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ユージンの訪問から一週間と経たず。
その日もエンプワーリは仕事で朝から家を留守にしており、ノノヴィはひとりで留守番を務めていた。
軽快にドアノッカーが鳴らされて、ノノヴィは扉越しに「どちらさまですか?」と少しだけ声を張って問うた。
くぐもった若い男の声が返ってくる。
「俺はエンプワーリの友のディードだ。しかし今日はお前に話があって、きた」
ディードと名乗った相手のことをノノヴィは知らない。エンプワーリからその名を聞いたことはなかったし、今日だれかが訪ねてやってくるとの予定も聞き及んではいなかった。
扉を開けるべきかどうか考え込んでしまったノノヴィの耳に、玄関ポーチの周りに置いてある鉢植えの花々が言う。
『ディードだ!』
『なんだかひさしぶりに見た気がするわ』
『ノノヴィ、扉を開けてあげて!』
『ディードはエンプワーリの友達だよ』
ノノヴィが知る限り、「花の声」が嘘をついたことはなかった。花々は、見たまま聞いたまま真実しか語らない。そうであるのならば、ディードと名乗った男がエンプワーリの友達であるというのは、自称に留まる話ではないということなのだろう。少なくとも、花々はディードをエンプワーリの友達だと思っている……。
ノノヴィは閂を外し、玄関の扉を開けた。扉の向こうには、整った顔をしているがどこか冷たい印象の男が立っており、厳しい視線をノノヴィに向けてくる。彼がディードなのだろう。
ノノヴィはディードが、己のことをよく思っていないらしいという印象を抱くと同時に、奇妙な親近感をも覚えた。
「突然の訪問、失礼する」
「あの……エンプワーリさんのお友達だって――」
「そうだ。しかし歓待は不要。お前と話がしたいだけだからな」
ディードは切れ長の目でじろりとノノヴィを見る。それはかつてノノヴィの雇い主であった酒場の店主が、ノノヴィを見ていたときの目とは決定的に違ったが、ノノヴィにとって穏やかならざる気持ちにさせられる視線という点で、両者のそれはとてもよく似ていた。
敵愾心――。ディードの視線はそんな心情を雄弁に語っているようだと、ノノヴィは受け取った。
「だからわざわざあいつが不在の時間を狙ってやってきたのだ」
ノノヴィはただ戸惑って、高い位置にあるディードの顔を見上げることしかできない。
「自分でも卑怯な真似を、と思う。だが俺はあいつがまた深く傷つくところを見たくはないのだ」
ノノヴィはエンプワーリを欺いているという気まずさから、思わずディードから視線を外し、さまよわせた。
ノノヴィの目が泳いだことはディードにもわかったのだろう。彼の眉間にわずかにシワが寄り、心なしか先ほどよりもその瞳から発せられる視線が鋭いものになったような気がした。
「あいつが思いびとを捜していることを知った女が、『ノノヴィ』を詐称したのだ。あいつはその女を『ノノヴィ』だとは思わなかったが、ずいぶんとしつこくつきまとって、大変だった。いつも笑顔のあいつが憔悴するほどに」
ノノヴィはエンプワーリが穏やかに微笑んでいるところしか知らない。それでもなぜか、傷つき、深く落ち込み、悲しみに沈むエンプワーリの姿を、ノノヴィは容易に思い浮かべることができた。
「お前は『ノノヴィ』の誕生日を言えるか? 好きだった花は? あいつとどこで会って、最期にどんな会話を交わしたか言えるのか?」
硬く冷たかったディードの声が、少しだけ熱を帯びる。彼は憤りを抱えている。エンプワーリを騙し欺くノノヴィに対して。
「お前も、花の一族の血を引いているのであれば、その血に恥じぬ生き方をしてもらいたいものだな」
ノノヴィはディードに対し抱いていた、不可思議な親近感の正体に気づいた。
ディードは花の一族なのだ。……恐らくディードも、ノノヴィが彼に抱いたのと同じ感覚を得て、ノノヴィが花の一族の血を引いていると看破したのだろう。
「その血を利用して上手くあいつに取り入ったようだが……俺は騙されない。前世の記憶なんてないくせに」
ディードは花の一族であるのなら、当然「花の声」を聞くことができるだろう。
花々が嘘をついたところをノノヴィは知らない。すなわち、ディードに対しても花々は自分たちが見たまま聞いたままを話したに違いなかった。
「……俺はできればあいつには傷ついて欲しくない。あいつは花の一族である俺も助けてくれた、命の恩人なんだ」
ノノヴィは、先日ユージンがやってきた理由も、ディードとその根本は同じなのだろうと思った。
ユージンはノノヴィを、エンプワーリが愛した「ノノヴィ」ではないと断言しなかったし、ノノヴィが詐欺師である可能性にすら言及しなかった。それでもエンプワーリの家にやってきたのは、友達である彼を慮ってのことなのだろう。
――「俺はできればあいつには傷ついて欲しくない」……。ユージンもきっとそう思って先日、この家にやってきたに違いなかった。けれども結局、彼は優しかったからなにも言えなかった。幸せそうな顔をするエンプワーリの前で、それを壊すことができなかった。
しかし今エンプワーリはこの場にいないし、ディードはユージンよりも、そのしゃべり方からして厳格なたちのようである。
そしてディードは花の一族で、「花の声」を聞くことができる。
ノノヴィは花たちに己がエンプワーリを騙しているという、決定的なことを語ったわけではなかった。
それでも――もう、嘘を押し通すのはつらくなった。
エンプワーリの優しさに触れるたび、己が犯した罪の大きさにも触れるような心地だった。
エンプワーリが幸せそうな顔をするたび、彼を騙し欺いている自分がひどく汚れたもののように感じられて、消えたくなった。
結局、ノノヴィは心底からの悪人にはなりきれなかった。
しかしエンプワーリを騙した以上、ノノヴィは善人でもなかった。
なにもかもが中途半端で、見苦しい――。
ノノヴィはそう思って、己の保身から出た嘘に幕引きを図ろうとした。
その日もエンプワーリは仕事で朝から家を留守にしており、ノノヴィはひとりで留守番を務めていた。
軽快にドアノッカーが鳴らされて、ノノヴィは扉越しに「どちらさまですか?」と少しだけ声を張って問うた。
くぐもった若い男の声が返ってくる。
「俺はエンプワーリの友のディードだ。しかし今日はお前に話があって、きた」
ディードと名乗った相手のことをノノヴィは知らない。エンプワーリからその名を聞いたことはなかったし、今日だれかが訪ねてやってくるとの予定も聞き及んではいなかった。
扉を開けるべきかどうか考え込んでしまったノノヴィの耳に、玄関ポーチの周りに置いてある鉢植えの花々が言う。
『ディードだ!』
『なんだかひさしぶりに見た気がするわ』
『ノノヴィ、扉を開けてあげて!』
『ディードはエンプワーリの友達だよ』
ノノヴィが知る限り、「花の声」が嘘をついたことはなかった。花々は、見たまま聞いたまま真実しか語らない。そうであるのならば、ディードと名乗った男がエンプワーリの友達であるというのは、自称に留まる話ではないということなのだろう。少なくとも、花々はディードをエンプワーリの友達だと思っている……。
ノノヴィは閂を外し、玄関の扉を開けた。扉の向こうには、整った顔をしているがどこか冷たい印象の男が立っており、厳しい視線をノノヴィに向けてくる。彼がディードなのだろう。
ノノヴィはディードが、己のことをよく思っていないらしいという印象を抱くと同時に、奇妙な親近感をも覚えた。
「突然の訪問、失礼する」
「あの……エンプワーリさんのお友達だって――」
「そうだ。しかし歓待は不要。お前と話がしたいだけだからな」
ディードは切れ長の目でじろりとノノヴィを見る。それはかつてノノヴィの雇い主であった酒場の店主が、ノノヴィを見ていたときの目とは決定的に違ったが、ノノヴィにとって穏やかならざる気持ちにさせられる視線という点で、両者のそれはとてもよく似ていた。
敵愾心――。ディードの視線はそんな心情を雄弁に語っているようだと、ノノヴィは受け取った。
「だからわざわざあいつが不在の時間を狙ってやってきたのだ」
ノノヴィはただ戸惑って、高い位置にあるディードの顔を見上げることしかできない。
「自分でも卑怯な真似を、と思う。だが俺はあいつがまた深く傷つくところを見たくはないのだ」
ノノヴィはエンプワーリを欺いているという気まずさから、思わずディードから視線を外し、さまよわせた。
ノノヴィの目が泳いだことはディードにもわかったのだろう。彼の眉間にわずかにシワが寄り、心なしか先ほどよりもその瞳から発せられる視線が鋭いものになったような気がした。
「あいつが思いびとを捜していることを知った女が、『ノノヴィ』を詐称したのだ。あいつはその女を『ノノヴィ』だとは思わなかったが、ずいぶんとしつこくつきまとって、大変だった。いつも笑顔のあいつが憔悴するほどに」
ノノヴィはエンプワーリが穏やかに微笑んでいるところしか知らない。それでもなぜか、傷つき、深く落ち込み、悲しみに沈むエンプワーリの姿を、ノノヴィは容易に思い浮かべることができた。
「お前は『ノノヴィ』の誕生日を言えるか? 好きだった花は? あいつとどこで会って、最期にどんな会話を交わしたか言えるのか?」
硬く冷たかったディードの声が、少しだけ熱を帯びる。彼は憤りを抱えている。エンプワーリを騙し欺くノノヴィに対して。
「お前も、花の一族の血を引いているのであれば、その血に恥じぬ生き方をしてもらいたいものだな」
ノノヴィはディードに対し抱いていた、不可思議な親近感の正体に気づいた。
ディードは花の一族なのだ。……恐らくディードも、ノノヴィが彼に抱いたのと同じ感覚を得て、ノノヴィが花の一族の血を引いていると看破したのだろう。
「その血を利用して上手くあいつに取り入ったようだが……俺は騙されない。前世の記憶なんてないくせに」
ディードは花の一族であるのなら、当然「花の声」を聞くことができるだろう。
花々が嘘をついたところをノノヴィは知らない。すなわち、ディードに対しても花々は自分たちが見たまま聞いたままを話したに違いなかった。
「……俺はできればあいつには傷ついて欲しくない。あいつは花の一族である俺も助けてくれた、命の恩人なんだ」
ノノヴィは、先日ユージンがやってきた理由も、ディードとその根本は同じなのだろうと思った。
ユージンはノノヴィを、エンプワーリが愛した「ノノヴィ」ではないと断言しなかったし、ノノヴィが詐欺師である可能性にすら言及しなかった。それでもエンプワーリの家にやってきたのは、友達である彼を慮ってのことなのだろう。
――「俺はできればあいつには傷ついて欲しくない」……。ユージンもきっとそう思って先日、この家にやってきたに違いなかった。けれども結局、彼は優しかったからなにも言えなかった。幸せそうな顔をするエンプワーリの前で、それを壊すことができなかった。
しかし今エンプワーリはこの場にいないし、ディードはユージンよりも、そのしゃべり方からして厳格なたちのようである。
そしてディードは花の一族で、「花の声」を聞くことができる。
ノノヴィは花たちに己がエンプワーリを騙しているという、決定的なことを語ったわけではなかった。
それでも――もう、嘘を押し通すのはつらくなった。
エンプワーリの優しさに触れるたび、己が犯した罪の大きさにも触れるような心地だった。
エンプワーリが幸せそうな顔をするたび、彼を騙し欺いている自分がひどく汚れたもののように感じられて、消えたくなった。
結局、ノノヴィは心底からの悪人にはなりきれなかった。
しかしエンプワーリを騙した以上、ノノヴィは善人でもなかった。
なにもかもが中途半端で、見苦しい――。
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