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ニ 警察署内、談話スペース
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捜査本部が立った――というわけで、詳しい事情が通達されるよりも先に準備と捜査員の迎え入れに奔走するのが、所轄のヒラ署員だ。
“かまたムーンライトロード”の商店街にある創業七十年の炭火焼き鳥屋の仕出し弁当も、警視庁からやってきた捜査員たちに配れば残りは少ない。
さらに年功序列で署内の上役に渡せば、残るのは空っぽの台車と、親子丼の香りだけだ。
自販機前の休憩スペースで、洸星が残り香をおかずにコンビニのおにぎりで腹の虫を宥めていると、生活安全課が入っているオフィスから鶴子が手をこまねいているのに気づいた。
「松山くん、手は空いた?」
「えーと、おにぎりは持ってますけど」
最近のコンビニにぎりはすごい。沖縄風にスパムと厚焼き玉子を挟んだにぎりと、ちくわとから揚げをはさんだのり弁おにぎりを両手に持ったまま、洸星は上司に頷いてみせた。水墨画にそのまま書いても通用しそうな鶴子の眉毛が左右非対称に持ち上がって、「なるほどね?」と納得の声をあげる。
なるほどって、鶴子さんは、おにぎりよりも、トルティーヤとかとか食べそうだけど。
白い手が親指を立ててサムズアップ。たくさん食べてよくできました? イヤ、もちろん違う。上司の親指はその背中を越えて、オフィスの奥にある間仕切りを示していた。
「君が連れてきた愛衣川さん、話を聞いてきて」
「俺がです?」
「君がです」
鶴子の唇が、はっきりと動く。音楽の先生みたいだ。ホホホ、ハハハ、マママ。だっけ? 発声練習。これでも高校時代の合唱祭では三年間、ベートーヴェン交響曲第九番「合唱付き」第四楽章を歌ったのだ。歌詞は何一つ覚えていないが。
サムズアップは再び、調査対象がいる部屋を強く指し示した。
「刑事試験、受かったでしょ? さあ、合格祝いの実践よ」
「ですけどね、あの、受かりましたけど、受かっただけですってば」
「貴重な経験値が詰めると思いなさい。ね?」鶴子がこれ見よがしにため息をつく。「自信がないとか、君のキャラじゃないよ。生意気でふてぶてしいのが君の持ち味じゃなかった?」
そう言いながら、鶴子は洸星の背中を押す。
両手におにぎり、背後に上司。洸星は危機感を覚えて尋ねた。
「どうして俺なんですか? それに、彼に何か事件と関連が?」
確かに、死体があがった場所に突進してくるのは、関係があると言えるかもしれないが。鶴子は眉をあげる。
「松山くん、彼を見てなんとも思わないの?」
なんとも、とは。
間仕切りで囲まれた簡易の取調室――というよりも、待合スペースといったほうがしっくりくる。オフィスの一角に作られた囲いの中には、座り心地のよい古いソファがあって、任意の取り調べや、自主的な情報提供を受ける場になっている。まあ、刑事ドラマに出てくる「取調室」よりも、よほど居心地いい空間だ。
洸星がいるオフィスの入り口から見えるのは、開けっ放しのドアの向こうに投げ出された脚の先に引っかかる靴、程度だ。
「綺麗な人ですよね」
「そう、異常なくらいね。――だから、君の出番なの」
「なるほど?」
鶴子の言葉を真似してみる。何がなるほどなんだ? 誰も彼も、メロメロで取り調べもおぼつかないってことか? 魔性ってやつだろうか?
「目の、力が強すぎるから、みんな押し負けちゃうのよ」
「……最近のイケメンは 、目からビームが出るんですか?」
「良い観点ね」鶴子は乾いた声で笑った。「刑事課は出払っているし、慣れない人間には荷が重い相手ってこと」
「俺も、慣れない人間なんですけど」
「君の図太さは私が保証するよ。――失敗したら私が骨は拾うから。大丈夫、何事も経験と思って」
まったくもって不穏以外のなにを感じればいいのか。
デスク二つ分の手前で背後の手が離れる。息を吐く。骨は拾ってくれるというから、腹をくくるしかない。
開け放ったパネル式のドアを、一応ノックする。「入りますね」と告げて、返事を告げずに中に入った。
「で、なんでおれが拘束されなきゃいけないの?」
不遜な態度で足を組んだ男が、洸星の顔を見るなり言い放つ。
不意を突いた男はソファにリラックスした様子で腰を下ろして、まるで王様の風情だ。
――なるほど、これは“取り調べ”の相手としてはやりにくい。やんちゃしている子どもでもないし、聞き分けのない相手というわけでもないが。
……なぜか、取り調べの立場が逆転したような気分になってしまうような、相手だ。
「……拘束はしてないですね?」
少し間を置いたものの、結局、洸星は相手の言葉を訂正することを選んだ。そして、ローテーブルを挟んで、柳眉をくいと上げる彼――愛衣川燎斗の前に腰を下ろす。
確かに、綺麗な人だ。
彼を囲む、三十年前から変化のなさそうな寂れて汚い部屋が、レトロで退廃的な雰囲気になるぐらいには。そう、アパレル雑誌やミュージックビデオに出てくるモデルなのかもしれない。警察内部にはガチムチマッチョの男はわんさかいるが、愛衣川のように、細身で、骨格からして無駄のない――あるいは、余剰のない、そんな男は見ない。存在しなかった。
愛衣川が警察組織にいたら、いくら美しくとも、軟弱者と眉を顰められるだろう。献血をしたり、数日絶食したり、ちょっと強く転んだりしたらすぐに壊れてしまいそうな、繊細さをうかがわせる。
洸星も含めて、多くの人間が「生きる」ためにいくらかリスクに耐えられるつくりをしているが、彼は違う。「美しさ」に全てを注いで、無駄のない造形に、どこか見る者を不安にさせる。
その不安感に、「惹かれる」と多くの人は錯覚してしまうんではないか? と洸星は勘繰ってみる。
その神の作りたもうた繊細の権化には、つい、丁重な態度をとってしまうのは、壊れものを扱う宅配業者と同じだ。
「何か、不都合がありますか?」
「……別に?」
「缶コーヒーならあるんですけど」
「いらない」
違うだろ! 洸星はさっき自販機で買った微糖のコーヒーをスラックスのポケットから出しながら、心の中で叫んだ。目の前の王様も、雲行きの怪しさに少し眉間に影が入る。美人は表情を変えるときさえも、顔面にしわなど入らないものなのだろう。
「ちょっとお伺いしたいんですけど」成績の奮わない営業マンのように、洸星の両手は見えないろくろを回す。が、続く言葉に思い至って、ジャケットの裏ポケットから警察用のデバイスを出して、男の写真を見せる。
「こちらの男性はご存じですか? 愛衣川さんの職場は、多くの経営者や会社役員が顧客になるとうかがっています」
愛衣川からは、深夜のうちに簡単な調書をとっていた。とったのは鶴子だったが、その後ろで洸星は様子を見て――見学していた。彼の勤め先は銀座にオフィスを構える、新興起業家向けの金融コンサルティング会社と記入されていた。
なるほど? と、現在の彼の情報に、洸星は口に出さず首を傾げた。
愛衣川は、嫌なものを見たときの猫のように目を細めて、洸星の手元から少し身を引く。
「知らないし、一回だけのお客さんだったら会ってても覚えてないよ」
「谷野和也、港区でフィットネスチェーンを経営する会社の役員で、その前は美容系の会社を立ち上げて売却もしている。この名前に思い当たる節は?」
「さあね。東京に役員とか経営者とか、ゴロゴロいるし」
ミャオ、と鳴きそうな雰囲気で、愛衣川は首を傾げる。ビルの上から飛び降りても無傷で済みそうな見た目だが、洸星は彼の重量を覚えている。
「では、最後に、どうしてあなたは昨日あそこにいたんですか?」
「自分の家があのあたりだから。住所、さっき教えたんだけど」
「自分の家の近くだからって、誰もが警察に突っ込んでくるわけじゃない」
「それ、事件に関係ないんじゃない?」
「関係ないことを確認させてくれませんか?」
自分でも、挑発的だとは思ったが、止められなかった。
じっと、愛衣川は洸星を見つめていた。やがて、ため息を一つ吐く。
「個人的な問題、だよ。――おまえの顔が好みだったから、じゃ、ダメ?」
言葉とは裏腹に、愛衣川はぴくりとも表情を変えない。
どくどく、と、洸星の心臓が存在を主張するように大きな音をたてていた。
「冗談をいうのもほどほどにしてくださいよ」
「冗談じゃなくて、本音とは思わないの? イケメン警察官さん」
迫る視線に、どうにか心を落ち着けようと、洸星は机の上に投げ出していた手を握りしめる。それを、愛衣川のヒヤッとした手が触れる。
落ち着けるはずの心臓が、バクバクと鼓動をスピードアップさせてしまう。
愛衣川は洸星の目と鼻の先で、にや、と勝ち誇った笑みを見せる。
「ねえ、帰っていい?」
「えー、あ、はい」
触れられて混乱する中、反射で、洸星は答えてしまう。愛衣川は嫣然と口の端を持ち上げて、「そう、ありがとうね」と混乱する洸星へと言い置いて立ち上がる。
「松山くんッ!」
どれくらい固まっていたのか、たぶん数秒にしか過ぎないだろうが――それでも、魔女に見つめられて石にされてしまっていた、と言い訳を使いたくなるぐらいの時間だ。
「つ、つるこさん」
「なんですんなり返しちゃったの?」
「任意聴取なので、えーと、本人が希望したら止められない、ですよね?」
「聴取の内容はどうだった? 有意義? 次につながりそう?」
「繋がりそうですけど、もっと、話を聞けそうな感じもして」
そう、谷野和也の話をしていた時の緊張感と、その後『個人的な問題』に意識をそらさせられた流れに、違和感を覚える。「何かを誤魔化された」という気がした。
でも同時に――彼が、『個人的な問題』以上に、自分に話すことはあるだろうか、と頭の隅をよぎる。
洸星の要領を得ない様子に、鶴子は怒ってもいいのに、そうはせず、ただ口元をゆがませていた。楽しそうにも見える。
「じゃあ、走って!」
警察署を出たところで、愛衣川を捕まえた。目の前に滑り込んで、怪訝な顔をする彼の前で手帳を一枚破って連絡先を書きなぐって渡す。愛衣川は不格好なメモを眺めて、鼻を鳴らす。
「この連絡先は、お前のプライベート?」
「……そうだけど」
「あはは、嘘が下手すぎ。警察ってポーカーフェイスもできないの?」
嘘がうまい警官か。あまり歓迎したい存在ではない。
メモを太陽にかざすように掲げて、愛衣川はその文字を眺める。見つめていればその文字が飛び出してくるを楽しみにしているようにも、見えた。
「プライベートの連絡先だったら、連絡してあげてもよかったけど、これはないね」
「ない?」
「そう。まったく。人の心を掴む技術の一つも知らないの?」
はらりと、愛衣川の手から、メモが落ちる。整えられた指先が、波打つ。まるで塩でも振っているようだ。
「じゃあね、お巡りさん。また会わないよう願っておくね」
愛衣川燎斗は微笑みすらして、洸星に背中を向けた。
“かまたムーンライトロード”の商店街にある創業七十年の炭火焼き鳥屋の仕出し弁当も、警視庁からやってきた捜査員たちに配れば残りは少ない。
さらに年功序列で署内の上役に渡せば、残るのは空っぽの台車と、親子丼の香りだけだ。
自販機前の休憩スペースで、洸星が残り香をおかずにコンビニのおにぎりで腹の虫を宥めていると、生活安全課が入っているオフィスから鶴子が手をこまねいているのに気づいた。
「松山くん、手は空いた?」
「えーと、おにぎりは持ってますけど」
最近のコンビニにぎりはすごい。沖縄風にスパムと厚焼き玉子を挟んだにぎりと、ちくわとから揚げをはさんだのり弁おにぎりを両手に持ったまま、洸星は上司に頷いてみせた。水墨画にそのまま書いても通用しそうな鶴子の眉毛が左右非対称に持ち上がって、「なるほどね?」と納得の声をあげる。
なるほどって、鶴子さんは、おにぎりよりも、トルティーヤとかとか食べそうだけど。
白い手が親指を立ててサムズアップ。たくさん食べてよくできました? イヤ、もちろん違う。上司の親指はその背中を越えて、オフィスの奥にある間仕切りを示していた。
「君が連れてきた愛衣川さん、話を聞いてきて」
「俺がです?」
「君がです」
鶴子の唇が、はっきりと動く。音楽の先生みたいだ。ホホホ、ハハハ、マママ。だっけ? 発声練習。これでも高校時代の合唱祭では三年間、ベートーヴェン交響曲第九番「合唱付き」第四楽章を歌ったのだ。歌詞は何一つ覚えていないが。
サムズアップは再び、調査対象がいる部屋を強く指し示した。
「刑事試験、受かったでしょ? さあ、合格祝いの実践よ」
「ですけどね、あの、受かりましたけど、受かっただけですってば」
「貴重な経験値が詰めると思いなさい。ね?」鶴子がこれ見よがしにため息をつく。「自信がないとか、君のキャラじゃないよ。生意気でふてぶてしいのが君の持ち味じゃなかった?」
そう言いながら、鶴子は洸星の背中を押す。
両手におにぎり、背後に上司。洸星は危機感を覚えて尋ねた。
「どうして俺なんですか? それに、彼に何か事件と関連が?」
確かに、死体があがった場所に突進してくるのは、関係があると言えるかもしれないが。鶴子は眉をあげる。
「松山くん、彼を見てなんとも思わないの?」
なんとも、とは。
間仕切りで囲まれた簡易の取調室――というよりも、待合スペースといったほうがしっくりくる。オフィスの一角に作られた囲いの中には、座り心地のよい古いソファがあって、任意の取り調べや、自主的な情報提供を受ける場になっている。まあ、刑事ドラマに出てくる「取調室」よりも、よほど居心地いい空間だ。
洸星がいるオフィスの入り口から見えるのは、開けっ放しのドアの向こうに投げ出された脚の先に引っかかる靴、程度だ。
「綺麗な人ですよね」
「そう、異常なくらいね。――だから、君の出番なの」
「なるほど?」
鶴子の言葉を真似してみる。何がなるほどなんだ? 誰も彼も、メロメロで取り調べもおぼつかないってことか? 魔性ってやつだろうか?
「目の、力が強すぎるから、みんな押し負けちゃうのよ」
「……最近のイケメンは 、目からビームが出るんですか?」
「良い観点ね」鶴子は乾いた声で笑った。「刑事課は出払っているし、慣れない人間には荷が重い相手ってこと」
「俺も、慣れない人間なんですけど」
「君の図太さは私が保証するよ。――失敗したら私が骨は拾うから。大丈夫、何事も経験と思って」
まったくもって不穏以外のなにを感じればいいのか。
デスク二つ分の手前で背後の手が離れる。息を吐く。骨は拾ってくれるというから、腹をくくるしかない。
開け放ったパネル式のドアを、一応ノックする。「入りますね」と告げて、返事を告げずに中に入った。
「で、なんでおれが拘束されなきゃいけないの?」
不遜な態度で足を組んだ男が、洸星の顔を見るなり言い放つ。
不意を突いた男はソファにリラックスした様子で腰を下ろして、まるで王様の風情だ。
――なるほど、これは“取り調べ”の相手としてはやりにくい。やんちゃしている子どもでもないし、聞き分けのない相手というわけでもないが。
……なぜか、取り調べの立場が逆転したような気分になってしまうような、相手だ。
「……拘束はしてないですね?」
少し間を置いたものの、結局、洸星は相手の言葉を訂正することを選んだ。そして、ローテーブルを挟んで、柳眉をくいと上げる彼――愛衣川燎斗の前に腰を下ろす。
確かに、綺麗な人だ。
彼を囲む、三十年前から変化のなさそうな寂れて汚い部屋が、レトロで退廃的な雰囲気になるぐらいには。そう、アパレル雑誌やミュージックビデオに出てくるモデルなのかもしれない。警察内部にはガチムチマッチョの男はわんさかいるが、愛衣川のように、細身で、骨格からして無駄のない――あるいは、余剰のない、そんな男は見ない。存在しなかった。
愛衣川が警察組織にいたら、いくら美しくとも、軟弱者と眉を顰められるだろう。献血をしたり、数日絶食したり、ちょっと強く転んだりしたらすぐに壊れてしまいそうな、繊細さをうかがわせる。
洸星も含めて、多くの人間が「生きる」ためにいくらかリスクに耐えられるつくりをしているが、彼は違う。「美しさ」に全てを注いで、無駄のない造形に、どこか見る者を不安にさせる。
その不安感に、「惹かれる」と多くの人は錯覚してしまうんではないか? と洸星は勘繰ってみる。
その神の作りたもうた繊細の権化には、つい、丁重な態度をとってしまうのは、壊れものを扱う宅配業者と同じだ。
「何か、不都合がありますか?」
「……別に?」
「缶コーヒーならあるんですけど」
「いらない」
違うだろ! 洸星はさっき自販機で買った微糖のコーヒーをスラックスのポケットから出しながら、心の中で叫んだ。目の前の王様も、雲行きの怪しさに少し眉間に影が入る。美人は表情を変えるときさえも、顔面にしわなど入らないものなのだろう。
「ちょっとお伺いしたいんですけど」成績の奮わない営業マンのように、洸星の両手は見えないろくろを回す。が、続く言葉に思い至って、ジャケットの裏ポケットから警察用のデバイスを出して、男の写真を見せる。
「こちらの男性はご存じですか? 愛衣川さんの職場は、多くの経営者や会社役員が顧客になるとうかがっています」
愛衣川からは、深夜のうちに簡単な調書をとっていた。とったのは鶴子だったが、その後ろで洸星は様子を見て――見学していた。彼の勤め先は銀座にオフィスを構える、新興起業家向けの金融コンサルティング会社と記入されていた。
なるほど? と、現在の彼の情報に、洸星は口に出さず首を傾げた。
愛衣川は、嫌なものを見たときの猫のように目を細めて、洸星の手元から少し身を引く。
「知らないし、一回だけのお客さんだったら会ってても覚えてないよ」
「谷野和也、港区でフィットネスチェーンを経営する会社の役員で、その前は美容系の会社を立ち上げて売却もしている。この名前に思い当たる節は?」
「さあね。東京に役員とか経営者とか、ゴロゴロいるし」
ミャオ、と鳴きそうな雰囲気で、愛衣川は首を傾げる。ビルの上から飛び降りても無傷で済みそうな見た目だが、洸星は彼の重量を覚えている。
「では、最後に、どうしてあなたは昨日あそこにいたんですか?」
「自分の家があのあたりだから。住所、さっき教えたんだけど」
「自分の家の近くだからって、誰もが警察に突っ込んでくるわけじゃない」
「それ、事件に関係ないんじゃない?」
「関係ないことを確認させてくれませんか?」
自分でも、挑発的だとは思ったが、止められなかった。
じっと、愛衣川は洸星を見つめていた。やがて、ため息を一つ吐く。
「個人的な問題、だよ。――おまえの顔が好みだったから、じゃ、ダメ?」
言葉とは裏腹に、愛衣川はぴくりとも表情を変えない。
どくどく、と、洸星の心臓が存在を主張するように大きな音をたてていた。
「冗談をいうのもほどほどにしてくださいよ」
「冗談じゃなくて、本音とは思わないの? イケメン警察官さん」
迫る視線に、どうにか心を落ち着けようと、洸星は机の上に投げ出していた手を握りしめる。それを、愛衣川のヒヤッとした手が触れる。
落ち着けるはずの心臓が、バクバクと鼓動をスピードアップさせてしまう。
愛衣川は洸星の目と鼻の先で、にや、と勝ち誇った笑みを見せる。
「ねえ、帰っていい?」
「えー、あ、はい」
触れられて混乱する中、反射で、洸星は答えてしまう。愛衣川は嫣然と口の端を持ち上げて、「そう、ありがとうね」と混乱する洸星へと言い置いて立ち上がる。
「松山くんッ!」
どれくらい固まっていたのか、たぶん数秒にしか過ぎないだろうが――それでも、魔女に見つめられて石にされてしまっていた、と言い訳を使いたくなるぐらいの時間だ。
「つ、つるこさん」
「なんですんなり返しちゃったの?」
「任意聴取なので、えーと、本人が希望したら止められない、ですよね?」
「聴取の内容はどうだった? 有意義? 次につながりそう?」
「繋がりそうですけど、もっと、話を聞けそうな感じもして」
そう、谷野和也の話をしていた時の緊張感と、その後『個人的な問題』に意識をそらさせられた流れに、違和感を覚える。「何かを誤魔化された」という気がした。
でも同時に――彼が、『個人的な問題』以上に、自分に話すことはあるだろうか、と頭の隅をよぎる。
洸星の要領を得ない様子に、鶴子は怒ってもいいのに、そうはせず、ただ口元をゆがませていた。楽しそうにも見える。
「じゃあ、走って!」
警察署を出たところで、愛衣川を捕まえた。目の前に滑り込んで、怪訝な顔をする彼の前で手帳を一枚破って連絡先を書きなぐって渡す。愛衣川は不格好なメモを眺めて、鼻を鳴らす。
「この連絡先は、お前のプライベート?」
「……そうだけど」
「あはは、嘘が下手すぎ。警察ってポーカーフェイスもできないの?」
嘘がうまい警官か。あまり歓迎したい存在ではない。
メモを太陽にかざすように掲げて、愛衣川はその文字を眺める。見つめていればその文字が飛び出してくるを楽しみにしているようにも、見えた。
「プライベートの連絡先だったら、連絡してあげてもよかったけど、これはないね」
「ない?」
「そう。まったく。人の心を掴む技術の一つも知らないの?」
はらりと、愛衣川の手から、メモが落ちる。整えられた指先が、波打つ。まるで塩でも振っているようだ。
「じゃあね、お巡りさん。また会わないよう願っておくね」
愛衣川燎斗は微笑みすらして、洸星に背中を向けた。
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