魔女様は素直になりたい(けど、なかなかなれない)

やなぎ怜

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 この世界ではすでに魔法が衰退して久しいのだが、かつてそれらが日常的に用いられてきた残滓はある。

 たとえば魔法書などがそれにあたる。しかしその中身は古文の授業で出てくるよりも、さらに昔の言語で書かれている。しかも文章を解読できたとしても、魔力をほとんど失ったこの世界の人間にとって価値があるかと問われれば首をかしげざるを得ないだろう。

 だがララタや、世にも珍しい先祖返りによって魔法を使えるだけの魔力を得たアルフレッドにとっては、違う。彼女らにとっては魔法書は、正しく価値のあるものだ。

 幸いにも王宮図書館には歴史を保存する名目で多数の魔法書が蔵書されている。ララタがこの世界にきてから覚えた魔法は、すべてこの魔法書由来のものであった。

 無論、「魔法を覚える」地点にたどりつくまでには紆余曲折があったのだが……苦労ばかりで語っても面白いことはないので割愛する。

 つけ加えておくと、アルフレッドの教育係であるアンブローズおうが王子を助けるため、古の魔法書を読み解いてララタをこちらの世界に呼び寄せた……その過程で魔法書の解読という事業が推し進められた結果が、のちのち、ララタたちの助けとなったのは確実であった。

 だがすべての魔法書が現代語に解読されたわけではないので、結局はその研究成果をもとにララタたちがちまちまと、ひとつひとつ丁寧に解読していかなければならないという現実はある。

 しかしその作業がアンブローズ翁のなりふり構わないやり方のお陰で、大幅に短縮されたのもまた事実であった。

 思い返すに色々とよく大丈夫だったな、とララタはアンブローズ翁のことを考える。廃れて久しい魔法を一時的にしろ復活させた手腕は見事だが、それは結果論である。血税を魔法書の解読につぎ込んで、これで失敗していたら立場が危うかったんじゃなかろうか。

 ……いや、そうまでしてアルフレッドを助けたかったのだろう。

 ララタは普段はトボケた様子のアンブローズ翁の顔を思い出しつつ、彼は彼なりに深い考えがあるのだ、と思うことにした。

「で、どうしようか」

 すっかり元気になって、今では鍛錬に励むことだってできるアルフレッドを横に、魔法書を前に、ララタは現実逃避をしていた。

 横にいるアルフレッドの頭を見れば、そこにはイヌだかオオカミだかの耳が生えている。そしてララタが自分の頭を触れば、ネコっぽい耳が生えている。

 そう――魔法書解読チャレンジは失敗したのだ。

 ところは王宮図書館内部に設けられた、禁書棚にある本――ほとんどが魔法書だ――を読むための個室。そこに設けられたテーブルに魔法書を拡げ、長イスに並んで座ったララタとアルフレッド。

 魔法書を解読するときはたいていこの部屋で、こうして並んで取り組むのが一種のお約束となっていた。

 魔法式はララタのほうが長があるものの、言語に関してはネイティブであるアルフレッドがいてくれたほうが、ピンとくるときがある。そういうわけで魔法書の解読はいつからか、こうしてふたりで取り組むようになっていた。

 この時間ばかりは「アルフレッドといっしょにいられてうれしい♪」などという花畑な乙女心を封印するのが、生真面目なララタであった。

 魔法書を解読する、ということは、ひとつこの世界に役立つような魔法を身につけられるということ。異世界人という不安定な立場のララタの地位を確実のものとするためには、日々勉学に励むことは欠かせないのだ。

 しかしもちろん、失敗することはある。ララタは完全にプログラミングされたロボットではなく、生身の人間だからだ。ヒューマンエラーというやつだ。

 今度はそもそもの言語の解読に失敗――たとえば単語を取り違えたとか――したのか、あるいは魔法式に不備――スペリングや位置を間違えたとか――があったか……。

 どちらにせよ、失敗は失敗である。どこに不備があったかは、これからじっくりと見直さなければならない。それこそ目を皿のようにして、ドブさらいでもするような気で。

 だが失敗はごく可愛らしいものであった、と言い切ってしまえるていどでよかった。獣耳が生えるなんて、お祭りなんかにはちょうどいいくらいである。これはこれで、他者を楽しませるための魔法としていいのかもしれない。

 ……とララタがわりあい楽観的にとらえている横で、アルフレッドはじーっと彼女を見ていた。

 ララタはアルフレッドの目を見た。どこかその碧眼が爛々と輝いているように見える。

「ララタ……」
「なに?」
「やりたいことがあるんだけどさ」
「なにを?」

 急に魔力が収束する気配がして、ポンッという軽快な音がしたかと思えば、アルフレッドの手の中にネコじゃらしが現れていた。

 ふわふわと揺れるネコじゃらしの表面を見た瞬間、ララタの中に抑えがたい衝動が走った。

「あ、ネコっぽい耳だなーと思っていたけれど、ちゃんとネコ耳なんだね」
「――ハッ!」

 気がつけばララタは手首をくいっと内側に曲げ、包丁を使うときに添えるような――ネコのような手つきで、アルフレッドが持つネコじゃらしへパンチを繰り出していた。

 我に返ってネコパンチを繰り出した手を広げて、今度は代わりにアルフレッドの側頭部を軽く叩いた。

「なにしてくれてんのよ?!」
「いや、だってさあ、ネコ耳だからネコじゃらしが利くかな~って……思うじゃない?」
「じゃ、なに? アルは物を投げたら拾ってきてくれるの?」
「僕ってイヌなの? オオカミなの? っていうかララタが飼い主なの?」
「飼い主じゃなくても『とってこい』はしてくれるんじゃないの……?」
「そうなの?」
「知らない」

 ララタは不機嫌さをアピールするようにぷいっと横を向いた。それは単なるポーズにすぎなかったわけだが……今のアルフレッドには若干、刺激が強かった。

 ララタがぷいと横を向いたことで、ローブの襟元から見える首筋が強調される形になる。色白というよりは青白い、不健康そうな白い首だ。

 アルフレッドはなにかしらを考える間もなく、ララタの白い首にかぷっと噛みついていた。

「ギャッ」

 突然の出来事に、当然ながらララタは悲鳴を上げる。乙女らしからぬ、カエルがつぶれたときに発しそうな悲鳴だった。

 アルフレッドに噛みつかれても痛くはなかった。甘噛みだったのだ。

 けれども問題はそこではない。ララタの超至近距離にアルフレッドの秀麗な顔があり、かつその熱い吐息がもろに首にかかるのだ。彼を思うララタからすれば、たまったものではない。

 けれどもアルフレッドは甘噛みをやめないどころが、かぷかぷかぷと何度か噛みついてきた。

 ララタの頭は爆発しそうだった。意識はすでに爆発四散しかけていた。

「うーん……なんかムラムラする」
「イヌ? オオカミ? ってネコ食べるの?!」
「雑食だっけ?」
「知らない!」

 残念ながらララタはイヌもオオカミも飼ったことがないので、その生態を熟知していない。しかしそんなことは今はどうでもいいことだ。

 アルフレッドは今やララタをテーブルに押し倒すような形になって、彼女に覆いかぶさっている。

「ララタ……どうしよう」
「どうしよう?」
「止まらないかも」

 なにがどう止まらないのか、混乱するララタの頭の中では考えがまとまらなかった。

 じっと見つめあうアルフレッドとララタ。アルフレッドの目はどこか爛々と輝いて、そして潤んでいた。美しい碧眼の中で、間抜け面をさらすララタがいる。その顔はたぶん、真っ赤になっている。

 ララタは一瞬だけ、そんな自分とアルフレッドを俯瞰しているような気になって――ネコだましを打った。

 パンッ! と両の手のひらをぶち当てた音が、部屋に鳴り響く。

 ララタの眼前で目を潤ませていたアルフレッドの瞳が、おどろきに丸くなる。

 と、同時に「しゅるん……」という煙が消えるような音がかすかにして、アルフレッドの頭からイヌだかオオカミだかの耳が消えていた。ララタの頭からも、ネコ耳は消えていた。

「時間経過で消えるのかな?」

 いつも通りの様子でアルフレッドは己の金の髪に触れながら、なんでもなかったかのようにそう問うた。

 ララタはと言うと、テーブルに上半身をべたーっと寝そべらせるような奇妙な恰好のまま、アルフレッドに対して正体のない怒りのようなものがふつふつと沸いてくるのを感じていた。

 しかしそれを彼にぶつけるのは大人げないと、ちっぽけなプライドを総動員して怒りを鎮める。

 一方のアルフレッドはいつまでも自分の頭の、獣耳があった箇所を触っていて、どこか名残惜しそうである。

「あの魔法、どうにか実用化できないかな?」
「実用化ってナニ?! 絶対お断り!」
「えー……?」

 思い返すに先ほどの空気はマズかった。なにがどうマズかったのか、ララタにはうまく言い表せなかったが、ヤバかったのは確かだ。

 なぜか食い下がるアルフレッドを振り払い、ララタはもう一度彼に「実用化はしない」と釘を刺したが、あのとき感じたドキドキを忘れるのには時間がかかりそうだった。
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