これを運命と呼びたい

やなぎ怜

文字の大きさ
11 / 14

(11)

しおりを挟む
 ……ひとの多い乗合馬車の中は独特の臭気が漂ってくるようだった。

 揺れる馬車の中で、ノノヴィは懐に入れた金銭をたしかめるかのようにそっと手のひらを重ね、指先で硬貨の形をたしかめる。この重い硬貨を渡してきたのはディードだ。ノノヴィが、エンプワーリの家を出て行くにも金がないと正直に言ったから、ディードは当座の金を渡してくれたわけである。

 エンプワーリが優しい人間であるからなのか、その周囲にも似たようなひとびとが集まっているようにノノヴィには思えた。

 ディードも、ノノヴィを警察へ突き出すこともできただろうに、しなかった。恐らく真実を明らかにすることで、エンプワーリが傷つくことを避けたいがための行いだろう。

 ディードはまたノノヴィが花の一族の血を引いていることから、かの一族の集落の端になら住まいを用意できると申し出てくれた。エンプワーリを騙し続けることに良心の呵責を覚えていたノノヴィにとって、ディードのその申し出は渡りに船であった。

 そうしてディードはノノヴィがエンプワーリの家を出て、もう二度と会わないことを条件に、当座の金を渡してくれたのだ。布でできた袋の中身は、ノノヴィがこれまで手にしたどんな財布よりも重く感じられた。

 ディードの申し出のうち、住む場所を用意してくれるとの言葉が真実かまではわからなかった。しかし金を――実質の手切れ金を渡された以上、ノノヴィはもう二度と、エンプワーリには会わない。ノノヴィの中にも、それくらいのプライドはあった。

 ノノヴィはディードに促されるままエンプワーリへ別れの置き手紙を書き、すぐに乗合馬車に乗った。それから隣の街の宿屋に泊まり、ひと晩たってからまた乗合馬車に乗って別の街へ向かった。その街の近くの森に、花の一族の集落のひとつがあると言う。ディードとはその街で落ち合う予定で、それまで街で滞在するのにじゅうぶんな金銭は彼から受け取っていた。

 人生で初めての馬車旅をノノヴィは新鮮に思う気にはなれなかった。

 しかしディードの力を借りはしたものの、自らの手でエンプワーリを騙し続ける日々に幕引きができたことで、少しはすがすがしい気持ちになれはした。

 嘘をつき続ける日々から解放され、どこか安堵できた一方、それでもエンプワーリを騙した事実がノノヴィの心に重くのしかかるようだった。

 エンプワーリが優しいだけの人間でなければ、ノノヴィは今でも自己を正当化し、彼を欺き続けていたかもしれない。エンプワーリが下劣な人間であれば、ノノヴィは彼を騙し続けることに、かほどの罪悪感を抱かなかったかもしれない。

 でもエンプワーリはそんな人間ではなかった。ユージンやディードのような、エンプワーリを心の底から心配してくれる友がいる時点で、ノノヴィのそのたらればの妄想はひどく侮辱的なものでもあるだろう。

 エンプワーリはたしかに「ノノヴィ」を見て、ノノヴィを見はしなかった。彼が断罪される部分があるとすれば、そのことくらいだろう。けれどもそんな権利が自分にあるわけがないとノノヴィは思った。

 エンプワーリにとって「ノノヴィ」との再会は切実なものだった。「前世の記憶を引き継ぐ魔法」なんてものを作り出すほどにまで、エンプワーリにとって「ノノヴィ」の死の運命は耐えがたいものだったのだろう。

 その切実さから出てくる愛を受け取るべきは本物の「ノノヴィ」であって、ここにいるノノヴィではない――。

 ノノヴィはその事実を心の内側で反芻し、確認するたびに心臓がしくしくと痛むような気持ちになった。

 エンプワーリはノノヴィの名を呼んだ。しかし彼が愛したのは、愛しているのは、ノノヴィではないのだ。

 ノノヴィはその動かしがたい事実を前にすると、なんだか泣きたい気持ちになった。

 けれどもエンプワーリを欺き続けるのはよいことでは決してないだろう。

 だから、この幕引きは正しい。

 ノノヴィは必死にそう思うことで、バラバラになっていきそうな心を繋ぎ止めた。

 エンプワーリからもらった、心を落ち着けさせる効果のある石は、彼の家に置いてきた。しかし持ち出してもよかったかもしれないとノノヴィは少しだけ後悔する。あの柔らかな布でできた袋の中の石……握り込むと、ほのかに温かい石。あれを手放すべきではなかったと、なんだか落ち着かない気持ちにさえさせられる。


 「ねえ、まだあ?」おさなごがぐずる声が隣から聞こえた。「もうすぐよ、坊や」その子供の母親らしき女性が、優しい声でなだめる。そんなやり取りを聞いて、ノノヴィは初めて訪れる街がすぐそこにまで迫っているのだと知った。

 街にはしばらく滞在し、いずれやってくるというディードと落ち合う予定である。宿賃は足りるだろうかとノノヴィは再び懐に手をやった。

 しかしそうしてからすぐに馬車が止まる。ノノヴィが不思議に思って御者のいるほうへと視線を向けるより前に、叫ぶような声が聞こえた。

「魔獣だ! 魔獣の群れだ……!」

 御者の焦った声がノノヴィの耳を打つ。次いで馬車が急旋回したかと思うと、どこかへ向かって走り出したのがわかった。

 再び、御者の焦った声が聞こえる。どうやら魔獣の群れにおどろいた馬が勝手に走り出し、御者の言うことを聞かない様子だ。

 ノノヴィの近くに座るおさなごの泣き声が低い天井を打つ。馬車の中は動揺で満たされ、出入り口に手をやって飛び降りようかと悩む客もいる始末だ。ノノヴィは激しく揺れる馬車の中で、体勢を崩さないようにするので精一杯で、悲鳴を上げる余裕すらなかった。

 猛スピードで走る馬車のうしろを、四足の獣の群れが地を蹴飛ばしながら追いかけてくる音が聞こえる。「今飛び降りたら魔獣のエサだよ!」馬車から飛び降りようとする若者に、老婆が声を飛ばして制止する。

 やがて馬車の動きが止まったが、出入り口を閉じる暖簾状の布を客の若者が持ち上げると、魔獣の群れに囲まれていることがわかった。「ちくしょう」八方ふさがりの状況に、御者がこぼした声は震えていた。おびえた様子の馬の荒い鼻息と、魔獣の鼻息が聞こえる。馬車の出入り口から、魔獣の生ぐさい獣臭が漂ってくるような錯覚さえあった。それほどまでに馬車と魔獣の群れの距離は近かった。

 ノノヴィは逼迫した状況についていくので精一杯で、恐怖に震えることすらできなかった。

 母親に抱かれながらおびえ、泣き叫ぶおさなごの声が響くばかりで、客たちも絶体絶命の状況に、ノノヴィ同様ろくな声も出せない様子だった。

 ――次の瞬間、馬車の出入り口から見える景色の中で、花火がぱっと咲いたかのような閃光が走る。馬が悲鳴を上げるようにいななき、その激しい光が落ち着いてから、魔獣の群れが動揺している姿をノノヴィは見ることができた。

「みなさん! 馬車から出ないでそのままでいてください!」

 張った声が聞こえた。

 ノノヴィはその声を知っていた。

 その声は、聞き間違えようもなくエンプワーリのものだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)

柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!) 辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。 結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。 正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。 さくっと読んでいただけるかと思います。

退屈扱いされた私が、公爵様の教えで社交界を塗り替えるまで

有賀冬馬
恋愛
「お前は僕の隣に立つには足りない」――そう言い放たれた夜から、私の世界は壊れた。 辺境で侍女として働き始めた私は、公爵の教えで身だしなみも心も整えていく。 公爵は決して甘やかさない。だが、その公正さが私を変える力になった。 元婚約者の偽りは次々に暴かれ、私はもう泣かない。最後に私が選んだのは、自分を守ってくれた静かな人。

顔が良ければそれでいいと思っていたけれど、気づけば彼に本気で恋していました。

朝日みらい
恋愛
魔物を討伐し国を救った若き魔術師アリア・フェルディナンド。 国王から「望むものを何でも与える」と言われた彼女が選んだ褒美は―― 「国一番の美男子を、夫にください」 という前代未聞のひと言だった。 急遽開かれた婿候補サロンで、アリアが一目で心を奪われたのは、 “夜の街の帝王”と呼ばれる美貌の青年ルシアン・クロード。 女たらし、金遣いが荒い、家の恥―― そんな悪評だらけの彼を、アリアは迷わず指名する。 「顔が好きだからです」 直球すぎる理由に戸惑うルシアン。 だが彼には、誰にも言えない孤独と過去があった。 これは、 顔だけで選んだはずの英雄と、 誰にも本気で愛されたことのない美貌の青年が、 “契約婚”から始める恋の物語。

老伯爵へ嫁ぐことが決まりました。白い結婚ですが。

ルーシャオ
恋愛
グリフィン伯爵家令嬢アルビナは実家の困窮のせいで援助金目当ての結婚に同意させられ、ラポール伯爵へ嫁ぐこととなる。しかし祖父の戦友だったというラポール伯爵とは五十歳も歳が離れ、名目だけの『白い結婚』とはいえ初婚で後妻という微妙な立場に置かれることに。 ぎこちなく暮らす中、アルビナはフィーという女騎士と出会い、友人になったつもりだったが——。

あざとさを捨てた令嬢は、若き公爵に溺愛される

古紫汐桜
恋愛
婚約者の裏切りを目撃し、命を落とした“私”が目を覚ましたのは、 見知らぬ貴族令嬢の身体の中だった。 そこは、誰かの悪意によって評判を地に落とした世界。 かつて“あざとさ”で生きていた彼女の代わりに、 私はその人生を引き受けることになる。 もう、首を揺らして媚びる生き方はしない。 そう決めた瞬間から、運命は静かに歪み始めた。 冷酷と噂される若公爵ユリエル。 彼もまた、自らの運命に抗い続けてきた男だった。 そんな彼が、私にだけ見せた執着と溺愛。 選び直した生き方の先で待っていたのは、 溺れるほどの愛だった。 あざとさを捨てた令嬢と、運命に翻弄される若公爵。 これは、“やり直し”では終わらない、致命的な恋の物語。

【本編,番外編完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る

金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。 ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの? お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。 ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。 少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。 どうしてくれるのよ。 ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ! 腹立つわ〜。 舞台は独自の世界です。 ご都合主義です。 緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

処理中です...