魔女様は素直になりたい(けど、なかなかなれない)

やなぎ怜

文字の大きさ
8 / 29

(8)

しおりを挟む
 この世界ではすでに魔法が衰退して久しいのだが、かつてそれらが日常的に用いられてきた残滓はある。

 たとえば魔法書などがそれにあたる。しかしその中身は古文の授業で出てくるよりも、さらに昔の言語で書かれている。しかも文章を解読できたとしても、魔力をほとんど失ったこの世界の人間にとって価値があるかと問われれば首をかしげざるを得ないだろう。

 だがララタや、世にも珍しい先祖返りによって魔法を使えるだけの魔力を得たアルフレッドにとっては、違う。彼女らにとっては魔法書は、正しく価値のあるものだ。

 幸いにも王宮図書館には歴史を保存する名目で多数の魔法書が蔵書されている。ララタがこの世界にきてから覚えた魔法は、すべてこの魔法書由来のものであった。

 無論、「魔法を覚える」地点にたどりつくまでには紆余曲折があったのだが……苦労ばかりで語っても面白いことはないので割愛する。

 つけ加えておくと、アルフレッドの教育係であるアンブローズおうが王子を助けるため、古の魔法書を読み解いてララタをこちらの世界に呼び寄せた……その過程で魔法書の解読という事業が推し進められた結果が、のちのち、ララタたちの助けとなったのは確実であった。

 だがすべての魔法書が現代語に解読されたわけではないので、結局はその研究成果をもとにララタたちがちまちまと、ひとつひとつ丁寧に解読していかなければならないという現実はある。

 しかしその作業がアンブローズ翁のなりふり構わないやり方のお陰で、大幅に短縮されたのもまた事実であった。

 思い返すに色々とよく大丈夫だったな、とララタはアンブローズ翁のことを考える。廃れて久しい魔法を一時的にしろ復活させた手腕は見事だが、それは結果論である。血税を魔法書の解読につぎ込んで、これで失敗していたら立場が危うかったんじゃなかろうか。

 ……いや、そうまでしてアルフレッドを助けたかったのだろう。

 ララタは普段はトボケた様子のアンブローズ翁の顔を思い出しつつ、彼は彼なりに深い考えがあるのだ、と思うことにした。

「で、どうしようか」

 すっかり元気になって、今では鍛錬に励むことだってできるアルフレッドを横に、魔法書を前に、ララタは現実逃避をしていた。

 横にいるアルフレッドの頭を見れば、そこにはイヌだかオオカミだかの耳が生えている。そしてララタが自分の頭を触れば、ネコっぽい耳が生えている。

 そう――魔法書解読チャレンジは失敗したのだ。

 ところは王宮図書館内部に設けられた、禁書棚にある本――ほとんどが魔法書だ――を読むための個室。そこに設けられたテーブルに魔法書を拡げ、長イスに並んで座ったララタとアルフレッド。

 魔法書を解読するときはたいていこの部屋で、こうして並んで取り組むのが一種のお約束となっていた。

 魔法式はララタのほうが長があるものの、言語に関してはネイティブであるアルフレッドがいてくれたほうが、ピンとくるときがある。そういうわけで魔法書の解読はいつからか、こうしてふたりで取り組むようになっていた。

 この時間ばかりは「アルフレッドといっしょにいられてうれしい♪」などという花畑な乙女心を封印するのが、生真面目なララタであった。

 魔法書を解読する、ということは、ひとつこの世界に役立つような魔法を身につけられるということ。異世界人という不安定な立場のララタの地位を確実のものとするためには、日々勉学に励むことは欠かせないのだ。

 しかしもちろん、失敗することはある。ララタは完全にプログラミングされたロボットではなく、生身の人間だからだ。ヒューマンエラーというやつだ。

 今度はそもそもの言語の解読に失敗――たとえば単語を取り違えたとか――したのか、あるいは魔法式に不備――スペリングや位置を間違えたとか――があったか……。

 どちらにせよ、失敗は失敗である。どこに不備があったかは、これからじっくりと見直さなければならない。それこそ目を皿のようにして、ドブさらいでもするような気で。

 だが失敗はごく可愛らしいものであった、と言い切ってしまえるていどでよかった。獣耳が生えるなんて、お祭りなんかにはちょうどいいくらいである。これはこれで、他者を楽しませるための魔法としていいのかもしれない。

 ……とララタがわりあい楽観的にとらえている横で、アルフレッドはじーっと彼女を見ていた。

 ララタはアルフレッドの目を見た。どこかその碧眼が爛々と輝いているように見える。

「ララタ……」
「なに?」
「やりたいことがあるんだけどさ」
「なにを?」

 急に魔力が収束する気配がして、ポンッという軽快な音がしたかと思えば、アルフレッドの手の中にネコじゃらしが現れていた。

 ふわふわと揺れるネコじゃらしの表面を見た瞬間、ララタの中に抑えがたい衝動が走った。

「あ、ネコっぽい耳だなーと思っていたけれど、ちゃんとネコ耳なんだね」
「――ハッ!」

 気がつけばララタは手首をくいっと内側に曲げ、包丁を使うときに添えるような――ネコのような手つきで、アルフレッドが持つネコじゃらしへパンチを繰り出していた。

 我に返ってネコパンチを繰り出した手を広げて、今度は代わりにアルフレッドの側頭部を軽く叩いた。

「なにしてくれてんのよ?!」
「いや、だってさあ、ネコ耳だからネコじゃらしが利くかな~って……思うじゃない?」
「じゃ、なに? アルは物を投げたら拾ってきてくれるの?」
「僕ってイヌなの? オオカミなの? っていうかララタが飼い主なの?」
「飼い主じゃなくても『とってこい』はしてくれるんじゃないの……?」
「そうなの?」
「知らない」

 ララタは不機嫌さをアピールするようにぷいっと横を向いた。それは単なるポーズにすぎなかったわけだが……今のアルフレッドには若干、刺激が強かった。

 ララタがぷいと横を向いたことで、ローブの襟元から見える首筋が強調される形になる。色白というよりは青白い、不健康そうな白い首だ。

 アルフレッドはなにかしらを考える間もなく、ララタの白い首にかぷっと噛みついていた。

「ギャッ」

 突然の出来事に、当然ながらララタは悲鳴を上げる。乙女らしからぬ、カエルがつぶれたときに発しそうな悲鳴だった。

 アルフレッドに噛みつかれても痛くはなかった。甘噛みだったのだ。

 けれども問題はそこではない。ララタの超至近距離にアルフレッドの秀麗な顔があり、かつその熱い吐息がもろに首にかかるのだ。彼を思うララタからすれば、たまったものではない。

 けれどもアルフレッドは甘噛みをやめないどころが、かぷかぷかぷと何度か噛みついてきた。

 ララタの頭は爆発しそうだった。意識はすでに爆発四散しかけていた。

「うーん……なんかムラムラする」
「イヌ? オオカミ? ってネコ食べるの?!」
「雑食だっけ?」
「知らない!」

 残念ながらララタはイヌもオオカミも飼ったことがないので、その生態を熟知していない。しかしそんなことは今はどうでもいいことだ。

 アルフレッドは今やララタをテーブルに押し倒すような形になって、彼女に覆いかぶさっている。

「ララタ……どうしよう」
「どうしよう?」
「止まらないかも」

 なにがどう止まらないのか、混乱するララタの頭の中では考えがまとまらなかった。

 じっと見つめあうアルフレッドとララタ。アルフレッドの目はどこか爛々と輝いて、そして潤んでいた。美しい碧眼の中で、間抜け面をさらすララタがいる。その顔はたぶん、真っ赤になっている。

 ララタは一瞬だけ、そんな自分とアルフレッドを俯瞰しているような気になって――ネコだましを打った。

 パンッ! と両の手のひらをぶち当てた音が、部屋に鳴り響く。

 ララタの眼前で目を潤ませていたアルフレッドの瞳が、おどろきに丸くなる。

 と、同時に「しゅるん……」という煙が消えるような音がかすかにして、アルフレッドの頭からイヌだかオオカミだかの耳が消えていた。ララタの頭からも、ネコ耳は消えていた。

「時間経過で消えるのかな?」

 いつも通りの様子でアルフレッドは己の金の髪に触れながら、なんでもなかったかのようにそう問うた。

 ララタはと言うと、テーブルに上半身をべたーっと寝そべらせるような奇妙な恰好のまま、アルフレッドに対して正体のない怒りのようなものがふつふつと沸いてくるのを感じていた。

 しかしそれを彼にぶつけるのは大人げないと、ちっぽけなプライドを総動員して怒りを鎮める。

 一方のアルフレッドはいつまでも自分の頭の、獣耳があった箇所を触っていて、どこか名残惜しそうである。

「あの魔法、どうにか実用化できないかな?」
「実用化ってナニ?! 絶対お断り!」
「えー……?」

 思い返すに先ほどの空気はマズかった。なにがどうマズかったのか、ララタにはうまく言い表せなかったが、ヤバかったのは確かだ。

 なぜか食い下がるアルフレッドを振り払い、ララタはもう一度彼に「実用化はしない」と釘を刺したが、あのとき感じたドキドキを忘れるのには時間がかかりそうだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おばさんは、ひっそり暮らしたい

蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

異世界召喚されたアラサー聖女、王弟の愛人になるそうです

籠の中のうさぎ
恋愛
 日々の生活に疲れたOL如月茉莉は、帰宅ラッシュの時間から大幅にずれた電車の中でつぶやいた。 「はー、何もかも投げだしたぁい……」  直後電車の座席部分が光輝き、気づけば見知らぬ異世界に聖女として召喚されていた。  十六歳の王子と結婚?未成年淫行罪というものがありまして。  王様の側妃?三十年間一夫一妻の国で生きてきたので、それもちょっと……。  聖女の後ろ盾となる大義名分が欲しい王家と、王家の一員になるのは荷が勝ちすぎるので遠慮したい茉莉。  そんな中、王弟陛下が名案と言わんばかりに声をあげた。 「では、私の愛人はいかがでしょう」

想定外の異世界トリップ。希望先とは違いますが…

宵森みなと
恋愛
異世界へと導かれた美咲は、運命に翻弄されながらも、力強く自分の道を歩き始める。 いつか、異世界にと想像していた世界とはジャンル違いで、美咲にとっては苦手なファンタジー系。 しかも、女性が少なく、結婚相手は5人以上と恋愛初心者にはハードな世界。 だが、偶然のようでいて、どこか必然のような出会いから、ともに過ごす日々のなかで芽生える絆と、ゆっくりと積み重ねられていく感情。 不器用に愛し、愛する人に理解されず、傷ついた時、女神の神殿で見つけた、もう一つの居場所。 差し出された優しさと、新たな想いに触れながら、 彼女は“自分のための人生”を選び初める。 これは、一人の女性が異世界で出逢い、傷つき、そして強くなって“本当の愛”を重ねていく物語です。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハーレム異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーレムです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

【完結】王宮内は安定したらしいので、第二王子と国内の視察に行ってきます!(呼ばれたみたいなので、異世界でも生きてみます。の続編です)

まりぃべる
恋愛
異世界に呼ばれた佐川マリア。マリア・サガワとしてこの世界で生きて行く事に決め、第二王子殿下のルークウェスト=ヴァン=ケルンベルトと一緒に、この国をより良くしていきます!って、実際は2人で旅行がしたかっただけ? 呼ばれたみたいなので、異世界でも生きてみます。の続編です。 長くなりましたので、前作の続きでは無く新しくしました。前作でしおりを挟んでくれた方ありがとうございました。 読んでなくても分かるようにしております。けれど、分かりにくかったらすみません。 前作も読んで下さると嬉しいです。 まだまだ未熟なので、稚拙ではありますが、読んでいただけると嬉しいです。 ☆前作で読者様よりご指摘が有りましたのでこちらにも記載しておきます。 主人公の年齢は設定としてありますが、読者様が主人公になれたらな(もしくは好きな年齢に当てはめて読めたら)という思いを込めて敢えて年齢を記載していません。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

処理中です...