突然結婚したわたしの話

あせき

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梶塚家にご挨拶5

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 案内されたソファーに座り、隣には郁真くん。
 テーブルを挟んで向かいにはソファーとお揃いの椅子に腰かけた郁真くんのお父さん。

「……」
「……」

 そして迎える沈黙。
 
 わたしから切り出していいものなのか、少し窺ってみると郁真くんのお父さんと視線が合った。

「あ、その……」
「え、あっ……」

「「お、お先にどうぞ……」」

 完全に被さっているお互いの発言にどうすればいいのかと手に汗握っていると、隣から不意に声が掛けられた。

「祥子さん、そろそろ帰りますか?」
「……えっ?」

 ……また急に、なにを言っているのかしら郁真くんは。
 先ほど来たばかりで、席に着いたばかりで、まともな挨拶もなにもしていないというのに「帰る」という選択肢が出てきたことに驚いていると、郁真くんはにこやかに続けた。

「一応挨拶もしましたし、二人とも話したいことがあると言っていたのに黙ってるので、それだったら家でゆっくりしませんか?緊張のし過ぎで倒れないかと心配です。ここにはまた来ればいいだけですし、ね?」
「えっ……え、いや、待って郁真くんっ、それは……」

 にこにこと笑いながら言われた言葉に待ったを掛けると、少し寂しそうな、不満そうな顔を見せて「しょうがないですね」なんて困ったように言った。
 そしてまたすんと、どんな感情が込められているのかわかりにくい顔つきになって父親に向かった。

「で、父さん。祥子さんがせっかく来てくれたんですよ。折角の休日に。もう入学式も目前で日々忙しい中、久々の休日です。祥子さんに悪いと思うなら早く言ってくださいよ。なにを言うつもりだったんですか?」
「あ、ああ……すまない、父さんちょっと目がおかしくなってたみたいで……」

 眉間を軽く揉んだ後、わざとらしい咳払いを一つすると、郁真くんのお父さんは深く息を吸って吐いた。

「ふぅ……。えー、あの、すみません祥子さん。折角ご足労頂いたのに大したもてなしもできなくて」
「本当に失礼です。なんでまだお茶も用意してないんですか」
「……郁真は黙っているかお茶でも入れてきてくれないか?」
「なんで俺が?幸音、お願いします」
「えっ、わたしに振るの?まぁいいけど……」

 今更のように幸音さんが同じテーブルを囲っていたことを認識したわたしは、第一印象ってやっぱり当てにならないのだなと失礼ながら思った。
 静かに同じ席に着いていたことも、年頃の彼女にとっては兄の理不尽な命令とも取れそうな頼みに反発することなく大人しく従ったことも、意外に思ったからだ。
 ――仲、良いのかしら?
 先ほどとは真逆の感想を抱きながらその背中をつい見送っていると。再び聞こえた咳払いにピンと背筋を伸ばす。

「あー……すみません祥子さん」
「いえっ!わたしのことはお構いなく……」
「いえいえ、そういうわけには行きませんよ」
「きょ、恐縮です」

 ぺこりと頭を下げたわたしに、同じく頭を下げる郁真くんのお父さん。
 お互いにそのままお辞儀合戦を繰り広げつつの会話になってしまった。

「いえいえ本当に、そう畏まらないでください」
「いえそんな、その、この度のことは本当に申し訳なく、その、本当に申し訳ございません……」
「いえいえこちらこそ、うちの息子がご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ない」
「そんなっ、郁真くんには本当に良くしていただいていて……あの、郁真くん?」
「?」

 首を傾げるというちょっと可愛い仕草をする郁真くんに少しばかりきゅんと胸が高鳴った気がしたけれど、そんなことよりもだ。

「この手はなにかしら……?」

 何度目かの下げようとした頭を止めるように、郁真くんの掌がわたしの額に触れている。

「ああ、すみません、つい。……でも、別にお辞儀なんてしなくても会話はできるでしょう?父さんもいい加減にしてください。父さんが頭なんか下げるから可愛い祥子さんがつられちゃってるんですよ。そもそも話したかった事って今の会話で話せてます?さっさと本題に移ってください」
「ご、ごめんなさい……」

 確かに郁真くんの言う通りまるで話が進んでないし、折角のこの機会に言おうと思っていたこと、伝えたいことがなにも伝えられていない。
 途中なにかさらりと恥ずかしいことを言われた気もして、居たたまれなさから反射的に謝ると、郁真くんは一段と優しい声と笑顔で、わたしの額に掛かった少し乱れた髪を払いながら言う。

「祥子さんは良いんですよ祥子さんは。慣れない場所と人の目の前ですからね。でももう頭は下げないでくださいね。こんなくだらないことで祥子さんの首や腰になにかあったら大変ですから」
「わ、私だってそうなんだが……」
「父の威厳でどうにかしてください」
「ぐぅ……」
「な、なんだかすみません……」

 自分だけやけに特別扱い……いや、甘やかされているようで、年下の彼にそんな気遣われて、しかもその彼の親の前と言う恥ずかしさに恥ずかしさを上塗りしている状況に、郁真くんのお父さんへの申し訳なさと居たたまれなさが際立ち、ついまた口にした謝罪を郁真くんに指摘される。

「祥子さん、謝り癖が付いちゃいますよ。もっと堂々してください。なんといっても梶塚祥子になったんですからね。謝ることは何一つありません」
「え、そんなことは……」

 一連の流れには自分にも問題があったはずという漠然とした思いから否定しようとするが、言い淀んでいる間に郁真くんのお父さんに話が振られる。

「ねぇ父さん。祥子さんが謝ることなんて何一つないと思いませんか?そうですよね?」
「……そうだな。むしろお前が謝るべきだと父さんは思う」
「ほらね」
「え、えぇ……?」

 なんだかとても気を使われているのはわかるのだけれど、微妙に噛み合っていないような会話に困惑していると、 

「兄さんが三分ぐらい何も言わずに聞いてくれれば父さんも言いやすいんじゃない?」

 はいどうぞとお茶を持ってきてくれた幸音さんがそんなことを言いながら席に着いた。

「よし、それだ。郁真、今からなにがあっても何を言われても黙ってるんだ」
「さっきも黙ってあげてたんですけど?」
「いいからいいから」

 幸音さんも交えた親子の会話はテンポがよく、やはり仲の良い親子で兄妹なのだろうと思いながら、改めて咳ばらいをされたタイミングで姿勢を正す。

「えー……、祥子さん」
「は、はいっ!」

 先ほどよりも、いつの日か聞いたことのある声色よりも、一段低く問いかけられた言葉に、わたしの心臓は緊張のせいか、それとも別のなにかのせいか、一際大きく跳ねた。

「郁真と結婚して、本当に良かったんですか?」
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