ある日、悪魔をたすけたら、催眠アプリなるものをくれるとのたもうた。

やなぎ怜

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エピローグ(鴻一郎視点)

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 篠田鴻一郎、一六歳、悪魔使い。

 高校二年生の春、厄介なことに巻き込まれた。

 そもそもの話をするならばブダナウスが鴻一郎にささいなイタズラを仕掛けたことに端を発する。

 ブダナウスは悪魔だ。そして鴻一郎の家系に憑いている。鴻一郎が生まれた篠田家は代々悪魔使いをしており、ブダナウスもその連綿と続く家系に巻き込まれた雑魚悪魔の一柱にすぎない。

 そういうわけであるから、主従関係は明白だった。鴻一郎は主人としての特権をもってブダナウスを折檻し、ヘソを曲げたブダナウスが家出をした。

 鴻一郎はしばらくブダナウスを放っておくつもりだったが、母親から「ブタちゃん、あまりイジメちゃダメよ」なんて言われてしまったので、渋々捜しに行った次第である。

 鴻一郎が再びブダナウスと顔を合わせたとき、彼は体に絆創膏を貼っていた。

「どうしたんだ、それ」
「ん? んふふふふ~」

 ブダナウスは鴻一郎にイタズラを仕掛けるときのように至極嫌らしい笑みを浮かべた。なので鴻一郎は何発かブダナウスを殴っておいた。

 鴻一郎は暴力的な人間ではないのだが、悪魔はこちらが思っているよりたいそう狡猾なのだ。となれば常に主人がどちらであるかは明確にしなければならないのである。

 そう祖父や父親から教わった鴻一郎は、悪魔に対して非常に容赦のない人間に育った――というわけであって、本人が暴力的な気質を持っているわけではないと断っておく。

 結局、ブダナウスは先ほど起こった出来事をゲロッた。

 曰く、ネコに襲われていたところを香津子に助けられたので、お礼に「催眠アプリ」を渡したと言うのだ。

「あのお嬢ちゃん、あんまりにもパッとしてへんからな~」
「余計なお世話だろう」

 鴻一郎は妙なことになった、と思いながらブダナウスをもう一発だけ殴っておいた。

 香津子は鴻一郎の近所に住む幼馴染だ。ごく普通の中産階級の家庭で一人っ子として育った――言ってしまえば、地味な人間。

 香津子と鴻一郎は幼稚園から高校まで学び舎を同じくしているが、近年は大して親しい間柄とは言えなかった。

 それと言うのも鴻一郎が香津子と距離を置いているからである。

 すべては、鴻一郎が悪魔使いの一族だから。

 無論、悪魔使いであると喧伝してはいないのだが、住宅街に大きな屋敷を構え、昼夜問わず様々な人間が出入りする篠田邸の評判はよろしくない。そこには持たざる者の嫉妬もあっただろうし、恐れもあっただろう。

 そういうわけで鴻一郎は幼稚園ではボッチだった。しかし幼いころからひねくれていた鴻一郎は、別にひとりでいることなどどうでも良かった。

 だが、ひとりで部屋遊びをしているうちに仲良くなった相手がいた。

 それが澤村香津子。

 香津子は引っ込み思案で恥ずかしがり屋だったが、根はあきれるほどに善人で、バカだった。だからこそ、ヘソ曲がりの鴻一郎は惹かれたのかもしれない。

 しかし香津子への淡い恋心を自覚した頃には、すでに鴻一郎はひとりの悪魔使いとして修業を始めなければならなかった。

 悪魔には、散々痛い目を見せられた。悪魔は上手く利用してやればひどく役に立つ存在であるが、本質的には厄介な存在である。

 そんな悪魔を使役する自分は、あきれるほどに善人である香津子にはふさわしくない――と、半ば鴻一郎は勝手に思い込み、恋心の萌芽を封印した。

 距離を置いても香津子はなにも言ってはこなかった。彼女のことだから自分のことを貶めて、勝手にストーリーを作り上げているに違いないと鴻一郎は思った。

 それを都合がいいと思うと同時に、いら立ちも感じた。身勝手に距離を置いたのは、自分の方だと言うのに。

 ――そんな風に距離を置いていた香津子と、ひょんなことから接点が生まれた。

 鴻一郎にとっては、青天の霹靂にも等しい。

 加えて、「催眠アプリ」。あれを悪用されると少々困ったことになる。具体的には鴻一郎が祖父や父親からしこたまに叱られるだろう。その未来を想像すると背筋がゾッとした。

 しかし一方で香津子がどうするか見てみたい、という好奇心も芽生えた。引っ込み思案がすぎて親しい友人もいない香津子。その中には、薄ら暗い鬱憤があってもおかしくはない。

 鴻一郎は、そういう香津子の暗い側面を見ることで、どうしたかったのかはわからない。

 単なる好奇心と言ってしまえばそれまで。あるいはもしかしたら、未だに断ち切れない香津子への未練をどうにかしたかったのかもしれない。

 そして香津子はまるで鴻一郎の考えを見透かしたかのように、鴻一郎に対して「催眠アプリ」を使った。

 もちろん半人前とは言え、鴻一郎は悪魔使い。悪魔がもたらした「催眠アプリ」の効力に対して抗うことは朝飯前だった。

 鴻一郎は「催眠アプリ」を使った香津子に落胆すると同時に、いったいどんな命令を自分に課すのか、興味があった。

 香津子がなにかしら命令を口にしたあとは、彼女のスマートフォンを取り上げて軽く記憶を操作しておくつもりだった。

 けれども――

「あのさ、篠田くん……わたし、篠田くんともうちょっとだけでいいから、前みたいにおしゃべりしたいな……」

 それは、あまりにもささやかすぎる願い。

 鴻一郎は香津子の「願い」に呆気に取られると同時に、そのあまりのささやかさに毒気を抜かれる思いだった。

 だから鴻一郎は香津子からスマートフォンを取り上げることもしなかったし、記憶にも手をつけなかった。

 そうすればきっとまた、以前のようにただの幼馴染「だった」だけの存在になってしまうから。

 再び香津子と言葉を交わせた喜びに少々舞い上がりながら、鴻一郎は彼女と他愛のなさすぎる会話を終えた。

 しかし一応、香津子のことはブダナウスに監視させた。悪魔が透明になれるのはよくある能力のひとつであり、ブダナウスにもその力があったからだ。それにブダナウスは香津子に恩義を感じているらしいので、妙な手出しはしないだろうという確信もあった。

 香津子は次々に「催眠アプリ」を使っていった。ターゲットはクラスメイトに限定されており、しかも内容は「仲良くして欲しい」という――鴻一郎からすれば――あきれるほどに平和なものだった。

 だれかを恋人にしようとしたり、一時の性欲を発散しようとしたり、意識を盗んで金を手に入れたり……。「催眠アプリ」を使えばあらゆる欲望が満たせるだろうに、香津子はそれをひたすら「友達作り」にしか使わなかった。

「友達作り」にしたって、自分が中心人物になって頼られ、崇められ、欲求を満たす方法もあるだろう。

 けれども香津子は常に「友人C」くらいの立ち位置を望んだ。いてもいなくても、人生にそう支障がない存在……。それがどうにもおかしくて、鴻一郎は観察しているときに何度か笑いそうになった。

 香津子が楽しそうにしているのなら、別に「催眠アプリ」は回収しなくてもいいかな。繰り広げられる仲良しごっこには辟易していたものの、鴻一郎はそう楽観的に構えていた。

 それが急変したのは姫花白雪が現れてからだ。

 見た目は透明感のある美少女、中身もお美しい精神をしている――。そんな姫花のうさんくささを、鴻一郎は一度で見抜いた。

 姫花はなかなか馬脚を露わさなかったが、常にうさんくささが付きまとっていたので、鴻一郎はなるたけ彼女には近づかないようにしていた。

 だが姫花は暴走した。

 その末に、香津子はスマートフォンを破壊することで「催眠アプリ」を放棄した。

 そしてその後はなにもかもが元の日常の通り――

 ……とは、いかなかった。

 鴻一郎は、姫花の言葉が気になっていた。ここが「乙女ゲーム」なるものの世界だという話だ。

 だから鴻一郎は悪魔の力を用いて姫花から言葉を引き出した。のちのち、面倒なことに巻き込まれるのはごめんだったからだ。

 曰く、わたしはヒロイン。

 曰く、鴻一郎が悪魔使いなのは知っている。

 曰く、わたしはヒロインだから皆に愛される存在である。

 曰く、わたしはヒロインだから鴻一郎もわたしのことを好きになってくれる。

 曰く、わたしはヒロインだから困ったことになったらサブキャラクターである鴻一郎が助けてくれる。

 曰く、香津子はモブ転生した電波なヒロイン気取りの女である。

 曰く、香津子はゲームのシナリオを崩壊させかねないバグである。

 曰く、香津子はバグであるからこのゲームから取り除かなければならない――。

 あれほど用意周到に動いていた姫花が暴走した原因は、香津子と……それからどうにも鴻一郎の存在にあるらしい。

 自分が窮地に陥っても、「悪魔使い」なんてチートなズルい能力が使える鴻一郎がいるから、自分を助けてくれる……。

 そんなお花畑の皮算用をした結果が、香津子をクラスで孤立させようという稚拙がすぎる作戦だったのだ。

 そのあまりのバカバカしさに鴻一郎はひとしきり笑ったあと、姫花に催眠をかけた。

「篠田鴻一郎と澤村香津子に執着しないこと。近づかないこと。それから僕と香津子にまつわる記憶はすべて忘れること」

 ブダナウスには「手ぬるい」と評されたが、それは鴻一郎も思いはした。

 思いはしたが、これでいいとも思えた。

「あれでも幸せになる権利くらいはあるさ。これからどうするのか、その結果幸せになれるのかは知らんが。……それよりブダナウス」

 ――お前は香津子がお気に入りみたいだな?

 鴻一郎がそう言えば、ブダナウスは顔を青くして震え上がった。


 *


 昼休みに机を共有して弁当をつつく香津子を見ながら、鴻一郎は「平和だ」とひとりごちる。

 姫花への催眠はきちんと効力を発揮しており、彼女はもう香津子はもちろん鴻一郎になど見向きもしない。

 それでどうしているかと言えば、その美少女ぶりを発揮してイケメンをはべらせているのだった。もちろん以前より築いてきた姫花への好感度は地に落ちているが、そんなことは彼女にはどうでもいいことなのだろう。今日も男を引きつれて麗しい笑顔を振りまいている。

 前の席に座る香津子が廊下を過ぎゆく姫花とその取り巻きたちを見ていたので、鴻一郎はからかうように問うた。

「ああいうのって、うらやましい?」
「えっ?!」

 香津子は恥ずかしかったのか、あわてた様子で首を横に振った。

「まあ、うらやましくないかって言われたらウソになるけど……やっぱ、ちやほやされてみたいし」
「正直だね」
「そう? でもわたしには色々と無理だよ。色んな意味で……。コウくんは? やっぱり女の子にちやほやされたい?」
「僕は別にいいかな……。ああいうのって気苦労が絶えなさそうだし」
「まあ、そうかもね。でも姫花さんだったら上手いことやれてそうな気がする」

「やっぱ生きてる世界が違うよね」。香津子はそう言って茶色い弁当から煮しめたシイタケを口に放り込んだ。

 そんな香津子を見ながら、鴻一郎はひとりほくそ笑む。

 香津子は「催眠アプリ」を手放したので、元の「空気」キャラに戻ったものの、鴻一郎がいるので「ボッチ」には戻っていない。

 香津子が「空気」でいるのは、鴻一郎にとっては都合が良かった。

 そう、香津子を独占したいという気持ちにウソをつかなくなった鴻一郎にとっては。

 ――悪魔のことを知らないなら、と我慢していたけれど、もう悪魔のことを知ってしまったんだから、いいよね?

 人知れず笑う鴻一郎の本性を、香津子はまだ、知らない。
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