悲劇のヒロイン志望でした

やなぎ怜

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 天啓とも言えるひらめきにより、今まで霞がかっていたような進むべき道が晴れたせいなのか、わたしの中ではやる気がみなぎっていた。そしてその勢いのままにいつもより早く起床したわたしは、ひとりで手早く支度を整えて寝室を飛び出した。

 わたしがこんな時間に起き出したことにびっくりしたらしい使用人に、「おはよう」と爽やかに声をかけつつ、リビングルームに飛び込むようにして向かった。リビングルームではちょうどザカライアさんが朝食を終えたタイミングのようで、彼はおどろいた顔をしてこちらを見る。

 わたしはそんなザカライアさんのもとへ、つかつかと早足で近づく。このあとザカライアさんは商会へと出勤してしまうのだろう。となれば、その前に宣言しなければ。……このときのわたしの目は、恐らくきっとやる気の光に満ちあふれて、きらきらと輝いていたことだろう。

 それくらい、わたしは気合とやる気に満ちあふれていた。そう――昨日までの「悲劇のヒロイン」ごっこをして、おしとやかにしおれていたわたしはもう、ここにはいない。

 わたしはザカライアさんが座るイスまで近づくと、さっとその手を取った。目をまん丸くしてこちらを見るザカライアさんの手は、わたしより大きくて骨ばっていて、当たり前だがどこからどう見ても大人の男の手をしていた。

 けれどもわたしは、あきらめきった迷子の子供のようなザカライアさんを知っている。背丈だってわたしよりずっと大きいけれど、靴だってわたしよりずっと大きなものを履いているけれど……ザカライアさんはこと、夫婦関係においてはわたしとそう変わらない、スタート地点に立ったばかりの初心者のようだった。

 それなら、もう、わたしが――わたしたちがするべきことはひとつだ。

「夫婦、はじめましょう!」

 高らかに宣言するわたしに、ザカライアさんは面食らった顔で返す。「……はじめる?」ザカライアさんは疑問符を浮かべつつわたしを見上げる。今ばかりはザカライアさんはイスに座ったままなので、立っているわたしの方が彼を見下ろすような形になっていた。

「夫婦、はじめましょう、ザカライアさん。わたしたち、夫婦らしいことなんて――その、夜くらいしかしていないじゃないですか。でも、それではダメだって気づいたんです」
「……無理に夫婦らしくする必要はないと思いますが」
「そうです。無理にする必要はありません。なので、わたしは無理せず、無理のない範囲で夫婦らしいことをします!」

 今までのわたしは、ザカライアさんに歩み寄ろうともしなかった。その発想もなかった。けれども今のわたしは違う。「新生・アンジェリア」はザカライアさんと夫婦になるべく努力することを決めたのだ。――昨日の晩。

 ザカライアさんは相変わらず目を丸くしつつわたしを見ている。わたしが急にこんなことを言い出したのでびっくりしているのだろう。……実のところ、わたしも自分にちょっとびっくりしている。こんなパワーがわたしの内にあったなんて、おどろきだ。

 でも、これはチャンスだと思った。理想の家庭生活を望むのであれば、それは口を開けて待っていても飛び込んできたりはしないわけで。それならば自らの力で理想を成就させるのが正道というものなのだろう。

「わたしは『外に男を作る』なんて器用なことはできませんし、する予定もありませんし、今もいません。好きな人もいません。……なので、ザカライアさんと『夫婦』をしたいと思っています」

「『夫婦』をしたい」――とは言ったものの、わたしは「夫婦」がなんたるかを知らない。わたしの記憶の中のお父様とお母様は、夫婦としては上手く行っていたのかもしれないけれど、わたしの「理想」からはほど遠い内情を抱えていたので除外する。

 わたしはそれを、包み隠さずザカライアさんに告げた。

「わたしは――『夫婦』のなんたるかはいくらも知りません。本の中でしか。けれども『理想』はあるんです」
「……それは、どういったものですか?」

 ザカライアさんは恐る恐るといった様子でわたしに問うた。完全にわたしの流れに呑まれているように見えた。

「互いを思いやり、尊敬し合い、愛し合い、歩み寄る――。それが、わたしの『理想の夫婦』です。わたしはこれを目指したいと思います。……つきましては、ザカライアさん」
「はい?」
「どうかご協力お願いできませんでしょうか?」

 ザカライアさんはパチパチと瞬きをする。朝の光を浴びて、黒っぽい目は今はきちんと青に見える。そして陽光を受けた瞳はきらきらと輝いていた。

 ……正直に言えば、「夫婦」ってもっとロマンチックな関係だと思っていた。わたしの想像の中では、わたしは愛する人と結婚する予定だったから。だから、言葉にしなくても通じ合えて、愛し合える……そういうロマンチックな「夫婦」を夢見ていたのだ。

 けれども現実のわたしは愛の存在しない結婚をした。結婚誓約書にサインする場で初めて夫となる相手を見ることになった。

 けれども――けれども、そこであきらめてはいけないと思い直したのだ。今はまだ、ザカライアさんに対しては愛着とか、思い入れとかの最初の字すらないけれど、それが芽生える可能性は絶対にゼロじゃない。……なら、芽生えるように育てればいいんだ。

 それにはまず、「言葉なんていらない」夫婦関係という幻想を捨てた。明らかにわたしたちには、普通の関係よりも言葉を必要としている。もっと口に出して、声に出して、言葉にして、教え合い、通じ合う……そういう必要性があった。

 だからわたしはハッキリと口に出して、ザカライアさんに宣言し――「協力して欲しい」とお願いしたのだ。

 ……ぜんぜん、ロマンチックじゃない。思い描いていた夢とはぜんぜん違う。

 しかし今のわたしに叶いもしない夢を見ている暇はない。時間は有限なのだ。夫婦でいられる時間も、いつかは終わりがくる。そのときに、「ああこの人と結婚してよかった」とわたしは思いたいのだ。

「わたし、人生最期の瞬間に、『ザカライアさんと結婚してよかった』って、思いたいんです」

 ザカライアさんがまた目を丸くした。

 ……わたしの理想の夫婦生活、家庭生活にはザカライアさんの協力が必要不可欠だ。ここでザカライアさんの協力が取り付けられないようでは暗澹たる前途と言わざるを得ないだろう。

 けれど――。

「面白いですね」

 ザカライアさんは頬を緩めて微笑わらった。

「……けれど、私も『夫婦』のなんたるかなんてものは、少しもわかりません。私の考える『夫らしいこと』なんてものは、君に不自由させないことくらいですから」
「今は、それで構いません。自由に、わたしに『妻』をさせてください。ザカライアさんは、それを『夫』として受け入れてください。それで、うれしかったら『うれしい』と、うれしくなければ『それはちょっと……』とか、言葉にしてください。……わたしたちには、圧倒的に言葉が足りませんから。もっと、おしゃべりしましょう!」
「……そうですね。言葉……たしかに、私たちはもっと話すべきなのかもしれませんね」

 ザカライアさんは何事かを考える素振りを見せたあと、またわたしに視線を戻した。

「……不甲斐ない『夫』ですけれど、それでもよろしければ……協力します」
「! お願いしますね!」

 わたしは満面の笑みを浮かべて、ザカライアさんの大きな手をぎゅっと握った。

 ――そしてわたしの「夫婦になるための一大作戦」が始まったのであった。
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