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「タビサ・ロートンってああいう女みたい」
バルコニーに設けられた簡素なチェアに座るエリーは、テーブルに肘をついてため息を吐き出した。
タビサ・ロートン。ライナスの新しい恋人で、どうも彼の元恋人であるわたしをよく思っていない存在……。そのていどの知識しかなかったわたしに、エリーは律儀に新しく仕入れた情報を教えてくれる。なんでもエリーのハトコがタビサ・ロートンとは同級生らしく、そこから色々と聞き出してくれたらしかった。
「ああいう女?」
「つまり、相手にしたらダメな女ってこと。有名らしいわ。一方的に男に熱を上げて、相手が断っても付きまといを繰り返していたヤバイ女だって」
「まあ、そうなの? 自分から、男の人に?」
「そうよ、そうなの。ちょっとおかしい女なのよ。思い込みが激しいっていうか……」
女性から男性に対して積極的にモーションを仕掛けることについて、エリーは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。一般的に、それは淑女のすることではなく、大人たちに言わせれば「はしたない」ことだからだ。
けれども「進歩的な女性」を目指す叔母様を持つわたしは、タビサ・ロートンもそういうタイプの女の子なのかと考えた。スクール始まって以来の才媛だとエリーが言っていたし、わたしよりもずっと頭がいいのであれば、そういう「進歩的」な考えに共鳴し、それを実践しているとしてもおかしくないと思ったのだ。
……ということをかいつまんでエリーに話してみたが、彼女はこの前みたいに難しい顔をした。
「私だって、なんでもかんでも押さえつけられる『女』っていう性別には思うところがあるから、貴女の叔母様みたいな人のことは知っているつもりだけれど……タビサ・ロートンは間違ってもそういう女性と一緒にしちゃダメだと思うわ」
「そうかしら?」
「そういう崇高な考えのもとに行動しているんじゃなくて……ただ自分の欲望に忠実でワガママで、他人のことなんてちっとも考えていないだけよ、あの女は」
「そう……なのかしら? ごめんなさい。わたしにはよくわからないわ……」
「いや、普通はわからないから。ああいう女はさ。天災みたいなもので、普通は近づかないで無視する方がいいんだけれど……。どうも、アンに執着しているというか、ねちっこく敵視しているところがあるみたいだから、気をつけたほうがいいわ。スクールの中でも人の多いところにいた方がいいと思う」
「……そんなに?」
「そんなに」
キッパリと言い切ったエリーに、わたしはまた考え込んでしまう。
けれどもすぐに「これって『おいしい』かも」と思い直した。
わたしのことを敵視して罵倒してくる謎の女……わたしのことをかばいもしない言い訳もしない冷たい元恋人……。わたしの生活を破壊しようと手を尽くしてくる厄介な敵を相手にしても、ヒロインであるわたしは耐えて耐えて耐えるの。ときどき陰でさめざめと泣いたりするけれど、他人の前ではしおらしくも決して心は屈しないヒロイン……。
――いいじゃない!
わたしは心の底から心配してくれるエリーには悪いなと思いつつ、新たな「悲劇のヒロイン」ごっこの燃料が投下されたことで、ひとり心の中で湿っぽい炎を燃え上がらせる。「悲劇のヒロイン」というものには障害がつきものだ。なんなら、多ければ多いほどいい。
わたしがひとり心の中で「悲劇のヒロイン」の気分に浸っているあいだにも、エリーはわざわざ仕入れてきてくれた情報を教えてくれる。
「ライナス・アースキンがなんであの女と付き合い始めたのかはよくわからなかったわ。女に言い寄られて、モテてると勘違いしたのかも? みたいな噂は聞いたけれども……ハッキリしないのよね」
「わたしとタイプが違うからじゃないからしら。わたし、彼女みたいに地に足のついたタイプじゃないから……」
「え?! いやいやいや、タビサ・ロートンは全然地に足のついたタイプじゃないって。夢見がちっぷりはアンとどっこいどっこいよ! ――ってごめん、アンのことを悪く言うつもりじゃなかったんだけど……」
「夢見がちなのはわかってるから、別にいいわよ」
「でもまあ、アンの言う通り確かにタイプは違うと思う。アンはおっとりしてるけど、タビサ・ロートンはがつがつ行くタイプみたいだしね。そう考えると、そういうところが新鮮に映った……とかなのかな? うーん……」
ふたりして考え込むが、もちろんわたしたちはライナスではないので、正しい答えなんて出せるはずもなかった。
それにわたしは別に今のままでも全然困らないのだ。わたしの方は準備万端。卒業まで「悲劇のヒロイン」ごっこ――名づけるならば「スクール編」――を楽しむつもりでいたから、タビサ・ロートンがどれだけ燃えあがろうとも正直どうでもよかった。ライナスの存在だってそうだ。すでに「突然愛する恋人に捨てられてしまったわたし」を演出するための小道具くらいにしか思っていない。
そう考えると親友のエリーに、あれこれとふたりについて探らせるのは申し訳ない気がしてくる。わたしは別に、この事態の解決を望んでなどいないのだから。
「ありがとう、エリー。色々と聞いて回ってくれて」
「そんなに聞いて回ってないわよ。勝手に噂の方から飛び込んでくるくらい、今スクールじゃホットな話題なの」
「そうなの?」
「もー。アンってば、貴女とあの女とライナス・アースキンの三角関係の噂なのに……本人はまったく知らないんだから……」
「ええ? そんな噂になっているの? つい昨日まではわたしの結婚について噂になっているって聞いたんだけれど……」
「もう、今はアンの旦那さんの話はどこへやらって感じね。まあ三角関係の噂と言いつつ、メインはタビサ・ロートンの『凄さ』に集中しているみたいだから、やっぱりアンは気にしなくって正解かもね」
下校の時間が近づき、おしゃべりもお開きの空気になる。エリーは最後に「タビサ・ロートンには気をつけて」と強くわたしに警告した。けれどもわたしはエリーの言葉を聞きながらも、すでに心は今夜の夫婦の営みへと飛んでいたのだった。
エリーの警告を聞くに値しないものと思ったわけではない。ただ単に、そのときのわたしには一度に考えることが多すぎた。それだけの話だった。
バルコニーに設けられた簡素なチェアに座るエリーは、テーブルに肘をついてため息を吐き出した。
タビサ・ロートン。ライナスの新しい恋人で、どうも彼の元恋人であるわたしをよく思っていない存在……。そのていどの知識しかなかったわたしに、エリーは律儀に新しく仕入れた情報を教えてくれる。なんでもエリーのハトコがタビサ・ロートンとは同級生らしく、そこから色々と聞き出してくれたらしかった。
「ああいう女?」
「つまり、相手にしたらダメな女ってこと。有名らしいわ。一方的に男に熱を上げて、相手が断っても付きまといを繰り返していたヤバイ女だって」
「まあ、そうなの? 自分から、男の人に?」
「そうよ、そうなの。ちょっとおかしい女なのよ。思い込みが激しいっていうか……」
女性から男性に対して積極的にモーションを仕掛けることについて、エリーは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。一般的に、それは淑女のすることではなく、大人たちに言わせれば「はしたない」ことだからだ。
けれども「進歩的な女性」を目指す叔母様を持つわたしは、タビサ・ロートンもそういうタイプの女の子なのかと考えた。スクール始まって以来の才媛だとエリーが言っていたし、わたしよりもずっと頭がいいのであれば、そういう「進歩的」な考えに共鳴し、それを実践しているとしてもおかしくないと思ったのだ。
……ということをかいつまんでエリーに話してみたが、彼女はこの前みたいに難しい顔をした。
「私だって、なんでもかんでも押さえつけられる『女』っていう性別には思うところがあるから、貴女の叔母様みたいな人のことは知っているつもりだけれど……タビサ・ロートンは間違ってもそういう女性と一緒にしちゃダメだと思うわ」
「そうかしら?」
「そういう崇高な考えのもとに行動しているんじゃなくて……ただ自分の欲望に忠実でワガママで、他人のことなんてちっとも考えていないだけよ、あの女は」
「そう……なのかしら? ごめんなさい。わたしにはよくわからないわ……」
「いや、普通はわからないから。ああいう女はさ。天災みたいなもので、普通は近づかないで無視する方がいいんだけれど……。どうも、アンに執着しているというか、ねちっこく敵視しているところがあるみたいだから、気をつけたほうがいいわ。スクールの中でも人の多いところにいた方がいいと思う」
「……そんなに?」
「そんなに」
キッパリと言い切ったエリーに、わたしはまた考え込んでしまう。
けれどもすぐに「これって『おいしい』かも」と思い直した。
わたしのことを敵視して罵倒してくる謎の女……わたしのことをかばいもしない言い訳もしない冷たい元恋人……。わたしの生活を破壊しようと手を尽くしてくる厄介な敵を相手にしても、ヒロインであるわたしは耐えて耐えて耐えるの。ときどき陰でさめざめと泣いたりするけれど、他人の前ではしおらしくも決して心は屈しないヒロイン……。
――いいじゃない!
わたしは心の底から心配してくれるエリーには悪いなと思いつつ、新たな「悲劇のヒロイン」ごっこの燃料が投下されたことで、ひとり心の中で湿っぽい炎を燃え上がらせる。「悲劇のヒロイン」というものには障害がつきものだ。なんなら、多ければ多いほどいい。
わたしがひとり心の中で「悲劇のヒロイン」の気分に浸っているあいだにも、エリーはわざわざ仕入れてきてくれた情報を教えてくれる。
「ライナス・アースキンがなんであの女と付き合い始めたのかはよくわからなかったわ。女に言い寄られて、モテてると勘違いしたのかも? みたいな噂は聞いたけれども……ハッキリしないのよね」
「わたしとタイプが違うからじゃないからしら。わたし、彼女みたいに地に足のついたタイプじゃないから……」
「え?! いやいやいや、タビサ・ロートンは全然地に足のついたタイプじゃないって。夢見がちっぷりはアンとどっこいどっこいよ! ――ってごめん、アンのことを悪く言うつもりじゃなかったんだけど……」
「夢見がちなのはわかってるから、別にいいわよ」
「でもまあ、アンの言う通り確かにタイプは違うと思う。アンはおっとりしてるけど、タビサ・ロートンはがつがつ行くタイプみたいだしね。そう考えると、そういうところが新鮮に映った……とかなのかな? うーん……」
ふたりして考え込むが、もちろんわたしたちはライナスではないので、正しい答えなんて出せるはずもなかった。
それにわたしは別に今のままでも全然困らないのだ。わたしの方は準備万端。卒業まで「悲劇のヒロイン」ごっこ――名づけるならば「スクール編」――を楽しむつもりでいたから、タビサ・ロートンがどれだけ燃えあがろうとも正直どうでもよかった。ライナスの存在だってそうだ。すでに「突然愛する恋人に捨てられてしまったわたし」を演出するための小道具くらいにしか思っていない。
そう考えると親友のエリーに、あれこれとふたりについて探らせるのは申し訳ない気がしてくる。わたしは別に、この事態の解決を望んでなどいないのだから。
「ありがとう、エリー。色々と聞いて回ってくれて」
「そんなに聞いて回ってないわよ。勝手に噂の方から飛び込んでくるくらい、今スクールじゃホットな話題なの」
「そうなの?」
「もー。アンってば、貴女とあの女とライナス・アースキンの三角関係の噂なのに……本人はまったく知らないんだから……」
「ええ? そんな噂になっているの? つい昨日まではわたしの結婚について噂になっているって聞いたんだけれど……」
「もう、今はアンの旦那さんの話はどこへやらって感じね。まあ三角関係の噂と言いつつ、メインはタビサ・ロートンの『凄さ』に集中しているみたいだから、やっぱりアンは気にしなくって正解かもね」
下校の時間が近づき、おしゃべりもお開きの空気になる。エリーは最後に「タビサ・ロートンには気をつけて」と強くわたしに警告した。けれどもわたしはエリーの言葉を聞きながらも、すでに心は今夜の夫婦の営みへと飛んでいたのだった。
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