ある日突然、わたしの世界にオメガバースが出現した

やなぎ怜

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「お客さま!」
「高上さん!」

 店員さんの声と、山下さんの声が重なる。

 わたしはと言えば――羞恥にまみれていた。

 恥ずかしさMAX。いたたまれなさMAX。そんな状態である。

 うわ、ヤバイ。恥ずかしい。さわぎになっちゃってるぞ~~~。

 わたしは顔が熱くなるの感じつつ、しかしほぼ大の字になってテラスの床に転がっていた。

 ……そして遠くから聞こえてくる、たいへん聞き覚えのある声。

「かえちゃん!」

 ……え?

 わたしは寝っ転がった姿勢のまま、固まった。

 え? 京吾?

 京吾じゃん? なんでここにいるの?

 わたしの脳はクエスチョンマークで埋めつくされた。

「きょ、きょーご……」
「だいじょうぶ?!」
「いや、なんでここに……」

 駆けつけた京吾はごく自然な動作でわたしを抱き起こす。

 わたしは京吾の腕を背で感じつつ、やはり羞恥にまみれていた。

 他のお客さんの視線がわたしに刺さる。

 突如現れた京吾に、どうしていいかわからないのはわたしだけではないらしく、山下さんは目を丸くしてこちらを見ていた。

 けれども顔を真っ赤にしているわたしとは対照的に、京吾はそんな視線は気にはならないらしい。

 京吾は、わたしだけをまっすぐに見ていた。

「まだコンサートが始まるまで時間があったから様子見にきたんだよ。そしたらかえちゃんが倒れたから……」
「あっ、コケただけだから。イスに脚引っかけて。コケただけだから」

 若干カタコト調でわたしは思いついた単語をあわてて口に出した。

 だからだいじょうぶだよ、と伝えたかったのだが、それは正しく京吾に届いたかは定かではない。

 とにかくこれはわたしのどんくささが引き起こしたことなのだ――ということをわたしは必死に口にしていた。

「……やっぱり、一度病院に行ったほうがいいと思いますよ」

 わたしと話しているあいだは軽薄そうな笑みを浮かべていた山下さんまでもが、至極心配げな表情をこちらに向けてくる。

 は、恥ずかしい……。

 なんか本当にすいません、としか言えない。

「頭だいじょうぶ?」
「ダイジョブ」
「痛くない?」
「イタクナイ」

 そんな言葉を交わしつつ、わたしは立ち上がってワンピースのすそを払った。

 本当にホコリが気になっていたのは三割くらい。残りの七割は恥ずかしさを隠すための動作だった。

「おさわがせしてすいません」と店員さんに頭を下げるが、店員さんはそれよりもわたしの頭の具合が気になるようだった。

 ……なんかもう、本当にすいません!

 すべて、すべてわたしがどんくさいのが悪いんです!

 だから、気にする必要なんてないんです!

 心でそう叫ぶも、実際のわたしは満身創痍で、今すぐその場から飛んで逃げたい気持ちでいっぱいだった。

「す、すいません山下さん……」
「いや、構いませんよ。高上さんに王子様がいることもわかりましたし」
「おっ……?!」

 山下さんに向き直って頭を下げれば、彼はイイ笑顔でそんなことを言い出した。

 思わず隣に立つ京吾の様子をうかがう。

 京吾も、山下さんの発言にびっくりしているようだった。その頬にみるみる朱色が差して、恥ずかしそうにしている。

 けれども、京吾は顔をそむけたり、目を伏せたりはしなかった。

 まっすぐに、山下さんを見ている。

「薄いとは言え、縁あった相手です。こんなにも心配してくれるお相手がいるようで安心しましたよ。いや、愛されてらっしゃる」

 前半は真剣に、後半はからかいの色を含めて、山下さんはちらりと京吾に視線をやった。

 京吾は、やはりその頬を赤らめていたが、やっぱり山下さんから視線をそらすことはなかった。

「ええ、僕はかえちゃんのこと――だれよりも愛していますから」

 はっきりと言い切った京吾の言葉を聞いて、わたしは頭が爆発しそうになった。

 わたしの頬もみるみる熱を持って、きっと京吾に負けず劣らず赤くなっていることだろう。

 それはわかったけれど、でも、今はそれを隠したいとは思わなかった。

「……お幸せに」

 山下さんは、そうにっこりとわらって、会計票を手にさわやかに去って行った。

 今までに見たなかで、一番屈託のない笑みだった。

 それを見て、わたしは山下さんが「運命」で良かった、と思った。

 わたしのオメガ性は、山下さんの笑顔にときめいたけれども、もう彼の「つがい」になりたいという欲求はなくなっていた。

 それは恐らく、きっと、今隣に京吾がいるから。

 わたしの居場所はここなのだと、ようやくわたしの本能も理解してくれたらしい。

「そうだ京吾、コンサート!」

 我に返ったわたしは勢い良く京吾のほうを向いてそう言った。

 けれども京吾はわたしよりずっと冷静に言い返す。

「リハまではまだ時間あるよ」
「あ、そうなの……?」
「うん」

「そうなんだ」と力を抜いたあとで、なんとなく身の置き場がないような気になった。

 たぶん、恥ずかしいのだ。

 山下さんに向かってわたしを愛していると言い切った、京吾の態度がうれしくて――でも、慣れていないわたしは、それがどことなく恥ずかしいのだ。

「あ、じゃあ、なにか頼んでいったら? ちょうど席も空いたし!」
「うーん……じゃあ、そうしようかな。――すいませーん」

 店員さんに声をかけて京吾はわたしと同じアイスティーを注文した。

 わたしは改めて向かいあった京吾に、山下さんとの顛末を語ることにした。

 それから、恐らく先ほど頭を打ったことで、記憶が戻ったらしいということも。

「頭を打ったのが原因だったんだ?」
「そうみたい」
「かえちゃんはそそっかしいから、気をつけないと」
「ハイ、おっしゃる通りでございます……」

 わたしが山下さんのことを黙っていた理由についても、京吾は納得したものの、やはりどこか呆れた顔を見せる。

「まあ世の中は公務員の不祥事に対して厳しいから、わからなくもないけどね。でも、僕には言ってくれてもよかったんじゃないかな」
「うう……」

 ため息をついてアイスティーを飲む京吾に、わたしは返す言葉もなかった。

 居心地悪くうつむいていたわたしだったが、京吾からの視線を感じて顔を上げる。

 京吾は、こちらを真剣な眼差しで見つめていた。

 やっぱり、京吾はカッコイイ。

 ここでそのまま口に出したら間違いなく彼の顔が歪みそうなことを、わたしはぼんやりと考える。

「隠し事をされるのは、怖いよ」
「ご、ごめんなさい……」
「……まあ、これで懸案事項は解消されたわけだし……。――かえちゃん」
「はい?」

 京吾はアイスティーのグラスに差されているストローを指でいじりながら、笑う。

「――次の発情期は、覚悟してね?」

 京吾の言葉に、わたしは「はい……」と答えるしかなかった。

 頬は限界まで熱くなっていたが、不快な感覚ではなかった。

 頭の中で様々な事象がぐるぐると渦を巻く。

 けれども、それは全部幸福でいっぱいで、わたしは京吾の向かいに座ったまま、その幸せをめいっぱい噛みしめた。

「あと、ちゃんと病院には行こうね?」
「アッ、ハイ」
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