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魚人イゥヤ
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その日は前触れもなくやってきた。
「イゥヤ、イゥヤ、忙しいところ申し訳ない。けれどお願いだ聞いてくれ」
「……一体なに?」
ヒタラウカが狩りの最中話しかけてくることなんて、出会ってすぐの頃くらいだ。
それほど急を要する話なのかと、イゥヤは数秒躊躇ったのちにヒタラウカに向き合った。
「ありがとうイゥヤ。君は本当に優しい人だ」
「お世辞はいいわ。なんの用?」
「実は、私の役目が回ってきたんだ」
もうしばらく先だと思っていたが仕方ない。
名残惜しいが、役目が終わるまでは会えない。
一日だって君と会えないのは、声が聴けないのは寂しいけれど、行ってくるよ。
ヒタラウカの言葉をイゥヤはじっと黙って聞いていた。
「だから、先に聞いておきたいんだ」
途端、イゥヤは身構えた。
初めて会ったきり、直接請われたことのないナニカを求められるのではないかと、恐れ、同時に期待して、身構えた。
息は止まり、視線はどこか自分でもわからない場所を見ていた。
「私が役目を終えた時、また君に会いに来てもいいだろうか」
それを自覚したのは、彼女の想像していたことの数百倍ささやかな願いに、思わず首が痛くなるくらい勢いよく頭を跳ね上げたからだ。
まっすぐと穏やかな瞳が自分に問いかけているのを見て、なにかが胸の内から込み上げてくるのを感じた。
「…………」
上手く声が出ないように感じた。
いや、なんて言えばいいのかと戸惑ったのだ。
好きにすればいい。いつものように、邪魔しないなら。
そう、言えばいい。
でもなにか、違う。
なにかが違う、今、胸の内で込み上げてきた言葉はそれではない。
けれど、それがなにか、わからない。
「…………」
いつの間にか、視界からヒタラウカのまっすぐな瞳は消えていて、イゥヤは胸元で握りしめた手を見つめている。
頭に言葉を浮かべては消していく。
わたしが決めることじゃない。来たければ来ればいい。役目がいつ終わるのか知らないけれど、好きにすればいい。
違う、違う、そうじゃない。
いつものように言いたいのだ。
けれどそうじゃない。
それじゃない。
喉元にあるはずの言葉がわからない。
「…………」
「…………うむ、わかった」
「!」
なにが分かったというのだろうか。
本当に自分でもわからない音のない言葉が読み取れたのだろうか。
それとも、言葉の出ない自分を勘違いして口もききたくないと誤解したのだろうか。
それだけは違う。断じて違う。
しかしなぜだろう、声が出ない。
けれど誤解だけはしてほしくない。
イゥヤが咄嗟に伸ばした手は、ヒラヒラと海を漂うヒタラウカの衣の端を無礼にも掴んでいた。
「イゥヤ?」
「…………」
どうしてだか、喉が詰まって言葉が出ない。
なにか一言でも、なにか伝えたいのに、そのなにかが出てこない。
もういっそ、いつも言葉でも言えばいい。
いつものように、いつものように、いつものように。
――――どうして言葉が出ないのだろう。
「イゥヤ、すまない。もう行かなくては」
「…………」
衣を掴んだ手に、ヒタラウカの手が重なる。
「イゥヤ、私はすぐ戻ってくる。だから、言い直そう」
その手はイゥヤの手を剥がそうとはしなかったけれど、不思議と力が抜けてゆるりと衣は手から離れて漂った。
手はそっと重ねられたまま、いつの間にやら両の手で包まれている。
「私は役目を終えたら、イゥヤに会いに来る。必ず、会いに来る。それから、君の隣をいつものように泳ぐよ。もし嫌だったら、その時言ってくれ」
「…………仕事の邪魔、しないのならいいわ」
ようやく出た言葉は、きっと聞こえていないだろう。
最後に笑って、手を離したヒタラウカは瞬く間に深く暗い海の向こうへと消えてしまった。
――聞こえなくてよかったと思う。
こんな言葉ではないのだ、本当に伝えたいことは。
この喉につっかえ、引っ込んでしまった言葉はきっと、こんな言葉ではない。
聞こえなくて、言わなくて、よかった。
なんて言えばいいのか、なんて伝えればいいのか、考える時間が必要だったから。
よかった。
「ずっと考えた。仕事の時も、寝る時も、ずっとあなたのことを考えて、あなたに伝える言葉を考えた。らしくないことは言いたくなくて、何度も何度も考え直して、考えた。幸い、時間はあなたがたっぷりくれた。いくらでも考えることができた。臆病に、意地を張ってた自分にだって気付いたし、最初の頃のことはあえて言葉にしないけど、あの時にはあなたを好ましく思ってたって認めもした。今更、なんて思わないわ。だってわたしがあなたに伝えたいのはそんな事じゃない。謝りたい気持ちもあるけれど、申し訳なさもあるけれど、わたしは謝らない。わたしが伝えたいのはそんな事じゃない。わたしがあなたに伝えたいのは――――――」
イゥヤの心残りはただ一つだけ。
その言葉を伝えることができるのは自分ではないということだけ。
「イゥヤ、イゥヤ、忙しいところ申し訳ない。けれどお願いだ聞いてくれ」
「……一体なに?」
ヒタラウカが狩りの最中話しかけてくることなんて、出会ってすぐの頃くらいだ。
それほど急を要する話なのかと、イゥヤは数秒躊躇ったのちにヒタラウカに向き合った。
「ありがとうイゥヤ。君は本当に優しい人だ」
「お世辞はいいわ。なんの用?」
「実は、私の役目が回ってきたんだ」
もうしばらく先だと思っていたが仕方ない。
名残惜しいが、役目が終わるまでは会えない。
一日だって君と会えないのは、声が聴けないのは寂しいけれど、行ってくるよ。
ヒタラウカの言葉をイゥヤはじっと黙って聞いていた。
「だから、先に聞いておきたいんだ」
途端、イゥヤは身構えた。
初めて会ったきり、直接請われたことのないナニカを求められるのではないかと、恐れ、同時に期待して、身構えた。
息は止まり、視線はどこか自分でもわからない場所を見ていた。
「私が役目を終えた時、また君に会いに来てもいいだろうか」
それを自覚したのは、彼女の想像していたことの数百倍ささやかな願いに、思わず首が痛くなるくらい勢いよく頭を跳ね上げたからだ。
まっすぐと穏やかな瞳が自分に問いかけているのを見て、なにかが胸の内から込み上げてくるのを感じた。
「…………」
上手く声が出ないように感じた。
いや、なんて言えばいいのかと戸惑ったのだ。
好きにすればいい。いつものように、邪魔しないなら。
そう、言えばいい。
でもなにか、違う。
なにかが違う、今、胸の内で込み上げてきた言葉はそれではない。
けれど、それがなにか、わからない。
「…………」
いつの間にか、視界からヒタラウカのまっすぐな瞳は消えていて、イゥヤは胸元で握りしめた手を見つめている。
頭に言葉を浮かべては消していく。
わたしが決めることじゃない。来たければ来ればいい。役目がいつ終わるのか知らないけれど、好きにすればいい。
違う、違う、そうじゃない。
いつものように言いたいのだ。
けれどそうじゃない。
それじゃない。
喉元にあるはずの言葉がわからない。
「…………」
「…………うむ、わかった」
「!」
なにが分かったというのだろうか。
本当に自分でもわからない音のない言葉が読み取れたのだろうか。
それとも、言葉の出ない自分を勘違いして口もききたくないと誤解したのだろうか。
それだけは違う。断じて違う。
しかしなぜだろう、声が出ない。
けれど誤解だけはしてほしくない。
イゥヤが咄嗟に伸ばした手は、ヒラヒラと海を漂うヒタラウカの衣の端を無礼にも掴んでいた。
「イゥヤ?」
「…………」
どうしてだか、喉が詰まって言葉が出ない。
なにか一言でも、なにか伝えたいのに、そのなにかが出てこない。
もういっそ、いつも言葉でも言えばいい。
いつものように、いつものように、いつものように。
――――どうして言葉が出ないのだろう。
「イゥヤ、すまない。もう行かなくては」
「…………」
衣を掴んだ手に、ヒタラウカの手が重なる。
「イゥヤ、私はすぐ戻ってくる。だから、言い直そう」
その手はイゥヤの手を剥がそうとはしなかったけれど、不思議と力が抜けてゆるりと衣は手から離れて漂った。
手はそっと重ねられたまま、いつの間にやら両の手で包まれている。
「私は役目を終えたら、イゥヤに会いに来る。必ず、会いに来る。それから、君の隣をいつものように泳ぐよ。もし嫌だったら、その時言ってくれ」
「…………仕事の邪魔、しないのならいいわ」
ようやく出た言葉は、きっと聞こえていないだろう。
最後に笑って、手を離したヒタラウカは瞬く間に深く暗い海の向こうへと消えてしまった。
――聞こえなくてよかったと思う。
こんな言葉ではないのだ、本当に伝えたいことは。
この喉につっかえ、引っ込んでしまった言葉はきっと、こんな言葉ではない。
聞こえなくて、言わなくて、よかった。
なんて言えばいいのか、なんて伝えればいいのか、考える時間が必要だったから。
よかった。
「ずっと考えた。仕事の時も、寝る時も、ずっとあなたのことを考えて、あなたに伝える言葉を考えた。らしくないことは言いたくなくて、何度も何度も考え直して、考えた。幸い、時間はあなたがたっぷりくれた。いくらでも考えることができた。臆病に、意地を張ってた自分にだって気付いたし、最初の頃のことはあえて言葉にしないけど、あの時にはあなたを好ましく思ってたって認めもした。今更、なんて思わないわ。だってわたしがあなたに伝えたいのはそんな事じゃない。謝りたい気持ちもあるけれど、申し訳なさもあるけれど、わたしは謝らない。わたしが伝えたいのはそんな事じゃない。わたしがあなたに伝えたいのは――――――」
イゥヤの心残りはただ一つだけ。
その言葉を伝えることができるのは自分ではないということだけ。
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