ある日、悪魔をたすけたら、催眠アプリなるものをくれるとのたもうた。

やなぎ怜

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姫花ひめばな白雪しらゆきです。よろしくおねがいします!」

 見るからに優しそうで可憐な美少女といった風体の転校生は、名前も珍しいながらに華々しく、そして本人にぴったりだった。

 わたしはぼんやり「漫画のヒロインみたいな名前だ」とか考えながら、姫花さんを眺める。

 艶やかで清楚な黒髪をボブカットにして、まぶたは二重でぱっちり黒目は大きい。肌も日焼けなんてなんのその、というくらい白い。「さすが白雪なんて名前がつくくらいだもんな」と思う。きっと、生まれたときから色白の美貌だったから、ご両親はそんな名前をつけたんだろう。

 わたしがもし「白雪」なんていう名前だったらと考えると身震いする。明らかに名は体を表していない。「香津子」という地味な名前でよかった。

 そうこうしているうちに姫花さんはわたしの隣の席にやってくる。朝方に持ち込まれた、教室の一番後ろの窓際の席。漫画やラノベの主人公が位置しがちな席だ。

 そう考えるとその席は姫花さんにぴったりのような気がしたが、妙なところで現実感を捨てられないわたしは、彼女のその白い肌が日に焼けないか心配になった。

 もちろん姫花さんは開口一番に「ヤダ~日焼けしそう」なんて言わない。イスを引いて腰を下ろすと、さっと横の席のわたしに向かって笑顔で「よろしくね」と言う。

 この夏休みである程度スムーズに会話できるだけの能力を身につけたわたしは、姫花さんのなんの気ないセリフにもひるむことなく「よろしくね」と返す。ついでに「困ったことがあったら言ってね」ともつけ加えられる。夏休み以前のわたしを思えば、それは物凄い進歩だった。

 心の中で完璧な対応に自身を称賛しつつ、わたしはホームルームが終わって姫花さんを囲むクラスメイトたちを見る。

 姫花さんは、いったいどんな人なんだろう? 仲良くなれるといいな。

 そんなことを考える。

 たとえ姫花さんがわたしと仲良くなる気がなくても、別にそれでもいいやと思える程度の余裕は、あった。

 どうしても姫花さんと仲良くなりたければ、「催眠アプリ」を使えばいい。

 そうでなくても既にわたしにはたくさんの「友達」がいる。

 文化祭を協力し合って、いっしょにお買い物に行ったり、海や山に遊びに行った「友達」が。

 それを思うとわたしは姫花さんには積極的に「催眠アプリ」を使わなくてもいいかな、という気になったのだ。

 姫花さんはその美貌と人懐っこさで、瞬く間にクラスを魅了して行った。

 人が面倒くさがることも進んでやるし、体育の授業にせよ普通の授業にせよ、なにをさせても満点のスーパーガール。おまけに美少女。なのに驕ったところがないので、既に出来上がっていたリア充女子グループの一員にもすぐになった。

 けれども姫花さんは漫画も普通に読むらしく、ちょくちょくわたしが所属するオタク女子グループにも顔を出して会話に参加することがあった。

 そのお陰でリア充女子グループの中である少女漫画が大流行したり、本来ならあまり接触のないオタク女子グループと漫画談義をしたりするようになった。

 姫花さんはすごい。本当に漫画のヒロインみたいなすごい子だ。

 わたしは素直に彼女を称賛の目で見ていた。

 なにごとにも気を配り、気が利く姫花さんは隣の席にいるわたしにもよく話しかけてきてくれた。

「困ってることがあったら言ってね」

 そうささやくように言う姫花さんの優しさにわたしは感動しつつも、「でも別に今困ってることないしな~」とも思っていた。

 わたしのような地味女にも分け隔てなく優しい姫花さん。

 わたしはそう思っていたのだが……徐々に彼女に対して、薄っすらと違和感を覚えるようになって行った。

「ねえ、困ってない?」

「今、困ってるんじゃない?」

「困ったことがあったら、遠慮なく言っていいんだよ?」

 文面は違うが、言っていることは最初と変わらない。「困ったことがあったら言ってね」。姫花さんはなぜかわたしと顔を合わせるたびにそのようなセリフを繰り返していることに気づいた。気づいてしまった。

 しかしやはり生来からの小心者気質は変わらないわたしは、姫花さんにそのことを問いただす勇気など持ち合わせているはずもなく……。

 仕方なく「そんなことないよ」とか曖昧に笑って流すようにしていた。

 そこまでされてもわたしは姫花さんのことを好意的に見ていた。

 それから「わたしの顔ってそんなに困っているように見えるのかな?」とも考えた。もしかしたら姫花さんはきっとご両親も美形だろうから、ブスを見慣れていなくて「困った顔」と認識しているのかも?! という珍説すら頭に浮かぶ始末だった。

 そうしているあいだにも、姫花さんは古典的なRPGに出てくる村人のごとく、何度も何度も似たようなセリフを繰り返し続けたのだった。

 けれどもクラスメイトたちは別にそれを不審がっている様子はない。ということはつまり他のクラスメイトたちにはそういうおかしな言動は見せていないということなのだろう。

 それに加えて姫花さんの話し方は巧みだったし、なによりそのセリフはいつもわたしだけに聞こえるようにささやくのが常だった。だからわたしもそれをクラスメイトたちにわざわざ波風を立てるように言えるはずもなく、やはり曖昧に笑って流し続けたのだった。

 それでも姫花さんはわたしにはいつだって笑顔で、優しいクラスメイトだった。

 ――「催眠アプリ」も使っていないのに、この人は本当に優しい人なんだなあ。

 わたしはそう思っていた。

 そんな姫花さんが馬脚を露わしたのは、一二月に入ろうかという、肌寒い時期のことだった。

 姫花さんは相変わらずわたしに会うと「困ってないか」と聞いてくる。

 けれどもわたしは言っちゃなんだがリアルが充実しているリア充で、オタ充していたし、今が人生の絶頂期かというくらい順風満帆な生活を送っていた。

 オタク女子グループとは毎日のようにオタトークをして、それでいてクラスメイトたちとだって気軽に話せる。

 以前のわたしからは、考えられないくらい、幸せな毎日を送っていた。

 けれどもどうやら姫花さんとしてはわたしが困っていないといけなかったらしい。

 ある日わたしを言葉巧みに空き教室まで連れて行った姫花さんは、そんなことを言い出した。

「本当はイジメられてて困ってるんでしょ? ここならだれにも聞かれないし。遠慮しなくていいから。あたしは澤村さんの味方だよ?」

 姫花さんのセリフはまったくの的外れで、わたしは困惑した。

 よそのクラスは知らないが、わたしのクラスでは今のところイジメというやつは起こっていない。イジられ役みたいなムードメーカーの男子はいるけれども、それは傍目に見てもイジメと言えるような度を越したものではない。クラスはみんな仲良しこよしって感じの雰囲気だ。

 そしてわたしも、別にイジメられてなんていなかったし、過去にイジメを受けた経験もなかった。

 だからわたしは素直に「イジメられてないよ」と答える。

 姫花さんがなにをもってわたしがイジメられていると判断したのかは謎だが、なにかしらの行き違いがあったのだろうと考えた。

 そしてわたしがイジメられていると考えて、いてもたってもいられなくて、こうしてわたしから聞きだそうとした。ちょっと善意が暴走した結果、今みたいなことになっているのだとわたしは思ったのだ。

 だからわたしはできるだけ姫花さんが恥をかかないようにと言葉を選んだ。

「ありがとう姫花さん。心配してくれたんだよね? でもうちのクラスにはイジメなんてないよ。みんな仲が良いのは姫花さんも知ってると思うけど――」
「――あのさ、もしかしてアンタ『テンセイシャ』?」
「え?」
「いや、そこでしらばっくれなくていいから。……ハァー、マジかよ。『テンセイシャ』がいるなんて予想外だわ。でも納得。なんかシナリオがメチャクチャだと思ったんだよねー……」

 姫花さんの豹変に、わたしはポカンと間抜け面を晒すしかなかった。

 たおやかで女子力が高くていつも丁寧な言葉遣いの姫花さん。そんな姫花さんの美しいイメージが音を立てて崩れて行く。

 その衝撃はリア充女子グループのリーダー格がヤンキー口調でケンカしていたときの比ではなかった。

 そしてもとより頭の回転が遅いわたしは混乱した。「テンセイシャ」という単語もすぐには漢字へと変換できなかった。恐らく「転生者」だろうと予測をつけたときには、目の前に立つ姫花さんは般若のような恐ろしい顔へと変わっていた。

「ねえアンタはどれくらい知ってるの? ファンだったの?」
「え? ファン?」
「いや、だからもうしらばっくれなくていいから! 『モブ転生したけどリア充生活送るぞ~』とか思ってるわけだよね?」
「モブ?」
「だってアンタみるからにモブじゃん。地味だしブサイクだし」

 わたしはいつだって空気だった。空気ゆえに正面切ってdisられることもなく人生を送ってきた。

 だからこそ姫花さんのセリフは衝撃的だった。

「地味だしブサイクだし」――それはいつもわたし自身が自分に対して思ってきたこと。でも、それを他人から言われるのはショックすぎだった。

 頭が真っ白になったわたしに、姫花さんは相変わらず怖い顔をしたまま話を続ける。

 姫花さんによると、この世界は乙女ゲームの世界らしい。正確には、「乙女ゲームに酷似した世界」といったところだろうか。

 そして姫花さんはヒロインの「姫花白雪」に転生したことに気づいた。それならこの世界をヒロインとして楽しもう。

 高校二年生のときに転校してきたところからゲームは始まる。けれどもどういうわけかイベントがきちんと起こらない。

「澤村」という苗字しか出てこないモブクラスメイトがイジメられていて、それをヒロインがかばうことでイベントが進んで行く――ハズだった。

 けれどもわたしは別にイジメられていない。それどころかトラブルもなく普通に生活している。

 それは明らかな「バグ」だ。

 つまり、「澤村」なる完全なる「モブ」こそがこの世界の「バグ」なのだ。

 ではなぜそのような「バグ」が発生したのか?

 それはきっと自分と同じ「転生者」だからだ――。

 ……というのが姫花さんの理論らしかった。

「ねえもしかしてアンタ『チート』でも持ってるの?」
「えっ……」

 チートと言われてわたしはドキッとした。

「チートでも持ってるの?」――持っている。わたしには、ブダナウスさんからもらった「催眠アプリ」がある。

 わたしのわずかな沈黙を「是」と受け取ったらしい姫花さんは、怖くなっていた顔を更に怖くしてこちらを責め立てる。

「ちょっと、もしかして本当にチート持ってるの?! それはちょっとズルすぎない?! アンタなんてイジメられるくらいのブサイクモブなんだからそんな力いらないでしょ?! どんなチートなの?! 答えなさいよ!!!」

 ここでウソをついたり、姫花さんが繰り返してきたようにしらばっくれることもできた。

 けれどももとより小市民で小心者なわたしは姫花さんの剣幕が怖かった。ウソをついても、すぐにそれがバレてさらに怒られる――。そんなイメージが強く脳裏に焼きついて、わたしは半泣きで「チート」を持っていることを認めた。

 自分が転生者ではないこと。

 転生者ではないが悪魔を助けたお礼に「催眠アプリ」をもらったこと。

 そしてその「催眠アプリ」を使って友人を作ったこと――。

 わたしはすべての事実を姫花さんに対してゲロった。

「クラスメイトだけ? じゃあアサキやタツミは?!」
「ど、どなたですか……」
「使ってないのね?! ハァーッ……よかった……」

 なんとなく事態が穏健に進みそうな気配を感じ取ったわたしは、心の中でホッとひと息ついた。

 どうやら姫花さんが狙っていた(?)らしき「攻略対象者」に対しては、わたしは「催眠アプリ」を使っていなかったようである。

 このまま無罪放免となるのかな~と、わたしはまだまだのん気に事を構えていた。

 けれども次にこちらを見た姫花さんの目は、わたしを軽蔑しているようだった。

 ……違う。

 

 そのことに気づいた途端、わたしは崖の上から谷底へとまっさかさまに落ちて行くような感覚に陥った。

「それにしてもサイテーだね。『催眠アプリ』……だっけ? それで他人をどうこうしようとしていたなんて……」
「でも……」

 でも、友達になるためだけに使ったんだし。

 わたしはこの期に及んでそんな醜い言い訳を口にしようとした。

 しかそれは姫花さんにはお見通しのようだった。

「『でも』じゃないでしょ?! アンタには他人に軽蔑されるような、知られたら即社会的に抹殺されるようなことをしてるって自覚がないわけ?! ハァーッ、もうほんとサイテーすぎて言葉もないわ。ゲームじゃわからなかったけど、こんなメンタリティじゃイジメられて当然。むしろ、あたしが助けることにならなくてよかったわー」

 姫花さんはそれからもわたしに対してなにかしら言っていた。

 徐々にそれは熱を帯びて、罵倒に近くなって行った。

 けれどもそれは、わたしからすればすべて事実を言われているにすぎなかった。

 姫花さんは言うだけ言って満足したのか、わたしを放って空き教室を出て行く。出て行くときにわたしに対して口止めするような言葉を発したけれども、わたしの脳にはそういう輪郭というか、概念のような形でしか残らなかった。

 気がつけば、わたしは泣いていた。

 改めて自分を俯瞰して、吐き気が止まらなかった。

 自分の醜さに、自分が耐えられない。

「『催眠アプリ』で出来た『友達』?! 相手はアンタのこと『友達』だなんて思ってねーからな?!」

 ひとつひとつ、姫花さんの言葉を思い出す。どれもこれも的を射ていて、反論の余地はない。

 わたしはただ、事実を突きつけられただけにすぎない。なのになぜ、こんなにもショックを覚えているんだろう?

 まるでバカみたいだ。いや、バカなんだ。

 わたしはクラスメイトたちを思い浮かべる。

 文化祭で一致団結して、打ち上げで大騒ぎして。勉強会を開いて、萌え話をして、色んなところへ遊びに行って。

「澤村さんって意外と勉強教えるの上手なんだね」

「香津子の萌え話ってホントわかりみがすぎて辛いわ~」

「澤村さんって話してみると意外と面白いよね」

 大好きで、素敵なところがたくさんあるクラスメイトたち。わたしと偽りの「友達」になって、温かく迎え入れてくれたクラスメイトたち。

 わたしはその隣に並べた気になっていたけれど、現実のわたしは、その足元にも及ばない汚物。

 キラキラしたものになれたと、思い上がっていただけの醜い人間。

 わたしは泣きながら、自己嫌悪にまみれていた。

 スマートフォンを取り出す。画面にぼたぼたと涙が落ちる。

「Sアプリ」のアイコンを長押しする。

 けれどもやっぱり、アンインストールするための×ボタンは、出てこないのだった。
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