可愛い可愛いつがいから、「『練習』の相手になって」と言われてキスをされた。「本番」はだれとするつもりなんだ?

やなぎ怜

文字の大きさ
2 / 3

中編

しおりを挟む
 獣の時代からある家系に連なる者が、本能から求める相手――つがい。つがいとなるべき相手はひと目でわかると言い、またこの国の人間であれば、つがいはその名の通りに添い遂げるのが相応しいと考える。

 ウォルターは「つがい」という言葉に夢を見ていたわけではなかったものの、マリーと出会ってみて「なるほど」と思った。なにを投げ出してでも――それこそ、地位や名誉、名声を捧げてでも、使ってでも、つがいのそばにいたいという欲求に襲われたからだ。

 ウォルターは、獣の時代からある旧家の人間ではあったものの、理性の時代を生きる者だという自負があった。ゆえに当初はそのような感情の奔流に戸惑ったし、この理性の時代には相応しくない欲求だとも思った。

 それでも、「ウォルター」とたどたどしいながらにつがいの名を呼ぶマリーと接しているうちに、その葛藤はやがて春に接した雪のように溶けていった。

 それは喜ばしいことなのか、悩ましいことなのか。ウォルターでさえ、定かではなかったものの、しかしマリーと共に過ごしていると穏やかな気持ちになれた。

 無垢で、純粋で、まだ庇護を必要とする愛らしい存在……。無論、ウォルターの伴侶となるのならば、そのままでいいわけではなかったが、しかしまだ少女時代の今だけは、無遠慮に無垢な存在でいて欲しいとも思う。それはウォルターのわがままでもあった。

 マリーが乾いたスポンジのごとく知識を吸収するかたわら、彼女とウォルターの婚約はつつがなく進んだ。

 無垢で――裏を返せば無知なマリーと、急ぐように婚約を交わすことにウォルターは悩んだ。けれども彼の内に流れる獣の本能は、マリーを早く伴侶にしたいと求め続けた。

「ウォルターといっしょにいたい」

 ウォルターの背中を押したのはマリーだった。

 婚約や、その先にある結婚すること。ウォルターの伴侶となることについて付け焼刃ながら知識を得たマリー自らの意思で選んだのだ。

 ウォルターの屋敷に来ておよそ一年が経とうとしていた。

 出会いの日をマリーの誕生日と定めて、その祝いの贈り物をたずねたウォルターに対し、答えたマリーの言葉がそれだった。

 ……そのように、誘導した自覚はウォルターにあった。間違いなく、マリーに一番愛情を注いでいるのはウォルターだからだ。当初は戸惑った様子だったマリーも、今ではウォルターに対して心を開き、無垢にその愛情を享受している。

 ウォルターは、優しいだけの男ではない。獣の本能に従って、狩りをするがごとくつがいのマリーを手に入れんとする、狡猾な一面だってある。そして己のその一面に対し、罪悪感を抱くことだってある。

 それでも一応、獣の本能を抑え込んで、決してマリーに無体など働きはしなかったが。……ウォルターとマリーはまったく清い関係だった。マリーの頬へ口づけを贈ることすらためらうほどに、ウォルターはマリーを大切にしていた。

 けれども、マリーのそのひとことでウォルターは、もう彼女を手放せないと悟った。

「マリーがそう望むなら……私はいつまでも君と共にあるよ」

 華奢なマリーの肩をそっと抱き寄せて、頬と頬をすり合わせる。マリーのまろい頬を伝って、彼女が一瞬息を詰めたのがわかった。

 ウォルターは、この日を境に悩むことをすっぱりとやめた。

 己と出会わなければ、マリーには他の人間と生きる道があったかもしれないだとか。その道のほうが彼女にとって幸せではなかったかだとか……そういうことを考えるのは、真摯にウォルターの思いに応えようとするマリーに対し、礼を失していると感じたのだ。

 ウォルターは代わりに、いっそうマリーに愛情を注いだ。彼女が幸せであるように、その生を終えるときにウォルターとの日々が幸せだったと感じるように。

 もちろん無制限に甘やかしたわけではなかった。マリーには必要な教育を与えて、際限なく物を与えるというような不健全な愛情を示すこともなかった。……心中では、そうしたい気持ちは山とあったのだが、理性で抑え込んだ。そもそもマリーは物欲に薄かったので、なにかを求めることはほとんどなかったのだが。

 ウォルターはマリーを溺愛していた。だれがどう見ても溺愛していた。それでもマリーにはでれでれとした顔は見せなかった。

 理由は単純で、愛するマリーの前ではカッコつけをしていただけだ。頼りがいがあって、包容力があって、カッコイイ大人の男でありたかったがゆえである。

 それでも内心までそうとはいかず、ウォルターは知識を得て成長したマリーが、ウォルター以外に恋をしてしまう可能性については悩ましく思っていた。

 人間が、他者との比較や嫉妬と無縁でいるというのは難しい。ウォルターもそうだ。同じ人間どころか、しまいにはマリーになつくオスの番犬にすら嫉妬の視線を向けてしまうほどだった。

「――『おねがい』?」

 先に述べたとおり、マリーは物欲に薄い。あれが欲しいこれが欲しいとは滅多なことでは言わない。言うにしても、それは生活をする上で必要なものだとか、本当にちょっとした物品に限られていた。

 そんなマリーが、真剣な顔をしてウォルターに「おねがい」をしてきたのだ。ウォルターはたちまちのうちに上機嫌になって、あっという間に浮ついた気持ちになった。……もちろん、そんな心情は表には出さない。マリーの前では「カッコイイ男」でいたいからだ。ウォルターの考える「カッコイイ男」はだらしのない顔をしないのである。

「難しいおねがいじゃないといいけど」
「……難しくないよ」
「それじゃあどんな『おねがい』なんだい?」
「えっとね……『練習台』になってほしくて」
「『練習台』……? いったい、なんの」

 マリーからの珍しい「おねがい」に、内心ででれでれとしていたウォルターに、そして稲妻のごとき衝撃が落とされた。

「……キス、の練習がしたいの……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~

cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。 同棲はかれこれもう7年目。 お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。 合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。 焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。 何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。 美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。 私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな? そしてわたしの30歳の誕生日。 「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」 「なに言ってるの?」 優しかったはずの隼人が豹変。 「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」 彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。 「絶対に逃がさないよ?」

世界を救う予定の勇者様がモブの私に執着してくる

菱田もな
恋愛
小さな村の小さな道具屋で働くイリア。モブの村娘として、平凡な毎日を送っていたけれど、ある日突然世界を救う予定の勇者様が絡んできて…?

【完結】マッチョ大好きマチョ村(松村)さん、異世界転生したらそこは筋肉パラダイスでした!

櫻野くるみ
恋愛
松村香蓮はマッチョが大好きな女子高校生。 しかし、学校には納得できるマッチョがいないことに不満を抱えていた。 細マッチョくらいでは満足できない香蓮は、友人にマッチョ好きを揶揄われ、『松村』をもじって『マチョ村』と呼ばれているのだが、ある日不注意による事故で死んでしまう。 転生した先は異世界だった。 頭をぶつけた衝撃で前世でマチョ村だった記憶を取り戻したカレンだったが、騎士団の寮で働いている彼女のまわりはマッチョだらけで……? 新人騎士の幼馴染みも加わって、マッチョ好きには堪らない筋肉パラダイスに悶絶するマチョ村さんのお話です。 小説家になろう様にも投稿しています。 『文官貴族令嬢は、マッチョな騎士に首ったけ。』がエンジェライト文庫様より電子書籍で配信されています。 こちらもマッチョに惹かれる女の子のハッピーエンドのお話なので、よろしかったら各配信サイトからお願いいたします。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

星森
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

内気な貧乏男爵令嬢はヤンデレ殿下の寵妃となる

下菊みこと
恋愛
ヤンデレが愛しい人を搦めとるだけ。

ダメンズな彼から離れようとしたら、なんか執着されたお話

下菊みこと
恋愛
ソフトヤンデレに捕まるお話。 あるいはダメンズが努力の末スパダリになるお話。 小説家になろう様でも投稿しています。 御都合主義のハッピーエンドのSSです。

『ヒーローが過去に本気で愛した人』役から逃げたつもりが溺愛ルートに入ってしまった

イセヤ レキ
恋愛
愛犬のポポと一緒に、人狼の治める国という異世界へ飛ばされた柏木愛流(あいる)、二十三歳。 それから三年間、落とされた先で出会ったおばあちゃんにお世話になり、仕事も言語も身に着け異世界で順応していく。 身内のように大切な存在となったおばあちゃんが亡くなると同時に拾ったのが、怪我をしたハスキーのような大型犬。 愛流は二匹と楽しく一年過ごしたが、愛流が出入りする街には不穏な空気が漂い始める。 そして、愛流は思い出した。 昔読むのをやめた、ダブルヒーローの小説を。 ヒーローの一人が、ロロと名付けて可愛がった大型犬の状況にそっくりであることを。 そして、一年ほど一緒に住んで愛を育んだ相手、つまり愛流が、ある日ロロを守って殺される運命の女性であることを。 全八話、完結済。

処理中です...