐらつくというものだろう。もちろん、ぐらつかない男だっているが、ネズミは前者だったようだ。
自分でやっておいてなんだが、私からすればあざとすぎて鳥肌ものである。しかし性別が違うと受け取り方というものは結構変わるらしい。あるいは、ちょっとあざとすぎるくらいの言動のほうが好きというパターンか。
いずれにせよネズミは私を連れ出してくれることにしたらしい。屋敷に常駐している護衛――実質見張り――には若葉が呼んでいるという嘘をつき通して私をぴかぴかの車に乗せてくれた。
「ねえ、このまま逃げたいって言ったらどうする?」
憂い顔の美女がバックミラー越しにそんなことを言ったので、ネズミはごくりと喉仏を上下させた。
「莉々さん……」
「ごめんね。そんなことしたら無事じゃ済まないもんね」
「……無事で済む方法はありますよ」
おっと、ネズミは警察官だったのか? あるいは私の美貌を敵対組織に売り込めば助かるよと言いたいのか。
まあどちらでもいいことだ。私は逃げる気なんてサラサラないのだから。
ただちょっと、約束を反故にした若葉を困らせてやりたいだけ。
「ねえ、お腹空いたからハンバーガー食べたい」
ネズミがドライブスルーを利用しようとするのを止めて、狭い駐車場にぴかぴかの車を止めさせる。私は車を降りてそのままスタスタとハンバーガーショップに入った。
グルメバーガーなどとは無縁の、チェーン展開をしているハンバーガーショップだ。お昼時をちょっと過ぎたくらいだからか、店内の席は割と埋まっている。
あわてて私を追ってきたネズミに金を出させてハンバーガーを注文する。番号札を渡されたので、レジの近くの邪魔にならない位置に立った。
「莉々さん、こんなことをしている場合じゃ――」
「お腹空いたの」
まだ昼食は口にしていなかったから、その言葉自体は嘘じゃなかった。
ネズミは明らかに困惑顔で私を見ている。けれども私が「逃げたい」という気持ちを翻すのが怖いのか、引きずってまで車に戻そうという気概は感じられなかった。
そうしているあいだに天井近くについているモニターに、私の手の中にある札と同じ番号が表示された。ニコニコ笑顔の店員から商品を受け取り、自動ドアをくぐって外に出る。横にいるネズミが明らかに安堵したのを見て、私は外に置かれた白いプラスチック製のイスに座った。
「莉々さん?!」
「お腹空いたって言ったでしょ」
「車の中でも食べられますよ」
「そうだね」
ネズミは困惑し、少しイラだった顔になる。私はそれを無視してコーラの入ったカップにストローを差す。
私はハンバーガーが好きだ。それもグルメバーガーとかいうやつではなく、もっと手軽に食べられるジャンクなもののほうが好きだ。……こういうのを貧乏舌というのかもしれないが、安い値段で手軽に満足できるのは悪いことではないと私は思っている。
「莉々さん!」
ハンバーガーにかじりついた私の二の腕を、ネズミがつかむ。
それとほとんど同時に、ネズミのスネに後ろから鋭い蹴りが入った。
うめき声を上げるネズミのほうをちらりと横目で見れば、よく見知った顔が彼の背後にあった。
「テメエ、だれの女に触ってんだ?」
絶対に私には向けられない、ドスの利いた声。
――若葉だ。
「おい」
若葉が控えていた男たちに顎で指示してネズミをどこかへ連れて行かせる。
ネズミの姿が路肩に停められた大型バンの中へ消える前に、若葉はテーブルを挟んで私の向かい側に腰を下ろした。
「早かったじゃん」
ハンバーガーを飲み込んでそう言えば、若葉は深いため息をついた。
「莉々、GPS切ってなかったからな」
「当たり前じゃん。『GPSは絶対に切るな』って言ったのは若葉でしょ?」
「……そうだな。それにあのネズミには監視をつけてたから」
「へー」
ネズミの正体とかはどうでもいいので私は軽く流す。
スマートフォンの電源を切っていなかったから、若葉が私の元へたどり着くのは簡単なことだっただろう。若葉が私を追ってこれないのでは意味がない。だからGPSが機能できる状態のままにしておいたわけである。
「はい、これ若葉のぶん」
ハンバーガーを若葉に手渡す。若葉は何も言わずに素直に受け取り、ガサガサと包装紙を剥く。
「莉々、怒ってるのか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「怒ってるじゃねーか」
若葉はため息をついてハンバーガーをかじった。
「若葉のウーロン茶はこれね」
ウーロン茶の入ったカップを持って、若葉の手前に置く。若葉はまた何も言わずに食べかけのハンバーガーを置くと、ストローの袋を破って取り出し、カップに突き刺した。
「……忘れてたわけじゃないんだ」
若葉の弁明を聞きながら、私はセットで頼んだフライドポテトを口に入れた。
「ただ、俺たちもういい歳だろ? それに金だってある。だから――」
「だから、約束を破ったの?」
「……そういうわけじゃねえ」
「そういうわけじゃん。――私、毎年楽しみにしてたんだけどなー。若葉はそうじゃなかったんだ」
「違う」
「……高級レストランもうれしかったよ。だって若葉が私を喜ばせようとしてるのはわかったから。……でもさ、約束破るのはよくないよね?」
「…………」
若葉は沈痛な面持ちのまま黙り込んでしまった。
「ふたりで生きて行くって決めた記念日には、このハンバーガーショップでハンバーガー食べようねって、約束したじゃん」
私も若葉も、口が裂けても「いい」とは言えない家庭で育った。
夜の世界へ飛び込んだのは私が早かった。なにせこの美貌に加えて、若い年齢はじゅうぶんすぎるほどの武器になった。だから、それが衰えないうちに出来るだけ金を稼ごうとして、ある日ちょっとしたことで失敗した。
ボコボコにされて、でもかろうじて骨は折れなかったわけだけれど、怖くて悲しくて腹立たしくて、久しく連絡していなかった幼馴染に――若葉に電話をした。
若葉はすぐに私を迎えにきてくれた。そのころの若葉は私とは違う世界にいた。小学校六年生のときに母親が父親を刺し殺し、塀の向こうへ行って以来、若葉は親戚の家に厄介になっていた。
その親戚は若葉の両親より人情があったので、若葉はごく普通に中学校へ通い、結構いい私立高校へと進学していた。
私はもちろん学校になんて通っていない自称フリーターの売春婦。進学校に通う若葉とは住む世界が違っていた。
けれども若葉は私の元へ飛んできてくれた。
私はそれが今でもうれしくてうれしくて――でも、時々罪悪感にさいなまれる。
ボコられた上に、頭も弱い私を心配してか、若葉はポン引きの真似をし出した。
それがきっかけで、若葉も私もずるずると落ちて行って――今では立派な裏社会の住人である。
『ふたりで生きて行く』
そう言い出したのは若葉からだった。勉強が出来て機転の利く若葉は、裏社会の人間に気に入られてとんとん拍子にトップへと上り詰めている最中だった。
私は、また若葉と住む世界が違ってしまうのが怖かった。
けれど頭のいい若葉はそんな私の不安に気づいたのだろう。よくふたりで行っていたハンバーガーショップに私を呼び出すと、そんなプロポーズめいたことを言ったのだ。
だから私はこう返したのだ。
『じゃあ今日が記念日ね。記念日にはハンバーガーを食べよう。ずっとだよ? 約束』
若葉は『わかった。約束、な』と言って笑ってくれた。それだけで私の中から不安は立ち消えた。
「……悪かった」
うめくように、絞り出すように若葉が言う。
「約束を破ったこと? それとも私をあの家に閉じ込めている件?」
「……両方……」
「そっか。でも私、閉じ込められていることについてはそんなに怒っていないから」
そもそも若葉が私をあの家に閉じ込めているのは、私が拉致されてヤクを打たれてちょっと危なかった一件が原因だろう。
私が、若葉が違う世界へ行ってしまうことを恐れたように、若葉は、私が不意に奪われる可能性について危惧している。
だから、私をあの家に閉じ込めるという選択をしたのだろう。宝物を、フタの固いクッキー缶にでもしまうように。
なので、今の状況はある種仕方のないことだから、不満はない。あるとすれば事前に相談してくれなかったことに対してだ。
「普通は自由を奪われてることのほうに怒ると思うが」
「別に嫌じゃないし。若葉ちゃんと帰ってくるし」
「でもハンバーガーを一緒に食べなかったことについては怒ってるんだな」
「まあね。まあまあね。でも今日一緒に食べてくれたから許してあげる」
若葉は困ったように笑って、それからあんまりイヤな感じのしないため息をついた。
「莉々は仕方ないな」
「それはこっちのセリフじゃん?」
「いや、こっちのセリフ。仕方ないから勝手に外に出たことは許してやる」
「相殺ってこと?」
「ああ」
ハンバーガーを食べ終わり、私はコーラの入ったカップに手を伸ばした。
「じゃあ、これからもよろしくね」
私がそう言うと、若葉はまた困ったように笑って「ああ」とだけ言った。
それが困り顔じゃなくて照れているだけだってことは、私にはよくわかった。
そう決意したのは恋人の若葉に連れられてやってきた高級レストランでのこと。
食事のためにわざわざあの家から私を連れ出してくれるなんて珍しいと思って「どうしたの?」なんて聞いたら、このセリフ。
「莉々がウチにきてくれた記念日だよ♡」
「は? 騙されて連れてこられたんだが?」
私の至極まっとうな返しに若葉は困ったように笑うだけ。
人工島である歓楽島は、名の通り島丸ごと歓楽街といった様相を呈している。私はそこでぷらぷらと働いていた。
そんな私を騙してあの一軒家に連れて行ったのは、他でもない幼馴染の若葉である。
歓楽島にも当然居住のための区画はあり、そのうちの高級住宅街と呼ばれる地区に若葉の用意した家はあった。
私はそこに連れて行かれて、基本的に外へ出ることは許されず――つまり、軟禁されている。
だから高級レストランへわざわざ連れ出してくれるなんて珍しいなと思ったら、これ。
若葉としては恋人と記念日を祝うくらいの軽い気持ちなのだろうが、私からすれば不満だらけだ。
でも出てきたコース料理に罪はないので全部食べた。出されたものはきちんと食べる。馬鹿すぎる私にだってそれくらいの礼儀はわかる。
そしてデザートに出されたカシス味のジェラートを食べ終わったあと、思ったのだ。
「脱走しよう」と。
脱走するための計画にはネズミ――スパイを使うことにした。
ネズミは若葉の組織に潜入している……どっかのスパイである。警察官かもしれないし、他のギャングの下っ端かもしれないが、そこまでのことを私は知らない。若葉は知っているのかもしれないけれど、少なくとも私は知らない。
ネズミが私が暮らしている一軒家に出入りするようになったのは三ヶ月ほど前。家に常駐しているわけではないのだが、それなりに顔見知りになっている。というか、私が一方的にフランクに話しかけているだけだ。
ネズミのほうはもちろん私に遠慮があるっぽい素振りを見せている一方、若葉や組織のことについてそれとなく聞き出そうとしてきたから、「あ、こいつネズミなのか」と気づいた次第であった。
それとほとんど同じ時期に、若葉から「あまり気安く話しかけてやるな」と釘を刺されて確信するに至ったのだ。
ネズミがなぜこんなことをしているのか私は知らない。知らないし、興味もない。だから、この脱走計画に利用させてもらうことにした。
ネズミがスパイではなく、組織にきちんと奉仕するような人間であれば、利用することにためらいも生まれたかもしれない。しかしネズミはスパイなので、私がどう扱ってもいいだろう。たぶん。若葉もわかってて泳がせてるだろうし。
「少しだけでいいから外に出たいナ」
私はぶっちゃけ美女である。物心ついたころから美少女として鳴らしてきて、わりと金に困っていたときでさえスキンケアやヘアケア、化粧品には気を払って生きてきた。なぜならこの容姿は私が持つ唯一の武器だったから。
そして今は若葉のお金でなに不自由なく自慢の美貌を保っている。
そんな美女が小首をかしげ、瞳を少しうるませながら、上目遣いにお願いをしているのだ。そこらの男であれば心がぐらつくというものだろう。もちろん、ぐらつかない男だっているが、ネズミは前者だったようだ。
自分でやっておいてなんだが、私からすればあざとすぎて鳥肌ものである。しかし性別が違うと受け取り方というものは結構変わるらしい。あるいは、ちょっとあざとすぎるくらいの言動のほうが好きというパターンか。
いずれにせよネズミは私を連れ出してくれることにしたらしい。屋敷に常駐している護衛――実質見張り――には若葉が呼んでいるという嘘をつき通して私をぴかぴかの車に乗せてくれた。
「ねえ、このまま逃げたいって言ったらどうする?」
憂い顔の美女がバックミラー越しにそんなことを言ったので、ネズミはごくりと喉仏を上下させた。
「莉々さん……」
「ごめんね。そんなことしたら無事じゃ済まないもんね」
「……無事で済む方法はありますよ」
おっと、ネズミは警察官だったのか? あるいは私の美貌を敵対組織に売り込めば助かるよと言いたいのか。
まあどちらでもいいことだ。私は逃げる気なんてサラサラないのだから。
ただちょっと、約束を反故にした若葉を困らせてやりたいだけ。
「ねえ、お腹空いたからハンバーガー食べたい」
ネズミがドライブスルーを利用しようとするのを止めて、狭い駐車場にぴかぴかの車を止めさせる。私は車を降りてそのままスタスタとハンバーガーショップに入った。
グルメバーガーなどとは無縁の、チェーン展開をしているハンバーガーショップだ。お昼時をちょっと過ぎたくらいだからか、店内の席は割と埋まっている。
あわてて私を追ってきたネズミに金を出させてハンバーガーを注文する。番号札を渡されたので、レジの近くの邪魔にならない位置に立った。
「莉々さん、こんなことをしている場合じゃ――」
「お腹空いたの」
まだ昼食は口にしていなかったから、その言葉自体は嘘じゃなかった。
ネズミは明らかに困惑顔で私を見ている。けれども私が「逃げたい」という気持ちを翻すのが怖いのか、引きずってまで車に戻そうという気概は感じられなかった。
そうしているあいだに天井近くについているモニターに、私の手の中にある札と同じ番号が表示された。ニコニコ笑顔の店員から商品を受け取り、自動ドアをくぐって外に出る。横にいるネズミが明らかに安堵したのを見て、私は外に置かれた白いプラスチック製のイスに座った。
「莉々さん?!」
「お腹空いたって言ったでしょ」
「車の中でも食べられますよ」
「そうだね」
ネズミは困惑し、少しイラだった顔になる。私はそれを無視してコーラの入ったカップにストローを差す。
私はハンバーガーが好きだ。それもグルメバーガーとかいうやつではなく、もっと手軽に食べられるジャンクなもののほうが好きだ。……こういうのを貧乏舌というのかもしれないが、安い値段で手軽に満足できるのは悪いことではないと私は思っている。
「莉々さん!」
ハンバーガーにかじりついた私の二の腕を、ネズミがつかむ。
それとほとんど同時に、ネズミのスネに後ろから鋭い蹴りが入った。
うめき声を上げるネズミのほうをちらりと横目で見れば、よく見知った顔が彼の背後にあった。
「テメエ、だれの女に触ってんだ?」
絶対に私には向けられない、ドスの利いた声。
――若葉だ。
「おい」
若葉が控えていた男たちに顎で指示してネズミをどこかへ連れて行かせる。
ネズミの姿が路肩に停められた大型バンの中へ消える前に、若葉はテーブルを挟んで私の向かい側に腰を下ろした。
「早かったじゃん」
ハンバーガーを飲み込んでそう言えば、若葉は深いため息をついた。
「莉々、GPS切ってなかったからな」
「当たり前じゃん。『GPSは絶対に切るな』って言ったのは若葉でしょ?」
「……そうだな。それにあのネズミには監視をつけてたから」
「へー」
ネズミの正体とかはどうでもいいので私は軽く流す。
スマートフォンの電源を切っていなかったから、若葉が私の元へたどり着くのは簡単なことだっただろう。若葉が私を追ってこれないのでは意味がない。だからGPSが機能できる状態のままにしておいたわけである。
「はい、これ若葉のぶん」
ハンバーガーを若葉に手渡す。若葉は何も言わずに素直に受け取り、ガサガサと包装紙を剥く。
「莉々、怒ってるのか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「怒ってるじゃねーか」
若葉はため息をついてハンバーガーをかじった。
「若葉のウーロン茶はこれね」
ウーロン茶の入ったカップを持って、若葉の手前に置く。若葉はまた何も言わずに食べかけのハンバーガーを置くと、ストローの袋を破って取り出し、カップに突き刺した。
「……忘れてたわけじゃないんだ」
若葉の弁明を聞きながら、私はセットで頼んだフライドポテトを口に入れた。
「ただ、俺たちもういい歳だろ? それに金だってある。だから――」
「だから、約束を破ったの?」
「……そういうわけじゃねえ」
「そういうわけじゃん。――私、毎年楽しみにしてたんだけどなー。若葉はそうじゃなかったんだ」
「違う」
「……高級レストランもうれしかったよ。だって若葉が私を喜ばせようとしてるのはわかったから。……でもさ、約束破るのはよくないよね?」
「…………」
若葉は沈痛な面持ちのまま黙り込んでしまった。
「ふたりで生きて行くって決めた記念日には、このハンバーガーショップでハンバーガー食べようねって、約束したじゃん」
私も若葉も、口が裂けても「いい」とは言えない家庭で育った。
夜の世界へ飛び込んだのは私が早かった。なにせこの美貌に加えて、若い年齢はじゅうぶんすぎるほどの武器になった。だから、それが衰えないうちに出来るだけ金を稼ごうとして、ある日ちょっとしたことで失敗した。
ボコボコにされて、でもかろうじて骨は折れなかったわけだけれど、怖くて悲しくて腹立たしくて、久しく連絡していなかった幼馴染に――若葉に電話をした。
若葉はすぐに私を迎えにきてくれた。そのころの若葉は私とは違う世界にいた。小学校六年生のときに母親が父親を刺し殺し、塀の向こうへ行って以来、若葉は親戚の家に厄介になっていた。
その親戚は若葉の両親より人情があったので、若葉はごく普通に中学校へ通い、結構いい私立高校へと進学していた。
私はもちろん学校になんて通っていない自称フリーターの売春婦。進学校に通う若葉とは住む世界が違っていた。
けれども若葉は私の元へ飛んできてくれた。
私はそれが今でもうれしくてうれしくて――でも、時々罪悪感にさいなまれる。
ボコられた上に、頭も弱い私を心配してか、若葉はポン引きの真似をし出した。
それがきっかけで、若葉も私もずるずると落ちて行って――今では立派な裏社会の住人である。
『ふたりで生きて行く』
そう言い出したのは若葉からだった。勉強が出来て機転の利く若葉は、裏社会の人間に気に入られてとんとん拍子にトップへと上り詰めている最中だった。
私は、また若葉と住む世界が違ってしまうのが怖かった。
けれど頭のいい若葉はそんな私の不安に気づいたのだろう。よくふたりで行っていたハンバーガーショップに私を呼び出すと、そんなプロポーズめいたことを言ったのだ。
だから私はこう返したのだ。
『じゃあ今日が記念日ね。記念日にはハンバーガーを食べよう。ずっとだよ? 約束』
若葉は『わかった。約束、な』と言って笑ってくれた。それだけで私の中から不安は立ち消えた。
「……悪かった」
うめくように、絞り出すように若葉が言う。
「約束を破ったこと? それとも私をあの家に閉じ込めている件?」
「……両方……」
「そっか。でも私、閉じ込められていることについてはそんなに怒っていないから」
そもそも若葉が私をあの家に閉じ込めているのは、私が拉致されてヤクを打たれてちょっと危なかった一件が原因だろう。
私が、若葉が違う世界へ行ってしまうことを恐れたように、若葉は、私が不意に奪われる可能性について危惧している。
だから、私をあの家に閉じ込めるという選択をしたのだろう。宝物を、フタの固いクッキー缶にでもしまうように。
なので、今の状況はある種仕方のないことだから、不満はない。あるとすれば事前に相談してくれなかったことに対してだ。
「普通は自由を奪われてることのほうに怒ると思うが」
「別に嫌じゃないし。若葉ちゃんと帰ってくるし」
「でもハンバーガーを一緒に食べなかったことについては怒ってるんだな」
「まあね。まあまあね。でも今日一緒に食べてくれたから許してあげる」
若葉は困ったように笑って、それからあんまりイヤな感じのしないため息をついた。
「莉々は仕方ないな」
「それはこっちのセリフじゃん?」
「いや、こっちのセリフ。仕方ないから勝手に外に出たことは許してやる」
「相殺ってこと?」
「ああ」
ハンバーガーを食べ終わり、私はコーラの入ったカップに手を伸ばした。
「じゃあ、これからもよろしくね」
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