溺愛からは、逃げられない!

やなぎ怜

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 花が前世の記憶とやらを思い出し、一八禁エロルートに対して有効な手段を打てないまま一週間。

 かおると花に風が吹いた。

 しかしそれは追い風なのか向かい風なのかまではわからなかった。

 風の名前は月羽つきはねきらり。少女漫画のヒロインのような名前をした彼女は、季節外れの転校生だ。

 かおると花とはクラスが違うため、それまでふたりは月羽きらりについて詳しく知る機会には恵まれなかった。ただ、他クラスに転校生がきたということくらいは、流石に耳に入ったが。

 きっかけは、樹の愚痴だった。月羽きらりは樹と同じクラスなのだ。そんな月羽きらりが樹曰く「うざったい」らしい。

 樹も長々と愚痴るタイプではなかった――そもそもそ愚痴だってかおるの気を惹きたいという気持ちが透けて見えた――から、それ以上の詳しい情報は得られなかった。

 そしてかおるはなんの気なしに花にそのことを話した。

 転校生の月羽きらりなるすごい漫画っぽい名前の子がいて、樹に絡んでいるらしい――と。

 その話を聞いた花は、顔色を変えた。最初は聞く姿勢は見せていたものの、興味がないという態度は明らかだったというのに、だ。

「? どうしたの?」
「その月羽きらりっていう人……樹が勉強できるってなんでわかったのかな」

 月羽きらりは、しきりに樹へ勉強を教えて欲しいと迫ってくるらしい。月羽きらり曰く、前の学校よりもこちらの学校のほうが授業が進んでいてわからないところがあるらしい。

 理由自体には取り立てて不自然な面はなかった。

 そうやって真っ先に声をかける対象が異性であるのには、少し引っかかりを覚えなくもない。

 けれどもどんな場面でも糸を張るクモのごとく男を逃がすまいとする女はいるわけで。

 だからかおるも月羽きらりはそういう積極的な女子なのかなと思い、抱いたかすかな疑問を疑問として取り上げることはしなかった。

 しかし――。

「……確かに言っちゃあなんだけど、樹はパッと見、勉強できるようには見えないけど……」

 耳に無数のピアスをジャラジャラとつけて、制服を着崩している樹は、言っちゃなんだが見た目は完全にチンピラである。おまけに授業態度だってよろしくないことも多々だ。

 しかしそんな樹は、明らかに「勉強できます」というような見た目の建と同じくらい、テストでは好成績をマークしている。

 樹のことをよく知らない人間は、たいていそのことを知るとびっくりすることを、かおると花もよく承知していた。

 ……だからこそ、転校生である月羽きらりが樹に勉学を乞うという状況には、引っかかるものがある。

 これがいかにも勉強ができて真面目そうな、優等生然とした建が相手であれば、かおるも花も引っかかりを覚えたりはしなかっただろう。

「あのさ……今度中間考査があるじゃん?」
「ああ、うん。そうだけど」
「思い出したんだけど、『ダブル・ラブ』でもそういうイベントがあるんだよね……中間考査前に一緒に勉強するっていう」

 かおるは勉強のために集まるということは、花としかしない。

 建ならばともかくも、天才肌の樹はコツコツ勉強するというのが苦手なのだ。短時間でパッと終えて、しかもその内容を忘れたりしない。

 そんな天才肌の樹と勉強をするのは、色々とツラいものがある。

 まず樹がさっさと終えてしまうし、終わるとかおるにちょっかいを出してくる。モチベーションも保てないし、はっきり言って、迷惑そのものである。

 しかし建とだけ勉強をするというわけにもいかない。そんなことをすれば確実に樹が乱入してくる。しかも、最悪に機嫌を損ねた状態で。

 だから考査前の最後のあがきに勉強をする際は、かおるは山野家へお邪魔して花とだけ励むわけである。

 花とは学力は同じくらい――当然、得意不得意な科目に差はある――だったし、山野家に行けば樹が乱入してくることもない。

 そういうわけでかおるは花としか一緒に勉強をする、というようなことをしていないのである。

 だから、『ダブル・ラブ』のイベントのようなことは、起こり得るはずがない。

 ……かおると花が相手であれば。

「まさか――」

 かおると花はオタクである。そして、花は彼女の言っていることが正しければ、異世界からの転生者。そしてこの世界は花の前世に存在していた乙女ゲームに非常に似ている……。

 だから、かおるは「まさか」と言いたくなるような予想をしてしまった。

「たぶん、かおるは今わたしと同じことを考えていると思うんだけど」
「いや、でも、まさか……まさか、だよ。そんな、ねえ? ありえる?」
「まさか、だよ。きっと月羽きらりって子は――わたしと同じ、『ダブル・ラブ』を知る異世界転生者なんだよ」

 かおるは重ねて「そんな、まさか」と言う。異世界からの転生者がひとり実在するだけでもびっくりなのに、同じ学校にふたり目が現れるなんて。そんなことがあり得るのだろうか?

「つまり……月羽きらりは……わたしたちに――ヒロインに、成り代わろうとしている……?」
「成り代わりというか、乗っ取りというか? ……でも、まあ、ただの偶然かもしれないし」
「そ、そうだよね! 単に樹の見た目が気に入って積極的に声をかけてるだけかもしれないしね?」

 かおると花は「偶然偶然」と言い合った。

 なぜなら、彼女らの知る作品の中で「ヒロインに成り代わろうとしている女」なんてのは、たいてい厄介な人間として描写されているからだ。

 そんな人間が身内に近づいているとは、ふたりとも考えたくはなかった。

 万が一、月羽きらりが花の言う通り「異世界転生者」で「ヒロインの座狙い」であれば、近い将来、厄介事に巻き込まれる可能性がぐんと跳ね上がる。

 そんな未来はまっぴらごめんなかおると花は、「気のせい」だということにしてそんな可能性から目をそらすことにした。

 ……しかし残念ながら、花の世迷言としか聞こえない予測は、正確に当たってしまうのであった。
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