ディンバー公子の初恋

夏目晶

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  第二話 「ディンバー公子学校へ行く」

ディンバー公子 学校へ行く

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ディンバー公子 学校へ行く

 海は青くまだ青く。空は抜けるように高く、雲は輪郭線も明らかに、もくもくと膨らんでいた。
 あるものは首から布を下げ、ある者は帽子をかぶり、またある者は上半身の衣服を脱ぎ捨てて陽に焼けた肌を晒す。
 港町の漁師たちはみな働き者だ。
 ディンバーは宿の窓から港を眺めていたが、名前を呼ばれて振り向いた。
「ここで一泊して、自治区超えの馬車に乗り変えます。将国からは竜騎士の方に送ってもらえば明日にでも帝国入り」
「ちょっと待って、わざわざ竜騎士に頼むのはおかしいでしょ。普通に砂漠越えするよ」
「……ですが、この時期は結構タフですし」
 ディンバーが放り出した鞄を床から拾い上げ、アーウィンが小さくため息をついた。
 一行が公国北側に位置する国境の町に着いたのは、街を出てから二日目の昼ごろだった。
 活気のある港町ロスコでは、夏のイベントが目白押しで、着いてすぐにキールは夕飯の調達名目で宿を飛び出して行った。
 最初こそは文句ばかりを口にしていたキールだったが、アーウィンが屋敷にキールの正式な雇用状を用意させると口を噤んだ。どうやら、家のことが心配だっただけのようだった。今は初めて見る風景に好奇心を刺激されたのか、街にいた時よりも幼く見える瞳をめいっぱいに開いて、あちこちを興味深げに観察している。
 おそらく、今はこの町の屋台や店を見ているのだろう、しばらくすれば食べきれないほどの食糧を手に帰ってくるに違いない。
「大丈夫でしょ。いつも……って、キールか」
「そうです。あなただけなら竜騎士の提案はしませんよ。将国にお願いするなら、あれやこれやを着てもらうことになりますし、いやでしょ、そういうの」
「まあ、でも……キールは砂漠越え、初めてだよね」
「でしょうね。賭けてもいいですよ」
 アーウィンが小さく頭を下げるので、ディンバーは軽く手を挙げた。
 了承を得たアーウィンが「失礼します」とだけ小さく口にして、自分の上着を脱ぐ。
 護衛兼世話係のアーウィンは、旅の時だけはディンバーと同室となることを了承していたが、それ以外の時ではまず寝食をともにすることはない。彼が執事として仕事をしている以上譲れない線らしい。
 ディンバーはついついアーウィンの仕事以外の仕草を物珍しげに目で追ってしまってから、自分も旅装を解き始めた。
「かといって、竜騎士にってのもタフだねぇ。キールが高所恐怖症とかじゃないと良いけど」
「確かに。でも小一時間も我慢すれば到着しますし。それか、船便ですね」
「船ねぇ」
 ロスコは公国の北側と言っても、帝国側ではなく、将国側、つまり西側の港町であった。公国には南北を貫く形の大きな山脈があり、これを超えて東側に出るよりは、まっすぐに北上してから自治区を東に抜けるか、将国入りしてから東を目指すのが帝国に入る通常ルートだからだ。
 ロスコから帝国へ渡る船は、将国の西側から北側をぐるりと回って、帝国北側から入国するルートをとる。途中「神々の迷い」(カオス)と呼ばれる難所があるために、大型の旅客船での航行が難しく、また小さな船だと通常航行速度が落ちるために実に時間がかかるのだ。
「自治区の東は今も危ないの?」
「……それほどでもありませんが……正直今の貴方を連れては通りたくありませんね。先ほど正式に継承順位が発表されたみたいですが、後お二方が継承権を剥奪されたようで、四位になったようですので、どこでさっくりヤられるかわかったもんじゃないですし」
「いつも思うんだけどさ。剥奪はありなのに、放棄はダメってどういうシステムなの? 俺いらないんだけどな。生まれた時の順位は三十番位だったんでしょ。なんかガンガン上がっていくのが嫌なんですけど」
「まぁ、現王が若い方なので、これからあちこちで子供を作ってくだされば順位は下がりますよ。現在第三位のクウェール卿の奥様は現在ご懐妊中ということですし、少なくとも秋口には一つ下がるんじゃないですかね」
「心から祝福するよ。早く生まれないかな」
 アーウィンは着替え終わると自分のベッドに腰掛けた。
 いつもとは違う、親しげな笑みを見せる。
「ま、それまでは気をつけて下さいよ。俺一人ですしね。とりあえずキールが来たら本人に聞いてみようと思いますが」
「うん」
 執事の服を脱ぎ、こういうしゃべり方をするアーウィンも珍しく、ディンバーは素直に頷いた。
 兄弟はいないが、自分に兄がいたらこんな感じなのかも知れないと思いながらアーウィンを見たら、いたずらっぽい瞳に心を見透かされたようで、ごまかすように一つ咳払いをして乱暴にベッドに腰掛ける。
 外からは聞いたことのないメロディーと男たちの掛け声が聞こえていた。
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