男装騎士と好色王子の私設団

浅見 景

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第三話

兵役試験と私設団

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 大理石の敷き詰められた闘技場の中央にはこの国の紋章が描かれ、それを囲むように直線に刻まれた模様が四方へと伸び、一つはヴェロニカ達の歩いて来た控え室への道、一つはその正面にあたる王族の席へ、そして左右の四階にも渡る観客席の入口まで繋がっていた。
 この日観客席は開放されていたようで、隊服に身を包む警備の男に混じって街で見掛けた派手な老若男女が談笑しながら階下にいる受験者達を見ていた。
 兵役適性試験というのは一応この国の一大イベントで、王都の人達にとってもお祭りのようなものなのだろう。
 こんな平和な時代に徴兵なんて、と思わなくもないヴェロニカだったが、人々の様子を見ているとこの適性試験こそ平和の象徴だったのかも知れない。
 そういえば街で軽食をとった時、試験合格焼菓子なるものや試験必勝お守りなどが売られていた、などと開会式が始まり陛下の有難いお言葉を賜る間もヴェロニカは落ち着きなく、だがバレないように辺りを窺っていた。

「……では、トーナメント戦へ出場する者以外は闘技場控え室へ戻り、指示を待つように」

 進行役の騎士がそう告げると暫し休憩となり、ヴェロニカの前で整列していたデイヴが勢いよく振り返るなり手をとる。

「よし、控え室に行くぞ!」
「え?!な…っ、ちょっと待って…!!」

 ズンズン歩き出すデイヴを慌てて静止したヴェロニカは、引かれた手を振り払いながら勘違いをしたままの彼に申し訳なく思いながら頭二つ分大きな男を見上げた。

「ごめん、言って無かったけど僕は騎士志望なんだ」
「え?……それは事務官になれる事を知らなかったからじゃ」
「違う。いや、それもあるけど、正直此処まで来ちゃったのは手違いなんだけど、来たからには頑張るつもりだし、騎士になるつもりで腹を括って此処にいるから!」

 徴兵を辞退出来ることを知らなかった彼女は義弟の替え玉として此処にいる。
 だが、今になって辞退する事が難しいのは分かっていたし、今更泣き言を言うつもりもない。
 見事に騎士として務め上げて(あわよくば昇進しちゃったりお給金をガッポリ頂いちゃったりして)晴れ晴れとした心で故郷へ帰る。
 気持ちをとうに切り替えていたヴェロニカは真っ直ぐにデイヴを見詰めて言い切った。

「さっきはビックリしちゃって言いそびれたけど、僕の事は守ってくれなくて大丈夫だから。……でもありがとね、デイヴ」

 先程振り払ってしまった彼の手を握り締め、黄金色の煌びやかな瞳を細めてはにかむ彼女に、一瞬たじろいだデイヴが思い出したようにヴェロニカを抱き締める。

「そ、そんな細腕でなんて男らしい奴なんだ…!!その潔さに俺は感動したぞ、クリス!!それでこそ親友…!!男の中の男…!!」
「ひぃぃいいいい…っ!!わ、分かったから…!!むさ苦しい男が引っ付かないでぇぇえええええ!!!」
「俺達の友情に男も女もない!そうだろ?クリス!」
「ううううんっ、言いたい事は分かるよ?!でも男が男を抱き締めるこの行動に問題があるって言ってんのよ!!…じゃなくて、言ってんだよ!!」
「性別の垣根を越えて友愛を育もう!!」
「人の話聞いて!!っていうかねぇ、周りの人が変な目で見てるから本当に止めてくれない?!貴方のそれが暑苦し過ぎる友情表現だって分かってんのは僕だけだから!大抵の人は僕達のことだとそういう仲だと思ってるからっ!!」
「クリス、俺は君が大好きだ…!!」
「だから話聞いてぇぇえええええぇぇって言ってんでしょうがぁっ!!!」

 全く人の話を聞ずに抱き締める腕の力を強めるデイヴに、ついにヴェロニカがキレた。鍛え上げられた横腹へと拳がめり込むのと同時に、膝から頽れて白目を剥くデイヴの姿に終始釘付けだったトーナメント戦出場者達の野太い歓声が沸き起こる。

「おぉっ!」
「あのひょろい方が倒したぞ?!」
「女みてぇな顔してやるなぁ!!」

 ひゅうっと口笛を鳴らす者や拍手を送る者まで現れて、ヴェロニカは漸く我に返った。マズイ。試験前に乱闘騒ぎなんて興したら即不審者扱いされて独房行きではないだろうか。
 そうでなくとも何か危険物を所持していないか身包みを剥がされ強制身体検査───。

「えっ!!やだっ、デイヴ…?!ちょっ、ちょっと白目剥いて失神した振りなんて止めてよー?そんなに強く殴ったつもりないんだから!」

 なんて事になったらクリスや父に迷惑がかかる、とそんな事態に陥る前に自身の足元に跪く男の胸ぐらを掴んで抱え上げ、頬を平手で何往復も打つと、デイヴが「んんっ」とくぐもった息を漏らす。

「デイヴ?男同士だからって許可なく抱き締めたりしたら半殺しにされたって文句は言えないんだからね?!分かってる?!相手が僕だったから良かったものを敬虔な某宗徒だったら斬首刑のち晒し首らしいからっ!!もう二度と変な事しないでね?!」
「え……?あ、あぁ……何がなんだかよく分からないけど、分かった!!」

 覚醒したばかりの友人へと口酸っぱく言い含めるヴェロニカに、よく分かっていないながらも返事だけは一人前なデイヴが胸ぐらを掴まれたまま白い歯を見せてニコリと笑った時。

「おらぁああああああーっ!!オメェ等さっさっとトーナメント表に目ぇ通しやがれぇえええええええーっ!!」

 耳を塞いで何事かと先程進行役の騎士がいた壇上を見上げれば、そこには髭もじゃ長髪筋肉に加えて眼帯といった海賊風の壮年の男が拡声器を片手に、そして大きなトーナメント表を片手に怒声を上げていた。

「俺は気が短ぇっ!!十秒くれてやるからさっさとテメェの対戦相手を確認しやがれっ!!じゅーうっ、きゅーうっ、はーちっ…」

 十数えたら今すぐにでもトーナメント表をビリビリに破いてしまいそうな野生的な騎士を前に、それまでヴェロニカ達を囲んで成行きを観戦していた受験者達が一斉に男の前へ向かうのを見送ってから。

「な…っ、何なのあの筋骨隆々の見るからにワイルド過ぎるオジサマは…って、そんな事言ってる場合じゃなくて僕達も早く行かないと…!!」

 流石のヴェロニカも焦り、未だ覚醒したばかりで呆けたままのデイヴをズルズルと引き摺りながら男の元へと走る。

「なーなっ、ろーーーっく!!あーっもう面倒くせぇっ!!予選は俺が相手んなってやらぁあああああああああああっ!!」

 そう雄叫びを上げてトーナメント表を放るなり、腰に穿いていた剣、ではなく火器を手に取ると唐突に引き金を引く。

(え…っ?!)
「だーーーっはははははははははっ!!」

 哄笑と共にダダダダダダッと打ち鳴られるそれは初めて見るものだった。動物を仕留める為に用いられる火器とは違う、断続的に鉛玉のようなものが吐き出される様は不特定多数の人間を一気に仕留める為に作られた殺戮兵器───というのが本来の用途だろうが、今は鉛玉ではなく染料の入った玉が右へ左へ逃げ惑う受験者達を次々に捕らえている。

「デイヴ…!!」

 良い加減に目を覚ませと叱咤し、鳴り止まぬ銃声の中、ヴェロニカと同じように腰に穿いた長剣を抜いたデイヴも後退りしながら次第に照準が合わされて行く銃口を見据えて。

「クリス、もしかしてアレに当たったら予選敗退って事か?!」

 吐き出された染料玉を器用にも次々に剣で打ち落としながら、轟音に負けじと声を張り上げる。

「でしょうね!……っていうか『俺が相手んなる』ってくらいだからあの人を張り倒しても良いって事よね?!」

 デイヴから距離を取りつつ飛び交うソレから目を逸らさずに純白の愛剣で薙ぎ払うヴェロニカ。少々女言葉が出てしまったがそれ所ではない彼女は気付きもせず、また鈍感なデイヴも華麗にスルー。

「いやいやいやいやっ、それは好戦的過ぎだろ!!君は何処まで男らしいんだ!?」
「だってこれ何時まで続くか分からないじゃない?!長ったらしいのは昔から好きじゃないの!だったら手っ取り早く諸悪の根源を断つ……!!」

 言い捨てるや否や、壇上の男の視線が銃口と共に逸らされて行くのを駆け寄りながら認め、急速に距離を詰めて行く。

「ダッハッハッハッ!!ダーッハハハハハハハハーッー、ハ…ッ?!」

 抜き身の剣を構えた受験者の接近に気付いた男が目を見開き、咄嗟に銃口を突き付けようにも連射の撃力に因って大きく振られている途中の銃身を正面に迫り来る少年に向けるよりも早く、ヴェロニカが長剣を掲げる。

「はっ!!」

 短く息を吐き、細腕に似合わぬ力強さで上空へと巻き上げるようにして振るわれた剣はぶんっと風を切り裂きながら男の腕から火器を奪う。

「な…っ、に、くそ…っ!!」

 思わぬ反撃を受けて宙へと舞う小銃に一瞬気を取られたものの、壇上へと飛び乗るヴェロニカを認めて男は後退りながらすぐ様帯剣の柄に抜き払うべく手を掛けた時。

「動かないで下さい」

 慎ましく紡がれた断りとは裏腹に懐へと飛び込んで来るなり首筋へと迷い無く突き付けられた剣先に、果敢な行動力からは想像もつかない程綺麗な面をした少年の姿に、髭に覆われた口元をあんぐりと開けた男の蟀谷をつぅと冷や汗が伝い───しんと静まり返る闘技場。
 染色玉を浴びた男も逃げ惑う最中に腰を抜かした男も観衆も貴族も騎士も王族も、此処に集う全ての人間の視線を一身に受けたヴェロニカは眼帯の男に突き付けたままの剣先を見詰めはたと我に返る。

(こ、これって…もしかしなくてもマズかったりする…?!)

 やられたらやり返す、というのはヴェロニカの性格上当然の思考回路であり『戦場では本能で動け!』というのが父ブライアンの教えだ。考えている時間に殺されてしまうのならば、考える前に最善の方法を取る。
 最善の方法を取る為には日々の鍛錬を欠かさず腕を磨く事だと。とはいえ、試験中に銃口を向けられたからと言って未来の上官(になるかも知れない人)を負かしても良いなんてルールは恐らく存在しないだろう。

「ぼ、僕…っ、つい何時もの癖で…!!す、済みませんでした…!!」
「つい、ね。……ふふ、可愛らしい顔をして恐ろしい」

 剣を納めて深々と頭を垂れるヴェロニカの背後から拍手と共に掛かった声は艶やかに低く興じるように密められ、気配を感じさせずに背後を取った男に驚き反射的に振り返ったヴェロニカはその美貌に見覚えがあった。

「あ、貴方は…」

 肩に着くか着かないか、やや長めのきらきらと輝く金髪に水宝玉を彷彿とさせる透けるように美しい碧眼。自信に満ちた形の良い釣り上がった眉に彫りの深い切れ長の双眸。すぅと高く通った鼻梁に色気に満ちた薄い唇。
 乙女の夢を全て兼ね備えて生まれて来た美貌の騎士───闘技場控え室でヴェロニカに手を振った男は、壇上の少年を意味ありげにじっと見詰め薄く笑んだかと思えば。

「…っく!!」

 きぃんっ!唐突に斬りかかる男の刃を辛うじて受け止めたヴェロニカは、見た目からは想像もつかない程重い一太刀に折れそうになる膝をぐっと跳躍させて地上へと飛び退く。

「ふ……凄いな、不意打ちも軽く去なすとは……益々欲しくなった。申し遅れたが是非とも手合わせ願いたい」

 華美な装飾を抑えた恐らく軍用の剣を構え、無駄に色気を振り撒きながらじりじりと距離を詰める男にヴェロニカも隙無く愛剣を構え、後退るのではなく足を捌いて円を描くように横移動に徹しながら攻撃に備える。

「それ、僕に拒否権はないんですよね?」
「あぁ、私に擦り傷一つでも負わせる事が出来たら君の望む全てをあげよう」
「逆に僕が負けた場合は?」
「甘言には騙されない慎重さも持ち合わせている、と───素晴らしい。私が勝利した暁には君の全てが欲しい」

 ゆったりと吐息混じりに吐き出される口説き文句にも似たその言葉は甘く、相対する男から芳醇な果実酒のような香りがふわりとヴェロニカの鼻孔を掠めて一瞬、気を取られたのを逃さなかった男が、一気に距離を詰めて来る。

(速い…!!)
「…ッ!!く…っ、随分、熱烈ですね!でもお生憎様、僕は男性には興味がないのですが?!」

 頭上で再度受け止めた剣はやはり重く、体格差だけではない剣術を極めた男の鍛え上げられた腕によるものだった。

(この人、強い…!!)

 優男に見えるが仮にも王立騎士団に属するエリートなのだろうから眼前の男が強いのは当たり前だろう。だが自分よりも強いかも知れない男を前に、今まではブライアンと試合をする時でしか感じることの出来なかった緊張感を心地好く感じるヴェロニカは、やられっぱなしは性に合わんとぎりぎりと交差する剣を僅かに引き、重心が傾いた瞬間に切り込む。

「ふ…っ、全く同感だ。私も男を抱くだなんて想像するだに悍ましい」

 美貌の男はヴェロニカとは違って余裕に満ちた声や表情で剣を受け止め、軽く去なす。弾かれた剣先をヴェロニカが再度打ち合わせれば、交差させたまま思わず赤面してしまうような直接的な表現を用いたのは故意にだろうか。

「だが安心したまえ、君のように可憐で美しい男ならば悍ましい男の象徴がぶら下がっていても私は構わない。男同士でもやりようはあるからな……君が同性である事を忘れてしまえるくらい、一晩中愛を囁き続けると誓おう」

 絶対にわざとだ。真顔で言い連ねたかと思えば最後の最後に色気たっぷりに微笑んでくる辺り確信犯だろう。

「な…っ?!あああ、貴方は何を言ってるの?!男のしょ…象徴、とかっ、ぶら下がってるだとか…!男同士のやり方なんて知りたくありませんから…っ!!」

 交えていた剣を動揺と共に離し、後退り、緊迫した状況にも関わらずふざけた事ばかり口にする騎士の手中にまんまと陥っていることに気付かないヴェロニカは、今にも『ケダモノ…!!』と叫び出しそうな程に頬を赤く染め上げている。

「ふふ……初心なんだな。これくらいの事で恥じらっていては私も初夜の在り方を考えなければならない。君のその白い肌全てに余す所無く口付けを落とそうと思っていたが、唇だけで我慢しておこう」
「ひぃいいいいいいいぃっ!!初夜?!口付け?!全身だなんてとんでもない…!!唇だって赦しませんっ!!男同士でそんなっ、ふしだらな関係になるだなんてお父様に叱られます…っ!!」

 なんて年頃の乙女らしく父親の顔色を窺う素振りを見せたものの、ブライアンならば『漸くヴェロニカに手を付ける強者が現れたか!パリスじゃお前を無理矢理手篭めにするような気合いの入った男はいなかったからなぁ。うんうん、騎士様ともなるとやはり違う!よし、絶対にその人を離すんじゃないぞ!既成事実でも何でも作って男らしく結婚までこじつけろ、ヴェロニカ!』とか何とか嬉々として受け入れてしまいそうだ。

「お父様に叱られます、か……随分可愛らしいんだな。丸で少女のようではないか?」
(ゲッ!!)

 この男は人を動揺させるのが上手いらしい。そして酷く饒舌だ。その癖、真意を明かそうとはせず彫刻のように整った面に美しい微笑を湛えているだけなのだから、ヴェロニカは得体の知れなさに空恐ろしさを覚えた。ヴェロニカの周りには鈍感な彼女にも分かりやすい素直な人間しかいなかった。

「お……女みたいだってバカにしてると痛い目みますよ!!」

 動揺を悟られまいと横一閃に剣を振るい、半歩引いて難なく避けた男へ立て続けに二撃目を、受け止められた刀が交差したのも束の間、ヴェロニカはすぐ様腹部へと前蹴りを入れると僅かに怯んでよろけた男の脇腹目掛けて痛烈な蹴りをお見舞いした。

「……ほぅ、剣術だけでなく体術にも覚えがあるのか」

 が、騎士の隊服の中に何か、衝撃吸収の為の緩和材か何かを入れていたのか巻き付けてあったのか、効いていない男の冷静な考察に腹立たしく思いながらも再度剣を構えて突進する。

「はぁっ!!」

 白雪のように白く美しい愛剣を首元目掛けて斜めに振り下ろすも受けられ、避けた男の顎先目掛けて即座に振り上げるも躱され、槍のように構えては穿つ振りをして即座に起動を変えて長剣を振るうも上体を逸らして、ヴェロニカの考えが全て読めているかのようにして何度切り込んでも避けられてしまう。

「やはり、君の剣術の型はヨークウッド帝国に伝わるそれに似ている。変則的で実践向きで、舞うような剣捌きが美しくも残酷な………師は誰だ?」

 知られて困るものでもないが目敏い指摘にドキリとしたのも束の間、守りに徹していた男からの突然の迎撃にヴェロニカは息を呑む。

「…っ、父、です…!貴方の仰る通り、隣国で生まれ育ったと聞いてますので、その所為かと…!」

 重い一撃を受け止めながら水宝玉の瞳を見据えてバカ正直に言い放つヴェロニカに、男の唇から吐息の様な含み笑いが零れた。

「ふ……そうか。では私は君のお父上に感謝しなければならないな。私と引き合わせる為に今日この日まで美しく純粋で武芸に長けた、それでいて調教し甲斐のある私好みの人間を育てあげたのだから」

 自信家なんてレベルではなく、世界は全て自分の掌の上で回っているとでも言うような王様の如き断定と共に再度振るわれた剣。互いの刀身が鬩ぎ合い、二度、三度と起動を変えて繰り出される斬撃を辛うじて受け止める事で精一杯となっていたヴェロニカの身体が不意に傾ぐ。

「ぅ、わ…っ」

 男の攻撃にばかり気を取られ、自身の足下への注意を怠ってしまっていた。染色玉を受け、その恐怖で失神していた受験者の体をぐにゃりと踏み付け、後方へと倒れそうになるのを見逃す筈のない相手の容赦ない追撃が襲う。

「…ッ、あ…!!」

 きぃん!と甲高い金属音が鳴り響き、ヴェロニカの手から愛剣がすり抜けて行くと同時に尻餅を付いた彼女の喉元に剣先が突き付けられ、束の間の戦いは唐突に終息を迎えた。

(……負けたんだわ、この私が……)

 体格差のある相手との戦いには父との試合で慣れている筈だった。自分より背の高い、力の強い相手に女の自分がどう戦えば勝てるのか分かっているつもりだった。事実、町の男達でヴェロニカに勝てる者はいなかったし、大きな剣術大会で優勝した事もあったヴェロニカは『男よりも強い』事に絶対の自身を持っていたし、だからこそクリスの替え玉となるのにそういった方面での不安はないと驕っていた。

「……参り、ました」

 相手の口車に乗って動揺してしまったのもあるが、それだけが敗因ではない。力も速さも技術も何もかも、ブライアンと対峙している時と同じ圧倒的な強さの違いを見せつけられてしまったヴェロニカは、言い訳しようのない自身の負けを認めて掠れた声でそう呟く。

「あぁ……良い表情だ。私に負けて悔しいというよりも自身の力量不足を恥じ入っている───そうだろう?」
「…っ!!」

 図星だった。些細な事で動揺してしまう精神の弱さ、男にだって負ける筈がないと高を括っていた自身の驕り、力が劣っているかどうか以前の問題で心が負けてしまっていたのだ。
 鋭い男の指摘に余計に恥じ入り、俯きたくとも突き付けられている剣先に顎を上向かされ、見た目よりも意地の悪い、相変わらず真意の読めない微笑を湛える男を涙目になりながら恨みがましく見詰めるヴェロニカ。そんな彼女を見下ろし徐に剣を引いた男は。

「ふ……私は従順な女性よりも中々思い通りにならない反抗的な女性の方が好きでね。屈服させた時の快感は何物にも代え難い」

 膝を折り、頬に掛かる白金色の乱れた髪を慣れた手つきで払ったかと思えば、つつ、と滑る指先で耳朶に触れられ、生まれてこのかた他人にそんな風にそんな場所を撫でられる経験をした事のなかったヴェロニカの身体は大袈裟な程にビクリと飛び跳ねる。

「ひ…ッ!!……ぁ…あああああのっ!!ぼぼぼ僕は男ですから…!!」

 この男には女だとバレているのではないだろうか、そんな恐ろしい想像が過ぎっているのに熱くなる頬を抑え切れず、赤面しながら抗議の言葉を絞り出すヴェロニカ。

「ふふ、余りに可愛らしい顔で睨むものだから勘違いしそうになってしまったよ。私にはどうにも君が男に見えなくてね」

 男を相手に何故こうも無駄に色気を振り撒きながら吐息混じりに口説き文句紛いのことを口に出来るのだろう。ヴェロニカが蒸気した頬を押さえながら変な方向へ感心していると。

「……まぁそれは良い。そういえば名前をまだ聞いていなかったな。名は何と言う?」
「ク、クリストファー=リーデル、です…」
「ではクリストファー、約束通り私の私設団への入団を命じる。───君の全てが欲しいと言っただろう?」
「へ…?」

 はて、私設団とは何の事だっただろうか。私設に騎士団を持てる人間なんて限られた極一部の猛烈に高貴なお方だけではなかっただろうか。突然の拝命に言われた意味が分からないまま呆けたように唇をパクパクさせるヴェロニカは、次第に状況を理解して行くと共に見る見る青ざめる。

(ま、まさか、このお方って…)

 ヴェロニカのパリスにいる幼なじみで『アネット姉さん』と慕っていた淑女のお手本にしていた女性とのいつかの会話を走馬灯の如く思い出す。

『隣町のリジーが言ってたのだけれど、オースティン様ったらそれはもうっ彫刻のように整った容姿をお持ちなんですって!』

 早朝の鍛錬後、アネットの両親が営む小さなカフェのテラスで向かい合わせに座りながら彼女と談笑するのが毎日の日課だった。

『オースティン様、って……第二王子の?』

 ヴェロニカはアネットが用意してくれた香り高い紅茶を一口。そして彼女が焼いてくれた焼き菓子をパクパクと摘みながら、大した興味もなさそうにそう返す。

『そうに決まってるでしょう?!オースティン=ローゼンクロイツ様、人呼んで禁断の果実の君。口にしては罰が下るとされる禁断の果実と乙女心を掛けているのね、きっと。金髪に碧眼の甘いマスクに均整のとれた体躯……あの身体に抱かれたいって国中で評判らしいわ!」
『へぇ。あ、これ新作?すっごく美味しい!』

 バターがたっぷりと練り込まれた薄いクッキーの生地をくるくると巻いてある可愛らしい見た目の菓子の余りの美味しさに頬を緩ませながら正直な感想を述べると。

『もう!貴女は本当に色気より食い気、食い気より鍛錬なんだからっ!三度の飯より鍛錬が好きだなんて嫁の貰い手がなくなるわよっ?!』

 アネットに町中の誰もが危惧していた心配を突き付けられて、これには流石のヴェロニカも目を剥く。

『それは困るわ!鍛錬は好きだけど結婚はしたいもの!いつか私より強いオジサマが現れてその人と毎日剣の腕を磨き切磋琢磨しながら慎ましく生活するの。どう?素敵でしょう?』
『何でオジサマ限定なの?!っていうか毎日鍛錬してくれる物好きな男が地球上の何処にいるっていうのよ……あ!そうだわ、これもリジーの情報だけれど、オースティン様は日々の鍛錬を欠かさないらしいわよ。しかも剣術の腕は一級品!ふふ、どう?オジサマじゃなくても貴女の好みの男性像に当てはまらない?』
『へぇ、王子様でも剣を持ったりするのね!王宮の剣術がどんなものか気になるし…是非とも手合わせ願いたいわ!』
『そうじゃないでしょう?!人知を超えた類希な美貌と天賦の才も持ち合わせてらっしゃるオースティン様の話を聞いて、「キャー!素敵!男らしい!抱いて!」とかならないの?!貴女それでも淑女?!』
『えっ?!淑女は猥に「抱いて!」とか言わないと思…っ、いえ、何でもないです。そ、そうね……オースティン様が私よりもお強くていらっしゃるのだったら、もしかしたらそう思うかも知れないわ、ね…?』

 ギロリと凄まれ、恐る恐る彼女の望む答えを脳筋から絞り出すヴェロニカに、呆れたような溜息が一つ。

『はぁ…ヴェロニカは本っ当に筋肉でしか物を考えないのね。貴女のお眼鏡に叶う紳士なんて現れる日が来るのかしら…』

 本気でヴェロニカの将来を心配された在りし日を追懐し、眼前の男がアネット姉さんの噂していた特徴と同一である事に気付けば次第に現実へと引き戻されて行く。

(き…金髪に、碧眼で、剣の腕は一級品…)

 見る者全てを虜にするその類まれなる美貌と溢れ出す気品に王族としての覚悟やら天賦の才がどうなどと、そういえばデイヴも試験前の闘技場控え室で熱に浮かされたように語っていたのを思い出す。

「ぁ……貴方、は…」

 カラカラになった喉から絞り出すようにヴェロニカは男の正体を不躾に問うも、本当はその先は聞きたくない気持ちでいっぱいだった。クリスのように意識を手放せるものなら今すぐにでも手放してしまいたい。
 申し込まれたとは言え、彼に剣を向けてしまった。罵声のようなものも浴びせてしまった。私設団へ入隊しろとか何とか言って秘密裏に一族郎党死刑に処す気ではないだろうか。
 ───というか、それよりも王族は全員観客席に囲まれるようにして、だが四階席までの観客席に比べて一階分高くなった中心の席で観覧している筈ではなかっただろうか。
 事実、王の傍らに王妃、そしてその後方の斜め右隣には第一王子、斜め左隣には第二王子が座っている、筈だ。
 ヴェロニカのいる場所からでは逆光によりご尊顔を拝見する事叶わなかったが、形式通りならばその席で間違いないと聞いていた。
 だから目の前の男がヴェロニカの危惧している人物である筈はなく、もしそうであるとしても、だ。
 王位継承権を持つ人物が、闘技場控え室まで受験者を伺いに来たり、況してや一介の騎士の隊服を着込んで自由に行動している筈もない。影武者をたてて騎士の振りをするとはとてもじゃないが考えられない。
 そうやって可能性を一つ一つ排除しながらも心の何処かでは確信していた。
 死刑宣告を突き付けられる前の囚人のような面持ちで見上げる彼女(少年)の蒼白具合を心底愉しんでいる風に喉を鳴らす男は、恐ろしい程胡散臭い笑みを浮かべながら止めを刺す。

「クリストファー=リーデル、君にはこの私───オースティン=ローゼンクロイツ直属の騎士となる名誉を与えてやろう」

 その瞬間、静まり返っていた会場は割れんばかりの拍手と歓声の轟音で埋め尽くされ、そんな盛り上がりとは裏腹にふっと目の前が真っ暗になりながらも失神出来ない自身の神経の図太さを呪い、ヴェロニカは涙目になりながらその言葉の真意を計り兼ねた。
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