ビター・スイート・ダーク Bitter Sweet Dark

やなぎ怜

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『おめでとうございます♥♥♥♥♥』

 冨由馬からことの次第を送られたつばきは、皮肉を込めて祝福のメッセージを送信した。

 存外と冨由馬はこらえ性がなかったらしい、とつばきは嘆息する。彼はそれでも目的を達成することができたが、つばきはそうではない。まだ、アキラは彼女のになってはいなかった。

 アキラをにする算段はついている。けれどもそれには冨由馬の協力が必要不可欠だ。なにせアキラはなんとも不快なことに彼に恋をしているのだから。

 それを粉微塵になるまで、徹底的に折ってやらない限り、律儀なアキラがつばきに振り向くことはない。

『でもちゃんと終わりまで協力してよね』
『わかってる』

 冨由馬から言質を取ったつばきはスマートフォンを手に微笑んだ。

 それでも腹立たしい気持ちは収まらない。先を越された、という思いもある。要はつばきは冨由馬が羨ましいのだ。彼に嫉妬しているのだ。

「幸せになったんだから、これくらい許されるよね?」


 修学旅行最終日。昼には貸切バスに乗車して帰路に就くため、今日の自由時間は少ない。そうであるから遠出する生徒は少なく、もっぱら宿泊しているホテルの周辺で時間を潰す者が大多数を占めていた。

 つばきたちもご多分に漏れず、ホテルの近くにある広大な緑地公園を訪れていたのだが、今は夏生とふたりきりである。

「いっしょに飲み物買いに行こ!」

 と、さも下心などなさそうな顔で彼を自動販売機の並ぶ一角まで連れて来たのだ。冨由馬はなにか言いたそうにしていたが、アキラを放っておくわけにもいかないので、恨めしそうな視線をつばきの背に送るばかりだった。

 取り出し口に温められた緑茶のペットボトルが落ちる。腰を折ってそれを取り出す夏生の後ろ姿に、つばきは声をかける。

「ねー、江ノ木くん。私に話すことがあるでしょ?」

 夏生はじっと眼鏡のガラス越しにつばきを見る。一見すると平静そのもののように映るが、その瞳の奥では焦燥が渦巻いていることをつばきは見抜いていた。

 ――これくらい、いいよね。

 心の中で舌を出す。

 つばきは夏生の手を引いて、人工池をぐるりと囲む太い柵の前まで歩く。夏生は黙ったまま、つばきにされるがままであった。

 つばきは温まったミルクティーの入ったペットボトルの蓋を開ける。パキ、と独特の音が聞こえると、あとはするすると蓋は回る。

 一口、ペットボトルに口をつけてからつばきは夏生を見た。彼はじっと緑茶のペットボトルを握ったまま、身じろぎもせず視線を下へと落としている。

「江ノ木くんって柊くんが好きなんでしょ?」

 直截なつばきの言葉に、夏生は目を泳がせた。けれどもしばらくすると、ゆっくりと息を吐いてから、まっすぐにつばきへと視線をやる。

「……そうだよ」

 嘘偽りのない言葉だ。それがなぜだか、つばきにはひどくいらだたしかった。ガラス玉のように透き通った目玉をしているのは、冨由馬がいるからに違いなかった。彼がいなければ、つばきの指摘をきっと夏生は誤魔化しただろう。けれども彼はそうしなかった。

「ごめん」
「……いいよ別に。謝らなくったって。知ってたし」
「え?」
「意外?」

 両の手のひらを合わせたうちで、つばきはくるくるとペットボトルを回した。

「柊くんが教えてくれたんだよ」

 つばきはにっこりと微笑わらった。

 けれども夏生の反応は薄く、ただひとこと「そう」とつぶやいただけだった。

「聞かないんだ? なんで私がそのことを知っているかとか、どうして江ノ木くんに告白したのかだとか……」
「言われなくてもだいたいわかる」
「幼馴染だから?」
「……そうかもしれない」
「最低だと思わない?」

 夏生はちょっとおどろいたように目を瞠った。けれどもすぐにその瞳からは感情が消え失せる。それは激情を抑えているというよりは、なにかを恥じているかのようであった。

「最低だと思うよ」

 夏生はつばきから一度たりとも視線を外さなかった。

「けど、僕は冨由馬が好きなんだ……。ごめん。僕も、最低なのはわかってる」

 つばきはそんな夏生を見て、まったく嫌になってしまった。

「いいよ謝らなくたって」
「でも」
「だって私も江ノ木くんのこと騙してたし。これでおあいこってことで、ね?」
「……新治さんがそれでいいなら」
「じゃあ決まり」

 一歩、つばきは夏生へと近づく。自然、小柄なつばきが夏生を見上げる形になる。

「お別れだね、江ノ木くん。まあ、そこそこ楽しかったよ」
「それは……どうも」

 一二月の初頭、六月から続いた付き合いは、こうして実に淡白な終止符を打たれたのであった。


 *


 期末考査、修学旅行と来れば残すは終業式のみだ。例によって大量の課題を前に、アキラは深いため息をついた。

 しかしこれも来年には大学受験を控えた身となることを考えれば、真剣に取り組まなければならないことは明白である。それでも自力でやるのは厳しいとつばきに助けを請うことを忘れない。

「もーアキラちゃんてば~。そんなんで受験だいじょうぶなの~?」
「だいじょうぶじゃないかもしれない……」
「しかたないなー。私が手伝ってあげるからがんばろ?」
「つばきー!」

 つばきの手をひしとつかむ。そうしたついでにアキラはつばきに冬休みの予定を聞いた。

「んー。特に予定はないかな~? あ、でもウィンターセールはチェックしておきたいかなー? 新しい服欲しいし~」
「いや、あの……デートとかはどうなのかなーって」
「あ、私たち別れたから」
「……は?」

 あわよくば参考にしようと考えていたアキラは、しかしつばきの言葉におどろいて素っ頓狂な声を出しそうになった。

「わ、別れたって……え? うそ」
「嘘じゃないよー。ほんとほんと」
「え? なんで?」
「なんでって言われてもなー。なんとなく?」

 アキラはつばきになんと声をかければいいのかわからなかった。つばきにはまったく気にしている風はないものの、もしかしたら内心では傷ついているかもしれない。そう考えはすれど、いかにして慰めればいいのやら、アキラには皆目見当がつかなかった。

「なんか……ごめん」
「えー? なんでアキラちゃんが謝るのー?」
「いや、気づかなくて……」
「だって言ってないし。アキラちゃんが気にすることじゃないって!」

 気まずい思いを抱えながらアキラは口を閉じる。そんなアキラを前に、つばきはいつもの笑顔を浮かべたまま言う。

「――でもアキラちゃんはわかってたんじゃないの?」
「え? なに?」
「私たちが別れるって」

 アキラはつばきがなにを言っているのか、一瞬わからなかった。

 けれどもそのうちに、ある出来事へと思いいたる。それはアキラが「気のせい」だと言い聞かせて、必死に忘れようとしていたこと。

 文化祭のこと。

 冨由馬と夏生のこと。

「え? いや、だって、つばきと江ノ木くん仲良かったのに……別れるだなんて思わないよ」

 きちんと自分がしゃべれているのか、アキラにはわからなかった。つばきの視線から逃れるように、アキラはかすかに目を伏せて、手元にあるプリントを見た。

 つばきに対して後ろめたい思いをするのは初めてで、それだけでアキラはどうしていいのやらわからなくなっていた。

「プリント全員行き渡ったかー? 足りないやつは言えよー」

 教卓から担任の声がかかり、それに応じるようにつばきはアキラから視線を外して前に向き直った。心の中でホッと安堵する自身に気づき、アキラは自己嫌悪に陥る。

 どうすればよかったのだろうか? つばきに言っておけばよかったのだろうか? 夏生と冨由馬が、もしかしたらキスをしていたのかもしれない、と。でもあれは見間違いで。

 ――でももし、そうじゃなかったら?

 自問すれども答えは出ず、そのままホームルームは終わり、解散と相成った。

「風邪を引かないように気をつけろよー。三学期もちゃんと元気に登校して来るんだぞ」

 そんな担任の言葉を、アキラは上の空のまま聞いていた。


「アキラちゃん」
「えっ? な、なに?」
「も~ぼーっとしちゃって、どうしたの? もうホームルーム終わったよ?」

 目の前にはコートを着込み、通学カバンを肩から提げたつばきが立っていた。その顔はいつも通り。おかしなところは、ない。

「え、あ、ご、ごめん。昨日夜ふかししちゃってさー。眠くって……」

 そんな嘘をするすると口にしたアキラは、あわてて机の横に下げていたカバンを手に取り、帰りの準備を始める。

「ちゃんと寝なきゃだめだよ~? 夜ふかしはお肌に大敵なんだからね!」
「わかってるってー」
「あ、それと柊くんが待ってるよ」
「――え?!」

 アキラが素早く教室に視線をやれば、スライドドアのすぐ近くに冨由馬がひとりで立っている。アキラと目が合うと、小さく手を振ってくれた。

「ええ、ちょっと先に言ってよつばき~」
「えへへ。ちょっとしたイ・タ・ズ・ラ。早くしないと帰っちゃうかもよ?」
「わかってるー!」

 いつになく素早い動作でコートを羽織り、カバンに教科書とノートを詰め込み終える。

「じゃあまたね、アキラちゃん」
「うん、また!」

 つばきに別れを告げてアキラは足早に冨由馬のもとへと駆け寄る。

「あーっと、ふ……じゃなくて柊くん、用事ってなに?」

 下の名前で呼びそうになり、アキラはあわてて口をつぐむ。そんな様子がおかしいのか、冨由馬はくすりと笑った。

「ちょっと話したいことがあって……学校のそばの公園に寄りたいんだけど、いいかな?」
「いいよーそれくらい」

 安請け合いして冨由馬と共に教室をあとにするアキラを、つばきは奇妙な期待に満ちた目で見送った。
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