毒見役の少女が愛を知った日

ふくろうまる

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毒の外で交わした言葉

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 ヴォルテ家の庭園は、季節ごとに植え替えられる花壇で有名だった。領内の富を示す象徴でもあり、訪問客に見せるための舞台装置でもある。

 その日の午後、マリアは庭園の小道で落ち葉を掃いていた。

 本来、毒見役に庭園掃除の仕事はない。だが毒見の合間に空いた時間は、雑務を回されるのが常だった。役目の重さと扱いの軽さは、常に反比例していた。

 箒の先が石畳を擦る。乾いた音が静かに続く。

 毒見用の部屋と違い、外の空気には匂いがあった。湿った土、刈られた芝、晩秋の冷たい風。
 だがマリアにとって、それらは、料理と同じ“作られたもの”であり、感情を揺らすものではなかった。

「君がそんな仕事をしているのは初めて見た」

 背後から声がした。
 振り返る前に、誰か分かった。

「……ルーカス様」

 彼は手袋を外しながら近づいてきた。狩り帰りらしく、上着には乾いた草が付いている。

「毒見以外で会うのは初めてだね」
「いずれにせよ召使いと会うことは、望ましくありません」
「望ましくないことは好きなんだ」

 ルーカスは花壇の縁に腰を下ろした。貴族が地面に座るなど、本来なら叱責ものだが、彼は気にしない。

 マリアは再び箒を動かした。

「なぜ毒見をしている?」

 唐突な問いだった。

「命じられておりますので」

「それは答えになっていない」

「それ以上の理由はございません」

 ルーカスは少しだけ首を傾けた。

「死ぬかもしれない仕事だ」

「承知しております」

「怖くないのか」

「怖いという感情は……役目の邪魔になります」

 箒の動きは止まらない。

「では次の質問だ」

 ルーカスは彼女を見上げた。

「なぜ愛人にならない?」

 風が花壇の白い花を揺らした。

「自由になれる。毒見もしなくていい。暖かい食事も、部屋も、衣服も。僕が保証する」

 マリアは静かに答えた。

「身分が違います」

「違う」

 即答だった。
 マリアの手が、わずかに止まる。

「君はそれを理由にしているだけだ」

「……では、何だと」

「君は、自分が何を望んでいるのか考えていない」

 その言葉に、マリアは初めて彼をまっすぐ見た。
 空を背にしたルーカスは、眩しそうに目を細めている。

「では逆にお伺いします」

 マリアは言った。

「もし私が貴族の娘であれば、どうなさいますか」

「求婚する」

「お断りしたら?」

「説得する」

「それでもお断りしたら?」

 ルーカスは少し考えた。

「諦める」

「……本当に?」

「君に意思があるなら、それを折る理由がない」

 マリアは箒を握り直した。

「ですが庶民であれば、強引に……愛人ならずともあなた様の好きなようにできます」

「出来るね」

 ルーカスは、否定しなかった。

「ならば、なぜなさらないのです」

「君が人間だからだ」

 庭園の風が止まったように感じた。

「貴族は、庶民を所有できる。だが君は所有物に見えない。だから所有したくない」

 マリアはしばらく沈黙した。

「……奇妙なお方です」

「よく言われる」

「貴族は庶民を対等に扱いません」

「僕は扱う」

「それは危険です」

「知っている」

 ルーカスは立ち上がり、彼女の箒を軽く指で弾いた。

「君は対等に僕と話している。気付いている?」

 マリアは息を詰めた。

 命令口調でも敬語でもなく、問いと答えを交わしていたことに、ようやく気付く。
 彼女の口元が、ほんのわずかに緩んだ。

「……やはり変わり者です」

「褒め言葉だね」

 その時、彼女は――微かに笑った。
 毒見では決して見せなかった表情だった。
 だがその笑みは、すぐに消える。

「私は、毒見役です」

「知っている」

「役目は変わりません」

「それでもいい」

「……なぜ」

「君がそこにいる限り、僕は君に会える」

 マリアは答えなかった。
 だが箒の動きは、少しだけ遅くなっていた。

ーー

 遠くの回廊から、その光景を見ている男がいた。
 執事長だった。
 彼は、マリアの笑みを見た。
 そして理解した。

 ―これは、もはや見過ごせない。

 次男は、ヴォルテ家の名を揺るがす。
 庶民の少女は、鎖から外れかけている。
 彼は静かに踵を返した。
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