Two grave holes for three

あきたいぬ

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アリソン・フォード研究所

顔の見えない女

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 最初は、ほんの少し違和感を感じる程度であった。

 起きるとどうも頭がすっきりしないことが多く、しかし何がいけないのかもわからない。枕やベッドが古いのは今に始まったことでもないし、仕事だって最近は順調に進んできていたはずだ。ストレスと言えるほどのストレスもない。日常が変わりないのであれば寝ている間──朝起きるときは覚えていないが、恐らく夢見でも悪いのだろう、と。そう思っていた。

 はっきりと、これはおかしいと感じ始めるようになったのは 一週間前のこと。夜中の三時を回ったあたりで急に目が覚めた。私は寝付きがいい方で、夜中に飛び起きたことなど今までにない。はて、どうしたのか。どこかの窓でも開いていたのだろうか。寝る前は必ず戸締まりはしているのだが。しかしいったん目が覚めてしまったのではしょうがない、水でも飲もうと起き上がろうとしたそのとき。

 全くもって、体が動かないことに気がついた。顔を上げるどころか、指を動かすこともできやしない。別に縛られているわけでも、しびれているような感覚もなかった。動けと頭で命令しても、ピクリとも、その通りに動かないのだ。こうなってしまっては腹をくくってもう一度寝れば良い、朝になれば動くようになるだろう、もしかしたらこれが夢かもしれないし、などと半ば無理矢理自分を納得させて、その日は眠りについた。考えていたとおり、朝起きると体はすっかり元通りで、しかしどうしても体のだるさはその日中抜けなかった。

 それから四日間、夜中に目が覚めて、体が動かなくなっていることが続いて──ああ、今考えればこの時点で誰かに相談するべきだったのだろうが──だんだん寝付きが悪くなってきて、これ以上寝不足が続くと仕事に影響しそうだと考えていた五日目の夜。それは、突然現れた。

 夜中の三時を回った頃。目を開けると、目の前に人がのしかかっていた。重さは感じない、ぼんやりとした人の形。ああ、今までこのせいで動けなかったのかと、そのとき唐突に思い至った。声?──もちろん、出なかった。でも、その日は本当にそれだけだった。白い、ぼんやりとした人の形をした何かが、私の上にのしかかっている。体が動かないだけで害はない。そう、思っていたさ。

 次の日、それは白い形をした何かではなかった。ちゃんと手と足がはっきりと視認できるくらい、それは鮮明だった。ああ、ぞっとしたとも。得体の知れない何かよりも、人が乗っていると確信を持つ方が恐怖を感じるらしい。──はは、冗談だろ、余裕なんてないさ。

・・・ああ、おかわりをお願いしようかな、エミリア。いや、もっとも私の話はもうすぐ終わるがね。ええと、そう、人だとはっきり視認できた後の夜だな。

 しばらく、そうだったよ。体つきから女だとわかった。でもわかっていたのはそれだけだ。顔がずっとわからなかったんだ。首から上だけ、ぼんやりとぼやけていてどこの誰だかわかったもんじゃなくてね。不気味だろう。確実に人とわかる、女に、毎晩毎晩のしかかられているなんて。

──ご明察だ、フォード。言葉尻で?はは、確かに君は腕のいい精神科医のようだ。そうだよ、君の言うとおりだよ。

 女が動いたんだ。昨夜のことだ。

 ずっと私の上に乗ったまま微動だにしなかった女が、手を伸ばしてきた。そのまま、私の首をつかんで、締め上げてきたんだ。

 そう、驚いたことに、私の首を締め上げてくる手には、確かに質量があった。乗っている女の体にはなかったのに。しかし所詮女の力だ、そうそう手だけで大の男の首を締め上げられるものじゃないが、私は例に漏れず体が動かなかったのでね。されるがままだったよ。真綿で首を絞められる、なんて比喩を使うとは思わなかったが、まさにそれだ。じわじわと気管を絞められていく苦しさ、呼吸がままならなくなっていく恐怖感・・おぞましい。その一言につきるよ。

──やはり君は腕のいい精神科医だな。というよりも探偵か?今日会った誰にも、気づかれていないと思ったんだが。私は寒がりではなくてね。首元を隠せるのは、この古いストールしかなかったんだ。さすがに首元に残った手の形をしたあざを、ただでさえ私に遠慮している職場の人間に見せるわけにはいかないだろう?


──


 これで終わりだ、というように私が肩をすくめてみせると、フォードはチラリと壁掛け時計に目をやり、そしてエミリアにも視線を向けた。私もつられて時計を見る。時刻は午後八時少し前。もうすっかり日も暮れている頃だ。

「あなたは幸運だ。とても。」フォードは重々しく言った。

「もし、あなたが何の対策もなしに今夜を迎えていたら、スミス、きっとあなたは明日死体で見つかっている。」
「そ・・んなに深刻なのか、事態は。」

フォードはゆっくりと頷いた。「これは計画的な呪いだよ、スミス。」
「呪い?そんなまさか!」私は叫んだ。「これまで呪われるようなことをしてきた覚えはないのだが・・」
「そう、そこが重要だ。」びしり、とフォードは言った。やはり精神科医と言うよりは探偵のようだと私は少し場違いなことを考えた。

「スミス、あなたは誠実な人間だ。少し話しただけでそれがわかる。幼いエミリアにも礼を尽くした。人嫌いのスタンリー・Fもあなたを気に入っている。」

「ちょ、っと待ってくれ。何故そこでスタンリーが出てくる?彼が人嫌いなんて、私には到底考えられないことなのだが・・」

「あの男は根っからの人嫌いだよ。それを表に出さないだけだ。彼が人にこの研究所を紹介するのも、本当に滅多にないことだ。よほど君のことが心配だったとみえる。」

「そうなのか・・」

どこか寂しいような、こそばゆいような、奇妙な感覚を抱えたまま、私はため息をついた。「だったら、だれが?」

「呪いとは、基本、即物的なものなのだよ。瞬間的に、遅くとも一日で呪いの効果は相手にいってしまう。しかし、君の場合は違うね。一ヶ月前、夢見が悪いと考えていたあの時から、すでに呪いは始まっていたんだ。」

「一ヶ月・・」

「そう、一ヶ月という長い期間だ。では、なぜそこまで周到に呪いをかけたのか。それは呪いをかけた奴が、スミス、君の全く与り知らぬ者だからなんだよ。」

「しかし実際に呪われているのだろう?」

「ああ。ノーマルな呪いというのは基本的に、呪いたい相手の皮膚や髪の毛などの体の一部を手に入れることから始まる。それを適当な依り代に移して、それを傷つける、そうすることで相手に同じところを患わせたり、場合によっては殺すこともあるんだ。しかし今回は君のその一部でさえ手に入れることができなかった、と考えて良いだろう。要するに、相手は君の顔を知らないどころか、おそらくすれ違ったりすることもなかったのだ。」

「なるほど。」と私はうなった。「では、なぜ・・」

「僕の予想が当たっていれば、今晩の女は顔が見えるはずだ。昨晩の時点で実質的な被害が現に出ている。今晩にでも女はその全貌を現して君を仕留めにかかる。」

「私はどうすれば?」

できれば今はまだ死にたくないなとぼんやりと思いながら、(いかにも現実離れしている話に頭がクラクラしてきたのもある)問うと、エミリアは目を輝かせ、フォードはにやりと笑って返した。

「君の家に、客用のベッドはあるかい?」

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