Two grave holes for three

あきたいぬ

文字の大きさ
3 / 7
アリソン・フォード研究所

人を呪わば

しおりを挟む
午後十時半を過ぎた。

閑静な住宅街に建つ私の家の周りは静まりかえっていて、遠くから工場の稼働する微かな音が聞こえるのみだ。客用のベッドは運良く昔使っていたのがあって、何故かついてきたエミリアは「お泊まりだ!」とはしゃいでいた。

(寝付けない・・)

ここのところ寝不足が続いていたので、ベッドに入れば自然に寝付けるものと思っていたが、存外そうでもないらしい。今夜殺されるという話を聞いてからどうも気分が浮ついて落ち着かなくなってきている。

(何かあればすぐに駆けつける。心配しないでくれ。)

フォードはベッドの上で飛び跳ねるエミリアをなだめながら、私にそう言った。

(君にお願いしたいのは、女の特徴をできるだけすぐに伝えることだ。忘れてしまう可能性もなくはないし、これから呪いがかけられないように相手を知っておく必要があるからね)

(相手を知っておく?)

(返すのさ。)

そう言うとにやりと微笑んだままフォードは何も言わなくなったので、私は観念して「おやすみ」と言った。

部屋は暗く、あたりも静まりかえっている。あんなにはしゃいでいたエミリアも、もう夢の中だろう。

今日は、なんだかめまぐるしい一日だったな、と思い出して私は少し笑った。呪い、なんて普段の私であれば到底信じなかったであろうに。あの地区にふさわしくない出で立ちのエミリア、地下にあるのに閉塞感のなかった研究所、今までに感じたことのない雰囲気を持っているフォードが、妙な信憑性を持たせたのだな、と私は思った。

果たして今夜、女は来るだろうか。その顔は、わかるだろうか。

いずれにせよ、今は十一時少し前。三時までにはまだ時間がある。明日も仕事があるし、今はとにかく寝てしまおうと、私は毛布を引っ張り上げて目をつむろうと、した。

(・・え?)

動かない。

体全体が硬直している。瞬き一つできやしない。私はカッと目を見開いたまま、ベッドに仰向けに、完全に固定されてしまっていた。そして──

(おんな、が・・)

いつの間にか、私の体の上には、ここのところ毎日のように現れていた女が、その髪を振り乱しながらのしかかっていた。

女の白い手が、勢いよく私の首を掴む。

(──)

真綿で首を絞めるような、そんな生やさしいものではなかった。ギリギリと音が出るくらいに、強く締め上げられる。女の手を振り払うこともできず、助けを呼ぶどころかうめき声の一つも出ないまま、私の意識は、徐々にぼんやりと霧がかかったようになっていった。

それでも。

それでも私は、なんとか女の顔を目に焼き付けていた。

「遅くなってすまない!」

バタン!と大きな音を立てて寝室の扉が開かれたのは、女が来てから十秒も経っていないころだった。目だけを可能な限り動かしてドアの方を見る。慌てた様子のフォードと、うつむいたエミリアがそこに立っていた。

「行きなさい、エミ。」

フォードが短くそう告げると同時に、エミリアは勢いよく跳躍した。ドン!と震えるくらいに強く床を蹴ったエミリアはまっすぐに、未だ私の首を締め上げている女に突っ込んだ。そして半透明の女に触れる寸前、エミリアは手を広げて何か紙のような物を掲げ、叫んだ。

『───!』

最初に会ったときに聞いた、耳障りの良いあのクイーンズ・イングリッシュとは全く違う、何かの呪文のようだった。英語でもない、異国の言葉だ。私の頭にもキィンと響くそれは、しかしどうやら女にも効いたようで、狭まる視界の中で、女が煙のように消えるのを私は確かに見た。

「聞こえるかい、私だ、フォードだ。」

フォードが駆け寄ってきて、何か言っているようだったが、私はそれを半ば夢うつつで聞いていた。

「今のは一時的に退散させただけで、根本的な解決になっていない。今回は女の顔が見えただろう?特徴でも何でもいいから、とにかく教えてくれないか。」

女、そう、フォードが言っていたように、今日はくっきりと女の顔が鮮明にわかった。そうだ、言わなければ、伝えなければ。首を絞められていたせいか、ひしゃげた無様な声だったが、それでもなんとか絞り出す。

「っ、す・・たんりー・・・」

「スタンリー?彼がどうかしたのか?」

「・・か、れ・・っの・・どう・・りょ・・・きょう、あった・・・」

「・・よし、わかった。ありがとう、スミス。もう大丈夫。・・せめて、いい夢を。おやすみ。」

どうやら伝わったようだ──

ホッとした私は、同時にひどい頭痛と倦怠感に襲われ、そのまま意識を暗闇へと落としていった。

 

──

 

目を開けると、そこは一面真白な世界だった。上下左右、一点のシミもない、干したてのシーツが広がっているような、そんな場所だった。ここはどこだろうか。試しに手足を動かしてみる。先ほどまで硬直していた私の体は何の不自由もなく動いた。「あ」と声も出してみる。どこにも異常はないようだ。

このままいても仕方ないので、私はすこし歩いてみることにした。しかし如何せん、どこもかしこも真っ白なので、足を前に踏み出しても自分が進んでいるかどうかさえはっきりとわからない。十歩ほど歩いたところで私は前に進むことを諦めてしまった。

(夢か、これは。)

こんなに意識がはっきりしているので、にわかには信じがたいことだったが、やはりそうとしか考えられないだろう、との結論に至る。わかってしまえばどうすることもない。このまま目覚めるまで待っていよう、と私はその場に座り込んだ。そのままごろりとその場に寝転ぶ。と、一面真っ白な視界に、いきなり少女の顔がひょっこりと現れた。

「え、みりあ!?」

「・・・」

彼女の名前を叫んで、私は慌てて起き上がった。なぜエミリアがここに?これは私の夢で、しかしエミリアはなんだか、─こういうことをいうのもおかしいことだが─自分の意思で動いているような気がした。叫んだ私を見て、無表情に首をかしげている。

(どういうことだ?エミリアはおしゃべりだった。これが私の夢ならば、彼女が一言も喋らないのはおかしいんではないだろうか・・?)

困惑する私をじっと見つめていたエミリアは、おもむろに私の首筋に手を伸ばし、そのまま抱きつくようにして、私を押し倒した。

「エミリア!?」

「・・」

エミリアは何も言わず、私の首を二、三度優しく撫でると、満足したように離れていった。あっという間のことで、何が何だかわからないまま私は無意識にエミリアに問いかけていた。

「君、きみは、エミリアなのか・・?」

エミリアはやはり、何も言わなかった。あのブラックオパールのような、無機質に輝く瞳で、私をじっと見つめているだけだった。繕うように、私は言葉を続ける。

「いや、でも・・でも、さっきは助かった。君とフォードが、あの女を追い払ってくれたんだろう?ありがとう。おかげで死なずにすんだ。」

ありがとう、と最後にもう一度言っても、目の前の少女は無表情のままだった。しかし、その耳が微かに赤くなっていることに私は気がついた。少女はかがんで私の手を取り、指でそこに何か書き始めた。

『E、M、I』

「エミ?」

そう問いかけると、少女は、エミは、ほんの僅かに微笑んだ。エミリアが見せたような花が咲いたような笑みではなく、なんというか、どこか哀愁を感じさせるような、儚いものだった。私がエミに話しかけるより前に、私の視界はだんだんと狭まり、エミの姿もかき消えていって──

完全に視界が黒に染まった次の瞬間には、見慣れた天井が目の前に広がっていた。

ゆっくりと起き上がる。昨日意識を落とした、自室の寝室だった。起き上がって、軽くのびをする。扉横の鏡を何気なく覗くと、昨日まで首にあったあの痣は、跡形もなく消え去っていた。隣の部屋─昨日二人が泊まっていた部屋は、すでに綺麗に後片付けがされていて、エミリアの姿もフォードの姿も見当たらなかった。代わりに、備え付けの棚の上に、一枚のカードが置いてあった。

 

{ご依頼、確かに完遂いたしました。明日からの安眠は私どもがお約束いたします。

 詳しいことはスタンリー・Fにお聞きください。

    アリソン・フォード研究所}

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども

神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」 と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。 大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。 文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...