2 / 7
(2)
しおりを挟む
ジジは、エイトに買い取られてからほどなくして人間化手術を受けた。その金は当たり前だが全額エイトの懐から出ている。ジジは無一文だから、無い袖は振れない。
ジジを人間にするのは、軍からジジを買い取る際の条件だったとエイトは言う。ジジは戦うために――外世界の化け物を殺すために造り出された人形兵。そんな人形兵を、そのまま市井に放つことはできない。
少し考えれば当たり前のことも、ジジはエイトに教えられるまで想像したことすらなかった。
手術を受けたことで、ジジは見た目通りの「人間」になった。すなわち、実年齢こそ一〇には満たないものの、女子中学生ていどの外見の通りに、非力な少女に生まれ変わったのだった。
「これからはどこにでも行けるな」
ジジは人間になったが、それですぐジジ自身がなにもかも変われたわけではない。相変わらず、ジジはエイトの言葉に含まれた感情を読み取れないことも多い。
それでもなお、エイトはジジが「人間」になれたことを喜んでいることは、かろうじて汲み取ることができた。
ただ、その理由まではジジにはわからなかった。
流されるままにジジはエイトに買い取られて、「人間」になって、それから彼とふたり暮らしを始めた。
とは言えども世に言うルームシェアリングとは違い、ジジは完全にエイトの世話になっている居候だった。
ジジはエイトから与えられた名前のままに戸籍を得たが、すぐさま人間社会に適応できるほどの柔軟性はとうてい持ち合わせていなかった。
ジジは戦うために、殺すために生まれてきて、そして終戦までは――エイトに買い取られるまではそれらをこなすだけでよかった。ゆえに、いかにジジが完璧な人間化手術を受けたとしても、人間社会に馴染める土台はまだできていない状態なのである。
「ジジがどこかで働きたいと思えたら、そのときにチャレンジしてみればいいんだよ。……まあ、いつまでもこの家にいてもいいんだけどね」
掃除機の動かし方、洗濯機の動かし方、洗濯物の取り扱い方、簡便な料理の作り方……。ジジはエイトから家事はひと通り教わったものの、この家の外に広がる社会に出て行って、己が不足なく働けているビジョンを思い描くことはできなかった。
エイトに一教われば、己が知らない世界がそこから一〇は広がる気持ちだった。
エイトは冗談めかした口調で、「いつまでもこの家にいればいい」とは言う。
ジジは外に、無限と言えるほどに広がる人間社会とかかわり合いを持ちたいとは思わなかった。より正確を喫するのであれば、人間社会に適応したいのかしたくないのかさえ、ジジはまだわからないのだった。
一方、エイトは軍を除隊したが、彼が再就職したのはいわゆる民間軍事会社だった。除隊をしても、結局エイトは銃を手にする職場を選んだのだった。
「給料がいいから」とエイトは微笑んで言った。「学歴はないけど軍歴はあるし」と言うエイトの生い立ちをジジは知らない。ただ、エイトの口から家族の話が出たことはなかった。
ジジは、初めて「不安」という感情をうっすらとながら抱いた。エイトが危険な戦場へと出ることになっても、もうジジは彼を守れない。おまけにもしもかばって、人形兵だったときのように手脚が吹き飛べば、人間になったジジは死んでしまうだろう。
けれどもジジはその感情を言語化できるほどの語彙を持ち合わせていなかった。
エイトとて、戦時中はジジにおんぶにだっこだったわけじゃない。冷静に、そしてときに勇敢に化け物と渡り合ったのだ。
けれども戦場において絶対はなく、イレギュラーはつきものである。ジジはそれを飽きるほどに見てきて、嫌というほどに知っている。
しかしやはり、ジジはその胸中に芽生えた感情を、言葉としてエイトに伝えることはできなかった。
たとえるなら、それは痛みに変わる前のかゆみのようで、「不安」という感情を明確に意識する前段階にあった。だからジジはそれを上手く言葉にできなかった。
エイトが会社から帰宅してその姿をジジが認めるまで、ジジの中では落ち着かない気持ちが波打つのだった。
エイトは忙しくても「忙しい」とは言わないし、疲れている様子でも「疲れた」とは言わない。ジジは、そのことを徐々に悟りだした。毎日を共に過ごしているのだから、自然とそういうことはわかってくる。人間になって日が浅いジジであっても、ささいな変化にも気づく。
けれどもジジは、そういうときにどういう態度を取るのが正解なのか、わからなかった。より正確には、どんな態度を取ればエイトの気分を損ねないでいられるのかが、わからなかった。
誤解のないように言えば、エイトがジジに対し八つ当たり的な態度を取ったことはない。不機嫌な顔をしたり、そんな空気を作ることもしない。ジジが失敗しても、頭ごなしに叱りつけたりはしない。
エイトはどこまでも、ジジには砂糖菓子のように甘い。そして同時に、シュガーコーティングのように耳障りのよい、装飾された言葉しか口にはしない。
甘く慮るエイトの言葉は、ジジにはときに居心地が悪いような、くすぐったいような、じれったいような……そんなかゆみを伴う。
同時に、線を引かれているということにも、ジジはうっすら気づき始めた。
エイトはジジを色んなところに連れて行って、色んなものを買ってくれたが、そんな彼と親しい間柄であるのかジジにはよくわからなかった。
エイトはジジに甘くて、けれども紳士的で、どこかで決定的に線を引いている。それはジジを尊重しているということなのだろう。けれどもジジはどこかで、物足りなさのようなものを感じずにはいられなかった。
そしてなぜそんな感情を己が抱くのか、ジジにはまだわからなかった。
「日曜日はリニューアルオープンする水族館に行こう」
いつものようにエイトはそう提案する。ジジはそれにうなずきで応える。エイトはここのところ、毎週末ジジをどこかしらへ連れ出してくれている。先週は大きなショッピングモール、先々週はちょっと遠出して植物園……。そんな調子で、ジジはエイトの手で色んなものを初めて見聞きしている。
そんな、いつも通りの週末がやってくる。
ジジはそう思っていたが、その日エイトは家に帰ってはこなかった。
ジジを人間にするのは、軍からジジを買い取る際の条件だったとエイトは言う。ジジは戦うために――外世界の化け物を殺すために造り出された人形兵。そんな人形兵を、そのまま市井に放つことはできない。
少し考えれば当たり前のことも、ジジはエイトに教えられるまで想像したことすらなかった。
手術を受けたことで、ジジは見た目通りの「人間」になった。すなわち、実年齢こそ一〇には満たないものの、女子中学生ていどの外見の通りに、非力な少女に生まれ変わったのだった。
「これからはどこにでも行けるな」
ジジは人間になったが、それですぐジジ自身がなにもかも変われたわけではない。相変わらず、ジジはエイトの言葉に含まれた感情を読み取れないことも多い。
それでもなお、エイトはジジが「人間」になれたことを喜んでいることは、かろうじて汲み取ることができた。
ただ、その理由まではジジにはわからなかった。
流されるままにジジはエイトに買い取られて、「人間」になって、それから彼とふたり暮らしを始めた。
とは言えども世に言うルームシェアリングとは違い、ジジは完全にエイトの世話になっている居候だった。
ジジはエイトから与えられた名前のままに戸籍を得たが、すぐさま人間社会に適応できるほどの柔軟性はとうてい持ち合わせていなかった。
ジジは戦うために、殺すために生まれてきて、そして終戦までは――エイトに買い取られるまではそれらをこなすだけでよかった。ゆえに、いかにジジが完璧な人間化手術を受けたとしても、人間社会に馴染める土台はまだできていない状態なのである。
「ジジがどこかで働きたいと思えたら、そのときにチャレンジしてみればいいんだよ。……まあ、いつまでもこの家にいてもいいんだけどね」
掃除機の動かし方、洗濯機の動かし方、洗濯物の取り扱い方、簡便な料理の作り方……。ジジはエイトから家事はひと通り教わったものの、この家の外に広がる社会に出て行って、己が不足なく働けているビジョンを思い描くことはできなかった。
エイトに一教われば、己が知らない世界がそこから一〇は広がる気持ちだった。
エイトは冗談めかした口調で、「いつまでもこの家にいればいい」とは言う。
ジジは外に、無限と言えるほどに広がる人間社会とかかわり合いを持ちたいとは思わなかった。より正確を喫するのであれば、人間社会に適応したいのかしたくないのかさえ、ジジはまだわからないのだった。
一方、エイトは軍を除隊したが、彼が再就職したのはいわゆる民間軍事会社だった。除隊をしても、結局エイトは銃を手にする職場を選んだのだった。
「給料がいいから」とエイトは微笑んで言った。「学歴はないけど軍歴はあるし」と言うエイトの生い立ちをジジは知らない。ただ、エイトの口から家族の話が出たことはなかった。
ジジは、初めて「不安」という感情をうっすらとながら抱いた。エイトが危険な戦場へと出ることになっても、もうジジは彼を守れない。おまけにもしもかばって、人形兵だったときのように手脚が吹き飛べば、人間になったジジは死んでしまうだろう。
けれどもジジはその感情を言語化できるほどの語彙を持ち合わせていなかった。
エイトとて、戦時中はジジにおんぶにだっこだったわけじゃない。冷静に、そしてときに勇敢に化け物と渡り合ったのだ。
けれども戦場において絶対はなく、イレギュラーはつきものである。ジジはそれを飽きるほどに見てきて、嫌というほどに知っている。
しかしやはり、ジジはその胸中に芽生えた感情を、言葉としてエイトに伝えることはできなかった。
たとえるなら、それは痛みに変わる前のかゆみのようで、「不安」という感情を明確に意識する前段階にあった。だからジジはそれを上手く言葉にできなかった。
エイトが会社から帰宅してその姿をジジが認めるまで、ジジの中では落ち着かない気持ちが波打つのだった。
エイトは忙しくても「忙しい」とは言わないし、疲れている様子でも「疲れた」とは言わない。ジジは、そのことを徐々に悟りだした。毎日を共に過ごしているのだから、自然とそういうことはわかってくる。人間になって日が浅いジジであっても、ささいな変化にも気づく。
けれどもジジは、そういうときにどういう態度を取るのが正解なのか、わからなかった。より正確には、どんな態度を取ればエイトの気分を損ねないでいられるのかが、わからなかった。
誤解のないように言えば、エイトがジジに対し八つ当たり的な態度を取ったことはない。不機嫌な顔をしたり、そんな空気を作ることもしない。ジジが失敗しても、頭ごなしに叱りつけたりはしない。
エイトはどこまでも、ジジには砂糖菓子のように甘い。そして同時に、シュガーコーティングのように耳障りのよい、装飾された言葉しか口にはしない。
甘く慮るエイトの言葉は、ジジにはときに居心地が悪いような、くすぐったいような、じれったいような……そんなかゆみを伴う。
同時に、線を引かれているということにも、ジジはうっすら気づき始めた。
エイトはジジを色んなところに連れて行って、色んなものを買ってくれたが、そんな彼と親しい間柄であるのかジジにはよくわからなかった。
エイトはジジに甘くて、けれども紳士的で、どこかで決定的に線を引いている。それはジジを尊重しているということなのだろう。けれどもジジはどこかで、物足りなさのようなものを感じずにはいられなかった。
そしてなぜそんな感情を己が抱くのか、ジジにはまだわからなかった。
「日曜日はリニューアルオープンする水族館に行こう」
いつものようにエイトはそう提案する。ジジはそれにうなずきで応える。エイトはここのところ、毎週末ジジをどこかしらへ連れ出してくれている。先週は大きなショッピングモール、先々週はちょっと遠出して植物園……。そんな調子で、ジジはエイトの手で色んなものを初めて見聞きしている。
そんな、いつも通りの週末がやってくる。
ジジはそう思っていたが、その日エイトは家に帰ってはこなかった。
0
あなたにおすすめの小説
遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)
スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」
唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。
四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。
絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。
「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」
明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは?
虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
醜女の私と政略結婚した旦那様の様子がおかしい
サトウミ
恋愛
この国一番の醜女である私と結婚したイバン様。眉目秀麗で数多の女性と浮き名を流した彼は、不祥事を起こしたせいで私なんかと結婚することになってしまった。それでも真面目な彼は、必死に私を愛そうと努力してくださる。
──無駄な努力だ。
こんな色白で目と胸の大きい女を、愛せるはずがない。
元婚約者からの嫌がらせでわたくしと結婚させられた彼が、ざまぁしたら優しくなりました。ですが新婚時代に受けた扱いを忘れてはおりませんよ?
3333(トリささみ)
恋愛
貴族令嬢だが自他ともに認める醜女のマルフィナは、あるとき王命により結婚することになった。
相手は王女エンジェに婚約破棄をされたことで有名な、若き公爵テオバルト。
あまりにも不釣り合いなその結婚は、エンジェによるテオバルトへの嫌がらせだった。
それを知ったマルフィナはテオバルトに同情し、少しでも彼が報われるよう努力する。
だがテオバルトはそんなマルフィナを、徹底的に冷たくあしらった。
その後あるキッカケで美しくなったマルフィナによりエンジェは自滅。
その日からテオバルトは手のひらを返したように優しくなる。
だがマルフィナが新婚時代に受けた仕打ちを、忘れることはなかった。
失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
虚弱姫はコワモテ将軍の筋肉に触りたい
隙間ちほ
恋愛
◼︎無骨な英雄×病弱な筋肉フェチ姫
◼︎辺境伯の末娘エルナは、領軍の英雄マテウスとの結婚が決まった。政略結婚――のはずが、実は姫は将軍の熱烈なファン。姫がノリノリで嫁ぐ一方、当のマテウスは「か弱い姫君に嫌われている」と思い込み、距離を取ってしまう……。
◼︎筋肉と鼻血とすれ違いラブコメ。
◼︎超高速展開、サクッと読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる