プレインフィールド&マクウェザーのハッピーハッピーライフ

やなぎ怜

文字の大きさ
2 / 6

(2)

しおりを挟む
「はあ」

 ひとまず安ホテルに向かって少ないダンボール箱を発送し、メルリリーはボストンバッグを手にマクウェザー&プレインフィールド邸改めマクウェザー&レアンダー邸を重い足取りであとにした。

 空を見上げればいつも通りのチョコレート・ブラウンの空が広がっている。

 駅の前の丸いロータリー前に設けられたベンチへ、どっかりと重い腰を下ろす。さっきからトレンチコートのポケットでバイブレーションをやめないスマートフォンを確認するためだ。

「うわあ」

 着信99+。始めて見る数値にメルリリーは思わず顎を引いた。と、同時に再び着信が入り剥き出しのスマートフォン――メルリリーは怠惰ゆえにスマホケースなどはつけていないのだ――が震えだす。

 発信者はモデル仲間のミミーナだった。夫が大会社の役員とかで主婦業の片手間でファッション・モデルをしているという、なんともうらやましいご身分の女性である。

「いったい、どうしちゃったの? あなた、ヴァルデマー・マクウェザーと付き合っていたでしょう?!」

 メルリリーは恥を忍んで「付き合っていない」と語ったあとで、一度も自分からそういう話をミミーナに持ち出さなかった過去の己を褒めた。ミミーナは恐らくゴシップニュースなどからメルリリーとヴァルデマーの関係を知っていたのだろう。そう考えると傷は浅かった。

「ネットじゃこの話題で持ちきりよ」

 そう言って送られてきたアドレスから記事に飛ぶ。芸能系ニュースを扱う大手誌のサイトでは、「マクウェザー同棲中の恋人と破局か、次のお相手はマレレーン?」などというタイトルがでかでかと踊っていた。

「いやいや、同棲じゃなくて同居だから」

 力のない声でスマートフォンの液晶の向こう側に突っ込みを入れる。そう言ったあとで、メルリリーはむなしさを覚えた。

「ところで今はどうしているの? その様子じゃパパラッチが鬱陶しいんじゃないかしら?」
「いえ。まったく。影も形を見えませんよ」
「え? そうなの? それじゃあ一度うちに来なさいよ。いつ見つかるかわかったもんじゃないわよ」
「ええっ。それは悪いです」
「いいのよ。旦那が出張でいないから暇だし。たまには女ふたりで飲みましょうよ」
「昼からですか?」
「昼からよ。悪い?」

 チェックインした安ホテルで過ごすよりは、それはいい提案かもしれない。それに今は、思ったよりもひとりでいることがつらい。

 たとえ相手が好奇心にもとづく行動でメルリリーを誘っていたとしても――ミミーナに限ってそんなことはないと彼女は思ってはいるが――どちらにせよ飛び込むという選択肢を取っていただろう。

「それでは、お言葉に甘えて……」
「オッケー。それじゃ車で迎えに行くわ。今どこにいるの?」
「ペペポンペン駅のロータリーのベンチです……あ」
「どうしたの?」

 メルリリーはチョコレート・ブラウンの空を見上げる。と、同時に額に大粒の飴――黒い包装が印象的な――が当たった。

「いたっ」

 ガゴン。ガゴン。ガガゴンゴン。駅の近くにいたひとびとは急に降り注いできた飴に右往左往している。そのうちに屋根のあるロータリーのベンチへとひとり、またひとりと集まってきた。

「あれ……?」

 そのうちの大学生らしき若者のふたり組みが、じっとメルリリーの顔を見てなにかに気づいたような顔をした。スマートフォンの画面を覗き込んで、「なあ」「……じゃね?」と声を潜めてやりとりをしている。

 メルリリーは嫌な予感がして、すっくとベンチから立ち上がり、ボストンバッグから折り畳み傘を取り出した。バッと優雅でない所作で折り畳み傘を広げると、できるだけ大急ぎで歩き出す。

 ちらりと先ほどまでいた場所を見れば、大学生のひとりがスマートフォンのカメラレンズをこちらにむけていた。

 ……撮ったのかな? ……撮ったんだろうなあ。あまりプライベートには踏み込んでは欲しくないタイプのメルリリーは憂鬱になる。女優として大成したいという夢はあれど、私生活を切り売りしてまで話題になりたいというほどの野心は、メルリリーにはないのだ。

 しかし結局、ミミーナの車に拾われるまで、メルリリーはときおりすれ違う人々からの好奇の視線に晒されるハメに陥ってしまった。

 どうにかこうにかそうやって、高級住宅街にあるミミーナの邸宅までたどりついたメルリリーであったが、そんなこんなでヴァルデマーとは直接関係のないところでくたくたになってしまった。

「ああ、やっとついた」
「お疲れさま~。コーヒー淹れたわよ」
「あ、ありがとうございます……」

 白いマグカップからはコーヒーのかぐわしい香りが立ち上る。それを胸いっぱいに吸えば、メルリリーは不思議といつものペースが戻ってくるような気がした。

 お茶請けのクッキーをさくさくと食べる横では、大きな薄型テレビが緊急飴速報を出してアナウンサーが警戒を呼びかけている。

「それにしても急に飴が降るなんてね。すごく久しぶりじゃない?」
「そうですね……。たしか、わたしが一四くらいのときに降って以来だったと……」
「そうそう。やっぱりそれくらいぶりよね~? ――あ、ほら、ニュースでも言ってる。……一三年ぶり?! 私も老けるハズだわあ」
「そうですね……」

 ミミーナはそれでも見た目はメルリリーと遜色のない瑞々しさを保っている。メルリリーだって美容には気を使っている。なんたって一般に美しさを売りにしている女優なのだ。少ない収入から全身マッサージコースだのヨガ教室だのといったところへ金を払っては、できる限り美しさの衰えを遅くしようとやっきになっている。

 それでもメルリリーももう二七。才能と運に恵まれた役者であれば、すでにそこそこの地位を築いていてもおかしくはない年齢だ。

 けれどもメルリリーはもう二七と、残酷な世界ではもう若くはない年齢である。美貌で売るのはそろそろ難しい。

 ……それでも、そんなメルリリーにだってきちんとチャンスは――二七にして――巡ってきていた。それをものにできるかどうかは、まだわからないが。

「――で、別れたってどういうことなの? 飛ばし記事じゃないんでしょう?」

 思索の海をただよっていたメルリリーをミミーナが呼び戻す。

「別れたもなにも、わたしたち、はじめから付き合ってなんていなかったんですよ」
「ええっ?!」

 ミミーナがあまりにも大きな声を出したので、メルリリーはびっくりしてしまった。それと同時にゴン! とひときわ大きな飴がミミーナたちの豪邸の雨戸を叩いた。

「そんな、またまた……」
「ウソじゃないんです。だって、わたしたちのあいだにはなにもありませんでしたから」
「ええっ?!」

 ミミーナがまた大きな声を出してのけぞった。

「あ~んなにイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャしてたのに?! 恋人じゃなきゃおかしいくらいの距離にいるのに?! べったり体を密着させてヴァルデマーなんて貴女の腰に手を回して熱い視線をよこしていたのに?! それを平然と受け入れていたのに?! 挙句の果てに顔を近づけて笑いあっていたのに?! 距離感がおかしいくらいに近いのに?! ひとつのパフェを共有してあ~んするのは序の口で恋人でも頼むのはハードルが高いカップル用ジュース(ハートのストロー付き)を選んでいたのに?! それを嬉々として受け入れていたのに?! ――ウソでしょ?!」

 ひといきにしゃべったミミーナが肩を荒々しく揺らす。

「……だから、うん、付き合っていなかったなんてウソでしょう? 恥ずかしがらなくていいのよ。セックスくらいしてたんでしょう? ね?」
「し、してません! だから、本当になにもなかったんですってば!」
「なにも!」

 ミミーナがのけぞった。

「なにも! なにもなかったですって?! ……それはもう貴女……」

 ミミーナはなにか深刻な宣告をするかのような顔をして声を潜める。

「ヴァルデマーってEDじゃないわよね?」

 ミミーナはひどくシリアスな顔をしていたが、メルリリーはどんな表情をするのが正解なのやら、非常に難儀した。

「違います、たぶん」

 ひとまず誤解は解いておこうとは思ったものの、ヴァルデマーのシモの事情などメルリリーが知るはずもなく、ミミーナの認識が修正されたかどうかは怪しいところであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

側近女性は迷わない

中田カナ
恋愛
第二王子殿下の側近の中でただ1人の女性である私は、思いがけず自分の陰口を耳にしてしまった。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

完結·婚約破棄された氷の令嬢は、嫁がされた枯れおじのもとで花開く

恋愛
ティリアは辺境にある伯爵の娘であり、第三王子ガフタの婚約者であった。 だが、この婚約が気に入らないガフタは学園生活でティリアを冷遇し、卒業パーティーで婚約破棄をする。 しかも、このまま実家に帰ろうとするティリアにガフタは一回り以上年上の冴えないおっさん男爵のところへ嫁ぐように命令する。 こうしてティリアは男爵の屋敷へと向かうのだが、そこにいたのは…… ※完結まで毎日投稿します ※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿中

前世の推しに似てる不仲の婚約者に「お顔が好きです」と伝えましたところ

咲楽えび@改名しました(旧 佐倉えび)
恋愛
公爵令嬢のエリーサベトは、ポンコツ王子と呼ばれる婚約者のベルナルドに嫌気がさし、婚約者破棄を目論んでた。 そんなある日、前世を思い出したエリーサベトは気付く。ベルナルドが前世の推しに似ていることに―― ポンコツ王子と勝気な令嬢が両思いになるまでのお話。 ※小説家になろうさまでも掲載しています。

処理中です...