毒見役の少女が愛を知った日

ふくろうまる

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毒に育てれた命

 マリアが生まれた農村は、とにかく貧しかった。
 食事は、いつだって足りない。
 満腹になるなんてことは、一度もなかった。
 それでも村人たちは、お互いの食糧を分け合って暮らしていた。誰か一人が倒れれば、次は自分かもしれない。そんな場所だったからだ。

 父は畑を耕し、母は織物をしていた。
 朝から晩まで働いていたが、生活はまったく楽にならない。
 重い税を払えば、残るのは硬い黒パンだけ。
 それすら無い日は、木の皮を煮込んだだけのスープが鍋の中で揺れていた。

「マリアは食べなさい」

 食卓に並ぶのは、パン一切れと、ほんの少しの干し肉が浮かんだ薄いスープ。

 両親は、いつも同じ言葉を言った。

 母の手は藁で傷だらけで、父の手は固くひび割れている。
 その手が、食事に伸びることはなかった。
 マリアはパンを噛みながら、その味を必死に覚えようとした。

(いつか、返さなきゃ)

 まだ幼い彼女にとって、それは約束のようなものだった。

ーー

 凶作が続いた年、状況はさらに悪くなった。
 畑は作物をほとんど実らせず、村は目に見えてやせ細っていった。
 だが、徴税官にはそんな事情は関係ない。
 帳簿を抱えた役人達は、家の中を徹底的に調べ、税の穀物を一粒残らず持っていった。
 マリアの家にも、当然やってきた。
 母は震えながら、小さな袋を差し出した。
 床下に隠していた最後の小麦だった。
 それは、マリアのために残していたものだった。
 徴税官は無表情で袋を受け取り、何も言わずに去っていった。

 その日の夕方。

 父が、泣いていた。
 普段は滅多に感情を表に出さない人だった。
 笑うことも少なく、泣くなんて見たことがなかった。
 けれど、その日は違った。
 肩を震わせながら、顔を覆っていた。
 母は背中を撫でていたが、その手も震えていた。

 マリアはその光景を見ていた。
 胸が苦しくなった。

 お腹が空いているからじゃない。
 大切なものが壊れていくのを、見てしまったからだった。
 そのとき、マリアは決めた。

(お父さんとお母さんに……たくさんご飯を食べさせたい)

 飢餓という毒に決別するために。

ーー

 数年後
 領主の貴族が召使いを集めているという噂が村に届いた。
 召使いになれば、税の対象から外れる。
 さらに、わずかだが給金も出る。
 マリアは迷わなかった。
 自分が家を出れば、その分だけ家族の食事が増える。
 仕送りだってできるかもしれない。
 まだ幼さが残る少女にしては、あまりに現実的な判断だった。

 屋敷の門を叩いた時、マリアの顔に不安はなかった。
 むしろ、少しだけ期待していた。
 家族を助けられるかもしれない、と。
 驚くほどあっさりと雇われ、真新しい給仕服を渡された。柔らかい布だ。

 マリアにとって屋敷の中は別世界だった。

 床は磨き上げられ、窓は光を反射し、廊下には料理の匂いが漂っていた。
 その香りを嗅いだ瞬間、マリアの胃がきゅっと縮んだ。
 食事を食べたい――と

ーー

 だが、彼女に与えられた役目は、想像していたものとはまったく違っていた。

「あなたは毒見役になります」

 教育係の老女は、淡々とそう告げた。
 マリアは意味を理解するまで、数秒かかった。

「安心しなさい。毒は、すぐに死ぬものばかりじゃないわ。運が良ければ命だけは助かるわ」

 慰めのつもりなのか、それとも事実を述べただけなのか、分からない声だった。

 最初の仕事は、今でも忘れられない。
 銀の皿に盛られた、豪華な肉料理だった。
 肉汁が溢れ、香辛料の匂いが立ち上っている。
 それは、彼女が一生食べることのない料理だった。

「食べなさい」

 命令は、それだけ。

 マリアは教わったばかりのナイフとフォークを握った。
 不思議と、手は震えなかった。

(これは、ご飯じゃない)

 自分にそう言い聞かせて、一口食べる。

 ――美味しかった。

 あまりにも美味しくて、涙が出そうになった。

 三口目で、指先が痺れた。
 五口目で、視界が揺れた。

「立てる?」

 老女が静かに聞いた。
 マリアは、頷いた。
 倒れたら終わる気がした。
 ここで役に立たなければ、また両親に苦しい思いをさせると思ったからだ。

 その日から、マリアは学んだ。

 心の痛みは、我慢できる。
 毒への怖さも、慣れる。

 でも

 感情は、邪魔になる。
 彼女は少しずつ、心を閉ざしていった。
 恐怖も喜びも感じない毒見役として
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